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平成20年(2008)1月4日(金)夜、大分県宇佐市(おおいたけん・うさし)の鷹栖観音寺(たかすかんのんじ)で褌(ふんどし)草鞋(わらじ)姿の男衆が駅館川(やっかんがわ)を渡り、対岸の鷹栖観音堂一帯で「どんど」を焼き、松明(たいまつ)の火の粉をまき散らす火祭り「鷹栖観音鬼会(たかすかんのん・おにえ)」があり、激写してきた。 |
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拡大写真(1400X1050)355KB |
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宇佐市は、大分県の北部、国東(くにさき)半島の付け根に位置する人口約6万人の都市で、全国4万社余りの八幡宮(はちまんぐう)の総本宮である宇佐神宮があり、正月には全国からの参拝客でにぎわう。宇佐神宮以外にも観光名所が多く、県内有数の観光都市である。 |
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宇佐には、有名な都市伝説がある。戦後、日本製品は粗悪品のイメージがあって海外では売れないため、宇佐市の家電メーカーが地名の Usa にちなんで Made in USA のラベルで輸出したところ、アメリカからクレームがきた。それに対して悪びれることもなく、「宇佐は日本書紀までさかのぼる由緒ある地名。200年ほどしか歴史のない国が何を言うか」と反論したという。 |
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百間岩 |
の中腹に建つ |
鷹栖観音堂 |
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宇佐市上拝田(うさし・かみはいた)にある鷹栖観音堂は奈良時代の僧・法蓮(ほうれん)が建立したといわれ、宇佐弥勒寺(うさみろくじ)の末寺(すえでら)(分家のような寺)として1300年の歴史がある。つがいの鷹が上人の徳を慕って巣を作ったという伝説が地名の由来になっているという。 |
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鷹栖観音堂 |
入口の |
慈眼堂 |
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現在、鷹栖観音堂は、駅館川(やっかんがわ)の対岸に建立された観音寺の奥の院となっており、鷹巣山上拝田の百間岩(ひゃっけんいわ)と呼ばれる岩山の中腹にある。現在の堂は絵馬などから江戸中期の建立といわれる。何本もの長い柱で舞台をつくり、その上に堂舎を乗せた懸造り(かけづくり)と呼ばれる建築様式で造られている。 |
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懸造り |
の |
鷹栖観音堂 |
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鷹栖観音寺 |
の寺宝の鬼面(宇佐市指定有形文化財) |
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観音寺が建立されてから始まったという鬼会(おにえ)は、宇佐市から無形民俗文化財の指定を受けており、正月会(しょうがつえ)の最後に当たる1月4日の夜に勤修(ごんしゅう)される。 |
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地元の青年や県外から飛び入りの参加者たち数十人が鷹栖観音寺に集まり、読経のあと裸になって寺宝の赤鬼、青鬼の面を持った2人を先頭に長さ約2mの松明(たいまつ)をかざしながら極寒の駅館川(やっかんがわ)を渡り百間岩(ひゃっけんいわ)の観音堂に参拝して無病息災を祈る。 |
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その後、赤鬼組・青鬼組の2手に分かれ、互いに松明を打ち合わせて悪魔払いをする。そのさまは勇壮で、近郷から多くの人が見物に集まる。 |
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参加者たちは、鷹栖観音寺の境内に仮設されたテント小屋で裸になり、越中褌(えっちゅうふんどし)に晒の腹巻、草鞋(わらじ)に鉢巻という独特の祭り衣装に着替える。 |
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拡大写真(1400X930)170KB |
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