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2009年5月28日改訂

今 日

昨 日

エーデルワイス・メドレー

 

シャモニーの夏雪原や空の藍   北舟

 
拡大写真(2000x1500)294KB

Snow field of Chamonix, the sky of indigo in summer.

2000年7月31日開設

振り返るとミディ針峰の全容が!

モンブラン登頂の旅

振り返るとミディ針峰の全容が!(シャモニ・フランス) 撮影:沖本陽子
2009年の日記  

 

5月
  4月 5月

6月

目次


 
2009年5月28日(木)雨
 
 
■■■       特集!旅紀行第84集 「ギリシャ・エーゲ海紀行」完成! ■■■
 
   5月27日(水)、今年第20作(通算第389作)の作品をアップした。

         特集!旅紀行第84集 「ギリシャ・エーゲ海紀行」 / 撮影・制作 : 和田義男

 
 

和田義男

  
撮 影

2009年4月21-24日

OLYMPUS  
E-3  E-
510
 

9-18mm
12-60mm
  70-300mm

1000万画素 2680枚 6.06GB
 

 ヨーロッパ古代文明発祥の地ギリシャへの旅は、本日、その本土編がやっと完成した。
 観光がすべて超一流の世界遺産が対象なので、中身が濃く、見応えがあった。特にギリシャ神話に関連する遺跡は、ロマンと感動に満ちあふれていて、満足度の高い旅だった。
 アテネとデルフィは、最初に博物館に行き、出土品を見た後で遺跡を巡った。
 出土品を頭に入れて遺跡を見た方がイメージが膨らみ、遺跡本来の姿を想像することができるので、この作品もその順序を踏襲した。
 激写した写真の中から出展作品を選ぶのに手間取った。まだまだ載せたい写真が多く、涙を呑んで落とした写真も多い。加えて、解説にも多大な時間がかかった。どこまで詳しく書くか自問しながら、必要最小限の記述に止めたが、神話の紹介や専門用語の解説では、短くすると理解できなくなるので、若干長くなってしまった。より詳しく知りたい方は、GoogleやYahoo!などで検索すれば、多くの文献に出会うことができる。ただし、玉石混淆なので、信頼できる情報を見極めることが必要である。

特集!旅紀行第84集 「ギリシャ・エーゲ海紀行」

撮影・制作 : 和田義男

   平成21年(2009)5月27日 作品:第20作  画像:(大112+小21) 頁数:7  ファイル数:292 ファイル容量:82.9MB
   平成12年(2000)〜平成21年(2009)
 作品数:389 頁数:1,443 ファイル数:49,997 ファイル容量:6,695MB
 
 
  春の空アクロポリスの幾星霜  北舟 

はるのそら あくろぽりすの いくせいそう

The spring sky, how old the acropolis.

 
 

編集子の選ぶ傑作

展望台から見たパルテノン神殿(東面/正面)

アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿(東面/正面)

パノラマ写真(2700X1000)471KB
 
 
   この作品で新たにギリシャが加わり、和田フォトも43ヵ国を数えることになった。原油が値下がりして旅客機の燃料サーチャージが無くなりつつあり、円高の恩恵を受けて海外旅行は行きやすくなってきた。  
 メキシコ産の新型インフルエンザも夏場を迎えて沈静化に向かいつつあり、弱毒性ということもあって、騒いだ割には大したことはなさそうである。
 日本経済も若干ではあるが明るい兆しも見えはじめており、個人消費を伸ばすことが社会貢献につながると思われるので、老後のことを余り悲観的に考えず、これからも精力的に旅をつづけてゆきたい。
 
 
  アポロンの巫女の神託春の峪  北舟 

あぽろんの みこのしんたく はるのたに

The spring valley, an oracle by the Pythia of Apollon.

 
 

編集子の選ぶ傑作

アポロンの神殿(紀元前330年)全景

アポロンの神殿(紀元前330年)全景

拡大写真(2000x1350)677KB

 
 
   平均10日に1回のペースでアップロードしている和田フォトだが、今回は7頁133枚という超大作となり、倍の20日かかってしまった。仕事で出張などが入り、また、京都・葵祭の取材にも出かけたので、編集作業が遅延した。  
 愛読者の方々には大変お待たせして申し訳なく、お許し願いたい。ギリシャの旅の後編・エーゲ海編は、美しいクレタ島とサントリーニ島を訪ねる旅で、ガラリと雰囲気が変わる。乞うご期待!〈 続く 〉  2009.5.27 和田義男
 
 
  天空に浮かぶ寺院や春の果  北舟 

てんくうに うかぶじいんや はるのはて

The end of spring, a temple floating in the sky.

 
 

編集子の選ぶ傑作

天空に聳える修道院

天空に聳える修道院

拡大写真(1350x1800)493KB

 

 
2009年5月15日(金)晴
 
 
■■■       「京都・葵祭」速報! ■■■
 
   平成21年(2009)5月15日(金)、晴天に恵まれた京都では、恒例の葵祭が開催され、午前10時30分、平安装束を身に纏った510人による400mもの行列が京都御所建礼門を出発し、下鴨神社を経由して上賀茂神社に向かう8kmの沿道には約8万人の観客が古式ゆかしいパレードを見守った。  
 葵祭の最適の観覧スポットは京都御苑で御所の建物や緑したたる初夏の木々を背景に進む行列は、まさに王朝絵巻を彷彿(ほうふつ)とさせる。平安時代の装束は寸分違わぬものでとても素晴らしく感動の1時間はアッという間に終わった。
 建礼門から南に延びる参道の両脇に張られた紅白幕の外側は、京都市観光協会による1席2000円の有料観覧席で、長さがそれぞれ400mあり、1万人を収容するという。全国からバスツアーでやって来た観光客も多く、大盛況だった。筆者は、1時間半前の午前9時ころ御苑に到着したので、西側有料観覧席の南側最前列の無料観覧席を確保することができ、玉砂利にビニール袋を敷いて、あぐらをかいて取材した。
 

京都御所建礼門 きょうとごしょ けんれいもん

を出発した

牛車ぎっしゃ

 2009.5.15 11:02

京都御所建礼門を出発した牛車 2009.5.15 11:02

拡大写真(2200X1500)695KB
 
   写真上は、二組の牛車(ぎっしゃ)のうち、最初の牛車を捉えたもの。7年前の平成14年(2002)のこの日、初めて葵祭を取材し、京都・葵祭速報! として発表したが、当時は一眼レフ・デジカメがまだ世に出ておらず、オリンパスCAMEDIA E-20 で撮影した。今回は、1230万画素のオリンパスE-30に標準ズームのED 12-60mm F2.8-4.0 SWD を装着して激写した。  
 向かって左の人は、7年前と同じ人(写真下)で、威風堂々とした姿が素晴らしい。前回は二番手の牛車だったが、今年は一番手の牛車で登場した。
 
  諸鬘のたりのたりと牛車かな 北舟 

もろかずら のたりのたりと ぎっしゃかな

Hollyhocks, slowly and slowly the ox-drawn carriage going.

 
 

京都御所きょうとごしょ

建礼門けんれいもん

を出発する牛車 2002.5.15 11:22

京都御所・建礼門を出発する牛車 2002.5.15 11:22

拡大写真(2000x1200)587KB

 
   行列は4つに別れ、殿(しんがり)を務める女人(にょにん)行列の主は、腰輿(およよ)に乗った齋王代(さいおうだい)で、茶道裏千家・千宗室(せん・そうしつ)家元の長女で立命館大学4年生の千万紀子(せん・まきこ)さん(21歳)が務めた(写真下)  
 

腰輿およよ

に乗った

齋王代さいおうだい

の女人行列  11:24

腰輿に乗った齋王代の女人行列  11:24

拡大写真(2150X1500)700KB
 
   今年は弘仁元年(810)に嵯峨天皇の有智子(うちし)内親王が初めて「斎王」となって1200年目の節目に当たり、葵祭行列保存会の猪熊兼勝会長は「伝統ある葵祭にふさわしい、日本の伝統文化を代表する家のお嬢さんが齋王代に決まった」と喜んでいた。  

千万紀子せんまきこ

さん扮する

齋王代さいおうだい

千万紀子さん扮する齋王代

拡大写真(1800X1350)426KB
 齋王代といえば、3年前の平成18年(2006)9月9日の重陽(ちょうよう)の日に上賀茂神社で行われた烏相撲(からす・ずもう)を取材し、重陽の烏相撲 として発表している。この相撲神事は、平安時代から続く伝統行事で、現在も昔のしきたりと寸分たがわぬ衣装で執り行われる。
 立砂や相撲ふ童子の白褌  北舟 

たてずなや すまうどうじの しろふどし

A pear of sand cone, White fundoshi sash of sumo children wrestling.

齋王代さいおうだい

の前で

烏相撲からすずもう

の開始  2006.9.9 11:14

齋王代の前で烏相撲の開始  2006.9.9 11:14

拡大写真(1600x1200)440KB

 当初は歴代の皇女・齋王(さいおう)が烏相撲を上覧したが齋院制度が途絶えた後も、齋王に代わって選ばれた齋王代があたかも斎王がいるかのように御帳台*(みちょうだい)をしつらえて相撲神事が続けられてきた。葵祭といい、烏相撲といい、平安時代の王朝文化を変質させることなく今に伝える京都ならではの素晴らしい伝統行事である。
*御帳台:床に畳を敷き四隅に柱を立て前面を残して回りに几帳(きちょう/外から見られないよう床まで布を垂らしたのれん状のもの)
を配した装置。貴人の座所・寝所などとした。
 

烏相撲からすずもう

を熱心に観戦する

齋王代さいおうだい

  2006.9.9

烏相撲を熱心に観戦する齋王代

拡大写真(1600x1140)269KB

 
   前半は曇り空で、柔らかな光に包まれた行列だったが、後半は直射日光を受けた行進となり、顔面のコントラストが強くなり、表情がきつくなっている。曇り空(くもりぞら)が人肌を美しく見せてくれることを改めて実感する。今後、「京都・葵祭」として完成させる予定なので、乞うご期待!  

 
2009年5月9日(土)晴
 
 
■■■       日本の裸祭り第95集 「靖國奉納大相撲」完成! ■■■
 
   5月8日(金)、今年第19作(通算第388作)の作品をアップした。

         日本の裸祭り第95集 「靖國奉納大相撲」 / 撮影・制作 : 和田義男

 
 

和田義男

  
撮 影

2009年4月10日

OLYMPUS E-30
E-510
 
 
12-60mm 70-300mm


1230万画素 1,350枚 3.51GB

1000万画素  250枚 0.48GB
 
 

 これまで裸祭りシリーズのなかでアマチュア力士たちによる奉納相撲を取材してきたが、その頂点に立つ大相撲を取材できないものかと思い続けてきた。
 幸い、去年、靖國神社で奉納大相撲が無料で公開されていることをinternetで知ったが、そのときは取材できず、今年、満を持して臨み、大相撲の全容を激写することができた。
 大相撲の本場所で、これほど土俵近くの席を取るのは難しいので、靖國神社のお陰で日本の裸褌文化の華といえる大相撲の全貌を明らかに出来たことを嬉しく思う。
 さすがにプロ集団の相撲は、アマチュア相撲とは格段の差があり、そのパワーに圧倒された。また、江戸時代に始まった勧進相撲の伝統を全く変質させることなく現在に伝えている大相撲の伝統美にすっかり魅了された。

日本の裸祭り第95集 「靖國奉納大相撲」

撮影・制作 : 和田義男

   平成21年(2009)5月08日 作品:第19作  画像:(大49+小12) 頁数:4  ファイル数:131 ファイル容量:42.4MB
   平成12年(2000)〜平成21年(2009)
 作品数:388 頁数:1,436 ファイル数:49,853 ファイル容量:6,608MB
 
 
  春日和真白き綱の土俵入  北舟 

はるびより ましろきつなの どひょういり

Fine day in spring, the sumo wrestler's performance with a pure white rope on the ring.

 
 

編集子の選ぶ傑作

第69代横綱・

白鵬翔はくほうしょう

不知火型しらぬいがた

土俵入 

第69代横綱・白鵬 翔の不知火型土俵入

拡大写真(2000x1500)694KB

 
 
 

カメラ泣かせの相撲場

 
 今回の大相撲の撮影は、晴天の昼間に暗い土俵で激しく動き回る力士たちを激写するという厳しい条件だった。おまけに後半は逆光になった。狙う被写体よりも背景が明るいので、フルオートで撮影すると、力士たちは真っ黒くなってしまう。仕方なく、今回はマニュアル露出とし、土俵の明るさに合わせたので、当然ながら背景は白飛びとなり、ひどい画像になっている。
 更に悪いことに、土俵の照明がカクテル光線になっていて、読者お気付きのように黄色光が土俵中央を照らしているため、折角の美しい力士たちの肌が生気のない黄色に染まっている。プロの照明技術者が設計したに違いないが、劇場ではあるまいし、自然の太陽に近い白色光が化粧廻しを含めて全てをありのままに美しく見せてくれるのに、なんたることかと、そのセンスのなさに溜め息をつきながら編集作業を続けた。
 何度も色合いの修正を行い、本日、発表にこぎ着けることが出来たが、力士の肌の黄色化やばらつきはどうしようもなく、見苦しい点があることをご容赦願いたい。色合いは今いちながら、日本が世界に誇る大相撲の力士たちの逞しい姿や伝統美を画面から汲み取って頂ければ幸甚である。〈 完 〉 2009.5.8 和田義男
 
 
  春風や相撲褌に託す相撲道  北舟 

はるかぜや まわしにたくす すもうどう

Spring wind, the code of the sumo wrestling on the loincloth.

 
 

編集子の選ぶ傑作

高見盛対豊ノ島の熱戦

高見盛対豊ノ島の熱戦

拡大写真(1050x1600)285KB

 
 
 

【話題1】                       大相撲の国際化

 
 千秋楽結びの三番に姿を見せた花形力士6人の内、4人が外国人という国際化された大相撲。特にモンゴル出身者の躍進が目につく。モンゴル相撲の伝統と実力が脈々と受け継がれ、素晴らしい資質を備えた力士が誕生している。
 角界を背負う傑出した日本人力士が少ないのは、生活が豊かになり、ハングリー精神が希薄になったためではないかともいわれるが、大相撲が身分や出身、社会的地位などに左右されず、実力ある人が頂点に立つという公平な社会であり、誰もが平等にチャンスを持つことの証しでもある。日本の相撲界が広く世界に門戸を開き、国際化されるのは好ましいことだと思う。
 この作品を編集中の5月5日、ブルガリア出身の大関・琴欧洲が佐渡ヶ嶽部屋で記者会見して日本人女性と婚約したと発表した。挙式は来年2月の予定というが、国際親善に果たす大相撲の貢献は益々大きくなっており、大変嬉しく思う。お二人に幸あれと祈りたい。
 
 

編集子の選ぶ傑作

朝青龍の強烈な吊り出し

朝青龍の強烈な吊り出し

拡大写真(2000x1500)701KB

 
 
【話題2】   ふんどし

相撲褌 まわし

 相撲は、かつて日本人男性の下着だった褌(ふんどし)が進化した相撲褌(すもうふんどし)を唯一身につけておこなう裸の格技であり、世界的にもユニークな存在である。相撲褌を「まわし」と呼ぶようになったのは、褌を幾重にも回して身につけることからそう呼ばれるようになったもの。相撲に褌が用いられるのは、自然発生的なもので、倒れると着物が汚れるため、下着だけで行うようになったからで、とても単純で素朴な遊びから端を発している。
 江戸初期の勧進相撲では、本場所でも白麻*(はくま)の褌をそのまま使っていたが、やがて絹の緞子(どんす)や繻子(しゅす)が使用されるようになり、華美な衣装へと進化していった。
*白麻:アオイ科の一年草イチビの茎の繊維で作成した粗布
 
 
國見山と玉の戸の取組之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

國見山と玉の戸の取組之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

拡大写真(1400x940)331KB

 
 
 当時は、関取が本場所で相撲を取るときに着用するまわし(取りまわし)は、現代のものとは違って、まわしの端(前垂れ)を短いエプロンのように垂らしていたという。それが徐々に華美なものへと発展し、やがて、土俵入という儀式を行ってその絵模様を披露するようになった。
 当時は取りまわしと土俵入のまわしは同じものだったが、取組中に華美な前垂れが邪魔になってきたため、現在のように、取りまわしとは別に土俵入のための化粧まわしをあつらえるようになったという。化粧まわしは、締め込み部分と巨大なエプロン状の前垂れとは一体で、一本の褌であることには変わりがない。
 
 
陣幕久五郎の横綱土俵入之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

陣幕久五郎の横綱土俵入之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

拡大写真(1800x1250)626KB

 
 
 化粧まわしの値段は、安いものでも80万円ほどかかるそうで、高いものは天井知らずという。明治の大横綱・常陸山(ひたちやま)の化粧まわしは、5カラットのダイヤモンドがはめ込まれた超豪華なもので、現在の価格だと数億円するというから驚く。
 下着の褌がまわし(相撲褌)となり、カラフルな取りまわしや化粧まわしに進化したお陰で、厳しい勝負の世界が華やかになり、美的感覚溢れる伝統文化となって今日に伝承されている。相撲褌の美しさが海外からも高く評価され、相撲人気を支える一端を担っている。
 
 
大相撲興行繁盛之図(明治初期) / 相撲浮世絵

大相撲興行繁盛之図(明治初期) / 相撲浮世絵

拡大写真(1800x1250)689KB

 

 
2009年5月2日(土)晴
 
 
■■■       「ギリシャ・エーゲ海紀行」速報! ■■■
 
   平成21年(2009)4月21日(火)から30日(木)までの10日間、家内と共にクラブツーリズムが主催する「憧れのギリシャ エーゲ海10日間」の旅に参加し、添乗員を含む27人の旅友は、一昨日、無事に成田に帰国した。晴れ男と自称する筆者は、今回も天候に恵まれ、ヨーロッパ最古のギリシャ文明の足跡を巡る旅を満喫した。  
 

アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿(世界文化遺産)/アテネ

アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿(世界文化遺産)/アテネ

パノラマ写真(2700X1000)471KB
 
   初日はブリティッシュ・エアウェイズのBA006便で午前11時ころ成田から12時間の飛行ののちロンドン・ヒースロー空港に到着。6時間の待ち時間はきつかったが、BA機に乗り継ぎ、約3時間半のフライトで午前2時半頃アテネに着いた。帰国はこの逆コース。日本からアテネまで直行便がないので、かなり遠い国との印象を受けた。アテネの時差はJST-6時間。  
 

ライトアップされたパルテノン神殿/宿泊ホテル Divani Palace Acropolis 屋上より

ライトアップされたパルテノン神殿/宿泊ホテル Divani Palace Acropolis 屋上より

拡大写真(1800X1300)242KB
 
   2日目から4日目は、ギリシャ本土のアテネ・デルフィ・メテオラの遺跡を巡った。5日目から8日目は、エーゲ海のクレタ島とサントリーニ島を訪れた。9日目は午前8時過ぎアテネを出発し、最終日の午前9時過ぎに無事成田に到着。メキシコで発生した新型インフルエンザの防疫のため、家族単位で問診票を提出し、一人ずつ検疫官の面接を受けた後で帰国することができた。  
 

三叉鉾を投げるポセイドン(アルテミシオン)/アテネ国立考古学博物館

三叉鉾を投げるポセイドン(アルテミシオン)/アテネ国立考古学博物館

拡大写真(1800X1750)311KB
 
   アテネの無名戦士の墓を警護する衛兵は、昼夜1時間毎に独特の作法で衛兵交代式を行うので、観光客の人気を集めている。午後5時の交代の模様を激写したが、観光客ばかりなので、最適場所から会心作を切り取ることができた。  
 

衛兵交代式/アテネ無名戦士の墓

衛兵交代式/アテネ無名戦士の墓

拡大写真(2000X1650)487KB
 
   アテネから北西約180km。古代ギリシャの宗教の中心地として栄えたデルフィは、かつては、アポロンの神託(神のお告げ)が行われていた。この神託により、個人はもとより、国家の指導者が国の政策を決断していたという。現在も「アポロンの聖域」と呼ばれる地域を中心に遺跡が残され、神々しい雰囲気が漂っている。  
 

アポロンの聖域/デルフィ遺跡(世界文化遺産)

アポロンの聖域/デルフィ遺跡(世界文化遺産)

パノラマ写真(2000X1200)592KB
 
   ギリシャ本土のほぼ中央、二千メートル級の山々が連なるピンドス山脈から流れるピニオス川がテッサリア平原に達する付近に天然の奇岩で知られるメテオラがある。この岩山の頂上に下界から隠遁した修道院が建っている。最盛期には24の修道院があったそうだが、現在、修道士が修業を続けている修道院は6箇所で、その内の2箇所を見学した。  
 

奇岩の上に建つメテオラの修道院(世界文化遺産)

奇岩の上に建つメテオラの修道院(世界文化遺産)

拡大写真(1800X1650)787KB
 
   4日目の夜、アテネ近郊のピレウス港からからフェリーボートに乗船し、船中泊ののち、翌日朝、クレタ島のイラクリオン港に到着。博物館やクノッソス宮殿などクレタ島を観光し、イラクリオンに一泊した。  
 

クノッソス宮殿/クレタ島

クノッソス宮殿/クレタ島

拡大写真(2000X1200)442KB

 
   翌日、2時間弱の高速船の旅でサントリーニ島に移動。二泊してフィラやイアの街を観光し、オプショナル・ツアーでオールド・ポートから遊覧船で火山島を巡った。  
 

フィラの街/サントリーニ島

フィラの街/サントリーニ島

パノラマ写真(2200X1200)636KB
 
   後半のハイライトはサントリーニ島の崖の上に建てられたフィラとイアの白い街を巡る旅である。遠くから見ると島が雪を被っているように見え、コバルトブルーの海に白い街並みが映えて、美しく輝いている。  
 

フィラの街から驢馬(donkey)や馬(horse)でオールドポートに向かう観光客たち/サントリーニ島

フィラの街から驢馬や馬でオールドポートに向かう観光客たち/サントリーニ島

拡大写真(1500X1800)611KB
 
 
  春の海崖岸白きイアの街  北舟 

はるのうみ がいがんしろき いあのまち

The spring sea, Ia the white town on a steep cliff.

 
 

イアの街/サントリーニ島

イアの街/サントリーニ島

パノラマ写真(2200X1200)636KB
 
   特にギリシャ正教の青い丸屋根の可愛らしい教会が印象的だった。森村桂(もりむら・かつら)は南太平洋のニューカレドニアが「天国に一番近い島」と書いたが、筆者はサントリーニ島こそがその名にふさわしいのではないかと思った。  
 

青い丸屋根の教会/サントリーニ島

青い丸屋根の教会/サントリーニ島

拡大写真(1800X1350)308KB
 
   ギリシャの取材には、オリンパスE-30とE-510の二台を使用し、超広角・標準・超望遠の三本のズームレンズを使い回して、フィルム換算16mm〜600mmのワイドレンジを武器に、1000万〜1230万画素約6000枚15ギガの画像を切り取ってきた。いつものように二刀流の手持ち撮影で、夜景を除きフルオートで撮影した。新しく購入したED 9-18mm の超広角ズームが壮大なスケールの自然景観を切り取るのに最適で、新しい視野を切り開くことができた。BGM用にギリシャ民謡のCD5枚を購入した。これからの編集が大変だが、素晴らしい写真と話題が沢山あるので、ご期待願いたい! 2009.5.2  

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