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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年8月27日改訂

♪巡礼 KasedaMusicLabo

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2005年8月25日作成

巨大な根本中堂

東塔の根本中堂(比叡山延暦寺)

夏の叡山延暦寺

法灯

前作をご覧下さい

比叡山延暦寺
無 動 回 峰 横 川 西 塔 法 灯 東 塔 和田義男
   再びシャトルバスに乗り、西塔から更に南下し、延暦寺バスセンターで下車した。延暦寺の参拝コースは、普通はここから始まるのだが、今回のルートは東塔(とうどう)地区を最後にした。

大講堂

大講堂

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大講堂

 

 延暦寺正門から参道を進むと、最初に論義の道場である大講堂がある。現在の建物は、昭和31年(1956)の焼失後、坂本にあった讃仏堂を移築したもの。焼失前の規模は、九間四面二層の堂々とした堂宇であったという。

正座して合掌する参拝者

正座して合掌する参拝者

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大日如来座像

大日如来座像

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祖師像そしぞう

 

 国の重要文化財である大講堂の中は自由に参観できる。御本尊は大日如来座像。その両脇の檀上に比叡山で修学した諸宗派の祖師像が祀られており、比叡山が日本仏教の母なる山であることを改めて実感する。

大講堂に安置されている祖師像

大講堂に安置されている祖師像

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 祭壇に向かって左には、左から日蓮宗の日蓮聖人、曹洞宗の道元禅師、臨済宗の栄西禅師、天台宗寺門派の智證大師(写真上)。祭壇の右には、左から浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞聖人、融通念仏の良忍上人、天台真盛(しんせい)宗の真盛上人、時宗の一遍上人(写真下)。

日本仏教を発展させた名僧たち

日本仏教を発展させた名僧たち

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鐘 楼

 

 大講堂のそばに巨大な天台様式の鐘楼が建ち、参拝者が鐘を突いていた。 その昔、元亀(げんき)2年(1571)9月12日の早朝、信長による延暦寺焼討ち(元亀の法難)を知らせる梵鐘の乱打の音が一山に響き渡ったという。

巨大な天台様式の鐘楼

巨大な天台様式の鐘楼

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已講坂いこうざか

と菩提樹

 

 この石段の坂を已講坂という。学問を究めた僧侶の階位で、最高の探題の次が已講(いこう)。五年に一度大講堂で行われる法華大会の講師をつとめる。大会のため入堂する際、已講だけが問答往復の想をねりながらこの坂を登り、菩提樹の元で意を決して入堂するという。釈迦が菩提樹の下で悟りを得た故事に習うものという。

己講坂と仄かに香る菩提樹

己講坂と仄かに香る菩提樹

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  菩提樹の影深ふして風涼し   北 舟

ぼだいじゅの かげふこうして かぜすずし

 

根本中堂こんぽんちゅうどう

 

 已講坂(いこうざか)を下ると左手に根本中堂へ誘う広い坂道がある。白い灯籠と提灯(ちょうちん)が何列にも飾られ、夜は幽玄の世界が現出することだろう。

   最澄(さいちょう)は、平安初期の延暦7年(788)に比叡山に籠もり、小さな草庵をむすんだ。そこを一乗止観院(いちじょうしかんいん)と名付け、法灯(ほうとう)を掲げた。そのお堂が発展したのが根本中堂で、天台宗総本山・延暦寺の中心道場である。

根本中堂への坂道

根本中堂への坂道

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   根本中堂は幾度も災禍に遭い焼失したが、その度に再建された。現在の建物は、信長による延暦寺焼討ち(元亀の法難)の後、寛永19年(1642)に徳川家康によって再建された銅板葺き入母屋造りで、幅37.6m、奥行23.9m、(間口11間・奥行き6間)、屋根高24.2mの大建築である。昭和28年(1954)国宝に指定された。

根本中堂の入口

根本中堂の入口

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不滅の 

法灯ほうとう

 根本中堂の左右には長さ90mの回廊があり、回廊のくぐり戸から中に入ると、正面にそびえる根本中堂の巨大さに圧倒される。奈良の東大寺大仏殿、吉野の蔵王堂に次ぐ大きな建物であるという。回廊を左に歩き、木戸をくぐった堂内は、外陣(げじん)・中陣(ちゅうじん)・内陣(ないじん)とに分かれ、参拝者は中陣から礼拝する。 
 薄暗い石敷の内陣は、床が中陣や外陣より約3m低い位置にあり、天台様式といわれる。仏像が参拝者の目の高さに来るようにするためで、「仏も人もひとつ」という仏教の仏凡一如(ぶつぼんいちにょ)の考えを現しているという。
 内陣の須彌壇 (しゅみだん)の奥の厨子(ずし)の中に、最澄が自ら彫り上げたといわれる本尊・秘仏薬師如来が安置されている。その前に三体の吊り燈籠が横に並べられ、和蝋燭(わろうそく)の仄かな明かりを放っている。日中は外から差し込む光線が強く、火が点っているとは思えないほどに微かな明かりである。これが最澄以来守り継がれてきた「不滅の法灯」である。
不滅の法灯

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資料

 
  法灯の光仄かに夏の昼   北 舟

ほうとうの ひかりほのかに なつのひる

   不滅の法灯は、信長の焼討ちにより一旦は途絶えたが、山形県の山寺(やまでら)として知られる立石寺(りっしゃくじ)に分灯されていた法灯を移し、1200年の時空を超えて今なおこゝにある。

巨大な根本中堂

巨大な根本中堂

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前作をご覧下さい

比叡山延暦寺
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