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 旅紀行日本の裸祭り

2014年6月11日改訂

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今 日

昨 日

篠笛〜山伏/邦楽鼓囃子

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浮城の緑の水濠夏木立  北舟

2013年6月11日制作

Summer trees, the green mort of the floating castle.

富山城天守閣(南西面)

富山城天守閣/南西面(富山県富山市)

 
山桜紋   第11回とやま山王市   山桜紋

富山黒褌御輿

撮影・制作 和田義男

富山城

はじめに

 
▼ 平成25年(2013)6月1日(土)一泊二日の日程で富山県富山市に鎮座する日枝神社(ひえじんじゃ)の春季例大祭である山王祭(さんのうまつり)に併せて開催された第11回とやま山王市(さんのういち)の男御輿(おとこみこし)を密着取材した。 とやま山王市公式サイト  
 昨年参加した長岡さんから取材勧告を受け初めてこの祭の存在を知り事前にとやま山王市(さんのういち)運営委員会に密着取材を申し込んだところ快諾して頂きこの裸祭を全国に紹介する機会を得た。  

 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

「とやま山王市/男御輿」公式サイト http://sannoichi.jp/otoko/

「とやま山王市/男御輿」公式サイト http://sannoichi.jp/otoko/

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  ▲ この祭では御輿の担ぎ手を力者(りきしゃ)と呼び、男御輿は全員黒い褌(ふんどし)を締めていることから、黒褌御輿(くろふんみこし)と名付けて紹介することにした。 山王被り(さんのうかぶり)・黒法被・黒褌・黒地下足袋の衣装はとても凛々しく、全国に例のない黒装束の御輿である。  
   愛機オリンパスE-5で撮影した1,230万画素の枚数は3,700枚9.5ギガ。ときおり日射しのある薄曇りのため柔らかい光が最高の画質をプレゼントしてくれ、感動大作となった。以下、美しい画像を存分に堪能して頂きたい。  

富山市の位置

富山市の位置

資料:Google Earth

 

JR東京駅

 
  JR東京駅は東京の表玄関ともいうべきターミナル駅でプラットホームの数は日本一多く在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線新幹線が地上5面10線地下鉄は地下1面2線を有しておりその総面積は東京ドーム約3.6個分に相当するという。  
改装なったJR東京駅丸の内口駅舎

改装なったJR東京駅丸の内口駅舎

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  ▲ 赤レンガ造りの丸の内口駅舎は、辰野金吾らが設計したもので、大正3年(1914)に竣工、平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されたが、平成24年(2012)10月1日、八角形屋根と免震構造を取り入れて新装オープンした。  
上越新幹線Maxとき307号・332号で東京-越後湯沢間を往復/東京駅

上越新幹線Maxとき307号・332号で東京-越後湯沢間を往復/東京駅

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  ▲▼ 朝5時起きしJR青梅線と中央線を利用して東京駅に着いたのが07:13。弁当を買い込み上越新幹線乗り場から07:48発新潟行きMaxとき307号に乗車。週末ではあったが、旅行シーズンではないので、自由席でも空席があり、景色の良い二階席を確保することができた。  
ユニークな二階建新幹線車両/東京駅

ユニークな二階建新幹線車両

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   東京から越後湯沢まで1時間16分10分の乗り換え時間で09:14発金沢行き特急はくたか4号に乗車。富山には11:22に着いた。土曜日とあって特急は混んでいて、6・7号車の自由席を含め全車満席だったが、それほどあわてなくても自由席に坐ることができた。このルートは北陸新幹線が開通する平成27年(2015)春まで関東と富山・石川両県を結ぶドル箱路線となっているようだ。  
   ちなみに正午から本部テントで祭参加者の受付がはじまり最後の直会は午後6時過ぎに終わるので帰りは富山18:59発はくたか25号に乗れば、越後湯沢でMaxとき350号に接続し東京には22:28に着くので、余裕で日帰りできる。北陸新幹線が開通すれば、もっと便利になる。  
残雪の山々と緑の水田/特急はくたか車窓

残雪の山々と緑の水田/特急はくたか車窓

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  ▲▼ 電車が西に進むにつれて、残雪の山々を背景に緑の水田が見えてきた。既に田植えが終わっている水田が多く、空梅雨になるのではないかといわれながらも満々と水を湛えている風景を見て安堵した。このあたりは、雪解け水が田畑を潤す天の恵みとなっているようだ。  
   我が家では、コストパフォーマンスの優れた富山産こしひかりを主食としており、肥沃な大地ですくすくと育つ稲だからこそ美味いのだろうと思いつつ、なぜか懐かしい思いがした。  
満々と水を湛えた水田/特急はくたか車窓

満々と水を湛えた水田/特急はくたか車窓

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富山市とやまし

 1,240km2に42万人を擁する富山市は、北陸・富山県の中央部から南東部にかけて位置する県庁所在地で、国から中核市の指定を受け、環境モデル都市として認定されているほか、環境未来都市や国際会議観光都市にも選定されている。
特急はくたか4号・15号で越後湯沢-富山間を往復/富山駅 6.1 11:22

特急はくたか4号・15号で越後湯沢-富山間を往復/富山駅 6.1 11:22

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   平成17年(2005)4月1日富山市上新川郡(かみにいかわぐん)大沢野町(おおさわのまち)、大山町(おおやままち)、婦負郡(ねいぐん)八尾町(やつおまち)、婦中町(ふちゅうまち)、山田村(やまだむら)、細入村(ほそいりむら)の7市町村による新設合併によって、現在の富山市が発足した。 富山市公式サイト  
越後湯沢と金沢を結ぶ特急はくたか/富山駅

越後湯沢と金沢を結ぶ特急はくたか/富山駅

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   合併により全国の都道府県庁所在地の中では2番目全国の市では11番目に広い総面積を持つようになったまた、富山県の29.24%の面積を占め、一つの市町村が県に占める面積の割合は全国一となった。  
JR富山駅南口 11:30

JR富山駅南口 11:30

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   合併により「越中富山の薬売り」で知られる富山藩の城下町として栄えた地域、浄土真宗の古刹・聞名寺(もんみょうじ)の門前町として発展した地域、立山(たてやま)信仰の登山者たちの宿場町として人々が行きかった地域など多様な地域が包含された。  
郵便ポストを飾る「越中富山の売薬さん」像/JR富山駅南口

郵便ポストを飾る「越中富山の売薬さん」像/JR富山駅南口

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   地形も変化に富み、富山湾に刻まれた水深約3,000mの富山深海長谷(とやましんかいちょうこく)から北アルプスに位置する標高2,986mの水晶岳(すいしょうだけ)まで様々な動植物が生息し、ホタルイカや雷鳥などが観光資源化されている。方言は富山弁と呼ばれる。  

富山市中心部

富山市中心部

資料:Google Earth
  ▲ 北陸新幹線の開通に向けて工事中の富山駅の変則的な通路を通り富山駅南口に出ると最初に楽天トラベルで予約した駅前のアパホテルに荷物を預けた。このホテルは便利で、 かつ、温泉・サウナ付きで、山王祭期間中の週末にもかかわらず、素泊まり4300円というキャンペーン価格で申し込むことができた。  
  ▲▼ 祭会場の平和通り歩行者天国は「富山駅前」から「南富山駅前」行き市電(200円均一)に乗ると「西町(にしちょう)」に10分ほどで到着する。会場は目の前で、下車して前方の交差点を右に渡れば良い。  
「富山駅前」から発車する「南富山駅前」行き市電

「富山駅前」から発車する「南富山駅前」行き市電

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松 川

  ▼ 東京を早めに出発したため、時間に余裕があったので、土地勘を養うために徒歩で移動することにし最初に駅前から歩いて約15分の富山城址公園に行った。  
   途中で、富山城址公園のすぐ北を流れる松川(まつかわ)を渡った。小さな川だが、遊覧船が繋留してあった。有名な神通川(じんづうがわ)は、現在、公園の西約1kmを富山湾に向かって流れる一級河川だが松川はかつては神通川の本流だったという。  
松川の遊覧船 12:16

松川の遊覧船 12:16

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富山城址公園

  ▼ 富山は、北陸街道と飛騨街道が交わる越中中央の要衝であり、富山城は、16世紀中ごろ越中東部への進出を図る神保長職(じんぼう・ながもと)により築かれたといわれている。  
市民のオアシス 富山城址公園 12:18

市民のオアシス 富山城址公園 12:18

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  総欅造りの千歳御門(ちとせごもん)嘉永2年(1849)千歳御殿の正門として建てられた富山城唯一の現存建築遺構。創建当初のものではなく、安政2年(1855)の大火で焼失後の再築との説もある。  
   門形式は三間薬医門(さんげんやくいもん)といわれる格式の高い城門建築で、現存する同形式の門は、東大の赤門(旧 加賀屋敷御守殿門)だけという。  
千歳御門 12:20

千歳御門 12:20

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  戦国時代には佐々成政の居城であり江戸時代には富山前田家の居城として富山藩政の中心であった富山城だが、この城跡が「富山城址公園」として整備され、市民の憩いの場となっている。  
富山城天守閣(南東面) 12:22

富山城天守閣(南東面) 12:22

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  ▲▼ 天然の要害である神通川を北面の守りとし、本丸、二ノ丸、三ノ丸を段下がりに構成する梯郭式(ていかくしき)平城(ひらじろ)は、四周を水濠(すいごう)と河川とで二重に囲まれた大規模な構えで、加賀100万石の支藩である富山10万石の大名としては、かなり立派な城であった。  
富山城天守閣(南面)

富山城天守閣(南面)

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▲▼ 岐阜県高山市の川上岳(かおれだけ)に源を発する神通川(じんづうがわ)の流れを城の防御に利用したため富山城は水に浮いたように見え「浮城」の異名をとった。当時の神通川は富山城の辺りで東に大きく蛇行しており、その南岸に富山城が築かれていた。
  浮城の緑の水濠夏木立  北舟 

うきしろの みどりのすいごう なつこだち

Summer trees, the green mort of the floating castle.

富山城天守閣(南西面) 

富山城天守閣(南西面)

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▲▼ 戦後建設された天守閣の中は「富山市郷土博物館」となっており400年以上にわたる富山城の歴史を紹介しているが撮影禁止となっているのが残念園内には東洋の古美術を中心に展示する「佐藤記念美術館」がある

富山城天守閣(富山市郷土博物館)入口

富山城天守閣(富山市郷土博物館)入口

▼ 天守閣からの雄大な眺望を楽しみに階段を上ったが、残念なことに全周に金網が張られており、動物園の檻の中にいるようだった帰りに受付嬢に 「せめて撮影出来る穴を設けて欲しい」と伝えた。
天守閣より小天守方面(西)を臨む

天守閣より小天守方面(西)を臨む

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  ▼ 富山城址公園の一角に越中富山藩の第二代藩主前田正甫(まえだ・まさとし)の銅像がある。慶安2年
(1649)、初代藩主・前田利次の次男として生まれ、延宝2年(1674)、父の死去により家督を継いで藩主となっ
た。
 
   父の方針を受け継いで藩制の確立に努め文武を奨励して多くの有能な人材を招聘(しょうへい)。但馬(たじ
ま)
からタタラ技術を導入して製鉄業を創始し、新田開発、治水工事、産業奨励などを積極的に行なった。
 
   製薬業に興味を持ち、江戸城腹痛事件*で名をあげた胃痛・腹痛などに効能がある反魂丹(はんごんたん)
製薬して諸国に広め、越中売薬の基礎を作った。
 
*江戸城腹痛事件:元禄3年(1690)、江戸城で腹痛を起こした陸奥国(むつのくに)三春藩主の秋田輝季(あきた・てるすえ)に正甫(まさとし)が反魂丹を服用させたところ、劇的に腹痛がおさまり、大評判となった。
富山売薬を繁盛させた富山藩二代目藩主の銅像

富山売薬を繁盛させた富山藩二代目藩主の銅像

拡大写真(1950X2600)1.34MB

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