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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年3月31日改訂

♪祈り TAM Music Factory

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2005年1月10日作成

法堂より一文字廊・仏殿を臨む

永平寺(福井県吉田郡永平寺町)

永平寺えいへいじ

 

道元禅師

道元禅師

資料

 東尋坊で越前蟹の昼食をとったあと、福井県吉田郡永平寺町(えいへいじちょう)にある永平寺に行った。永平寺は、年間100万人近い観光客でにぎわう北陸有数の名所である。

 永平寺は、今から約760年前の寛元2年(1244)、道元禅師(どうげんぜんじ)によって三方を山で囲まれた深山幽谷の地に開かれた座禅修行(ざぜんしゅぎょう)の道場で、山号を吉祥山(きちじょうざん)といい、横浜総持寺と共に日本曹洞宗(そうとうしゅう)*の大本山である。
*曹洞宗:中国禅宗五家七宗の一派。日本では禅宗三派「曹洞・臨済(りんざい)・黄檗(おうばく)」の一つ。
 

永平寺入口

永平寺入口

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   永平寺は、越前にある本山の意より越山(えつさん)とも通称される。本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)(釈尊)で、念仏は南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ) という。曹洞宗の念仏は、浄土真宗などの他力本願の念仏とは違って、釈迦牟尼仏に帰依するという意味の本唱名である。  

雪の永平寺川

雪の永平寺川

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   雪が断続的に降り続くなか、杉の大木に囲まれた境内の永平寺川に面する通用門から永平寺に入った。  

永平寺通用門

永平寺通用門

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   中の建物は、冬本番の本格的な降雪に備えて、すべて透明のビニールシートなどで雪囲いされていた。  
 

 
   中に入ると、吉祥閣(きちじょうかく)と呼ばれる研修道場の大広間で、僧侶から左側通行や通路以外には立ち入らないことなど、参観の心得について説明があった。  
   写真撮影は修行僧の雲水に直接カメラを向けない限りOKで、1時間ほど境内を巡って撮影することができた。  

報恩塔(納経塔)

報恩塔(納経塔)

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七堂伽藍しちどうがらん

 
   樹齢680年といわれる老杉に囲まれ、33万m2の広大な敷地には、大小70余棟の殿堂楼閣が立ち並んでいる。  
   七堂伽藍とは、修行の中枢を担う山門・仏殿・僧堂(そうどう)・庫院(くいん)(台所等)・東司(とうす)(便所)・浴室・法堂(はっとう) の7つの建物をいい、特に僧堂・東司・浴室は三黙道場といって一切の私語が禁止されている。  

七堂伽藍をつなぐ廻廊の内部

七堂伽藍をつなぐ廻廊の内部

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   七堂伽藍は、全て廻廊でつながれているので、移動するのに外気に晒されることはない。寒さを感じることもなく、快適な道場となっているのは、ひたすら座禅三昧に集中するためなのだろうか。  
   滝行や水行などの場もなく、比叡山延暦寺や高野山金剛峯寺などの密教と比べると、同じ仏教でも修行の仕方が随分違っていることに驚く。生活そのものが修行というコンセプトのようである。  

山 門

山 門

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山 門

 
   山門は永平寺最古の建物で、寛延2年(1749)に再建された中国唐様式のどっしりとした楼閣門である。三解脱門(さんげだつもん)とも称され、仏の世界に入る関門である。  
   両側に仏教の守護神である四天王が安置され、見上げると吉祥山(きちじょうざん)永平寺の命名の由来といわれる「吉祥の額」が掲げられている。山門二階には五百羅漢が祀られている。 (福井県文化財)  
山門より

中雀門ちゅうじゃくもん

庫院くいん

を臨む

山門より中雀門と庫院を臨む

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雪深き山の廻廊永平寺 北舟 

永平寺貫首えいへいじかんしゅ・

宮崎奕保禅師みやざきえきほ・ぜんじ

   永平寺で修行に励む数百名の雲水と26,000人の僧侶の頂点、永平寺第78代貫首宮崎奕保禅師は、104歳にして今も毎日のすべてが修行と言われる。長寿の秘訣は、日々の座禅と規則正しい生活を送ることなのだろうか。  
 道元禅師は おっしゃっておるんや 「坐禅をすれば善き人となる」 ・・・ スリッパがいがんでおるということは 自分がいがんでおるんだ  NHKで放映された宮崎奕保禅師の言葉

永平寺貫首宮崎奕保禅師

仏殿の須弥壇

永平寺貫首宮崎奕保禅師 仏殿の須弥壇

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資料

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仏殿ぶつでん

 
   仏殿は寺院の本堂にあたる建物で、七堂伽藍の中心に位置している。正面に立派な須弥壇(しゅみだん)が設けられ、その中央に永平寺の本尊・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が安置されている。  

雪囲の中の僧堂(雲堂)

雪囲の中の僧堂(雲堂)

 

僧堂そうどう

 
   僧堂は雲堂とも呼ばれる修行僧の根本道場で、座禅・食事・就寝などが行われる。雲水一人当たりたたみ一畳分の空間しかなく、生活そのものが修行といえる。座禅は半畳で足りるというが、プライバシーは皆無である。  
   僧堂の廊下には透明のプラスチックでできた雪囲いが施されており、太陽が照れば温室になることだろう。  
座禅の座布団・

坐蒲ざふ

座禅の座布団・坐蒲

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祠堂殿しどうでん

 
   祠堂殿は昭和5年(1930)の新築で、信者の納骨や供養などの法要が行われる。中央に仏壇が置かれ、その周りには全国の信者から納められた金色の位牌が安置されている。  

祠堂殿

祠堂殿の雪囲い

祠堂殿 祠堂殿の雪囲い

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祠堂殿の内部

祠堂殿の内部

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冬の山雲水既に禅に入る 北舟 
 

承陽殿しょうようでん

 
   承陽殿は明治14年(1881)の改築で、永平寺の開山・道元禅師の御真廟(ごしんびょう)(お墓)であり、曹洞宗の聖地とでもいうべき場所である。その前に承陽門が建っている。  

承陽殿より承陽門を臨む

承陽殿より承陽門を臨む

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法堂はっとう

 
   天保(てんぽう)14年(1843)に改築された禅師説法の道場で、朝の読経などのお勤めや各種法要が行われる。七堂伽藍最奥の最も高いところに位置するので、四季折々の美しい景色が眺められる。  
   本格的な冬の到来を告げるかのように、七堂伽藍の甍(いらか)には昨夜来の雪が積もっており、水墨画のような別世界が広がっていた。  

法堂より一文字廊・仏殿を臨む

法堂より一文字廊・仏殿を臨む

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永平寺の門前町
 
   年末のためひっそりとしている門前町。年が明けると、大勢の初詣客で足場もないほどに混雑するという。山を見上げると、雪雲がにわかに雪を降らせ、厳しい冬の到来を象徴しているかのようだった。  
   中央に見える建物は、瑠璃聖宝閣(るりしょうぼうかく)という展示場と収蔵庫を兼ねた宝物館である。  

永平寺の門前町

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