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2004年10月2日改訂

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2004年10月2日作成

神に額ずく軍士たち

占手神事(玉祖神社/山口県防府市)

軍 士

相 撲

玉祖たまのおや

神社
玉祖神社

拡大写真(1200x600)199KB

古式ゆかしい裸の神事

 2004年9月25日(土)山口県防府市(ほうふし)に鎮座する玉祖神社(たまのおやじんじゃ)で占手神事(うらてのしんじ)が行われた。

 この神事の起源は、仲哀(ちゅうあい)天皇が熊襲(くまそ)征伐のおり、神功皇后(じんぐうこうごう)とともに玉祖神社に参拝し、軍の吉凶を占わせた古式によると伝えられている。

 所作が相撲に似ているところから「占手相撲」ともいわれる。呪術的儀礼に富んだこの神事は、山口県の無形民俗文化財に指定されている。

玉祖たまのおや

神社樹林

玉祖神社の鎮座する鎮守の杜は、照葉樹林の自然植生により、自然記念物となっている。

   

玉祖神社

たまのおやじんじゃ

神 紋

曲玉(まがたま)

 玉祖神社は、周防国(すおうのくに)一ノ宮として由緒深く、祭神は三種の神器の一つである八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)を造った玉祖命(たまのおやのみこと)である。
 玉祖命は五伴緒神(いつとものおのかみ)*の一柱として中国地方を治め、この地で歿したと伝えられ、社殿の北、約500mにある玉岩窟(たまのいわや)はその墓所と云われている。
 神社の創建は余りにも古くて定かでないが、景行(けいこう)天皇12年(西暦82年?)の西征に当たって戦勝祈願のために奉納されたといわれる宝剣が御神宝として伝わっているという。

* 五伴緒神(五部神):日本神話で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に従ってこの国に降った五神。

神門しんもん

占手神事は、この神門の前の石畳で行われる。

神門

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拝殿はいでん

神門の奥に拝殿があり、その奥に本殿がある。

拝殿

神事の開始

午後5時から拝殿で神事が始まった。

神事の開始

拝礼

神事の関係者が深々と頭を下げる。

拝礼

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占手神事

うらてのしんじ

 拝殿の儀式が終了すると、関係者は神門の石畳に移動し、宮司のお祓いにより、占手神事の本番に入った。

 神事の主役は、白い晒木綿の腹巻と褌を締めた二人の男性で、軍士(ぐんし)と呼ばれる。元々の起源が戦勝祈願の占いであるため、その呼称がある。行事所役(ぎょうじしょやく)とも呼ばれるようである。

お祓い

お祓い

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神事七人衆と三人の神官

 お祓いの後、宮司は神門に移動する。軍士は石畳の左右に分かれ、蹲踞(そんきょ)の姿勢をとってお互いに向き合っている。軍士の上座(かみざ)に裃(かみしも)姿の首座(しゅざ)が正座している。首座の前には、藁の円座(えんざ)に一振りの太刀が置かれている。円座には「不浄除御守」と書かれた御守り札が立てられている。

 下手(しもて)に紋付袴姿の三人の宮付(みやつき)が胡座(あぐら)をかいている。神事は、この七人衆に神門に立つ三人の神官によって執り行われる。 神事は、お祓いがスタートの合図で、後は令なくして最後まで進行する。

神事七人衆

神事七人衆

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神門に直立

裸足の軍士は、神門に向かって直立し、いよいよ神事の佳境に入る。

神門に直立

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神官と軍士

あたりは薄暗くなりつつあり、神門の両脇には篝火(かがりび)が赤々と焚かれている。

神官と軍士

拡大写真(1200x800)157KB

神に額ずく軍士たち

軍士は神に向かって石畳にひれ伏すように拝礼する。

神に額ずく軍士たち

拡大写真(1400x940)206KB

軍 士

相 撲

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