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2003年4月28日改訂

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鮒ずしや彦根の城に雲かゝる  蕪村

国宝彦根城(滋賀県)

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2003年4月27日制作 

国宝彦根城(滋賀県)

 日本の天守閣の中で最も技巧を凝らした天守閣といえば、彦根城天守閣のほかに例を見ない。三層ではあるが、禅宗にみられる花頭窓(かとうまど)を多用し、切妻破風(はふ)、千鳥破風、唐破風を巧みに組みあわせた屋根の線が美しく調和し、国宝にふさわしい優雅な城である。

国宝・彦根城

 2003年1月12日(日)、琵琶湖・竹生島(ちくぶじま)を訪ねたあと、彦根城に行った。琵琶湖東岸に位置する近江(おうみ)の東玄関・彦根市は、関ヶ原の合戦後、初代彦根藩主井伊直政が実権を握り、井伊家35万石の城下町として栄えた。JR彦根駅から駅前お城通りを西に15分ほど歩くと彦根城の中濠に至る。
 琵琶湖東岸の要衝である彦根は、石田三成の築いた佐和山城があったが、井伊氏は関ヶ原の戦いの功により、石田三成の佐和山15万石に封ぜられ、佐和山城に入城したが、まもなく彦根山を中心に城を築いて移った。
 姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、日本の典型的な平山城である。井伊直勝によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成した。
 山頂に本丸と二の丸を置き、山麓に三の丸、堀には琵琶湖の水を引いた。築城に要した石材・建造物は、廃城となった大津・安土・佐和山などの旧城跡から運搬し、三層天守閣は大津城から移した。
 月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられている。明治時代の廃城令や戦火を免れた勇壮な天守閣は、国宝にふさわしい佇まいを今に伝える。  お城周辺マップ

天秤櫓と廊下橋

2003.1.12 15003

天秤櫓と廊下橋

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 右の櫓(やぐら)は、門を中心に左右が同じような形をしており、天秤で物を担ぐ形に似ているのでこの名がつけられた。元来は武器庫であるが、敵に対して鉄砲や矢を射てるようになっている。
 また、この橋は、当時塀や屋根があり、敵に動きを悟られないよう造られていた。更に有事の際は、橋脚を切り落とし(落とし橋)、敵の本丸への侵入を妨げるようになっている。現在は固定されているが、当時、橋脚を支えた跡が石垣(下から2m)に残っている。

彦根城の月

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琵琶湖八景 The Eight Sights of Lake Biwa  月明-彦根の古城 Moonlight - The old castle in Hikone

彦根城の月

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 本丸に登ると一番高いところに国宝の天守閣がそびえている。現存天守の完成は慶長8年(1603)、伊井直孝の時である。大坂の豊臣氏や西国大名に備える戦略的目的から、幕府の全面的支援を得た天下普請となり、伊賀・伊勢・尾張・美濃・飛騨・若狭・越前の7ヵ国12大名に助役が命じられて完成したという。
 どっしりとした牛蒡積(ごぼうづみ)と呼ばれる石垣の上に、3層3階の天守が威風堂々と建っている。

残雪の内濠

清らかな冷水をたたえる内濠は、全てを写し取る鏡のようだ。 

2003.1.12 1607

残雪の内濠

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井伊直弼(いいなおすけ)
文化12年(1815)〜万延元年(1860)

 近江国彦根藩(現滋賀県彦根市)の13代藩主で、幕府大老に任ぜられた。文化12年(1815)11代藩主直中(なおなか)の14男として出生。兄直亮(なおあき)の死去により嘉永3年(1850)藩主となり、掃部頭(かもんのかみ)を称した。
 日米修好通商条約をはじめとする安政の五か国条約に、朝廷の勅許を得ないで調印を断行。江戸幕府13代将軍家定の継嗣問題では、徳川慶福(よしとみ)を14代将軍に決定。その際、反対派であった一橋派・尊王攘夷派を弾圧する(安政の大獄)など、辣腕をふるった。
 安政5年(1858)4月大老に就任したが、万延元年(1860)3月3日江戸城桜田門外で水戸・薩摩藩浪士に暗殺され、46年の生涯を終えた。城内に銅像とNHK大河ドラマ「花の生涯」の記念碑がある。

孤高の白鳥

彦根城の中濠に一羽の白鳥が・・・。水に映る姿が美しい。

孤高の白鳥

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中濠と彦根城

白い城壁と緑の「いろは松」の並木が中濠に影を落とす。

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中濠と彦根城

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玄宮園

 玄宮園(げんきゅうえん)は城の北東、内濠と中濠の間にある旧大名庭園で、4代藩主直興(なおおき)が延宝5年(1677)に造営した。中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞらえたもので、江戸時代初期の庭を現代に伝える名園である。
 琵琶湖から水を引き、大きな池に突き出すように建つ臨池閣(りんちかく)、凰翔台(ほうしょうだい)といった建物のほか、池の周りには、中国洞庭湖(どうていこ)の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模し、竹生島(ちくぶしま)や沖の白石を表現するために樹木や岩石が配置されている。花の香りに蝉しぐれ、紅葉、雪景色と、四季折々の風情が素晴らしい。

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玄宮園

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              黄昏の彦根城 

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玄宮園から見上げる彦根城は風格がある。残雪の園内は訪ねる人も少なく、静かな夕暮れ時を迎えていた。

黄昏の彦根城

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              玄宮園の夕日 

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夕焼けにならなかったものの、夕日が赤く輝いていた。

玄宮園の夕日

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              彦根城の落日 

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彦根城の落日

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和田義男
   

 
撮影 2003年1月12日

オリンパス 
CAMEDIA E-20
 
500万画素
260枚  320MB
 

 去年、教育テレビで国宝探訪「彦根城天守閣」を見て、その素晴らしさを知り、訪問する機会を伺っていたが、このたび真冬ではあるが、彦根行きが実現した。

 彦根城の魅力は、藍い琵琶湖を背景にした白亜三層の美しい天守閣だけでなく、二つの濠に囲まれた城郭がほぼ往時のまま残されていることだろう。
 松の緑と白い城壁が、潤沢な琵琶湖の水をたたえた濠や池に映し出される景観は、筆舌に尽くしがたい。
 大阪城の空濠(からぼり)を引き合いに出すまでもなく、彦根城は、琵琶湖から美しい水の恵みを受けた豊かな水城なのであった。《完》
国宝四城: 黄昏の彦根城 国宝・松本城の桜 姫路城の桜 新緑の犬山城
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