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2013年4月28日改訂

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♪メドレー「野の花〜春の海」
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

拡大写真(1600x1200)440KB

立砂や相撲童子の白褌  北舟

2000年7月16日 開設

A pear of sand cone,
White fundoshi sash of sumo children wrestling.

齋王代の前で烏相撲

重陽の烏相撲

名作アニメーション/重陽の烏相撲(京都市北区)

2013年の日記 4
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  3月 4月 5月

「徒然日記」目次


 
2013年4月28日(日)晴
 
 
■■■ Wa☆Daフォトギャラリー累計アクセス2,200万件突破! ■■■
 
  ▼ Wa☆Daフォトギャラリーのトップページカウンターは平成25年(2013)4月28日16:56:22、22000152を記録し、累計アクセス2200万 件を超えた。   
   平成24年(2012)11月16日に累計2100万件を突破して以来150日約5ヵ月かかったことになり、一日あたりの平均アクセス数は6,733件だった。最盛期には一日1万アクセスを記録していたが、1800万件から1900万件まで125日、1900万件から2000万件まで137日、2000万件から2100万件まで148日、そして2100万件から2200万件までは148日と徐々にアクセス数が減少傾向になっているので、これ以上減少しないよう、更に内容を充実させてゆきたい。  
 
累計アクセス2200万件を超えたトップページ

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2013年4月28日(日)晴
 
 
■■■     スライドショーCD写真集「加賀鳶はだか放水」が完成! ■■■
 
 

▼ 本日、スライドショーCD写真集「加賀鳶はだか放水」が完成し、「日本の祭CD・DVD完成!」に第33作として追加した。
 

 
 

最新作!【33】 加賀鳶かがとび はだか放水

スライドショーCD写真集

石川県 金沢市かなざわし   金沢城公園 新丸広場しんまるひろば   平成19年(2007)1月7日(日)の記録
 
 平成19年(2007)1月7日(日)午前10時から石川県金沢市金沢城公園新丸(しんまる)広場で石川県知事や金沢市長らと共に消防署員や消防団員たちが参加した大規模な金沢市消防出初式が行われました。式典の最後に恒例の加賀鳶はしご登りと加賀鳶はだか放水が披露され、多くの観客を魅了しました。
 江戸で活躍した加賀鳶の伝統文化が今なお金沢市の出初式で見られ、しかも厳寒の中で全員褌一丁の裸形になって放水するという光景は、お江戸・東京でも見られず、金沢っ子の面目躍如たるものがあります。
  強風で雨着が煽られて2台のカメラもずぶ濡れになるなど、未経験の厳しい取材でしたが、タオルでカメラやレンズを拭きながらも感動の光景を多数切り取ることができました。これほど過酷な取材は初めてで、二度と撮れない映像だと自負しています。

 収録画数218枚、上映時間19分。今回、CD化するにあたり、internetに発表した画像51枚に原画から再収録した150枚を加え、解説画像を加えましたので、男のロマン溢れる感動大作となりました。(1枚2000円 リピーター価格:1枚1500円) 加賀鳶はだか放水
 白褌の放水天に出初式  北舟 

New Year ceremony of fire brigades,
wearing white loincloth, splaying water to the sky.

びゃっこんの ほうすいてんに でぞめしき

纏舞で景気付けるはだか放水

纏舞で景気付けるはだか放水

拡大写真(1800x1440)387KB

 
* * * * * *   江戸時代の消防組織・ 火消ひけし   * * * * * *

加賀鳶はだか纏

加賀鳶はだか纏

拡大(760x1200)60KB

 明暦3年(1657)の江戸の大火事「明暦の大火」は、死者10万件を超えるといわれ、江戸城本丸まで焼失しましたが、江戸時代を通じて幾度となく大火事が発生しており、消防は幕府にとって大きな課題でした。
 一旦、火事が発生してしまうと、木造家屋が中心の江戸の町は延焼が早く、現代のような消防設備のない時代であったため、破壊消防という手法をとり、延焼を食い止めるために防火線上にある家屋を取り壊して鎮火を待つという消極的なものでした。この破壊工作に鳶口(とびぐち)を持った火消(ひけし)が活躍しました。

大名火消だいみょうびけし

加賀鳶かがとび
 江戸の消防組織は大きく分けて「大名火消」「定火消(じょうびけし)」「町火消(まちびけし)」の3グループがありました。このうち「大名火消」は、江戸詰の大名が自藩邸の消火のために専属に抱えた火消(ひけし)のことで、守備範囲は藩の屋敷と江戸城付近でした。
 「大名火消」で最も有名なのが、加賀百万石の「加賀鳶」で、今の東京大学のある本郷に本拠を構え、華麗で鯔背(いなせ)な装束で知られ、歌舞伎の「盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)(加賀鳶と町火消の喧嘩)」にも登場します。
 ちなみに「定火消」は、旗本お抱えの火消のことで、火消役の下に与力(よりき)6人、同心30人、臥煙(がえん)(火消人足)100人を1組として組織されていました。全部で10組あって火消役が10人いたことから「十人火消」ともいわれます。
 「町火消」は、町奉行大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)の命令で享保年間(1720頃)に設置された町民たちの消防組織で、全部で48組ありました。「い組」「ろ組」などいろは44組(いろは47文字のうち「へ」「ひ」「ら」以外の組)に「本組」「百組」「千組」「万組」の4組を加えて48組としました。
 この48組をさらに1番から10番までの10グループの大組に分けて江戸町内の分担を決めていました。「町火消」で最も有名なのが「め組」。「め組」は大組では2番組に所属し、芝増上寺、神明町、芝浜松町付近が担当で、歌舞伎では「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)(め組と角力取(すもうとり)の喧嘩)」で「め組」が登場します。

加賀鳶かがとび

木遣りきやり くずし

 出初式の会場では、式典が始まるまでの間、「加賀鳶木遣りくずし」が会場に流れていました。

1)ハアーアーエーエー

  加賀の鳶だよ百万石の
  纏(まとい)振るにも火柱越えて
  男伊達(おとこだて)なら命をかけて 

  ※エンヤラヤ サノヨイサヨイナ 
  エンヤラヤレコノセー
  アレワエンヤーヤラヤー

2)ハアーエー

  衿(えり)にぁ加賀の鳶出初(でぞ)あと 出初の時は
  勇み裸に梯子を立てて
  夢の枕にゃあら吹流し

  ※(繰り返し) 















 3)ハアーエー

   加賀の華だよ 知らせの半鐘
   ジャン、ジャン、ジャンと鳴りゃ纏を持ちて
   梯子鳶口気合を入れて

   ※(繰り返し)

 

 4)ハアーエー

   木遣り音頭に三団揃え
   祝い祭や百万石の
   心合わせて火事場の守り

   ※(繰り返し)
加賀鳶の活躍
 加賀藩では、五代藩主綱紀(つなのり)のときに江戸の防火組織が強化され藩士の火消役のほかに92人の鳶職を雇って消防隊を編成しました加賀藩が有名になったのは享保3年(1718)12月3日江戸本郷弓町の大火の際幕府の定火消役の仙台兵庫の鳶と火口(ひぐち)の先陣争いで大喧嘩になり、江戸町奉行大岡越前守らの裁きで加賀鳶が勝った事件です。
 江戸の火事場を守っていた加賀藩では江戸屋敷に詰めていた鳶たちが江戸末期から明治初期に流行した「江戸木遣り」を覚え、故郷の金沢に持ち帰って唄ったのが、この唄のはじまりであるといいます。
加賀鳶はだか放水

加賀鳶はだか放水

 

 
2013年4月24日(水)雨
 
 
■■■     スライドショーCD写真集「和良比はだか祭り」が完成! ■■■
 
 

▼ 本日、スライドショーCD写真集「和良比はだか祭り」が完成し、「日本の祭CD・DVD完成!」に第32作として追加した。
 

 
 

最新作!【32】 和良比わらび はだか祭り

スライドショーCD写真集

千葉県 四街道市よつかいどうし   皇産霊神社みむすびじんじゃ   平成16年(2004)2月25日(水)の記録
 
 毎年2月25日に行われる和良比はだか祭りは四街道市和良比に鎮座する皇産霊神社の例大祭で江戸時代から続く春を告げる「どろんこ祭り」ですふんどし姿の男衆が一歳未満の幼児を抱いて神社下の神田(しんでん)に入り、健やかな成長を願って神田の泥を幼児の額に塗りつけます。厄除けのおまじないの一種ですが、れっきとした神事で、そうすることで丈夫に育つといわれています。
 その後、男衆が神田で勇壮な泥の掛け合いや騎馬戦を繰り広げます。最後は氏子総代を胴上げして祭りは終わります。県外からの参観者も多く、神田周辺にはカメラを持った観衆で埋まり、最近は海外からの見物客も見受けられます。全国に類似の祭礼はみられず、奇祭中の奇祭です。

【案内】 四街道市環境経済部産業振興課 〒284-8555 千葉県四街道市鹿渡無番地 電話番号 043-421-6134

 収録画数274枚、上映時間24分。今回、CD化するにあたり、internetに発表した画像53枚に原画から再収録した200枚を加え、解説画像を加えましたので、見応えある作品となりました。(1枚2000円 リピーター価格:1枚1500円) 和良比はだか祭り

神田の合戦!

神田の合戦!

拡大写真(1800x1350)330KB

2004年3月8日(月) 四街道市 様  四街道警察署 様
素晴らしかった「和良比はだか祭り」 初めまして。趣味でWa☆Daフォトギャラリーを主催していますアマチュア写真家の和田と申します。先日、標記の裸祭りを取材し、このほどその作品を「和良比はだか祭り」というタイトルでinternetに発表しました。 和良比はだか祭り  http://wadaphoto.web.infoseek.co.jp/wara1.htm 
 私は四街道市と四街道警察署の記事を読み、この祭りを見に行くことにしました。高橋市長様はじめ地元の皆様の並々ならぬご努力のお陰で、この伝統文化が現代に継承されていることに深い感銘を覚えました。全国的にも珍しい素晴らしい祭りだと思います。
 これからも変質することなく、この歴史的伝統的文化が存続することを祈念しています。四街道市の職員の皆様、四街道警察署の皆様、地元の皆様、本当にご苦労さまでした。ありがとうございました。
 
   
 この度は遠方より「和良比はだか祭り」をご観覧していただきありがとうございました。私を含め秘書広報課の職員も、早速和田様のホームページを拝見いたしましたが、日本は言うに及ばず、諸外国の名所・旧跡などを多く撮影されていること驚き、そして「和良比はだか祭り」の写真だけでなくその他の写真についても言える事ですが、構図や撮影方法が素晴らしく臨場感に富み、カメラのスペックだけでは補いきれない和田様の写真に対する情熱をうかがうことができました。おそらく和田様のホームページを見られた方であれば、驚きと共に非常に感動されることと思います。

 私どもが撮影した和良比はだか祭りの写真と和田様の写真を見比べましたが、あまりの違いの大きさに何とも情けない気分になりましたが、めげていても解決しないので、和田様の撮影された写真を参考にし、市民の皆様に感動を与えられるような写真撮影を心がけていきたいと存じます。

  和田様におかれましては、人に感動を与える写真を撮影していただけることを期待しております。市といたしましても、和田様をはじめとして多くの皆様が来年も「和良比はだか祭り」にお越しいただけるよう、努めて参りたいと存じます。 お体には十分注意してお過ごし下さい。
 

四街道市総合政策部秘書広報課

四街道市秘書広報課 様
こんにちは。ご丁寧なご返事を賜り、恐縮です。嬉しく拝読させて頂きました。もし、私の撮影した和良比はだか祭りの写真が貴市のホームページやポスター、パンフレットなどでお役に立てることがありましたら、お知らせ下さい。「撮影:和田義男」というキャプションさえどこかに表示していただければ、ご自由にお使い頂いて結構です。
必要なら500万画素の原画をお送りしますので、半紙程度まで写真画質で印刷できます。以前神戸市に単身赴任していましたが、そのとき神戸祭りのポスターに写真を提供させて頂きました。社会貢献できればといつも思っておりますので、どうかご遠慮なくお申し付け下さい。有り難うございました。
     
 
 
   
メール拝見しました。「和良比はだか祭り」の感想と警察に対する激励のメールありがとうございます。早速関係部署に連絡致します。今後とも、警察活動に対するご理解とご協力をお願い致します。
 

千葉県警察本部広報県民課長
 

 
和良比はだか祭り

和良比はだか祭り

 

 
2013年4月20日(土)雨
 
 
■■■     スライドショーCD写真集「七日堂裸詣り」が完成! ■■■
 
 

▼ 本日、スライドショーCD写真集「七日堂裸詣り」が完成し、「日本の祭CD・DVD完成!」に第31作として追加した。
 

 
 

最新作!【31】 七日堂裸詣りなのかどうはだかまいり

スライドショーCD写真集

福島県河沼郡 柳津町やないづまち   圓蔵寺福満虚空蔵尊えんぞうじふくまんこくぞうそん   平成20年(2008)1月7日(月)の記録
 
 柳津町では毎年正月7日に地元民に加えて全国から集まった男たちが六尺褌一丁の裸形になり午後8時半の一番鐘の合図で圓蔵寺の石段を駆け上がり、手水鉢で垢離を取ったあと、本堂の菊光堂に参拝する裸詣りが行われます。この日だけは、行事の舞台となる本堂は、七日堂と呼ばれます。
 七日堂では、男たちが競い合って一本の麻縄によじ登り大鰐口を目指す鰐口登りが行われ堂内は褌衆と見物人たちの熱気に満ちあふれます。裸詣りが終わった裸衆は、住職からホオノキの矢に挟んだ牛王法印(ごおうほういん)をいただき、家に持ち帰って一年の幸福と無病息災を祈ります。褌一丁による鰐口登りは全国に例がなく、七日堂の裸詣りは、奇祭中の奇祭として知られています。

 収録画数246枚、上映時間22分。今回、CD化するにあたり、internetに発表した画像70枚に原画から再収録した150枚を加え、解説画像を加えましたので、 見応えある作品となりました。(1枚2000円 リピーター価格:1枚1500円) 七日堂裸詣り

大鰐口登り

大鰐口登り

パノラマ写真(1500X1800)444KB

 
如意宝珠にょいほうじゅ 信仰
 七日堂裸詣りは、正式には午王祭(ごおうさい)といゝ、如意宝珠(にょいほうじゅ)信仰に由来しています。今から千年ほど昔、この地方に疫病や不作が長く続いて人々が苦しんでいたとき、虚空蔵尊のお告げにより、美しく利口な弥生姫が只見川の底の龍宮に住む龍神から如意宝珠を借り受け、疫病等を退散させることができました。
 数年後1年で最も静かな1月7日の夜龍神が宝珠を取り返しに虚空蔵堂(菊光堂)に来ると聞いた信者たちは堂内に集まり宝珠を囲んで龍神に宝珠を渡してなるものかともみ合い騒ぎ立てたところ、さすがの龍神も驚いて姿を消したといわれています。
 このようにして人々は団結の力を知り信仰の強さを悟って、お互いの心と力を合わせれば苦難や災厄を乗り切ることができるという自信を持ち、毎年、裸詣りが行われるようになったということです。
七日堂裸詣り

七日堂裸詣り

 

 
2013年4月16日(火)晴
 
 
■■■     スライドショーCD写真集「灘のけんか祭」が完成! ■■■
 
 

▼ 本日、スライドショーCD写真集「灘のけんか祭」が完成し、「日本の祭CD・DVD完成!」に第30作として追加した。
 

 
 

最新作!【30】 なだ のけんか祭

スライドショーCD写真集

兵庫県姫路市白浜町   松原八幡神社まつばらはちまんじんじゃ   平成13年(2001)平成14年(2002)10月15日の記録
 
 ・・・「ヨーイヤサー」の勇ましいかけ声と太鼓の音が抜けるような秋晴れの空に吸い込まれていく。上気した赤い肌に白い祭りまわしをキリリと締め込んだ男たち。神輿がぶつかり屋台が揺れる。21世紀最初の10月15日、「灘のけんか祭」と呼ばれる松原八幡神社秋季例祭の本宮が開かれ、15万件の大観衆が裸の男たちの熱い祭典を見守った・・・
 灘祭(なだまつり)とも呼ばれる灘のけんか祭は、神輿を荒々しくぶつけ合う特異な神事のため、天下の奇祭だとか、全国の数あるけんか祭の中で最大規模の祭りだといわれ、戦前から播州播磨を代表する祭りとして知られてきました。
 2001年、白衣の男がけんか神輿から転落し横転した神輿の下敷きになって圧死した事故を目撃し、命がけで行われる勇壮な裸祭の素晴らしさに感動し男のロマンと感動を切り取るべく全国の裸祭を取材しようと思い立った記念すべき作品です。
 収録画数390枚、上映時間34分の長編。今回、CD化するにあたり、既に二年にわたってinternetに発表した画像120枚に原画から再収録した200枚を加え、解説画像を再編しましたので、裸祭シリーズの原点にふさわしい貴重な記録作品です。(1枚2000円 リピーター価格:1枚1500円) 播州秋祭・灘のけんか祭り

灘のけんか祭

拡大写真(1400x1050)531KB

 
けんか祭の起源
 1467年(応仁元年)から始まった応仁の乱で松原八幡神社が焼失した際、領主・赤松正則は、社殿の再建に尽力し、その竣工祭に米200俵を寄進しました。喜んだ氏子たちが木組みに米俵を積み上げて御旅山へ担ぎ上げたのが祭りの始まりだといわれています。
 松原八幡神社の秋祭りは神輿同士がお互いに激しくぶつけ合う「神輿合わせ」で全国的に有名となりましたがそのさまが喧嘩をしているように見えることから、灘のけんか祭りと呼ばれるようになりました。
 激しく神輿をぶつけ合うのは、神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓出兵の際、風待ちのために白浜の沖で停泊していた軍船が波に揺られてぶつかり合う様子を表したものだといいますまたこれらの軍船に付着したゴイナ(牡蠣 かき)を削ぎ落とそうとする様子を表したものだともいわれています。いずれにせよ、神と人とが一体となり、五穀豊穣を願って行われる極めて特異な神事です。
國府宮はだか祭

灘のけんか祭

 

 
2013年4月13日(土)晴
 
 
■■■     スライドショーCD写真集「國府宮はだか祭」が完成! ■■■
 
 

▼ 昨日、スライドショーCD写真集「國府宮はだか祭」が完成し、「日本の祭CD・DVD完成!」に第29作として追加した。
 

 
 

最新作!【29】 國府宮こうのみや はだか祭

スライドショーCD写真集

愛知県

稲沢市いなざわし

  尾張大國霊神社おわりおおくにたまじんじゃ   平成18年(2006)2月10日(金)の記録
 
 國府宮の裸祭りは正しくは儺追神事(なおいしんじ)といい、毎年旧正月の13日に斎行されます。儺追笹(なおいざさ)を奉納した裸男(はだかおとこ)たちが厄(やく)を落とすべく全裸の神男(しんおとこ)に触れようと揉み合う勇壮な祭りで、江戸時代の末頃から始まったといわれています。今年は9千人のはだか男と14万件の観衆が國府宮に押し寄せ、大規模な裸のページェントが繰り広げられました。
 収録画像300枚上映時間約26分今回、CD化するにあたり既にinternetに発表した画像60枚に原画から再収録した約200枚を加え、解説画像も収録していますので、規模において岡山・西大寺会陽と福岡・博多祗園山笠とともに日本三大裸祭と評価される愛知・國府宮はだか祭の感動とロマンをたっぷりと写し撮った貴重な記録作品となりました。(1枚2000円 リピーター価格:1枚1500円) 國府宮はだか祭
 初春やはだかで埋まる國府宮  北 舟 

日没の参道・・・神男を待つはだかたち(午後5時5分)

日没の参道・・・神男を待つはだかたち

パノラマ写真(1950x900)446KB

 
命がけの 儺追なおい 神事
 國府宮の正式名は尾張大國霊神社(おわり・おおくにたま・じんじゃ)といい、産土神(うぶすながみ)である尾張大國霊神(おわり・おおくにたまのかみ)を祀っています。奈良時代、尾張国の総社(そうじゃ)と定められ、国司(くにつかさ)自らが祭祀を執り行う神社であったことから、國府宮(こうのみや)と呼ばれるようになり、神社側も「國府宮」を通称として用いています
 拝殿右(東)に儺追殿(なおいでん)があり、毎年、希望者の中から御神籤(おみくじ)で選ばれた儺追神男(なおい・しんおとこ)(略称・神男(しんおとこ) / 儺負人(なおいにん))が三日前から斎戒沐浴して三夜参籠します祭当日、神男は参道から全裸で一般裸男(略称はだか男)たちの中に入り触れ合ったはだか男たちの厄を一身に背負って儺追殿に救出・収容されます。平成15年(2003)には、楼門付近で転倒したはだか男が圧死する痛ましい事故が発生しており、この奇祭は、神男の出現で、はだか男・神男ともに命がけのフィナーレを迎えます。
國府宮はだか祭

國府宮はだか祭

 

 
2013年4月12日(金)晴
 
 
■■■     facebookフレンド1200人! ■■■
 
  ▼ 平成24年(2012)2月5日にfacebookを始めて14ヶ月が過ぎたが、本日、facebookフレンド(FBフレンド)が1200人となった。100人になるまで23日、200人まで更に20日、300人まで18日、400人まで19日、500人まで14日、600人まで9日、700人まで15日、800人まで37日、900人まで58日、1000人まで26日、1100人まで26日、そして1200人まで30日で達成した。  
 また、フォロワーが482人いるので、私の頁の更新は、1682人に連絡される。これからどこまで伸びるのか、これからも楽しみだが、ゲイを標榜する裸の顔写真だけは受け入れていない!
  最近、ページの構成が変わり、ハイライトマークがあるもののハイライト表示(全幅表示)ができず、半幅表示となってしまった。左側に無駄なスペースがあり、facebook当局は何を考えてこのようなスタイルにしたのだろう。改悪以外の何ものでもない!早急にもとのスタイルに復してもらいたい。
 

facebookフレンド1200人!

facebookフレンド1200人!

 

 
2013年4月4日(木)晴
 
 
■■■     スライドショーCD写真集「奉納大相撲」が完成! ■■■
 
 

▼ 本日、スライドショーCD写真集「重陽の烏相撲」が完成し、「日本の祭CD・DVD完成!」に第28作として追加した。
 

 
 

最新作!【28】 重陽ちょうよう 烏相撲からすずもう

スライドショーCD写真集

京都市北区上賀茂 上賀茂神社(世界文化遺産) 毎年9月9日重陽の日 平成18年(2006)の記録

 
 1400年の歴史を有する葵祭で知られる上賀茂神社では毎年9月9日重陽(ちょうよう)の節句午前10時から本殿で齋王代(さいおうだい)や氏子男児による相撲童子(すもうどうじ)たちが菊花を献じて無病息災を祈願する重陽神事が斉行されたあと、午前11時から細殿(ほそどの)南庭で、烏相撲(からすずもう)が奉納され、斎王代が上覧します。
 この相撲神事は平安時代から続く伝統行事で現在も昔のしきたりと寸分たがわぬ衣装を付けて執り行われています。当初は歴代の皇女が齋王(さいおう)として烏相撲を上覧していましたが、齋院制度が途絶えた後も齋王に代わる齋王代が御帳台(みちょうだい)から上覧する相撲神事が続けられてきました。
 収録画像は220枚、上映時間は約20分。今回、CD化するにあたり既に発表した画像80枚に原画から再収録した約100枚を加え、解説画像も収録していますので、日本の相撲文化の原点ともいえる烏相撲の貴重な記録作品となりました。(1枚2000円 組合せ自由複数購入価格:1枚1500円) 重陽の烏相撲
 立砂や相撲童子の白褌  北舟 

たてずなや すもうどうじの しろふどし

A pear of sand cone, White fundoshi sash of sumo children wrestling.

齋王代の前で烏相撲

齋王代の前で烏相撲

拡大写真(1600x1200)440KB

 
烏相撲からすずもう の起源
 かつて神武天皇が熊野から大和国へ侵攻する際、深く険しい山越えに迷ったとき、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神(かもわけ・いかづちのおおかみ)の祖父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が3本足の八咫烏(やたがらす)と化(な)って先導し、無事大和に入ることができた功績により、山城国(やましろのくに)の北部一帯を賜りましたが、上賀茂神社が創祀(そうし)されると、この八咫烏伝説と、稲などに不作をもたらす悪霊退治の信仰行事である相撲が習合して烏相撲という神事が生まれたといわれています。
重陽の烏相撲

重陽の烏相撲

 

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