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 旅紀行日本の裸祭り
2003年9月12日改訂

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♪島の祭り KasedaMusicLabo

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灘のけんか祭り

2001年10月27日制作

本 番 を 前 に

本番を前に 2/3 3/3
01
  腕守り腰に自慢の秋祭 北舟 

うでまもり こしにじまんの あきまつり

A man proudly wearing an arm charm
 on his waist for the autumn festival.

道路で裸の昼食会

道路で裸の昼食会

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姫路市 瀬戸内海の播磨灘に面し、気候温暖な風土に恵まれ、海の幸・山の幸の豊かな地である。645年の大化改新のあと播磨国の国府が置かれ、8世紀中ごろに聖武天皇の勅令で国分寺が建てられてから発展してきた歴史と伝統ある町だ。1993年(平成5年)国宝・姫路城が日本で初めて奈良の法隆寺と共に世界文化遺産に指定され、HIMEJIの名は世界的に有名となった。近年は、新日鉄、東芝、三菱電機などの大手工場が進出し、典型的な企業城下町となっている。 面積:274ku 人口:48万人
● 詳しくは姫路市のホームページ → 姫路市の概要
祭礼日 10月14日宵宮・15日本宮 開催地:松原八幡神社・広畠(兵庫県姫路市白浜町) 観客:宵宮8万人・本宮15万人(サンテレビ調べ)

祭一色播州の秋

 「ヨーイヤサー」の勇ましいかけ声と太鼓の音が抜けるような秋晴れの空に吸い込まれていく。上気した赤い肌に白い祭りまわしをキリリと締め込んだ男たち。神輿がぶつかり屋台が揺れる。21世紀最初の10月15日「灘のけんか祭り」と呼ばれる松原八幡神社秋季例祭の本宮が開かれ、15万人の大観衆が裸の男たちの熱い祭典を見守った。
 灘祭りとも呼ばれる灘のけんか祭りは、神輿を荒々しくぶつけ合う特異な神事のため、天下の奇祭だとか、全国の数あるけんか祭りの中で最大規模の祭りだといわれ、戦前から播州播磨を代表する祭りとして知られてきた。
 阪神三宮駅から姫路行きの直通特急に乗車すると、1時間ほどで山陽電鉄・白浜の宮駅に着く。祭りの日だけは(1000頃〜1700頃)特急が臨時停車する。駅の直ぐ南に松原八幡神社がある。その西方に約1kmほど歩くと、御旅山(おたびやま)山麓にある広畑(広畠 ひろばたけ)と呼ばれる練り場(ねりば)に着く。

祭りに向かう一家

祭りに向かう一家

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旧灘七村

 「灘のけんか祭り」に参加する町は旧灘七村である。現在の地名でいえば、姫路市南東部海岸地域のうち東山(ひがしやま)(旧東山村)、八家(やか)(旧八家村)、木場(きば)(旧木場村)、白浜町(旧宇佐崎(うさざき)村・旧中村(なかむら)・旧松原(まつばら)村)及び飾磨区妻鹿(めが)(旧妻鹿村)を合わせた地域で、一般に灘地域とか灘地区などと呼ばれる。
02

腹ごしらえ

腹ごしらえ

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家族の団らん(神社の境内)

家族の団らん

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松原八幡神社

 八幡神社は、八幡神(やはたのかみ)を祭る神社であり、昔から八幡様(はちまんさま)と呼ばれて人々に親しまれてきた。八幡神に対する信仰は、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮(八幡宮)に起こり、日本で最も普及した神社信仰である。
 旧灘七村のほぼ中央に氏神様である松原八幡神社がある。御祭神として、本殿中央に応神天皇(おうじんてんのう)、向かって右殿に神功皇后(じんぐうこうごう)、左殿に(ひめおおかみ)(天照大神(あまてらすおおかみ)の御子神)の三神が祀られている。
 763年(天平宝字7年)、九州の宇佐八幡宮より分霊を勧請(かんじょう)して創祀(そうし)されたのが始まりと伝えられているが、本格的な造営は、伏見天皇の寄進によって社領を得、後小松天皇の明徳年中(1390〜1394年)に本格的な社殿が建立されたという。その後、播磨を領としていた赤松氏の勢力下で発展した。

本番前の一時

 午後1時白浜の宮駅に到着。知人の紹介で地元の人に案内され、会場の御旅山・広畠に向かう。街並みは戦災にあっていないようで民家が並んだ狭い道路が続く。
 祭りに参加する人や見物客などで、広畑に向かう人の流れが絶えない。軒先の道路にシートを広げ、昼食をとっている人たちは、ビールや冷や酒を飲み、本番を前に盛り上がっている。神社の境内では、グループや家族単位で腹ごしらえをする光景がみられた。
03

ミニチュアの屋台

ミニチュアの屋台

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祭りを支える女子衆

 灘祭りを陰で支える女子衆は、大切な恋人や主人のために最大の尽力を惜しまない。男たちは、祭り月の10月には女子と床を共にしないという掟を守る。
 祭りの日には風呂で身を清め、まわしを締め込んだ男に妻や彼女が無事を念じながら男の身体に塩を振りかけて送り出す。昔から変わらぬ男女の織りなす微笑ましい風景が現代にある。

お父さんと一緒

祭り衣装

 灘のけんか祭りだけでなく、播州の秋祭りでは、男はみな白の祭りまわしを締めている。相撲まわしと同じような綾織・帆布の締め込みで、地元では泥まわしと呼んでいる。相撲まわしよりも生地が薄くて柔らかいまわしの人も見かける。
 後日、お便りをいただいた地元の方によると、昔は絹の締め込みだったが、高価なために泥まわしに変わってきたという。その方は、1965年(昭和40年)に初めてヤッサ(屋台)を練った時には、物資に不自由していた時代に父親があつらえて使用していた人絹のまわしを受け継いで締めたという。その頃は相撲経験者等少しの人達がまだ絹の締め込みをしていたとのことだ。
 まわしの代わりにネルの腰巻きをしている人たちは、シデ方を務める人たちである。シデ方は、屋台を支える役割で、練り子を卒業した年配の人が担当する。シデ方でもまわしを締めている人がいるのは、まわしにこだわりがあるからだという。
 まわしのほかに地下足袋と鉢巻、そろいの法被が定番の衣装である。腕やまわしに腕守り(うでまもり)と呼ばれる細長い布製のお守りを結んでいる人も多い。
04

白浜小学校

白浜小学校

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祭りの準備会場

 松原神社のすぐ西に白浜小学校があり、校庭が祭りの準備会場となっていた。腹ごしらえをするグループやヤッサと呼ばれる屋台を組み立てているグループなど、祭りを支える人々で賑わっていた。人出を見越してボールすくいやたこ焼きなどの露店も並んでいる。

屋台の準備

屋台の準備

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05

出番を待つ獅子屋台

 紫の法被を着ている人は42歳の本厄(ほんやく)を迎えた氏子たちである。

出番を待つ獅子屋台

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出番を待つ獅子屋台

 本番の最初に登場するのが露払い檀尻(つゆばらいだんじり)だ。地元では獅子屋台と呼ぶ。既に準備が完了しているようで、校庭で待機していた。大役を担う男たちの顔には、どこか緊張感がただよう。屋台の屋根には、獅子の顔が彫り込まれていて興味深い。

祭りの起源

 1467年(応仁元年)から始まった応仁の乱で松原八幡神社が焼失した際、領主・赤松正則は、社殿の再建に尽力し、その竣工祭に米200俵を寄進した。喜んだ氏子たちが木組みに米俵を積み上げて御旅山へ担ぎ上げたのが祭りの始まりだといわれている。
 松原八幡神社の秋祭りは、神輿同士がお互いに激しくぶつけ合う「神輿合わせ」で全国的に有名となった。そのさまが喧嘩をしているように見えることから、灘のけんか祭りと呼ばれるようになった。
 激しく神輿をぶつけ合うのは、神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓出兵の際、風待ちのために白浜の沖で停泊していた軍船が、波に揺られてぶつかり合う様子を表したものだという。また、これらの軍船に付着したゴイナ(牡蠣 かき)を削ぎ落とそうとする様子を表したものだともいわれている。いずれにせよ、神と人とが一体となり、五穀豊穣を願って行われる極めて特異な神事である。
本番を前に 2/3 3/3
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