ホームページお知らせお便りコーナー俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィール
Wa☆Daフォトギャラリー  Wa☆Daフォトギャラリー  

2006年3月26日改訂

今 日

昨 日

♪栄華の墓所・水の宮・鎮守の森・想い川

水の宮・和風BGM TAM Music Factory

拡大写真(1400x1050)311KB

山伏の飛び散る飛沫雪解水    北 舟

2000年7月31日開設

冷水を肩に浴びる

雪中の滝行(しおざわ雪譜まつり / 新潟県南魚沼市塩沢)

2006年の日記  

 

3
 

2月

3月

4月

目次

2006年3月26日(日)曇  梅が香の沢たちのぼる筑波山  北舟
■■■     2006年梅の旅」完成版アップ! ■■■
 先ほど、筑波山(つくばさん)・偕楽園(かいらくえん)・百草園(もぐさえん)・吉野梅郷(よしのばいごう)の四箇所への梅の旅が完成し、アップした。今年、長い冬のために梅の開花が2〜3週間遅れたが、その分、とても美しく咲いてくれた。梅は、桜と並ぶ日本を代表する花で、古来より日本人の心を魅了してきた。

パノラマの梅園(筑波山梅林/茨城県つくば市)

パノラマの梅園
パノラマ写真(2000x1000)493KB
 長い冬を堪え抜き、春の到来を予告する梅は、寒さの中で開花する。派手な桜にないけなげさがあり、見飽きることがない。吉川英治と同じように青梅市を終の棲家と定めた筆者として、僅か4駅先の秩父多摩甲斐国立公園に梅の里があるのはとても嬉しい。梅は、これからも多くの人々に安らぎと喜びを与えてくれることだろう。

樹齢三百年を超える寿昌梅(百草園/神奈川県日野市)

樹齢三百年を超える寿昌梅

パノラマ写真(1400x650)305KB

 あちこち旅をして梅の花を撮影して思うことは、平地の梅林は変化に乏しく、奥行きを十分に感じられないので、たとえ大量に植えられていたとしても、その素晴らしさを十分に感じ取ることは難しい。桜も同じことがいえる。せいぜい、目に入る数本の木の下で、ご馳走に舌鼓を打ちながら鑑賞するということになる。その点、山や谷に植えられた梅は立体的に鑑賞でき、スケール感が新たな感動を引き出してくれる。筑波山や吉野梅郷が人気が高いのは、変化に富んだ景観を楽しむことができるからである。

観梅の小径(吉野梅郷・梅の公園/東京都青梅市)

観梅の小径(吉野梅郷・梅の公園)

拡大写真(1400x1050)548KB

 今回、パソコン・ソフトを使って2〜3枚の写真をシームレスにつなぎ合わせたパノラマ写真を多用した。そのお陰で、横長の画面に雄大な景色を思う存分再現することができ、大画面とあいまって、迫力ある作品ができあがった。また、オリンパスのビビッド・カラーにより、梅の華やかな雰囲気を思う存分再現することができた。どうかパノラマの大画面でじっくりと鑑賞して頂きたい。次は、いよいよ桜の番である。良い天候に恵まれることを祈りつつ、撮影計画を策定中である。乞うご期待!

2006年3月17日(金)晴     南崖の梅いにしへの風雅かな  北舟
■■■     「2006年梅の旅」速報! ■■■
 3月16日(木)クラブツーリズムのバスツアーに参加して、家内と二人で梅を見に行ってきた。長い冬の影響で、梅の開花が二週間ほど遅れていることが幸いし、早めに予約していたこの日が見頃の期間に入ったのはラッキーだった。前日は快晴の行楽日和となったが、この日は下り坂となり、夜には雨が降ったものの、日中は花曇りの状態で、綺麗な写真を撮ることができた。(今日の関東地方は瞬間風速20m/secを超える強風が吹き荒れ、我がオフィスの新宿センタービル(地上54階高さ216m)も柔構造のためかギシギシと音がして、船と同じような揺れがあり、今日でなくて幸いだった。)

筑波山梅林(茨城県つくば市)

筑波山梅林(茨城県つくば市)

パノラマ写真(2100x940)528KB

筑波山梅林

 JR青梅線河辺(かべ)駅前から出発したツアー・バス3台は、圏央道青梅インターから高速に乗り、関越道から東北道に入り、最初の訪問地、茨城県つくば市にある筑波山(つくばやま)(標高876m)の梅林に到着。「第33回筑波山梅まつり」の最中で、ウイークデーにもかかわらず駐車場入口が多くのバスやマイカーで渋滞しており、超人気スポットであることがよく分かった。梅も七分咲きとなり、見頃を迎えていた。
 この梅林は「四六(しろく)の蟇(がま)の油売り」でお馴染みの筑波山の麓(ふもと)にあり、1000本の梅が植えられている。要所に展望台があり、とても眺めがよい。天気が良い日には富士山も見えるそうだが、この日は春霞で霊峰を拝むことはできなかった。

赤・白・桃の競い咲き

桜のような八重紅梅

赤・白・桃の競い咲き 桜のような八重紅梅

拡大写真(1400x1050)448KB

拡大写真(1400x1050)375KB

偕楽園の梅

 続いて更に北上し、大洗(おおあらい)港で昼食の弁当と土産物を調達した後、岡山の後楽園と金沢の兼六園とともに日本三名園の一つとして知られる水戸の偕楽園(かいらくえん)に到着。こちらも「水戸の梅まつり」の最中で、今年は110回目だった。水戸の梅まつりは、明治29年(1896)水戸・上野間の鉄道開通を機に、観梅列車が運行されたことに始まるという。

水戸偕楽園の好文亭と梅林(茨城県水戸市)

水戸偕楽園の好文亭と梅林

パノラマ写真(2000x640)305KB

 偕楽園は、天保13年(1842)、水戸藩第九代藩主徳川斉昭(とくがわ・なりあき)によって造園された。斉昭は、千波湖(せんばこ)に臨む七面山を切り開き、弘道館で文武修行する藩士の休養の場とすると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいとして「偕楽園」と名づけたという。

 園内は予想外に広くて13haもあり、合わせて100種3000本の梅が植えられている。木造三階建ての好文亭(こうぶんてい)は、斉昭の別墅(べっしょ 別荘)であるが、己ひとりの楽しむところではなく、衆と偕(とも)に楽しむところであった。梅の異名・好文木(こうぶんぼく)にちなんで名付けられたこの別墅は、昭和20年(1945)の水戸空襲で焼失したが、昭和47年(1972)に復元された。

2006年梅大使の茨城洋子(いばらき・ひろこ)さん

紅白のたすきには青色で「2006年水戸の梅大使」と書かれている。

2006年梅大使の茨城洋子(いばらき・ひろこ)さん

拡大写真(1200x1225)295KB

 水戸では毎年ミスコンテストで、10人の梅大使が選ばれる。以前は梅娘と呼ばれていたそうで、天下の副将軍の鶴の一声で娘から大使に取り立ててもらったのだろうか。(^^; 私は清純なイメージの梅娘の方がよいと思う。丁度梅林の前で記念撮影に応じていたので、撮影させてもらった。水戸観光協会のホームページ 水戸の梅大使 で調べると、この方は茨城洋子(いばらき・ひろこ)さんで、着物も帯も全て梅のデザインでとても気品があり、和服の似合う美しい女性だった。

偕楽園・南崖(なんがい)の梅

偕楽園・南崖(なんがい)の梅

拡大写真(1400x800)359KB

 園内は大変広く、好文亭をじっくりと見学したこともあって、一時間半の自由時間では全てを廻ることができなかった。
南門の近くに「南崖(なんがい)の梅」が咲いており、正岡子規の句碑が建っていた。
     がけきゅうに  うめことごとく  ななめなり
  崖急に梅ことごとく斜なり    子 規 
 いうまでもなく、南崖は南に面した崖(がけ)のことで、子規は急斜面の崖に咲く梅の木がすべて斜めに生えていることに野趣を感じたのだろうか。子規と並んで筆者の駄作を披露するのは気が引けるが、名園の梅を眺むれば、歌心も湧いてくるというもの。
    なんがいの   うめいにしえの   ふうがかな
 南崖の梅いにしへの風雅かな  北 舟 

百草園の松連庵と寿昌梅(東京都日野市)

百草園の松連庵と寿昌梅(東京都日野市)

パノラマ写真(1600x765)528KB

百草園もぐさえん

 3月19日(日)東京は絶好の行楽日和となったので、強風が吹き荒れる中をもろともせず、家内と二人でリュックを背負い、京王線百草園駅から徒歩10分の百草園に行った。「梅まつり」で賑わう百草園は、現在も豊かな自然を残す多摩丘陵の一角にあり、園内には松連庵(しょうれんあん)をはじめ若山牧水の歌碑や松尾芭蕉の句碑などが四季の草木に彩られ、2月〜3月に咲く800本の梅は見事で、関東の梅の名所として親しまれている。
 江戸時代の亨保年間(1716年〜)、小田原城主大久保候の室(寿昌院)が出家したのち徳川家康の長男・岡崎三郎信康の追悼のために松連寺(しょうれんじ)を再建し、それに伴ってつくられた庭園が百草園であるという。樹齢300年を越すといわれる名木として知られる寿昌梅(じゅしょうばい)は、寿昌院がこの時自ら植樹したと伝わる。明治政府の廃仏毀釈により明治初期に廃寺となったが、地元出身の生糸商人が所有し、昭和32年(1987)に京王電鉄に移管され、現在に至っている。

梅に囲まれた松連庵

可憐な紅梅

梅に囲まれた松連庵 可憐な紅梅

拡大写真(1400x1050)437KB

拡大写真(1400x1050)132KB

吉野梅郷よしのばいごう

 3月21日(火)春分の日も東京は絶好の行楽日和となったので、家内と二人で、我が青梅市の誇る吉野梅郷に行った。JR青梅線・河辺(かべ)駅から奥多摩方向の四つ目の駅・日向和田(ひなたわだ)駅は、観梅客でラッシュ。JRは臨時改札口を設けて客を捌いていた。

梅の公園(東京都青梅市)

吉野梅郷(東京都青梅市)

パノラマ写真(2000x770)398KB

 吉野梅郷は、東京の奥座敷と呼ばれる秩父多摩甲斐国立公園の玄関口にあり、日向和田(ひなたわだ)駅から二俣尾(ふたまたお)駅に至る多摩川右岸(南側)の東西4kmに広がる地域である。

家族の憩いの広場

家族の憩いの広場

パノラマ写真(2000x900)419KB

 吉野街道が走るこの地域は、青梅市の「梅の公園」をはじめ、地元農家の梅園や吉川英治記念館などが点在し、200品種約25,000本の梅の木が紅白の花をつけ、ほのかな香りを漂わせる関東一の梅の里である。

競い合う紅梅と白梅

競い合う紅梅と白梅

拡大写真(1400x1050)482KB

 毎年3月1日から31日まで「梅祭り」が開かれ、露店などが出て連日賑わいを見せる。期間中の土・日・祝日には色々な催しがあり、観梅客がどっと押し寄せる。 青梅市梅だより

山全体が梅の公園に

山全体が梅の公園に

パノラマ写真(2000x780)452KB

  一山を咲き上りたる梅の花 北舟 

梅の公園

 吉野梅郷の中心地・青梅市「梅の公園」は、山の斜面を利用した4.5haの敷地に120種1,500本の梅の木が植えられている。周辺には都立天満(てんま)公園や民営の梅園、果実栽培用の梅畑が広がっている。

艶やかな紅梅

青空と梅

艶やかな紅梅 青空と梅

拡大写真(1400x1050)316KB

拡大写真(1400x1050)155KB

 この日は、ゆっくりと「梅の公園」を散策した。東口は満開、北口は五分咲きとなっており、今年は開花が3週間ほど遅れているという。今週末には北口も満開となり、最盛期を迎える。

観梅の小径(吉野梅郷・梅の公園)

観梅の小径(吉野梅郷・梅の公園)

拡大写真(1400x1050)548KB

 今年の梅めぐりは、後日とりまとめて「2006年梅の旅」としてアップしたい。乞うご期待!

2006年3月15日(水)晴  夏草や仏のおわす虎の穴  北舟
■■■     インド世界遺産・アジャンタ遺跡/上下二巻」完成! ■■■
 3月13日にアップした上巻に続き、本日、5頁40枚にのぼる下巻が完成し、アジャンタ遺跡の10頁75枚にのぼる大作が完成した。この作品は、インド通信でお馴染みの丹下誠司さんが、帰国前の2005年夏にインドを旅行され、世界遺産巡りをされたときの作品である。
 アジャンタ遺跡は、インド西部、アウランガーバードの北東約100kmにある仏教石窟で、その豊富な壁画のゆえに、インドで最も有名な遺跡の一つである。ワゴラー川の浸食によって大きく湾曲する断崖の南壁に、未完窟も含めて大小30の石窟があり、下流の東端から順次番号が付けられている。造営は紀元前1世紀に始まり、2世紀からしばらく中断された後、5世紀末期に再開され、7世紀まで続いたという。
展望台からアジャンタ遺跡全体を臨む(アジャンタ遺跡/インド)
1819年4月28日、虎狩りに来ていたイギリス人士官ジョン・スミスが、この高台から馬蹄形の切り立った崖に開いた穴の中に虎が隠れるように逃げ込むのを見て、アジャンタ遺跡を発見したという。
展望台からアジャンタ遺跡全体を臨む
     なつくさや ほとけのおわす とらのあな
 夏草や仏のおわす虎の穴  北 舟 
拡大写真(2600x1400)417KB

インド美術の至宝

 インド美術の歴史は、紀元前二千年を中心に栄えたインダス文明に始まるという。民族の興亡による創造と破壊が繰り返されてきた波瀾万丈の歴史の中で、現在インドに残された絵画遺品は、主として石窟壁画と細密画に限られ、なかでも壁画はほぼアジャンタのそれにつきるという。アジャンタ第9・第10窟の壁画は紀元前後にまでさかのぼる仏教絵画最古の遺品であるが、残念ながら褪色や落書による損傷が著しい。
 今後、インド政府の修復・保存が期待され、入場制限も予想される中、インド通信でお馴染みの丹下誠司さんが、転勤の慌ただしい時機に時間を捻出され、インド美術の至宝といわれるアジャンタ遺跡の全容を取材され、本日、その上下二巻が完成したことは誠に喜ばしい。丹下さんの多大なる御労苦に対し、心から御礼申し上げたい。
インド美術の至宝・蓮華手菩薩(れんげしゅぼさつ)(アジャンタ遺跡/インド)
蓮華手菩薩

拡大写真(2600x1733)438KB

世界に開かれた仏教美術の源流
 丹下さんの律儀な性格がよく出ているのは、30窟全てにわたって説明がなされていることである。鍵がかかっていて入れなかったところや、小さくて通り過ぎてしまったところ、照明が暗くてフラッシュや三脚が使用できない悪条件のために、上手く撮れなかったところなどが正直に説明されている。そのお陰でこの作品に欠けているところが何処であるかを把握できる。

 更に興味を持たれた方は、専門書を紐解いていただければよい。この不完全さを承知で、敢えて、アジャンタ遺跡の全貌が明らかになったと表現させていただきたい。

 それは、100枚近い高精細画像を使ってアジャンタ遺跡を解説した作品は前代未聞だと推測されるからである。internetのホームページ上で枚数に制限無く発表された丹下さんの作品は、このような文化遺産を広く世界に紹介するうえで、比類のない力を持っている。全世界の人々が簡単にアクセスでき、丹下さんが炒りピーナッツだけで一日中、夢中で撮影した仏教美術の源流を、居ながらにして味わうことができるのは、学術書や雑誌などの出版物ではとても真似のできないことであり、internetの凄さである。丹下さん、有り難う!
 最後に、このようなインド美術の至宝を撮影禁止にせず、広く世界に公開されているインド政府の粋な計らいに心より感謝申し上げたい。

2006年3月9日(水)晴

■■■ 世界初・ライブビュー搭載の E-330 登場! ■■■

 2006年2月24日(金)、オリンパスからボックス・スタイルのデジタル一眼レフカメラ E-300 の後継機となる E-330(いー・さんびゃく・さんじゅう) が発売され3月3日に入手した。14-45mm標準ズームレンズとセットになっているE-330 レンズキットは、価格コムの最安値が113,000円、ビックカメラ・ネット価格は「129,800円-17%(22,000円)ポイント還元」となっている。

E-330 の特徴

 有効750万画素機として登場した E-330 の今回の目玉は、世界初のライブビュー搭載である。従来の一眼レフカメラでは不可能だった常時背面の液晶モニターを見ながら撮影することができるようになった。しかも液晶モニターを引き出して上下に角度調整ができるので、万歳姿勢や地面すれすれで撮影することができる。祭りの取材のように人垣の後から脚立に立ち、液晶モニターを見ながら頭上から撮影すれば見下ろすように撮影できるので、玄人はだしの奥行きのある画像が生まれる。私の撮影スタイルにはもってこいのカメラである。従来は広角ズームを付けてめくら撮りしていたので、E-330は私のために開発してもらったようなものである。(^^;
 そもそも液晶モニターを見ながら撮影することは、コンパクトデジカメの世界では当たり前で、高級機といわれる一眼レフで不可能だったことがおかしかったのである。オリンパスは、モニター用のCCDをもう一個付けることでこの問題を解決した(Aモード)。可動式液晶モニターは、E-20の段階で既に開発済みであったが、E-20は、一枚撮影するとその画像をメモリーに転送し終えるまでは液晶が真っ暗となり、その時間が何秒もかかったため、私は故障したかと思ったものである。カタログには3枚まで連写可能と書いてあったので、なお一層パニックになったが、後で聞くとそれが仕様であり、液晶が真っ暗になっていてもあと2回はめくら撮りできることが分かったが、とても使う気にはなれなかった。
 嬉しいことに、E-330はその問題を完璧に解決している。液晶モニターを見ながら1枚撮影すると、撮影済み画像がモニターに表示されように初期設定されているため、撮影された静止画像が表示され、それが消えるまでの数秒間は被写体が見えなくなる。しかし、続けて撮影したいときは、直ぐにシャッターボタンを半押しすると被写体の映像に切り替わるので、構図を決めて連続撮影できる。また、連写モードで撮影する場合も、撮影された静止画像が一瞬表示されるが、シャッターボタンを押し続けていると直ぐに被写体に切り替わるので、構図を決めながら連写することができる。この点については、取扱説明書に記載されていないため、最初は撮影済み画像がモニターに映し出される数秒間は被写体が見えなくなるものと錯覚してしまう恐れがあるので、気をつけたい。

OLYMPUS E-330

画期的なライブビュー搭載の OLYMPUS E-330

参考:オリンパスE-330公式サイト オリンパスE-330ニュースリリース 【新製品レビュー】オリンパス E-330

 E-330は、E-500と同様、仕上がりがビビッド・カラーとなるよう初期設定されているので、E-330とE-500の二刀流でも違和感なく撮影できるので、大変有り難い。オリンパス・ブルーだけでなく、生き生きとした暖かみのある鮮やかな色調の写真が撮れるので、これからはE-330とE-500の二刀流によるビビッド・カラーをWa☆Daフォトギャラリーのカラーとしたい。最新作「しおざわ雪譜まつり」を御覧いただければ、ビビッド・カラーの素晴らしさを体感できる。  2006年3月9日

2006年3月8日(水)晴
■■■     鐵砲洲稲荷神社弥生会の会友になる! ■■■
 先日、鐵砲洲稲荷神社弥生会の石川辰夫幹事長から弥生会の総会資料が送られてきた。表紙は、昨年5月1日に歌舞伎座の前で中村勘三郎さんが襲名披露のお祝い神輿を担いでいる写真である。
 資料の中に弥生会の名簿があり、左下の「会友」の二人目に筆者の名前(和田義男)があった。直ぐ右には名誉会員の中村勘三郎さんの名がある。(名簿の赤枠参照)

弥生会第8回総会資料の表紙

弥生会の名簿

弥生会第8回総会資料の表紙 弥生会の名簿

拡大写真(1400x1000)185KB

拡大写真(1800x1236)516KB

 2005年の正月、浦安の三木さんにお誘いを受けて、寒中水浴大会を取材してから弥生会の役員の方とお付き合いが始まり、5月の鐵砲洲祭(勘三郎襲名祝)、今年の寒中水浴大会と続けざまに取材して作品を発表するに及んで、青柳会長以下幹部の方々との面識が生まれ、このたび青柳会長のご推挙により、今年2月26日に神社社務所で開かれた総会で私の会友が承認されたもので、大変光栄に思う。
 東京下町の鐵砲洲とはまったく縁もゆかりもない高知出身の私を神社奉賛会の青年部に当たる弥生会の仲間に入れて頂いたことは、本当に嬉しく、江戸っ子の度量の広さに頭が下がる思いである。祭りの取材を通じて江戸の下町文化が現代に脈々と継承されていることに感動したが、その仲間に加えて頂いて更に感動を新たにした次第である。
 去年と今年、連続して寒中水浴に挑戦された弥生会幹事長の石川さんによると、祭り袢纏も寄贈いただけるそうだし、会費など一切なしで、イベントに参加するだけで良いという、破格の待遇である。これから氏子の皆さんとともに末永く伝統文化を共有させていただき、弥生会のカメラマンとして、また、ささやかなご意見番として、微力を尽くしてゆきたいと思う。

2006年3月5日(日)晴  山伏の肌ほとばしる雪解水  北舟
■■■     しおざわ雪譜まつり」完成版アップ! ■■■
 先ほど、2月18日(土)新潟県南魚沼市塩沢で行われた「しおざわ雪譜(せっぷ)まつり」の作品が完成したのでアップした。前半は里山伏の滝行、後半は大護摩にスポットを当て、6ページ82枚という感動の大作となった。

印を結んで滝に打たれる昌法さん

印を結んで滝に打たれる昌法さん1
拡大写真(1600x1200)317KB

本山修験宗ほんざんしゅげんしゅう

 修験道(しゅげんどう)は、日本古来の山岳信仰がシャーマニズム、仏教、神道などの影響を受けて古代末期に宗教の形態をとるようになったもの。修験は修行得験(しゅぎょう・とっけん)の意とされ、深山幽谷に分け入って命がけの修行を積み重ね、霊力、験力を獲得することを目的としている。
 塩沢にある昌法さんの巻機山萬学院は本山修験宗に属する。国内の檀信徒は千〜5千人。仏神二道を融合し、顕密二教を学び、修験の修行で心身を練り、真俗一貫の菩薩道を体得顕現することを目指す。崇拝対象は不動明王、蔵王権現、役行者(えんのぎょうじゃ)など。教典は大日経、不動経、法華経、般若経などがある。
 昌法さんのように寺院を持って活動する山伏は少なく、大半は職業を持ちながら修験道を実践しているという。

幻想的な雪の中で・・・ / 四番手

幻想的な雪の中で・・・ / 四番手

拡大写真(1200x1600)267KB

塩沢の発展と共にある里山伏

 塩沢の里山伏は地元産業の発展とともに歩んできた。化学繊維の隆盛で越後上布が廃れてしまったとしても、里山伏たちは、これからも南魚沼市の伝統文化を継承し、市民の信仰と観光資源の一翼を担って生きてゆくことだろう。

里山伏の祭り

 インターネットで雪譜祭りを知り、一泊二日の日程で取材した。今回、寒い中を出掛けたのは、里山伏に興味を抱いたからである。特に、これまで滝行の写真がなかったので、山伏水行之儀が取材する決め手となった。

正装の萬学院昌法さん(59歳)

祭壇の前で正装の昌法さんの写真を撮らせていただいた。滝行のときとは違って大きな頭巾が印象的だった。

正装の萬学院昌法さん

拡大写真(1600x1200)375KB

 素晴らしい天候に恵まれ、美しい雪国の風景を活写することができた。祭りの主役を務めた里山伏に焦点を合わせて編集したので、ひと味違った作品ができあがった。

 撮影の合間に新潟の美味しい樽酒を飲ませて頂いた。春を迎える雪国の人々の祭りに賭ける熱い思いがヒシヒシと感じられ、とても素晴らしい祭りだった。


2006年3月2日(木)雨   
■■■     韓国の日本語雑誌に写真が掲載! ■■■
 今日、帰宅すると、韓国からAIR PARCEL便で日本語ジャーナルという韓国の日本語雑誌が送られてきた。2006年3月号で、その20頁に黄色の付箋があり、そこを開くと「高尾山薬王院・大火渡り祭」の写真2枚が掲載され、韓国語と日本語で「和田義男」と表示されていた。
 

韓国の雑誌・日本語ジャーナルの表紙

写真が掲載された日本語ジャーナル20頁

韓国の雑誌・日本語ジャーナルの表紙 写真が掲載された日本語ジャーナル20頁

拡大写真(868x1200)214KB

拡大写真(1089x1600)254KB

 2月16日、韓国・(株)多楽園 「日本語ジャーナル」編集部の朴姫貞さんから次のようなお便りをいただき、キャプションの挿入と献本一冊をお願いした上で、了承していたものである。

wadaphoto.jpのマスター様
 こんにちは。韓国の「日本語ジャーナル」という月刊誌の編集部の朴姫貞(パク・ヒジョン)と申します。弊誌は日本語学習と日本の文化を扱っている雑誌です。弊誌のホームページは http://www.darakwon.co.kr/nj です。

さっそくですが、貴サイトで「高尾山大火渡り祭」の情報と写真を拝見しました。弊誌の3月号(3月1日発行)で、日本の3月の代表的な行事と風景を紹介する企画をしておりまして、大火渡り祭も一つのトピックにいたしました。貴サイトの大火渡り祭の写真をダウンロードし、弊誌に掲載させていただけますでしょうか。掲載をお許しくだされば、提供先もぜひご紹介しようとすると存じております。どうぞよろしくお願いいたします。ではお返事をお待ちしております。

梵天と白装束の信者たち

梵天と白装束の信者たち

拡大写真(1200x900)238KB

 約束どおり、本日献本されたという次第。外国の雑誌に私の写真が掲載されたのは初めてであり、大変光栄に思う。冬ソナの大ヒットで日韓の文化交流に弾みがついている現在、私の写真がささやかな一助になれば嬉しい。

高尾山を下山して火渡り祭会場に向かう山伏たち

高尾山を下山して火渡り祭会場に向かう山伏たち

拡大写真(1200x900)220KB


 

2月

3月

4月

目次

  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 
ホームページお知らせお便りコーナー俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィール