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岩手県盛岡市 長松寺 2013年8月16日(金) 盛岡市無形民俗文化財 |
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平成25年(2013)8月16日(金)、岩手県盛岡市内を流れる北上川で、盆の送り火行事として知られる盛岡舟っこ流し(同協賛会主催)が開催され、例年、長松寺(ちょうしょうじ)(斗ヶ澤祥悦住職)を基地とし、参加団体のうち唯一赤褌(あかふん)一丁の裸形で精霊舟(しょうろうぶね)を流す仙北(せんぼく)二丁目自治会(コ田石男会長)の勇姿を激写しました。 |
「舟っこ」は裸衆に担がれて北上川右岸の会場に運ばれ、法要のあと入川(にゅうせん)して火が着けられ、燃えながら川を下って行きます。280余年の歴史あるこの祭典は、盛岡市無形民俗文化財に指定されており、毎年北上川を舞台に10隻を越える精霊舟により繰り広げられる盛大なページェントは、盛岡市民の誇りであり、夏の風物詩となっています。 |
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▲ このCD写真集「盛岡舟っこ流し」は、350枚の画像が画面一杯に展開し、5秒ごとに切り替わるスライドショーとなっており、上映時間は30分です。画像の合間にホームページに掲載している解説を挿入していますので、そこで停止し、祭の内容を把握しながら観賞できるようになっています。ホームページにアップしていない画像も追加しており、個人で楽しむ限り、最大A2サイズまでプリントアウトすることができます。(1枚2000円
リピーター価格:1枚1500円) 日本の祭りCD・DVD写真集 |
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YouTube 盛岡舟っこ流し(抜粋縮小版) |
↓画像をクリックするとスライドショー動画が始まります。 |
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はじめに |
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平成25年(2013)8月16日(金)、岩手県盛岡市内を流れる北上川で、盆の送り火の行事として知られる舟っこ流し(ふねっこながし)(盛岡舟っこ流し協賛会主催)が開催され、例年、長松寺(ちょうしょうじ)(斗ヶ澤祥悦住職)を基地とし、参加団体のうち唯一赤褌(あかふん)一丁の裸形で精霊舟(しょうろうぶね)を流す仙北(せんぼく)二丁目自治会(コ田石男会長)が運営する仙伸会(藤原信行会長)の活動を密着取材した。 |
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【概要】 盛岡市の送り盆の伝統行事、盛岡舟っこ流し(同協賛会主催)は8月16日(金)、同市の明治橋上流付近の北上川で行われた。川沿いを埋めた住民らが見守る中、精霊舟が炎に包まれながらゆっくりと流れを下り、先祖や震災犠牲者を送った。竜をかたどり、五色の短冊や千羽鶴で飾られた13隻が参加。供養される人の戒名などを載せた舟に火が放たれると、花火とともに爆竹が鳴り響き、川面は燃え上がる炎で明るく照らされた。 |
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【凡例】
▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 ●:筆者の私見 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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▼ 朝6時起きし、JR青梅線と中央線を利用して東京駅に着いたのが07:53。弁当を買った後、東北新幹線乗り場から08:20発新青森行き「はやぶさ5号」に乗車した。 |
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▼ 今年の立秋は8月7日だったので、暦の上では秋だが、車窓から見る東北の風景は盛夏そのもので、水田の緑が瑞々しく、日本はやはり瑞穂の国だということを実感した。 |
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岩手県の田園風景 / 東北新幹線はやぶさ5号 2013.8.16 10:05
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▼ 行きは、帰省ラッシュの逆方向なので、東京〜盛岡を最速2時間10分で結ぶロングノーズの「はやぶさ」に乗ることができたが、帰りは帰省ラッシュの最中なので、「やまびこ」を取るのがやっとだった。「やまびこ」は、盛岡から仙台まで各駅に停車するため、3時間14分もかかる。指定席を取れただけでも運が良かったとしよう。(笑) |
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ロングノーズの最速「はやぶさ5号」 / 盛岡駅 10:33
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盛岡市は、岩手県中部に位置する県庁所在地で、仙台市や郡山市などと共に東北の主要都市の一つに数えられており、周辺自治体に広がる約50万人の盛岡都市圏を形成する中核市である。 |
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平安時代、桓武天皇の命により志波城(しわじょう)が置かれて律令制下となり、安土桃山時代に勢力を広げた南部氏が盛岡城を築いてから城下町として発達した。明治以後は、岩手県の県庁所在地として、第三次産業を主とする商業都市となり、とりわけ東北新幹線の整備により急速な都市化が進み、北東北での拠点機能が高まった。 |
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▼ JR盛岡駅前には、歌集「一握の砂(いちあくのすな)」で知られる石川啄木(明治19年/1886 - 明治45年/1912)の望郷の思いが凝縮した歌碑「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」が飾られている。啄木は、本名を石川一(はじめ)といい、岩手県南岩手郡日戸村(現在の盛岡市玉山区日戸)の曹洞宗日照山常光寺の住職、石川一禎(いってい)と妻カツの長男として生まれた。 |
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27歳という若さで客死した天才詩人の残した歌集「一握の砂」に納められた短歌「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」は、今でも多くの人々の心に残る。盛岡駅前の歌碑に刻まれた望郷の詩は、東京本郷弓町時代の明治43年(1910)8月28日に詠まれたもので、これも良く知られた短歌である。 |
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盛岡で生まれた石川啄木の歌碑 / JR盛岡駅 10:53
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▲▼ 啄木が「ふるさとの山はありがたきかな」と詠った山は、もちろん盛岡のシンボルである岩手県最高峰の岩手山(いわてさん)(2,038m)である。 |
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internet のフリー百科事典ウィキペディアに掲載されている写真は、北上川の向こうに聳える冠雪した岩手山で、奇しくも「盛岡舟っこ流し」が行われる会場から撮影したものだった。今回の撮影行では、2日とも曇り勝ちで視界が悪く、岩手山を拝むことができなかったのが残念である。 |
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岩手県最高峰の岩手山(2,038m)/ 盛岡市仙北一丁目からの景観
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フリー百科事典ウィキペディア |
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▼ Wa☆Daフォトギャラリーの広告バナー「楽天トラベル」から素泊まり3500円のキャンペーン価格で予約した盛岡駅前の「盛岡シティホテル」に荷物を預けたあと、東北本線の上り方面の二両編成のワンマン・カーに乗った。 |
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二両編成のワンマン・カー / 東北本線上り 11:27
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▼ 一駅5分の乗車であっというまに仙北町(せんぼくちょう)駅に到着。ここから歩いて5分の長松寺に向かった。「舟っこ流し」の会場は、盛岡市のど真ん中だった。 |
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盛岡駅から一駅の |
仙北町 |
駅 11:41 |
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盛岡舟っこ流し |
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盛岡舟っこ流し協賛会が主催
する「舟っこ流し」は、平成25年(2013)のパンフレットによると、今年は14団体が参加し、10団体が北上川右岸に、4団体が左岸に終結し、法要のあと、定められた番号順に入川(にゅうせん)して舟っこを流す予定になっているが、実際には「いわて丸心会(まごころかい)」が欠席したため、右岸に終結したのは9隻で、今年は13団体13隻による舟っこ流しが行われた。
盛岡舟っこ流し協賛会公式サイト |
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各団体に付された番号は川に入る入川(にゅうせん)の順番で、仙北二丁目自治会の今年の順番は6番で、毎年ずれてゆくという。 |
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パンフレットの花火と舟っこは、合成写真で、花火は、舟っこ流しが終わった後に3000発打ち上げられる。 |
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資料:盛岡舟っこ流し協賛会 |
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グーグル・マップを使って作成した地図が下図
で、「舟っこ流し」は、盛岡市内を東流する北上川の明治橋上流で開催される。法要が執り行われる川原は仙北一丁目の区域にあり、その南に仙北二丁目、仙北三丁目と続き、それぞれの町会が「舟っこ」と呼ばれる流舟ながしぶね(精霊舟しょうろうぶね)を出している。
仙北二丁目自治会は、仙伸会(せんしんかい)を組織し、長松寺を基地として伝統の赤褌一丁の裸形で参加する唯一の団体である。 |
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曹洞宗萬峰山長松寺 |
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▼ JR仙北町駅を100mほど東進すると岩手県道16号盛岡環状線に出るので、交差点を渡って左折すると右手前方に長松寺と仙北保育園の入口が見える。
萬峰山長松寺公式ホームページ |
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曹洞宗長松寺 |
の入口 / 盛岡市仙北二丁目 11:46 |
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▲▼ 曹洞宗の長松寺は、元は浄土宗で、久譽残察和尚(きゅうよざんさつ・おしょう) が開基した長昌寺といい、創立年代は分からない。本尊は、慈覚大師じかくだいし(第三代天台座主円仁てんだいざす・えんにん)の作と伝わる阿弥陀如来の立木像で、現有する。 |
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社会福祉法人長松寺会が運営する |
仙北 |
保育園 |
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▲▼ 寛永年間(1624-1645)に宗旨を曹洞宗に改め、祇陀寺(ぎだじ)五世然室芳天大和尚(ねんしつほうてん・だいおしょう)が中興の祖となった。 |
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仙北幼稚園の奥に鎮座する |
曹洞宗萬峰山長松寺 |
11:51 |
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▲▼ 九世中興の松峰玄鶴大和尚(しょうほうげんかく・だいおしょう)の代に萬峰山長松寺と改称し、現在に至っている。 |
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中庭には、そうじ小僧とともに「掃けば散り 払えばまたも 塵つもる 人の心も 庭の落葉も」の短歌が刻まれた石碑が置かれており、禅寺らしい雰囲気がある。 |
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▲▼ 昭和25年(1950)二十世道忍亨悦大和尚(どうにんこうえつ・だいおしょう)のとき、地域住民の協力を得て児童福祉の一助として保育所「仙北保育園」が設置された。平成13年(2001)保育所を社会福祉法人長松寺会仙北保育園に改組し、理事長に斗ヶ澤祥悦
(とがさわしょうえつ)現住職が就任している。 |
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▲▼ 長松寺は、代々、子宝を大事に育てることに尽力しているようで、前庭のそこかしこには、地蔵尊が祀られ、美しい切り花で飾られていた。 |
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美しい切り花が飾られた「なかよし地蔵」 / 長松寺前庭
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▼ 「萬峰山」の扁額(へんがく)を掲げる長松寺本堂に着くと、その左手に精霊舟「舟っこ」の御仮屋(おかりや)が設けられ、赤字に白く染め抜かれた「仙北二丁目自治会」の幟(のぼり)が立てられていた。 |
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萬峰山 |
の |
扁額 |
を掲げる長松寺本堂と |
精霊舟 |
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本堂に上がり、許しを得て内部を撮影することができた。中央には須弥壇(しゅみだん)が置かれ、広い畳の間に住職が法要を行うときに使用する赤い椅子が置かれていた。その両脇の部屋には、それぞれ緋毛氈(ひもうせん)の上に信者たちの椅子が並べられていた。これなら正座による足のしびれから解放されるので、とても上手い方法だと思った。 |
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▼ 本堂中央の須弥壇には、本尊の「阿弥陀如来」座像が置かれ、その両脇に座像の脇侍(わきじ)と高僧の立像(りゅうぞう)が安置されていた。本尊は、比較的新しく、渋い黄金色に輝いていた。久譽残察和尚(きゅうよざんさつ・おしょう)が開基した長昌寺の時代に慈覚大師が作ったと伝わる阿弥陀如来の立木像は、大事に保管されているようで、見あたらなかった。 |
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曹洞宗という禅寺に阿弥陀如来像のある不思議は、かつては浄土宗の寺であったからで、今も「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ/なんまいだぶ)と唱えるだけで(他力本願)、臨終のときに阿弥陀如来が来迎(らいごう)し、西方浄土に導いてくれる(極楽往生する)」との信仰が息づいていた。 |
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本堂 |
須弥壇 |
に安置された本尊の「阿弥陀如来」 |
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仙北二丁目自治会が長松寺本堂の前に仮設した御仮屋(おかりや)の中には、見事な龍頭(りゅとう)をあしらった精霊舟(しょうろうぶね)「舟っこ」が納められていた。 |
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この「舟っこ」は、長さ5mほどの木造舟で、南無阿弥陀仏と金箔が押された霊塔(墓石)と町内の物故者を弔う戒名札を搭載し、五色の短冊や吹き流し、提灯などで飾られている。 |
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精霊舟 |
「 |
舟っこ |
」の御仮屋 |
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▲▼ 「舟っこ」は、昔ながらの赤褌(あかふん)一丁の裸衆に担がれて北上川右岸の会場に運ばれ、法要のあと入川(にゅうせん)して火が着けられ、燃えながら川を下って行く。 |
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280余年の歴史あるこの祭典は、盛岡市無形民俗文化財に指定されており、毎年北上川を舞台に10隻を越える精霊舟により繰り広げられる盛大なページェントは、盛岡市民の誇りであり、夏の風物詩となっている。 |
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りゅうじんの しょうりょうぶねや あみだぶつ |
Amida Buddha,
Dragon King Boat for the spirits of dead. |
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故人の霊を阿弥陀仏に託して極楽浄土に運ぶ「舟っこ」
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▲ 「舟っこ」に張り出された戒名札に書かれた先祖や物故者たちの霊は、「舟っこ」と共に炊きあげられ、年に一度のお盆にこの世に戻ってきた精霊たちが再び阿弥陀如来に導かれて西方浄土(さいほうじょうど)に往生(おうじょう)する。何とロマンあふれる行事ではないだろうか。 |
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「舟っこ」に張り出す |
戒名札 |
の受付デスク |
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▲▼ 御仮屋の入口には、受付デスクが置かれ、一口500円で戒名札を申し込むことができる。宗派の如何を問わず部外者でもOKで、平成23年(2011)3月11日(金)に発生した東日本大震災の遺族については、毎年、どの町内でも無償で受け付けてくれる。 |
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申込用紙 |
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写真左が仙北二丁目自治会・コ田石男会長。右が「舟っこ流し」を主催する「盛岡舟っこ流し協賛会」の鈴木一夫事務局長で、北上川原での式典で総合司会を務めるなど、舟っこ流しを催行する要職にあり、仙北二丁目自治会の会員でもある。 |
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お二人のご支援で、関係者以外立入禁止となっている区域に入って密着取材することができた。ご両人には、心より御礼申し上げたい。 |
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仙北二丁目自治会・コ田石男会長(左)と盛岡舟っこ流し協賛会・鈴木一夫事務局長
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長松寺本堂に向かって左手奥に「秋葉殿」と書かれた扁額のある小堂がある。地元では、秋庭神社と呼んでおり、かつての神仏習合(しんぶつしゅうごう)の名残をとどめている。 |
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舟っこ担ぎ手の受付と更衣所の |
秋葉殿 |
(秋葉神社) |
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長松寺のホームページには、「秋葉三尺坊大権現」と題してこの神社のエピソードを紹介しているので、以下に転載する。 |
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秋葉三尺坊大権現 |
盛岡の城下は江戸時代、武家屋敷、町家、農家をはじめ寺院、社堂にいたるまで萱葺(かやぶき)、柾葺(まさぶき)、杉皮葺の家屋がほとんどであり、一度火の手が挙がるとたちまち延焼し大火になるのがほとんどであった。 |
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秋葉殿(秋葉神社)前に立つ掲示板の解説 |
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当寺九世中興松峰玄鶴大和尚はこの惨劇を知るも、北上川の河床は低く防火用ならず、水路も難渋の処多し、と慨嘆する。この上は神仏に守護を頼むにしかず、と一大決心をした。当寺の檀頭佐藤半六その他の世話人と相はかり、寺内に火防鎮守として名高い「秋葉三尺坊」の祠堂を建て、はるか遠州(静岡県袋井市久能町)におもむき「秋葉三尺坊大権現」の分体を勘請せしめ、信心輩講中を結び、縁日、祭事怠りなく、十三願中火災消除の願いをかけた。 |
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秋葉殿(秋葉神社)入口 |
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その後、嘉永六年(1853)3月3日、十四世佛得蓮法(ぶっとくれんぽう)大和尚の時舟橋(ふなばし)付近(現明治橋の下流)より出火あり、見る見る内に延焼して当寺の隣家に迫った。「もし、当寺に延焼いたさば仙北組町全焼まぬがれぬ所」とただただ無事を祈るばかりであった。とその時、本堂の棟上に奇人現われ、大団扇(おおうちわ)をもって火の粉をあおぎ返す。はて、と見えしが火はたちまち消えてわずかに十余軒の類焼に留まった。折からの増水で城下の火消し組は北上川の対岸で眺めるのみだったという。 |
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その後その人を尋ねるに、誰とも知れず。皆の一致する所によると「秋葉大権現の化身なるべし」と。これにより翌年京都神祇(じんぎ)職より三尺坊大権現に対して正一位を賜ったという。 |
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これらの出来事に前後して藩では瓦葺き屋根を奨励し、文化10年(1813)には城下二十三町の内、三町にひと組ずつの火消組が誕生した。 |
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仙北町消防組織「は組」は天明8年(1788)に創立した。七ツ滝岩平(1767〜1836)は仙北の青物町(あおものちょう)で南部藩士の家に生まれ、人並はずれた体躯を持ち岩手山中腹の七ツ滝で修行し江戸相撲に入った。四股名(しこな)を七ツ滝といい22歳で弟子20数名を持ち盛岡に巡業した折、八幡町で見物人の警固をしていた「い組」にならい、江戸火消で誉れ高い「は組」を作った。以来25歳から70歳まで45年間、「は組」の組頭として、家業の種屋の繁栄と共に南部火消しの発展に力を尽した。その七ツ滝岩平は、今、当寺の墓地に眠っている。 |
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御仮屋の前の木陰で、点火棒に灯油をしみ込ませている人がいた。この男性は、舟っこ流し点火役・葛巻進さん(65歳)で若い頃から仙北二丁目自治会の舟っこ流しを支えて来た。 |
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仙北二丁目自治会・石澤利男副会長 |
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▼ 現在は、点火役として舟っこ流しのキー・パーソンの一人であり、後刻、その勇姿をたっぷりと撮影させて頂いた。 |
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