ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2010年4月8日改訂

今 日

昨 日

♪ メドレー O'SOLE MIO(オー・ソレ・ミオ/私の太陽)

春めくや紳士淑女のカーニバル   北舟

拡大写真(1800x1430)475KB

Getting more like spring, Carnival of ladies and gentlemen.

2010年4月7日制作

紳士淑女の集団 / ドゥカーレ宮殿回廊

紳士淑女の集団 / ドゥカーレ宮殿回廊 (ベネチア)

世界文化遺産

イタリア国旗

北イタリアと南仏の旅

サン・マルコ

 
マスカレード/仮面舞踏会 maschera / masquerade (英)
  ▲▼ 仮面をつけ、氏素性を隠して行われる舞踏会のことを仮面舞踏会やマスカレード、マスカレイド masquerade と呼ばれているが、ベネチアが発祥の地である。音楽や文学など多数の作品に「仮面舞踏会」「マスカレード」という題名が付けられている。

仮装した老若男女

仮装した老若男女

拡大写真(1850x1600)500KB

仮面をつけた白いドレスの女の子

仮面をつけた白いドレスの女の子

  仮面舞踏会と呼ばれるイベントや行進は15世紀のルネサンス期のイタリアで参加者が仮装して行われる公的な祭典に発展した。一般的には、上流階級で行われる凝った舞踏会で、特に、ベネチアでは仮面をかぶって行われる「ベネチアのカーニバル」の伝統と結びついたために人気を博し、盛大に催されるようになったという。

華やかな衣装の女性

華やかな衣装の女性

拡大写真(1600x1400)315KB

賑わうサン・マルコ広場

ムーア人の時計台  

サン・マルコ寺院

ドゥカーレ宮殿

賑わうサン・マルコ広場

拡大写真(2560x1920)655KB

サン・マルコ寺院ファサード(正面)のモザイク画

サン・マルコ寺院ファサード(正面)のモザイク画

拡大写真(2000x1500)783KB

 17〜18世紀にはヨーロッパ全土の宮廷でベネチア式仮面舞踏会が流行した。余りにも加熱したため仮面舞踏会は風紀を乱す元凶であるとして、オーストリア・パプスブルグ家のマリア・テレジアに代表されるように、禁止令が出されたこともあったという。

紳士淑女の集団 / ドゥカーレ宮殿回廊

紳士淑女の集団 / ドゥカーレ宮殿回廊

拡大写真(1800x1430)475KB

  春めくや紳士淑女のカーニバル  北舟 

はるめくや しんししゅくじょの かーにばる

Getting more like spring, Carnival of ladies and gentlemen.

円柱のそばに立つ人形? / ドゥカーレ宮殿

円柱のそばに立つ人形? / ドゥカーレ宮殿

拡大写真(1150x1600)292KB

  また、仮面舞踏会は、しばしば悲劇の舞台にもなった。スウェーデン国王グスタフ III 世は1792年、仮面舞踏会の最中に彼の統治に不満を抱く貴族ヤコブ・ヨハン・アンカーストレム Jacob Johan Anckarstrom にピストルで暗殺された。この事件はウジェーヌ・スクリーブのオペラ『ギュスターヴ III 世』や、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『仮面舞踏会』の題材となっている。

ピーコックの仮面 / ドゥカーレ宮殿

ピーコックの仮面 / ドゥカーレ宮殿

拡大写真(1600x1200)262KB

▲▼ スイスの伯爵だったヨハン・ヤコブ・ハイデガー Johann Jacob Heidegger は、1710年にベネチア式の仮面舞踏会をロンドンのヘイマーケット・オペラハウスで開催した。ハイデガーは「スイスの伯爵」の名で有名人となり、18世紀のイギリスと北アメリカ植民地において仮面舞踏会が大流行した。

記念写真 / ドゥカーレ宮殿

記念写真 / ドゥカーレ宮殿

▲▼ 仮面舞踏会は、招待客同士のゲームとして開催されることもあった。仮面をした客人たちは、正体が誰か分からないような服装をし、互いの正体を当てあうゲームを行った。このゲームの影響で、人物の正体を混乱させるために、よりユーモラスに工夫された仮面が登場した。

鐘楼と仮面の店 / サン・マルコ広場

鐘楼と仮面の店 / サン・マルコ広場

拡大写真(1600x1100)261KB

▲▼ 仮面舞踏会は今日も世界中で行われているが、パーティーの雰囲気作りが強調され、社交ダンスの部分はあまり強調されなくなった。より砕けたハロウィンなどの仮装パーティーが、かつてのあやしい仮面舞踏会の伝統を受け継いでいる。現在に残る代表的な仮面舞踏会は、ウィーン大学の同窓生らによる舞踏会「ルドルフィーナ」K.O.St.V. Rudolfina Wien が有名。

ネット仮面

ネット仮面

拡大写真(1600x1200)353KB

  ▲▼ 仮面舞踏会は非常に絵になる催しであるため、文学や音楽の題材となってきた。エドガー・アラン・ポーの短編『赤死病の仮面』では、赤死病という疫病を逃れて修道院に立てこもる貴族たちが開いた仮面舞踏会に、赤死病患者を思わせる不吉な仮面をかぶった人物が現れる。
 ヘルマン・ヘッセの自伝的小説『荒野の狼 Steppenwolf 』ではチューリッヒの仮面舞踏会が重要な舞台となる。また18世紀イギリスの上流階級を舞台にした多くのロマンス小説では、仮面舞踏会が舞台となったり、プロットを進める上での道具になったりしている。

仮面の男たち

仮面の男たち

拡大写真(1600x1200)319KB

 
オー・ソレ・ミオ  'O sole mio
   BGMに流れるオー・ソレ・ミオ(私の太陽)は、1898年のナポリ民謡。ギアヴァニ・カプロ作詞、エドゥアルド・ディ・カプア作曲。世界中で翻訳され、様々な言語で歌われるが、通常は原詩のナポリ語で歌われる。
Che bella cosa e' na jurnata 'e sole,
n'aria serena doppo na tempesta!
Pe' ll'aria fresca pare già na festa
Che bella cosa e' na jurnata 'e sole

Ma n'atu sole,
cchiù bello, oje ne'
'O sole mio
sta 'nfronte a te!
'O sole, 'o sole mio
sta 'nfronte a te!
sta 'nfronte a te!

Quanno fa notte e 'o sole se ne scenne,
me vene quase 'na malincunia;
sotto 'a fenesta toia restarria
quanno fa notte e 'o sole se ne scenne.

Ma n'atu sole,
cchiù bello, oje ne'
'O sole mio
sta 'nfronte a te!
'O sole, 'o sole mio
sta 'nfronte a te!
sta 'nfronte a te!
晴れた日は何て素晴らしい、
嵐のあとの澄んだ空
まるで祭日のようなさわやかな空
晴れた日は何て素晴らしい

だけどもうひと方の太陽
なお一層輝かしい
私の太陽
きみの顔に輝く!
太陽、私の太陽
きみの顔に輝く!
きみの顔に輝く!

夜が来て、太陽が沈みきったとき、
憂鬱がわだかまり始めた。
きみの窓の下に私は留まる
夜が来て、太陽が沈みきったとき。

だけどもうひと方の太陽
なお一層輝かしい
私の太陽
きみの顔に輝く
太陽、私の太陽
きみの顔に輝く
きみの顔に輝く

仮面人形を持つ仮面の女

仮面人形を持つ仮面の女

拡大写真(1400x1200)204KB

  春きざす仮面の下は誰が妻や  北舟 

はるきざす かめんのしたは たがつまや

Early spring, whose wife is under the mask?

ルビー?の仮面 / サン・マルコ広場

ルビー?の仮面 / サン・マルコ広場

拡大写真(1600x1500)362KB

  ▼ ベネチアのカーニバルにあわせて日本からやってきた若い女性たちが和服に狐の面を被り、狐の仕草をするなどしてパフォーマンスを楽しんでいた。日本でも能舞台やお囃子にあわせて踊る「おかめ」「ひょっとこ」などの仮面が使われるが、ヨーロッパとは異質の文化であることが分かる。

和服の牝狐たち

和服の牝狐たち

拡大写真(1600x1550)331KB

サン・マルコ広場の宵

サン・マルコ広場の宵

拡大写真(1800x1300)399KB

 

ベネチアン・グラス Venetian Glass

▼ 700年以上にわたり守り続けてきた技法から生み出される色彩と優美な曲線が素晴らしいベネチアン・グラスは1291年のムラーノ島にさかのぼる。当時のガラス製品はベネチア共和国の外貨を稼ぐための貴重な輸出品で、工芸師は製造の秘密を守るため、ムラーノ島に隔離され、島から出ることも許されなかったという。
 鉛を含まないソーダ石灰を使用するのが特徴でコバルトやマンガンなどの鉱物を混ぜることで様々な色合いを表現することが出来る。 混ぜた鉱物により硬度が変化し、赤色のものが最も硬度が高いという。

ベネチアン・グラスを売る店

ベネチアン・グラスを売る店

拡大写真(1800x1350)654KB

  ▲ 基本的な製法はソーダガラスを使用した吹きガラスであるが、空中で吹くことにより極薄に吹き上げる技法やグラスを細く引き伸ばして、竜や花や鳥などをモチーフにした複雑な装飾を施すなど、「軽業師の妙技」と呼ばれる高度なテクニックが用いられている。昔は、極限まで薄く吹いたガラスを割り、カーニバルの行列で紙吹雪の代わりに撒かれた時代もあったという。

昼間出会った親子グループ

昼間出会った親子グループ

拡大写真(2000x1370)469KB

 

カフェ・フローリアン Caffé Florian

▼ カフェ・フローリアンは、ベネチアに現存する最も古い喫茶店で、カフェ・ラテの発祥店として知られる。 1720年12月29日サン・マルコ広場南側の新行政館の回廊に創業し、現在も同じ場所で営業している。アッラ・ヴェネツィア・トリオンファンテ Alla Venezia Trionfante と名付けられたが、 現在では、創業者であるフロリアーノ・フランチェスコーニ Floriano Fracesconi の名をとって、フローリアンと呼ばれる。

カフェ・ラテを産んだカフェ・フローリアン / サン・マルコ広場

カフェ・ラテを産んだカフェ・フローリアン / サン・マルコ広場

拡大写真(1994x1256)454KB 写真:フリー百科事典 Wikipedia
  ▼ カフェ・フローリアンの中には大勢の淑女たちがいたので、ガラス越しに1枚撮らせていただいた。中世さながらの風情があり、まるで油絵を見ているようだった。
  ありし日の淑女の集ふ春の夕  北舟 

ありしひの しゅくじょのつどう はるのゆう

Spring evening, Ladies of old days gathering.

中世さながらのカフェ・フローリアン

中世さながらのカフェ・フローリアン

拡大写真(1800x1500)339KB

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2010 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク