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 感動写真集

2009年2月1日改訂

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medley 'Ave Maria'(Franz Schubert)/アヴェマリア
 

噴水の楽園ありき無憂宮   北舟

 

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Sans Souci, once a paradise of fountain.

2009年1月30日制作

大噴水とサンスーシー宮殿

大噴水とサンスーシー宮殿(ドイツ・ポツダム)

世界文化遺産

東北ドイツの旅

ドイツ国旗

ポツダム

ポツダム Potsudam
 ポツダム宣言で知られるポツダムは、ドイツ東北部に位置する郡に属さない独立都市で、ブランデンブルク州の州都である。人口は約13万人。東ドイツ時代は、ポツダムを県都とするポツダム県が置かれていた。
 ベルリンの西南近郊に位置し、ベルリンの中心街から約26km、ベルリンからSバーン(S-Bahn、近郊列車)で行くことができる。ハフェル川が流れ、いくつかの互いにつながった湖がある。

ポツダム会談が開かれたツェツィーリエンホーフ宮殿

ポツダム会談が開かれたツェツィーリエンホーフ宮殿

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 1345年に都市特権を得たポツダムは、近世に入ると、ホーエンツォレルン家のツェツィーリエンホーフ宮殿が置かれるなどプロイセン公国の拠点の一つとして発展した。

ツェツィーリエンホーフ宮殿の中庭

ツェツィーリエンホーフ宮殿の中庭

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 1945年、第二次世界大戦でドイツが降伏した後、ポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿で米、ソ、英の3首脳が集まり、ドイツの戦後処理と日本の全面降伏を要求するポツダム会談が行われた。

ポツダムに集まった3ヵ国首脳 左からアトリー(英)、トルーマン(米)、スターリン(ソ)

ポツダムに集まった3ヵ国首脳 左からアトリー(英)、トルーマン(米)、スターリン(ソ)

ツェツィーリエンホーフ宮殿 Schloss Cecilienhof
 ツェツィーリエンホーフ宮殿は、1917年に当時皇太子であったヴィルヘルムII世のために建設されたもので、日本ではポツダム会談が開かれた場所として有名。現在、一部がホテルとして利用されている。1990年、宮殿の建物と庭園は、「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとしてユネスコの世界文化遺産に登録された。

人の眼のような屋根の小窓

人の眼のような屋根の小窓

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サンスーシ宮殿(無憂宮) Schloss Sanssouci
 ポツダムに建つサンスーシ宮殿は、プロイセン王国時代の1745年から1747年にかけて、フリードリヒII世の命によって建てられたもので、ヴォルテールが一時期滞在したことでも知られる。「サンスーシ Sans Souci 」とは、フランス語で「憂いなし」を意味し、日本や中国では漢訳して無憂宮とも表記する。

サンスーシ宮殿(無憂宮)

サンスーシ宮殿(無憂宮)

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 フリードリヒII世の「夏の離宮」として建てられたが、結果的にはここが居城となった。フリードリヒII世自ら設計の一部を行ない、王の趣味を反映して、こぢんまりとした瀟洒な建物である。

サンスーシ宮殿の彫刻

サンスーシ宮殿の彫刻

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サンスーシ宮殿の中庭

サンスーシ宮殿の中庭

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  噴水の楽園ありき無憂宮  北舟 

ふんすいの らくえんありき さんすーしー

Sans Souci, once a paradise of fountain.

大噴水とサンスーシ宮殿

大噴水とサンスーシ宮殿

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 その後、七年戦争のあと、プロイセンの国威発揚のために、この近くにヴェルサイユ宮殿を模した大規模な宮殿が建てられた。これを新宮殿と呼ぶ。
 1990年、宮殿の建物と庭園は、「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとしてユネスコの世界文化遺産に登録された。

彫像とサンスーシ宮殿

彫像とサンスーシ宮殿

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ドレスデン Dresden
 ドレスデンは、ドイツ・ザクセン州の州都であり、ドイツの東の端、チェコ共和国との国境近く30kmほどのエルベ川の谷間に位置している。陶磁器の町として有名なマイセンまで約25kmと近く、エルベ川を通じて交流が行われてきた。
 人口約50万のドレスデンは、ザクセン選帝侯の宮廷都市として栄えた。代々のザクセン選帝侯は12世紀末からドレスデン城に居住しており、歴史的建造物が多いのはそのためである。

エルベ川に広がるドレスデンの町

写真:フリー百科事典 Wikipedia

 第二次世界大戦では徹底した爆撃を受け市内中心部はほぼ灰燼に帰した(ドレスデン爆撃)。ソ連占領地域にあったため、戦後は東ドイツドイツ民主共和国)領となり、ライプツィヒなどと並ぶ工業都市として発展した。
 近年では観光地としての開発も顕著で、東部ドイツ有数の大都市として賑わいを見せており、1990年の東西ドイツ統合後、歴史的建築物の再建計画が強力に推進されつつある。

ブリュールのテラスのブロンズ像が見守るドレスデン城

ブリュールのテラスのブロンズ像が見守るドレスデン城

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ドレスデン大空襲 Luftangriffe auf Dresden
 ドレスデン爆撃は、第二次世界大戦末期の1945年2月13日から14日にかけてアメリカ軍とイギリス軍がドイツ東部の都市ドレスデンに対して実施した無差別爆撃を指し、日本でも「ドレスデン大空襲」として知られる。
 この爆撃はドレスデンの街の85パーセントを破壊し、3万人とも15万人ともいわれる一般市民が死亡した。第二次世界大戦中に行われた都市に対する空襲の中でも最大規模のものであったという。
「東からドイツに攻め寄せるソ連軍の進撃を空から手助けする」という名目はあったが、実際は戦争の帰趨はほぼ決着しており、戦略的に意味のない空襲で、国際法にも違反している可能性があり、倫理上受け入れ難い攻撃であったことから、ナチスの空襲を受けていたイギリス国内でも批判の声が起こったほどだという。

ドレスデン城そばのアウグスト強王像

ドレスデン城そばのアウグスト強王像

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 歴史的建造物が多数残存する文化的景観が評価され2004年、ドレスデン・エルベ渓谷が世界文化遺産に登録された。ドレスデンを中心にしたエルベ川流域18kmが対象である。
 近年、交通量の増加に対応するためエルベ川に車両用の橋を建設する案が検討されているが、ユネスコの世界遺産委員会から「橋の建設で景観がだいなしになるので、その場合は世界遺産の登録を取り消す」と言われており、建設するかどうかで世論が分かれているという。

ドレスデンの劇場広場に建つヨハン王騎馬像

ドレスデンの劇場広場に建つヨハン王騎馬像

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ゼンパー・オーパー(ゼンパー・オペラ) Semper Oper
 ゼンパー・オーパーはドレスデンにある州立歌劇場の愛称である。東ドイツ時代はドレスデン国立歌劇場であったが、現在はザクセン州立歌劇場である(旧称で呼ばれることも多い)。世界で最も華麗な劇場の一つとして知られ、特にいぶし銀の響きといわれる劇場専属の管弦楽団 シュターツカペレ・ドレスデン Sachsische Staatskapelle Dresden のサウンドは世界中にファンが多い。

ゼンパー・オーパー

ゼンパー・オーパー

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 シュターツカペレ・ドレスデンは、1548年にザクセン選帝侯の宮廷楽団として設立され、現存するオーケストラとしては、1448年に設立されたデンマーク王立管弦楽団に次ぐ歴史を持つ。
 ドイツは連邦制で州政府が国家に近い組織を持ち、独立国の伝統があるため、日本ではドイツの州立団体を国立と呼ぶ慣習がありシュターツカペレ・ドレスデンは「ザクセン国立歌劇場管弦楽団」「ドレスデン国立管弦楽団」「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」と呼ばれることもある。響きの美しさで世界中に多くのファンを持つという点ではウィーンフィルに匹敵する存在であるという。

ブリュールのテラスから見たドレスデン城(左)と旧宮廷教会(中央)とオペラハウス(右)

ブリュールのテラスから見たドレスデン城(左)と旧宮廷教会(中央)とオペラハウス(右)

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ブリュールのテラス Brühlsche Terasse
 ブリュールのテラスは、エルベ川にテラスのように張り出した庭園付きの広大な遊歩道である。本来はエルベ側の堅固な要塞だったが、それを当時権力を振るっていたザクセン首相ブリュールが改造したものである。
 ブリュールは、1739年に要塞の一部を選帝侯から譲り受け、バロックの庭園、宮殿、ギャラリー、ベルヴェデーレ宮を建築。1814年からは、「ブリュールのテラス」として、一般に公開されるようになった。西側の階段部分には、両側に1日の時間を表した4つの銅像が置かれている。

ブリュールのテラスから見たエルベ川

ブリュールのテラスから見たエルベ川

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