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 感動写真集

2006年2月4日改訂

♪朱 TAM Music Factory

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2006年2月4日作成

抹茶でもてなす願成就寺

抹茶でもてなす願成就寺(飫肥城下まつり/宮崎県日南市)

飫肥城下まつり

願成就

小村寿太郎こむらじゅたろう
  明治時代を代表する外交官小村寿太郎は、寛永6年(1853)飫肥城下の町役人の長男として生まれ、文久元年(1861)安井息軒(後に昌平坂学問所の教授)が先生をしていた頃の藩校・振徳堂(しんとくどう)に入学。優秀な成績で卒業した14歳の寿太郎は、小倉処平につれられて長崎に留学、15歳で飫肥藩の貢進生として大学南校(現東京大学)に入学した。
小村寿太郎記念館

小村寿太郎記念館

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 その後20歳でハーバード大学に入学し、帰国後大阪裁判所に勤めた後、外務省に入省。1901年46歳で外務大臣に就任し、1905年9月5日に日露講和条約の全権大使を務め、アメリカのニューハンプシャー州ポーツマス市で同条約に調印した。
 2005年は小村寿太郎生誕150周年、ポーツマス条約締結100周年にあたり、日南市ではこれにちなんで、姉妹都市であるポーツマス市を訪れるなど様々な行事を実施した。
小村寿太郎の銅像

飫肥から少し離れた小高い丘にある竹香園という公園内にある。

小村寿太郎の銅像

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 記念館には調印時のものと全く同じ姿形で復元されたテーブルが置かれ、日露講和条約の調印の様子を描いた有名な絵が掲げられている。日本側中央が小村寿太郎全権大使、ロシア側中央でサインしている人がウィッテ代表。
ポーツマス条約調印のテーブル(複製)

ポーツマス条約調印のテーブル(複製)

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歴史資料館

 昭和49年(1974)から始まった飫肥城復元事業で、飫肥藩の関係資料を展示公開するため、昭和53年(1978)に完成。外観は江戸時代初期の書院造りで、玄関は唐破風としている。
歴史資料館

歴史資料館

女乗物おんなのりもの
 伊東家女乗物は、輿(こし)・轅(ながえ)ともに木製、黒漆塗りで金蒔絵が施されている。全面に伊東家の家紋である庵木瓜(いおり・もっこう)、月星九曜紋(げっせい・くようもん)があしらわれ、その間を桐唐草文(きりからくさもん)がつなぐ。窓の柱中央に金銅製の庵木瓜と月星九曜紋の丸金具を打つ。
絢爛豪華な伊東家女乗物

絢爛豪華な伊東家女乗物

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 内部の壁面に花鳥文(かちょうもん)の彩色画がある。庵木瓜(いおり・もっこう)、月星九曜紋(げっせい・くようもん)から伊東家で用いられていたことが明かで、保存状態が良く、江戸時代後期の大名の室(しつ)や子女が乗る女乗物の典型として、資料的価値が高いという。
祐兵公が着用していた兜

祐兵公が着用していた兜

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願成就寺がんじょうじゅじ
   真言宗の願成就寺は飫肥城に接した丘陵上にあり、石段と石垣、山門、本堂は日南市指定文化財である。初代藩主祐兵のときに飫肥城の鬼門鎮護として建造された。境内には樹齢300年を越すといわれるウスギモクセイがあり、例年10月に薄黄色の花をつけ始め、中旬頃に見頃となる。
 今年は、猛暑のせいで20日ほど遅く下旬に見頃となった。境内は甘くさわやかな香りに包まれ、訪れた人を楽しませてくれる。この木は宮崎の巨樹百選に指定されている。来客には抹茶が無料で振る舞われる。
ウスギモクセイの咲く願成就寺

ウスギモクセイの咲く願成就寺

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赤面法印あかづらほういん
   この寺には女性に騒がれ、赤面法印と呼ばれた美男僧にまつわる悲話が伝えられ、現在も毎年8月3日には灯籠流しの供養が行われている。この僧は、修行に打ち込むため自ら熱湯を浴びて顔を赤くただれさせた。人々は尊敬の念を込めて赤面法印と呼んだという。
抹茶でもてなす願成就寺

抹茶でもてなす願成就寺

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