2001年9月1日制作 |
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シャンボール城 Ch「teau de Chambord (世界文化遺産) |
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シュノンソーは、フランス中部、アンドル・エ・ロアール県の小村で、ロアール川の支流シェール河畔に位置する。ロアール河畔の城館中屈指の名城シュノンソー城 Ch「teau de Chenonceau があることで知られる。 |
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ロワール川の支流シェール川をまたぐように築かれた優美な城館は、16世紀初期に築かれたルネサンス様式の傑作で、この城を外してはロワールの古城は語れない。 |
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フランソワ1世の死後、王位を継承した息子アンリー2世は、衰えるどころか益々美しさに輝く先王の寵姫ディアンヌの隠居を許さず、身分を公爵に任じ、シュノンソー城を与え、城主とした。 王亡き今、幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされたディアンヌは、ショーモン城に住む気はなく、彼女の領地であったパリ西郊のアネ城に移り、密やかに余生を送り、7年後、67歳で亡くなった。 |
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カトリーヌ・ド・メディシスは、イタリア・フィレンツェの大富豪メディチ家の出身。ルネッサンス全盛期のフィレンツェからフランスの第2王子アンリー2世と結婚。皇太子の死により、アンリー2世がフランス王になり、カトリーヌもめでたくフランス王妃になった。皇太子の死は、カトリーヌの毒殺だとする説が濃厚。
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フランス中部、ロアール・エ・シェール県の小村。人口230(1975)。ロアール川支流コソン川のほとりにそびえるルネサンス様式の華麗な城館シャンボール城で知られる。 シャンボール城 Ch「teau de Chambord シャンボール城は、横154m、奥行き117mの建物で、部屋数440、階段数84、煙突数365と、ロアール河畔で最大の規模をもつ。フランソア1世の依頼によってイタリア人建築家ドメニコ・ダ・コルトナ
Domenico da Cortona (1470頃‐1549頃)が設計したものと推測される。1519年に起工され、途中中断しながらも、1550年過ぎに完成。方形の平面に櫓(やぐら)を配する形式は中世の城塞を引き継いでいるものの、円錐状の屋根、ランタン、小塔、軒窓などはイタリア・ルネサンスの意匠を見せている。 |
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フランス中部、ロアール・エ・シェール県の県都。人口5万2000(1990)。パリの南西約177km、ロアール川右岸の高台にそびえる。ブロア城を中心に発達した城下町で、この地方の行政、商業、観光の中心である。 残るイベントは、ツアーグループの夕食のみ。ソムリエ役の私の提案でミュスカデを注文したところ、何とそのホテルには置いていなかった。(断じて安宿ではない。)神戸に来て灘の生一本を飲めなかったようなもので、ガッカリするやら呆れるやら。フランスはラテン民族なので、そういところが日本では考えられない位おおらかだ。 ともあれ、夕食後シャワーを浴び、早々に疲れた身体をベッドに横たえ、華やかな古城の城主になった気分で深い眠りについた。( fine ) |