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 感動写真集

2005年3月30日改訂

♪Amazing Grace KaRaNo healing Melody

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2005年3月21日作成

僧に喜捨する人々

僧に喜捨する人々(ワット・ボウォニウェート/タイ・バンコク)

ワット・ボウォニウェート

元旦タンブン

ラクムアン(市の柱)

 ラクムアンは新しく町を作るときに、まず基準となるべき柱を建てて、その町の永遠の発展を祈るという、バラモンの教えに基づく建物で、「市の柱」と呼ばれている。

 バンコクは王宮のすぐ横にあり、人々はここを通るときには手を合わせる。タクシーに乗っても、運転手が車の中から手を合わせるのを見かける。

> ラクムアン(市の柱)

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ラクムアンの内部

 ラクムアンの内部には二本の形の違った柱が立っており、象牙や豪華な花々などで厳かに飾られ、祈りを捧げる人たちでいつも混雑している。

 バンコクのラクムアンでは、田舎芝居のようなものが演じられており、見ていると言葉は分からなくても面白い。その辺の奥さんたちが趣味でやっているような感じで、無料で見られる。

ラクムアンの内部

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元旦のタンブン(喜捨) Tanbun 

 バンコクから北へ400kmほど行ったタークという町。山道をあと2時間も走れば、ミャンマーとの国境に着く。ここは、現在のチャクリー王朝の前のトンブリー王朝のタークシン王(1767〜1782)の生まれ故郷である。

 タークシンは一介の官吏から国王にまで上り詰め、最後は気が狂って処刑されたという悲劇の王だが、今でもタークの人たちの誇りとなっている。
 その彼をたたえる小さな祠のすぐ横の道路を閉鎖して、毎年1月1日の朝にタンブン(喜捨)が行われる。

喜捨するものを持って集まる人たち

喜捨するものを持って集まる人たち

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 夜が明けて明るくなると、近郷近在の善男善女がタンブンの品を持ち寄り、この道路へ集まる。大変な人数で、人々は整列して僧侶の来るのを待つ。

 裸足の僧侶が持つタンブンを受ける鉄鉢は小さなもので、タンブンを受けるとすぐに一杯になってしまうので、手伝いの男性(ベレー帽の人たち)がそれを南京袋に移し替え、僧侶は再び列に戻りタンブンを受ける。

裸足の僧侶たち

裸足の僧侶たち

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喜 捨きしゃ
 僧侶は乞食(こつじき)の実践者であり、衣類や食べ物まで、全て捨てられたものでなければならない。人々は僧侶の必需品を喜んで捨てる(喜捨する)ので、僧侶たちはこれを拾って(托鉢して)生きてゆくことができる。
 人々は沢山の喜捨をして徳を積み、来世の平安を願う。 私には、在家信者の物欲への執着心を捨てるための実践の行に見える。喜捨と托鉢は表裏一体であり、喜捨を行う者、喜捨を受ける者、そして見ている者の心を清めてくれる。

僧に喜捨する人々

僧に喜捨する人々

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僧侶の極貧生活

 僧侶は上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)*教団サンガに属し、全227条の戒律を守り、ひたすら解脱(げだつ 悟りの境地)を求めて精進を続ける。人々から最高の尊敬を得ているが、その生活は最低であらねばならない。

 僧侶の食事は1日二度、午前中にのみとることができるが、実際は一度の寺院が多い。また、剃髪し眉毛を剃り落として出家した僧侶は、一時たりとも僧衣を脱いで一般人の服装をすることは許されない。
 僧侶は女性に触れてはならないし、触れられてもいけない。贅沢をしてはならない。殺生は禁じられているので、蚊を殺すことも許されず、追い払うだけである。
*上座部仏教:この世に生きることは苦しみである。苦しみの原因は執着する心である。 執着を断つ最も効果的な方法は出家であり、僧侶として修行して悟りを開いたものが救われるとする。

思わず笑みがこぼれる僧侶

喜捨の品は米やジュース、花、お菓子など色々で、人々は先を争ってタンブンしている。

思わず笑みがこぼれる僧侶

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撮影 ・ 原作 : 
 

宮嶋 茂みやじましげる

 

住居: タイ・ノンタブリー県

趣味: 音楽鑑賞、寺めぐり
スポーツ: スイミング、サイクリング

 私は1946年生まれの59歳です。出身は愛知県で、現在タイ滞在は4年目です。健康を害していますので、こちらでのんびりやっています。しかし、悠々自適には程遠く、清貧を旨として何とかやっております。

年に一度のご開帳

 この寺はいつ行っても境内へ入ることはできますが、建物への扉は堅く閉ざされており、雨期明けの出安居(であんご)の時だけ開放され、中を拝観することができます。そんなことで、他の観光寺院のような派手さはないのですが、観光旅行ではなかなか見られないというところが見ものでしょうか。
 本尊が二体前後に配置されるという日本では見られない荘厳の仕方も珍しいかと思いますが、タイではこういった荘厳のやりかたは、よく見かけます。
 私の率直な印象は、どこか中国的なお寺の感じがしたことです。中には大学や小学校、それに博物館などもあります。また、ここの仏塔は、プーカオ・トン(ワット・サケットの黄金の山)からも眺めることができます。

タイの植民地化を防いだラーマIV世

 この寺で特筆されることは、日本の明治維新の頃に、イギリスが侵略の野望を持ってタイに仏教排斥の攻撃をかけたとき、ときのラーマIV世がタイ国内はおろか、当時のセイロンなどからも経典や僧侶を招き、それまでのタイ教を改め、迷信じみた面をそぎ落として、理論面からもしっかりした仏教に改めたという偉大な業績が、現在も経典としてこの寺に保存されているということです。ただ、これは見ることはできません。
 これにより、タイは独立を維持し、植民地化されることなく現在に至ったといわれています。タイは東南アジアで唯一植民地化されなかった国で、タイ人はこのことを大変誇りにしています。(2005.02.21)
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