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和田義男

 旅紀行ジャパン

2008年11月24日改訂

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昨 日

和楽器メドレー

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天高し海の拝殿大鳥居  北舟

2004年11月24日制作

The high sky,
The big torii gate to the hall of worship on the sea.

満潮の厳島神社

満潮の厳島神社(広島県廿日市市)

秋の広島散策

厳島神社

 

安芸あき

宮島みやじま

   丹後/たんご(京都府北部)の天橋立(あまのはしだて)、陸奥/むつ(宮城県)の松島と共に日本三景のひとつに数えられる安芸の宮島へは午後の満潮時にあわせ、宮島口からJR西日本のフェリーで渡った。

宮島口の蘭陵王像

宮島口の蘭陵王像

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   厳島(いつくしま)とも呼ばれる宮島は古代から神聖視されており、江戸時代以来、日本屈指の観光地として栄えてきた。現在では人口1800人余りの島に、年間300万人近い参拝客や観光客が訪れる。  
宮島と宮島口を結ぶJR西日本の定期旅客フェリー

宮島と宮島口を結ぶJR西日本の定期旅客フェリー

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   宮島は昭和9年(1934)周辺海域を含めた島嶼全域が瀬戸内海国立公園に編入され、自然公園法が定める特別保護区域となった。  
 昭和27年(1952)に国の特別史跡と特別名勝に指定され、弥山(みせん)の原始林は国の天然記念物になっている。かつては佐伯郡宮島町だったが、平成17年(2005)に廿日市市(はつかいちし)と合併した。
JR宮島フェリーで宮島口を出発

JR宮島フェリーで宮島口を出発

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厳島神社いつくしまじんじゃ

 海上に浮かぶ大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、平安時代末期に平清盛が厚く庇護したことで大きく発展した。社殿・廻廊ともに国宝に指定されており、数多くの美術工芸品や武具類が奉納されている。
 中でも清盛が奉納した「平家納経」は、平家の栄華を天下に示すものとして豪華絢爛たる装飾が施されており、日本美術史上特筆すべき作品の一つとされる。厳島神社は平成8年(1996)に世界遺産に登録された。

広島牡蠣の養殖筏

広島牡蠣の養殖筏

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大鳥居おおとりい

 
 本社火焼前(ひたさき)より88間(160m)の海面にそびえる朱塗りの大鳥居は、奈良の大仏とほぼ同じ高さ16.8m、重量は約 60ton。主柱は樹齢 500〜600年の楠木(くすのき)自然木で作られており、8代目にあたる現在の鳥居を建立するにあたっては、巨木探しに20年近い歳月を要したという。
 大鳥居は、根元が海底に埋められているわけではなく、そのまま着床している。鳥居上部の箱形の島木にこぶし大の玉石約7トンを詰めて重石(おもし)にし、自重のみで固定されている。

満潮の厳島神社

満潮の厳島神社

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  天高し海の拝殿大鳥居  北舟 

てんたかし うみのはいでん おおとりい

The high sky, The big torii gate to the hall of worship on the sea.

宮島の大鳥居

宮島の大鳥居

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 主柱・袖柱あわせて6本の足で安定させ、柱と屋根の交差する部分には特殊なクサビをほどこして柱と屋根の動きやひずみなどを吸収。海底部分は松材の杭を打って地盤を強化したうえで、その上に布石を並べて基礎固めをしているという。

海上から見える宮島の五重塔

海上から見える宮島の五重塔

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世界遺産の碑文

世界遺産の碑文

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 島には多くの鹿(低地)や猿(高地)がいる。猿については江戸時代までの記録がなく、近代になって小豆島のニホンザルを人為的に移入したものいう。鹿は、近代以前の記録が残っており、厳島神社の神使(しんし)とされている。戦後、米軍が宮島に上陸し、神鹿(しんろく)をハンティングして絶滅させたため、現在の鹿は奈良からの移入であるという。

午睡の牝鹿

午睡の牝鹿

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 宮島の秋はモミジの紅葉が美しい。ロープウェイで紅葉谷を見下ろしながら標高535mの弥山(みせん)の頂上まで上ることができる。厳島は神の島として木材の伐採が禁じられていたためほぼ自然状態の森林で覆われている。植生はアカマツが主体であるという。

厳島神社全景

厳島神社全景

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 大鳥居の高さは約16m、主柱の周囲は約10mあり、腐りにくく虫に強い楠(クス)の自然木が使われている。
 大鳥居に掲げられている扁額(へんがく)は、歴代書道・歌道に秀でた有栖川宮(ありすがわのみや)家の9代目当主で、戊辰戦争や西南戦争、日清戦争の指揮官を務めた有栖川熾仁(あるすがわ・たるひと)親王の書という。
 鳥居の屋根の東西には、「太陽」と「月」が描かれている。風水では北東を鬼門の方位とするため、太陽は鬼門封じのためともいわれている。

海上に立つ大鳥居

海上に立つ大鳥居

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海上回廊と大鳥居

 
 厳島神社は、総延長が百八間(約200m)という長い回廊が大きな特徴で、とても美しい。広島空港二階に平山郁夫画伯が厳島神社を描いた縦2.8m x 横12mの陶版壁画がある。画伯が描いた位置から満潮時の光景と干潮時の光景を撮影した。  平山郁夫美術館

満潮の海上回廊と大鳥居  2006.10.27

満潮の海上回廊と大鳥居

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平山郁夫画伯が描いた厳島神社/広島空港
平山郁夫画伯が描いた厳島神社/広島空港

干潮時の厳島神社回廊  2006.4.10

干潮時の厳島神社回廊

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厳島神社の五重塔

 
 神仏習合の文化が色濃く残る厳島神社の五重塔は、国の重要文化財で、応永14(1407)に建立されたもの。総高29.3m、建物の形式は屋根軒先の反りが大きい禅宗様(ぜんしゅうよう)に入口の板扉に見られる和様(わよう)を加えた独特の建築様式である。朱塗りの厳島神社とのハーモニーが見事である。

厳島神社の回廊

厳島神社の回廊

 搭内の銘板には戦国時代の天文2(1533)に改修された記録がある。九輪を鋳造した廿日市(はつかいち)の鋳物師(いもじし)山田壱岐守の名も残っている。初重の柱は上部を金襴巻(きんらんまき)とした朱漆塗で、それぞれ彩色の寄附者の名が記されている。内陣の天井は雲竜、来迎壁は表に蓮池、裏に白衣観音、周囲の壁板は瀟湘(しょうそう)八景を添景とした真言八祖の壁画がある。

厳島神社の回廊と五重塔

厳島神社の回廊と五重塔

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   五重塔は、その左に見える千畳閣(せんじょうかく)と同じ敷地内にある。明治元年(1868)の神仏分離令により、塔内の仏像は大願寺(だいがんじ)に移され、建物は厳島神社が維持管理するようになった。  
 千畳閣は薬師如来を本尊とする寺院だったが、明治元年の廃仏毀釈の影響で本尊が撤去され、秀吉を祀った豊国神社として厳島神社の末社となった。厳島神社の周りには、こうした千畳閣、多宝塔、大願寺、大聖院(だいしょういん)など神仏習合時代の仏教建造物が建ち並んでいる。
厳島神社の回廊から見た五重塔
厳島神社の回廊から見た五重塔

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本殿と拝殿
 
 正面には緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられた国宝の本殿には市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神(むなかた・さんじょじん)が祀られている。現在の本殿は元亀2年(1571)毛利元就によって改築されたものという。
 宗像三女神は、福岡県宗像市に鎮座する宗像大社(むなかたたいしゃ)に祀られている三柱の女神の総称であり、朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の守神として、大和朝廷によって古くから重視された神々である。
                                                     宗像大社・神の島の祭り

厳島神社拝殿と本殿

厳島神社拝殿と本殿

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高舞台たかぶたい

 
 本社祓殿前にある黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし、前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪・四天王寺から移したという舞楽がここで演じられる。舞楽の舞台としては最小のもの。
 現在の舞台は天文15年(1546)に棚守房顕(たなもりのふさあき)によって作られたもので、当初は組立て式だったものが江戸時代初期に現在のような作り付け構造になったと考えられている。

国宝の高舞台と拝殿

国宝の高舞台と拝殿

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国宝の

平舞台ひらぶたい

火焼前ひたさき

 
 寝殿造りの庭にあたる部分を平舞台といい、広さは167.6坪(約 553m2 )。安元2年(1176)、平氏一門が社参して千僧供養が行われた際、社殿の前方に仮廊を設けたという記録があり、こうした仮廊が常設となったものともいわれている。
 その前方には火焼前(ひたさき)と呼ばれる突き出た箇所があり、舟の桟橋として利用され、管絃祭の出御・還御はここから行われる。また他の社殿の束柱は木造だが、この平舞台を支えるのは、毛利元就によって寄進されたと伝えられる赤間石の柱。火焼前分と合わせると239本使われているという。  宮島玉取祭(入水)

大鳥居と火焼前

大鳥居と火焼前

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能舞台

 
 国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。現在、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちのひとつ。厳島での演能は、永禄11年(1568)の観世太夫の来演がその始まりとされ、慶長10年(1605)には福島正則が常設の能舞台を寄進。現在の舞台と橋掛、楽屋が建立されたのは藩主が浅野氏に代わった延宝8年(1680)。

海上の能舞台

海上の能舞台

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   この能舞台は、海上にあるため、通常は能舞台の床下に置かれる共鳴用の甕(かめ)がなく、足拍子の響きをよくするため、舞台の床が一枚の板のようになっているのが特徴。春の桃花祭神能がこの舞台で演じられるほか、茶道表千家と裏千家の家元が隔年交互に執り行う献茶祭では、ここでお茶が点てられ神前に献じられるという。  

廻廊と反橋 1/2

廻廊と反橋 1/2

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反 橋そりばし

 
 国の重要文化財に指定されている反橋は、かつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれていた。現在の橋は弘治3年(1557)に毛利元就・隆元父子によって再建されたもので、擬宝珠(ぎぼし)の一つに刻銘が残っている。

廻廊と反橋 2/2

廻廊と反橋 2/2

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