2001年9月10日制作 |
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シャンボール城 Ch「teau de Chambord (世界文化遺産) |
01 |
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1999年11月2日、ロワール(ロアール Loire )渓谷の古城をめぐるため、早朝、ボルドーのサン・ジャン駅(大西洋新幹線発着駅)からフランス国営の新幹線TGV (Train à Grande Vitesse ) のファーストクラスに乗り込んだ。
スーツケースは、赤帽がちゃんと運んでくれ、所定の収納スペースに収められている。イタリア旅行でベニスからフィレンツェまで特急列車に乗った際は、荷物専用の収納スペースがなかったために我々旅行客が一等客室や通路に運び込んだりして大変だったことを思い出し、これは便利だと実感。日本の新幹線も荷物の収納スペースはないので、外国人旅行客には不便に思われていることだろう。 車内のドアは、自動では開かなかったり、トイレの水を出すのがフット・ペダルだったり、同じファーストクラスでも車両によって格差があったりと話題は尽きない。 2時間半でサン・ピエール・デコ駅に到着。到着時には雨が降っており、新幹線の駅なのに屋根がないのが玉に瑕だった。 |
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02 |
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ロワール渓谷は、大西洋にまっすぐ開いているため海洋性気団の影響を強く受け、天気は変わりやすいが気候は温和であり、ルネサンス以来、国王や貴族の居城としてのシャトーがロワール川沿いに数多くつくられた。 ゆったりとしたロワール川の流れ、ポプラやハンノキの林が続く河畔、その緑の間に見え隠れする白いシャトーはロワール渓谷の独特の景観であり、とくにオルレアンからトゥールにかけて点在するシャンボール、ブロア、アンボワーズ、シュノンソーなどのシャトー群は世界的な観光地となっている。これらのシャトーがつくられたのはバロア朝末期の15〜16世紀であり、なかでもフランソア1世のつくったシャンボール城は最も壮麗で世界遺産にも登録されており、その後ルイ14世も一時居城としたことがあった。とくに15〜16世紀には宮廷がパリを離れてロワール川のシャトーに移ったことが多く、ロワール渓谷はフランス文化の中心であった。 近年では高速道路の発達によってパリから1時間半程度の距離になったため、週末やバカンスのための別荘が増え、再びパリとの結びつきが強まろうとしている。 |
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03 |
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アンボワーズ城は、15世紀末にシャルル8世がイタリア・ルネッサンスを導入して改築し、その後、孫のフランソワ1世が居住し、晩年のレオナルド・ダビンチを呼び寄せた城として有名だ。シャルル8世は、イタリア遠征から勝利のかわりに文化を持ち帰り、これによりフランスのルネッサンスが始まったのである。 ロワール川のほとりに建てられたアンボワーズ城は、底辺180m、2辺各200mの二等辺三角形型敷地に建てられた大きな城郭である。しかし、現存するのは川に面した巨大円筒とそれに接続する中央棟など、城内見取図の茶色の部分だけである。直径21mもある円筒の名は、ミニムの塔 Tour des Minimes と呼ばれ、内部は螺旋斜路となっている。
このフランス・ルネサンスの名城に住んだ女性といえば、絶世の美女ディアンヌ・ド・ボワチェ(1499-1566)を差し置いては語れない。彼女が持つ天性の美貌と知性は、フランス王フランソア1世(ブロワ城居住)の心を虜にし、ディアンヌをアゼ・ル・リドー城に居住させ、彼が性病で死ぬ迄、寵姫として愛情を注いだ。 |
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04 |
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この城に足跡を残した王妃アンヌは、夫シャルル8世の死後、次期王ルイ12世の妃にさせられた。いかにフランスでもこういうことは珍しい。 |
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05 |
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06 |
フランスワインの3大産地(ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュ、)に次ぐワインの産地として知られるロワール地方は、フランス中央部に源を発し大西洋に注ぐフランス最長のロワール川の流域に広がっている。耕地面積も広く、栽培されるぶどうも多種多様。ほとんど全ての種類のワインを産出しているが、ロワールといえばその約3分の2が白ワインだ。ミュスカデ、プーイィ・フュメ、ダンジューなどが有名。
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07 |
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レオナルドは、イタリアのフィレンツェ近くのヴィンチ村で生まれたが、晩年の1517年、フランソワ1世の招きに応じてフランスへ移り、アンボワーズ近くのクロ・リュセの館に居所を与えられ、王母の居城ロモランタンの設計をするほかは研究ノートの製作に没頭し、1519年5月2日、この館で病死した。67歳だった。 彼の遺言に、遺骨はアンボワーズのサン・フロランタン教会に埋葬することと書かれていたが、500年たった今でも彼の遺骨は発見されていない。現在、アンボワーズ城内の森のそばに、彼のモニュメントがひっそりと建っている。 モナ・リザの謎 彼の晩年の大作と言えば、モナ・リザだ。52歳の時、フィレンツェ駅前に建つサンタ・マリア教会の法王の間で描きはじめ、67歳にこの世を去るまで少しずつ筆を入れていた。絵のモデルについて様々な説が唱えられているが、これでも未完成と言われるこの絵に、彼はどのような思いを抱いていたのだろうか。 |