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2003年7月11日改訂

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愛の夢第3番:リスト Liebestaume,3 Notturnos

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2000年7月31日開設

飛翔 (京都四条大橋)

飛翔 (京都四条大橋の百合鴎 ゆりかもめ 2002年12月29日午前11時50分)

 

2002年(下)

2003年(上)

2003年(下)

 

目次

2003年6月29日(日)曇  貴婦人のかほり漂ふ白菖蒲

■■■ 「人形浄瑠璃の里」アップ! ■■■

 阿波十郎兵衛(あわのじゅうろべえ)屋敷は、徳島市川内町(かわうちちょう)宮島にある。十郎兵衛は、阿波の国・宮島浦の庄屋で、浄瑠璃(じょうるり)作家近松半二(ちかまつはんじ)ら5名による傑作「傾城(けいせい)阿波の鳴門」のモデルとなった人物で、板東十郎兵衛という。この屋敷は、約300年前の享保年間の建物で、十郎兵衛屋敷民芸部による阿波人形浄瑠璃の上演が行われているほか、阿波木偶人形(あわでくにんぎょう)や十郎兵衛の遺品などが展示されている。

 阿波は「人形浄瑠璃の国」といわれる。それは江戸時代に徳島藩領だった淡路島の人形座の人々が全国を巡業して回ったことや、人形首(かしら)を阿波の細工師が作ったことなどによる。人形浄瑠璃は江戸時代初期の十七世紀初めに、語りである浄瑠璃と人形、三味線が結び付いて生まれた芸能である。阿波の人形浄瑠璃芝居は、藩政時代に60近い人形座があり、大衆娯楽として神社の境内など屋外に舞台が設けられ、盛んに上演されていたという。

 映画等の新たな娯楽の登場や戦争の影響で一時急速に衰えた人形浄瑠璃は、昭和28年の財団法人阿波人形浄瑠璃振興会の結成などを契機として、徐々に復興してきた。その後民俗文化財として見直されるようになり、平成11年(1999)に阿波人形浄瑠璃が「国指定重要無形文化財」に、平成14年(2002)には人形師・天狗久の制作用具・製品等が「国指定重要有形民俗文化財」に指定された。

 人形浄瑠璃の里として知られる阿波の国・徳島では、今日でも伝統芸能として人形浄瑠璃が継承されている。細々という形容詞が適切かも知れない。それほど今日我々の目に触れる機会は少なくなっている。残念なことである。阿波踊りの隆盛を思うとき、祭り見物に来た観光客に人形浄瑠璃の素晴らしさをもっとアピールすべきだと思う。そして我々も日本の素晴らしい伝統に、もっと関心を寄せるべきであろう。



2003年6月25日(水)雨
 
■■■  アクセス   達成! ■■■
 当サイトが2000年7月16日にスタートしてから2年と11ヵ月になるこの日、トップページのアクセス・カウンターが20万件を超えた。この間の歩みは次のとおりである。
2001年06月 アクセス01万件達成 (スタートから0年11ヵ月)
2002年04月 アクセス05万件達成 (スタートから1年09ヵ月)
2002年10月 アクセス10万件達成 (スタートから2年02ヵ月)
2003年06月 アクセス20万件達成 (スタートから2年11ヵ月)
 最初の10万件は2年2ヵ月かかったのに、10万件から20万件までは僅か9ヵ月しかかかっていない。加速度的にアクセスが増えた。
 1月1万件のアクセスが15ヵ月ほど連続して続いてきたが、今月は20日で1万件を超えた。率直にいって嬉しい。
 アクセス・ベスト・スリーは、次のとおりである。
1 ベルサイユ宮殿 41,600件 23ヵ月 1,808/月
2 灘のけんか祭 37,600件 20ヵ月 1,880/月
3 日本三大奇祭 32,700件 17ヵ月 1,923/月
 ベルサイユ宮殿は、ずば抜けて人気が高い。4万件を超えたのはベルサイユ宮殿だけである。あとはお祭りシリーズに人気が集まっている。特に裸祭りは読者が多い。
 これだけ多くの方にご愛顧いただいている以上、これからもこまめに改訂を行い、皆さんに満足していただけるコンテンツ造りに励みたい。具体的には、癒し系サイトにふさわしい世界を巡る感動とロマン、そして寺社や祭りをテーマとした日本の伝統文化を鮮やかに再現してゆきたい。

2003年6月22日(日)晴  紫陽花や色移り気の恋心 

■■■ 「あぢさい寺」アップ! ■■■

 2003年6月21日(土)、晴天に恵まれ、前日の梅雨空から一転して真夏のように暑くなったこの日、internetを検索して、紫陽花(あじさい)で有名な寺を訪れた。長谷山・本土寺(はせさん・ほんどじ)は、千葉県松戸市平賀にあり、鎌倉時代の建治3年(1277)に建立された日蓮宗の本山で、「あじさい寺」として知られる。

 「あじさい寺」と呼ばれる寺院は全国にあるが、河上日順貫首(住職)が50年にわたり、12,000坪(約4万u)の境内の半分に毎年1,000株の紫陽花を植え続けた結果、今では25種30,000株の紫陽花の咲く全国屈指のあじさい寺となった。同じあじさい寺として知られる鎌倉の明月院ですら3,000株程度なので、その数に圧倒される。

 常磐線・北小金駅から商店街を通り、それに続く参道を歩けば、10〜15分ほどで朱塗りの山門に着く。山門の石段を下ると大欅のある入口に至る。春には参道・両側に桜が咲き、6月初旬には花菖蒲と紫陽花が開花し、秋には紅葉と、本土寺が別名「花の寺」とも呼ばれる所以となっている。

 紫陽花は、人にたとえれば、美人ではないが、感じが良く、安らぎを覚える人だと思う。日本原産の紫陽花は、どこにでも自生している庶民の花で、気取らず、どこか親しげで、昔から和歌や俳句に詠まれてきたのも頷ける。

 紫陽花は、雨の花だと思う。撮影に最適な条件は、柔らかな光に包まれた雨上がりの曇り空だろう。本土寺の場合は立地条件から午前中がベストだ。来年、最高のコンディションで再度紫陽花を切り取ってみたいと思う。 


2003年6月15日(日)雨  紫の中にひときは白菖蒲 

■■■ 「青梅の花菖蒲」アップ! ■■■

 吹上(ふきあげ)しょうぶ公園は、東京都青梅市・霞丘陵(おうめし・かすみきゅうりょう)の一角にある青梅市の管理する公園で、216品種・10万本のハナショウブ(花菖蒲)が植えられており、知られざる名所である。

 2003年6月5日から24日まで、「吹上花しょうぶまつり」が開催されたので、6月14日(土)、JR東青梅駅から歩いて15分ほどの「吹上しょうぶ公園」に行き、薄曇りの柔らかな光の中に咲き乱れる花菖蒲を鑑賞した。初夏の菖蒲園の柔らかな光の中でけなげに咲く花菖蒲は、予想外に種類が多く、見応えがあった。

 ボランティアのガイドは、花菖蒲には必ず花びらに黄色の筋があるという。そういう目で見ると、なるほど、どんなに品種改良がなされていても、その印があった。アヤメには必ず網目模様があり、カキツバタは網目の代わりに白い模様があるので、確実に判別できるという。身近に素晴らしい花園がある幸運に感謝!梅雨どきのこの日、帰宅後雨が降り始めた。今日、雨の日曜日に作品が完成した。


2003年6月14日(土)曇  姐さんのそっと手をやる祭髪 

■■■ 「ベルサイユ宮殿」40,000アクセス! ■■■

 6月13日(金)、特集!旅紀行 第12集 「ベルサイユ宮殿」は、2001年4月にアップロード以来、23ヵ月で40,000アクセスを超えた。平均すると1月1,740件、1日58件のアクセスがあった。「ベルサイユ宮殿」は本サイト最高アクセスを誇るコンテンツで、一つのテーマが4万件を超えたのは初めてである。当日、更に中身を充実させ、改訂した。

 その次に多いのは、旅紀行日本の裸祭り 第2集 「播州秋祭・灘のけんか祭り」で、20ヵ月で36,900件。平均すると1月1,850件、1日61.5件。第3位は、旅紀行日本の裸祭り 第8集 「日本三大奇祭」で、17ヵ月で31,800件。平均すると1月1,870件、1日62.4件だった。「日本三大奇祭」は、後発のテーマだが、アクセスの頻度が一番多い。全般に裸祭りの人気が高いので、これからも力を入れて取り組んで行きたい。 

■■■ 「アドリア海の女王・VENEZIA」アップ! ■■■

 岩本圭司(いわもとけいじ)さんは、「いつも楽しませて頂いてます。車のない VENEZIA には5回出かけました。CDお願いできますか?」という簡単な e-mail をいただいたのがきっかけでお付き合いが始まった。CD の発送について mail をやりとりしていたところ、mail に素晴らしいヴェネティアの写真が添付されてきた。

 写真には KEIJI という署名が入っており、直ぐにアマチュア写真家の作品だと気がついた。そこで、「感動写真集に発表されませんか」とお誘いしたところ、気持ちよくお受けいただき、このたび第14集が完成した。

 岩本さんは海外通で、30年くらい前からヨ−ロッパに出かけておられる。当初から語学力や行動力が要求される滞在型の個人旅行で、団体旅行の経験は一度もないという。岩本さんの周辺は熟年のフォト・エッセイ・ブ−ムだそうで、今秋か来春に「旅人の写真展」などを計画しておられるというから、本格的である。

 水の都・ヴェネチアは、私も1998年に家内と二人で旅行した。本当にお伽の国のような不思議な都市である。近年の地球温暖化により水面が上昇し、サン・マルコ広場も水浸しになる頻度が増えているそうで、残念に思う。本作品にあわせて、拙著
「水上都市ベニス」をご覧頂きたい。


2003年6月4日(水)晴のち雨 
■■■  アクセス   達成! ■■■

 今日、アクセスカウンターが19万件を超えた。今回はアクセスが多く、23日間で1万件をクリアし、これで14ヵ月で14万アクセスをいただいた。月1万以上のアクセスが14ヵ月もの長期に渡って続いている。多くのゲストの皆様にご愛顧いただいていることに感謝申し上げたい。東京のマイホームに戻って2ヵ月余り、神田祭、的ばかい、北海道・早春の湖、白糸の寒みそぎ、白馬の水芭蕉と矢継ぎ早に作品をアップしている。まだ、浅草・三社祭の編集が残っている。忙しい!!

■■■ 「白馬の水芭蕉」アップ! ■■■

 アマチュア山岳写真家の南光優氏から素晴らしい写真が送られてきた。早速、感動写真集 第13集「白馬の水芭蕉」としてアップした。素晴らしい大自然の早春が息づいていて、心が洗われるようだ。


2003年6月3日(火)晴

■■■ 3消防隊員の殉職を悼む ■■■

神戸市消防局の皆様へ
消防隊員3人を含め、4人の命が一度に奪われた6月2日の西区伊川谷町の民家火災は、新聞テレビで全国報道された大惨事で、本当にショッキングな出来事でした。神戸市消防局とは二年間一緒に仕事させていただいただけに、皆さんの心情を思うと、心が痛みます。
災害は似たようなものでも同じものは皆無で、毎回ぶっつけ本番です。最新のノウハウと過去の経験をふまえながら対応したとしても、予測できないことが起きます。今更ながら消防士は命がけで市民の生活の安全を守る聖職だと思いました。
殉職された職員の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、一日も早く正常業務にもどられ、この事故を教訓に、より安全・確実・迅速な消防活動ができますように願っています。合掌。 (注:本文は神戸市消防局へのe-mailの抜粋)

2003年5月31日(土)雨  夏祭ともにふんどし父子なる

 ■■■ 「北海道・早春の湖」アップ! ■■■

 今日は珍しい春台風の接近のため、東京も朝から雨が降り続いている。家内と観光バスで上高地に出かける予定だったが、中止になってしまった。お陰で、ホームページの編集が進み、「北海道・早春の湖」が完成した。

 この作品は、5月中旬、函館から道南の三つの湖(大沼・ポロト湖・ウトナイ湖)を巡り、早春の静かな湖畔を撮影したものだ。カラスやハクチョウも登場する。説明を少なくし、写真で勝負するジャンルである感動写真集の第12集に収録した。山岳写真家の南光さんのような芸術写真ではないが、北海道らしい雰囲気を味わってもらえれば成功だと思っている。


2003年5月25日(日)晴  母も娘も神輿を担ぐ神田子

 ■■■ 「江戸開府400年・神田祭」アップ! ■■■

 神田祭は江戸の華。江戸っ子の粋で鯔背(いなせ)な姿は、老若男女(ろうにゃくなんにょ)を問わない。女性たちも男性の中に混じって神輿を担ぐ。江戸っ子は神輿がよく似合う。氏子町会の伝統の半纏に身をくるみ、宮入のあと、町内を練り歩く。東京では練り子という言葉はなく、担ぎ手という。担ぎ手の衣装は、半纏系といわれるもので、江戸時代の職人、駕篭担き、魚屋などの棒手振の行商人の作業着であり、ふんどし、鯉口シャツ、半纏、猿股、股引を着用し、裸足か足袋・草鞋を履く。半纏は丈を調節したり、短めのものを着るのが若者のファッション・センスらしく、ふんどしがわずかに見えるように演出しているようだ。

 神輿宮入の日、飲まず食わずでシャッターを切り続け、気がつけば4時間が過ぎていた。去年7月の京都・祇園祭以来のことで、それだけ素晴らしい祭りだったといえる。神田祭は、日本三大祭りのひとつであるが、その規模においては間違いなく日本一であろう。江戸開府400年の節目の年、当時と変わらぬ伝統が息づいている祭りに、すっかり魅せられてしまった。


神田祭は、老若男女が平等に祭りに参加する。男性中心の祭りが多い中にあって、神田祭はみんなが楽しめる素晴らしい祭りだと思った。


2003年5月12日(月)曇

■■■ 日本三大祭の神田祭を初取材! ■■■

神田祭

拡大写真(1200x840)211KB

 5月10・11日の土日に神田祭があり、東京での取材第一号となった。10日・土曜日は神幸祭で、日本橋の三越前から華やかなパレードがあった。今年は江戸開府400年の節目に当たり、また、2年に一度の本祭の年とあって、例年になく盛大なイベントだった。特に福島県から遠征してきた相馬馬追(そうまうまおい)の騎馬集団がパレードに花を添えた。
 11日・日曜日は、終日、メインイベントの神輿宮入(みこしみやいり)で賑わった。神田、秋葉原、日本橋など108の町会から200基にのぼる大小の神輿が境内や車道に繰り出し、20万人の人出で賑わった。電気街で有名なJR秋葉原駅周辺は歩行者天国となり、この日だけは江戸っ子の担ぐ威勢の良い神輿に占領された。
 神田祭は、江戸時代は天下一の規模を誇る祭りで、天下祭といわれ、現在でも京都の祇園祭と大阪の天神祭とともに日本三大祭にランクされている。本番の日曜日は4時間半にわたって汗だくの取材となった。久々の大規模な祭りにすっかり魅了され、祇園祭のときと同じように、飲まず食わずの4時間半は、あっという間に過ぎた。
 二日間にわたる取材の結果、500万画素1030枚1305MBを撮影した(失敗作を除く)。早速、愛機 CAMEDIA E-20 からパソコンに転送後、CD2枚に分けてバックアップを取った。江戸時代から続く伝統文化を internet で全国に紹介すべく、これから時間をかけて編集し、これまでにない大作に仕上げたい。乞うご期待!
■■■  アクセス   達成! ■■■

 今日、アクセスカウンターが18万件を超えた。先月とまったく同様に28日間で1万アクセスがあり、13ヵ月で13万アクセスをいただいた。月1万のアクセスが13ヵ月もの長期に渡って続いている。多くのゲストの皆様にご愛顧いただいていることに感謝申し上げたい。東京のマイホームに戻って1ヵ月余り、早速、10日11日の土日に開かれた神田祭の取材にでかけた。これから関東圏を中心に活動し、幅広いコンテンツの創作を目指したい。

■■■ 「破魔弓祭・的ばかい」アップ! ■■■

 毎年正月第三日曜日(2003年は1月19日)、熊本県玉名(たまな)郡長洲(ながす)町の四王子(しおうじ)神社で、「的(まと)ばかい」が催され、130人ほどのふんどし姿の男たちが家内安全や無病息災などを祈って境内や路上、有明海で「的」を奪い合う神事が行われる。「的ばかい」は、四王子神社の破魔弓祭(はまゆみまつり)の別称で、800有余年の歴史を持つ勇壮な男の裸祭りである。

 
「的ばかい」に参加する男たちは、白晒一反で身を包む。部外者の飛び入り歓迎ということで、希望すれば担当者が手際よくふんどしを締めてくれる。激しい奪い合いがあるので、緩んだり、外れたりしないよう、腹巻・前袋式で、晒の両端を紐に撚ってきつく締め込む。

 
1時間近く境内で「的」を奪い合った後、もみ合いながら近くの有明海へ移動し、地先の潟の浜辺で「的」を頭上に掲げて祭りは目出度く終了する。

 「的ばかい」は、九州の他の神社でも見受けられる行事であるが、円座を模した稲藁の「的」を奪い合う祭りは見当たらない。男たちの勇壮で特異な神事であることから、長洲町が西日本三大裸祭りと宣伝する気持ちは理解できる。伝統衣装のふんどし着用が徹底され、800年前の神事が全く変質せずに現代に継承されていることに敬意を表したい。


2003年5月5日(月)晴  四月寒む駅構内の迷い鳩

 ■■■ 「早春の熊野三山」アップ! ■■■

 去る3月中旬、1泊2日の日程で熊野三山を巡った。神戸最後の取材旅行となった。中世、皇室をはじめ公卿、武士、庶民に至るまで熊野三山を巡る熊野詣(くまのもうで)が流行し、熊野街道は蟻の行列のように往来の人々で賑わったので、「蟻の熊野詣(ありのくまのもうで)」といわれた。熊野三山とは、熊野本宮(ほんぐう)大社・熊野速玉(はやたま)大社・熊野那智大社を指し、全国三千有余の熊野神社の総本宮である。

 
早春の熊野路を2日がかりで那智→新宮→本宮の順に辿った。熊野詣33回という最高記録を持つ後白河法皇の御幸(ぎょこう)とは逆順になるが、最後に山奥の最も権威のある本宮でフィニッシュした方が感慨が強くて良いと思う。早春ということなのか、どの大社も人影はまばらで、殆どが私のような観光参拝客であった。

 
明治初年の神道国教政策により、神仏は分離され、廃仏毀釈が行われた結果、多くの寺や仏像が破壊されたが、熊野三山でも例外ではなかった。幸い、那智の青岸渡寺(せいがんとじ)だけは破壊を免れ、熊野権現という神仏習合の文化を今に伝えている。

 この世の最高権力を手に入れた上皇ですら神仏にすがらなければならない人間の弱さを思い知る。琵琶湖の竹生島といい、熊野といい、信仰が築き上げてきた日本文化の奥深さに、心を動かされる旅であった。次に熊野を訪れるときは、ゆっくりと熊野古道を歩いてみたいと思う。


2003年4月28日(月)晴  多摩川の春風の家我帰る

 ■■■ 我が家から2作品をアップして本格稼働!  ■■■

 4月1日、二年間住んだ単身赴任の神戸から東京・青梅の我が家に戻ってきた。その日から第2の人生が始まった。終の棲家と考える我が家から新宿西口の新しいオフィスへ通勤する毎日が始まった。

 我が家は多摩川の土手に建つマンションの一室である。目の前に青梅市の運動公園があり、その向こうを多摩川が流れている。山あいにある青梅市としては、一番平地の広がる憩いの場所に我が家がある。南向きに建つ我が家は、南に日当たりを遮る建物はいっさいないし、これからも建つことはない。狭いながらも、これからの人生を過ごすに申し分ない場所だと思っている。5年間の単身赴任の後にやってきた、ささやかな幸せのとき。ベランダに立つと春風が心地よく、私の帰還を祝ってくれているようだった。


 
そしてはや一月近くが経過した。再就職をした職場の方々に暖かく迎えられ、先週は中国地方への出張も経験した。まだまだ分からないことも多いが、何とかやれそうな感じがしてきた。

 仕事の方が軌道に乗りつつあり、また、家の片づけなども一段落したので、ぼちぼち趣味のホームページに時間を割けることができるようになった。4月24日(木)に第一弾の「琵琶湖竹生島」、4月27日(日)には第二弾の「黄昏の彦根城」をアップした。2作品とも今年の正月12日に取材したものである。ゴールデンウィークを迎え、新緑の素晴らしい季節に入った。関東圏を中心に取材をしながら、撮り溜めた写真の整理・発表に力を注ぎたい。


2003年4月24日(木)曇  春暑き新宿駅の人の波

 ■■■ ウィルス・メールに悲鳴! ■■■

 4月23日の夜、一泊二日の出張から帰宅し、パソコンの電源を入れてみてビックリ!メールが71通たまっており、そのうちウィルス・メールが62通送りつけられていた。ノートン・セキュリティを常駐させているので、一通ずつチェックが始まり、その都度、「メールを削除しました。完全に駆除できませんでした。」のメッセージが表示される。これを62回繰り返し、最終的にメールを完全に削除するまでにかなりの時間を費やしてしまった。今のところ、正常に動いているので、被害はないようだが、気がつかないところで、おかしなことになっているのかも知れない。

 万一、ウィルスに感染しており、ウィルスが私のパソコンから勝手にウィルス・メールを発信する動作を起こしたとしても、ノートン・セキュリティのファイア・ウォール機能が働き、私が許可していない発信を阻止するようになっているので、私から汚染メールをまき散らすことはない。

 ウイルス・メールは、ほとんどが WORM_YAHA.G というものだった。その中に Worm klez.E が混じっていた。ホームページを主催している以上、私のメールアドレスは全世界に公開されているので、ターゲットになる可能性があるのは覚悟していたが、現実にこのように集中攻撃を受けてみると、本当に大変だ。Cドライブは、ノートン・ゴーストで数世代のバックアップをとっているので、不具合が出ても完全にリカバリーできるので、安心だ。本質的な破綻は有り得ないが、迷惑メールに忙殺されるのはやりきれない。これは完全に犯罪であり、犯人を突き止めて処罰する妙案がないものだろうか。


2003年4月14日(月)曇

■■■  アクセス   達成! ■■■

 今日、アクセスカウンターが17万件を超えた。28日間で1万アクセス、12ヵ月で12万アクセスをいただいた。12ヵ月もの長期に渡って月1万のアクセスが続いていることが嬉しい。多くのゲストの皆様にご愛顧いただいていることに感謝申し上げたい。東京のマイホームに戻り、これから関東圏を中心に活動し、更にレベルの高いコンテンツを目指してゆきたいと思う。


2003年4月12日(土)曇  春の雲熊野三山八咫烏

 ■■■ 我が家もLANでインターネット ■■■

 あっという間に一週間が過ぎ去った。新しい職場への通勤は体力が必要で、若干疲れ気味だが、慣れれば苦にならなくなるだろう。特に朝は東京行きの始発電車なので、新宿までの約1時間は座っていられるのが何よりありがたい。

 今週は昼休みに新宿にある小田急ハルク4階のBic P KanでPCI LANボードとハブ、15mのLANケーブルを購入。壁に穴を開けてケーブルを通し、長男のパソコンとLANを組み、ルーター機能付きADSLモデムを介して2台同時にインターネットを楽しむ環境を構築した。so-netから取扱説明書をダウンロードし、そのとおりに設定したところ、スムーズに作業が終わった。

 パソコンをハブにつなげば、2台でも3台でも一月約4000円の定額でインターネットを常時1700Kbpsの高速で楽しむことができるのは、IT時代のお陰である。しかもIP電話(インターネットを利用した電話)が使えるので、国内は全て3分8円で電話できるようになり、我が家の通信費を格段に節約できることになった。ダイヤルアップ接続時代は、14Kbpsと遅い上に3分10円の電話料金がかさみ、月2万円を支払ったこともあることを考えると、隔世の感がある。思えば低質なサービスで破格の料金を得て儲けていたNTTであったが、現在、生き残りをかけてリストラを行い、殿様商売から脱皮しようと懸命になっているが、これからNTTはどうなるのか、人ごとながら心配になってくるほどだ。

 このほか、新宿のビックカメラでUSB2.0のインターフェース・ボードと6種類のフラッシュメディアに対応するBUFFALOのカードリーダー/ライターを購入。これまでデジカメで撮影したデータをスマートメディアやコンパクトフラッシュからUSB1.1でハードディスクに送るのに、128MBで3〜4分かかっていた。10枚送ろうとすれば一仕事だった。USB2.0に対応したので、転送時間がドラスティックに短くなった。USB1.1の転送能力は12Mbps、USB2.0は480Mbpsなので、単純に計算しても40倍のスピードアップである。


2003年4月4日(金)晴  春光や白波砕く畳岩

 ■■■ 神戸から東京へ ■■■

 二年間過ごした神戸を去る日がやってきた。3月31日、37年間勤めた公務員生活に終止符を打ち、4月1日、引っ越しの手伝いに来てくれていた家内とともに新幹線で東京に戻ってきた。青梅市役所に転入届を出し、都民に復帰した。折り返し、新宿に本社のある建設会社に赴任。人事部長から辞令を貰い、国民健康保険被保険者証を手にし、第二の人生がはじまった。これから毎日青梅の自宅から通勤することになる。5年間の単身赴任を終え、感慨も一入である。

 2日に引っ越し荷物が到着、今日まで整理に大わらわだった。神戸ではNTT西日本のフレッツADSLに加入していたが、昨日からso-netの12M・ADSLが開通した。我が家から局舎まで3kmあるので、スピードテストは下り最大1.7MBとやや不満が残る数値だったがやむを得ない。我が家のパソコンは私と長男の2台になったので、LANを組み、2台同時にinternetができるようにするつもりだが、その作業は落ち着いてからにする。

 これから青梅の我が家からヒューストンの有料レンタルサーバーにあるWa☆Daフォトギャラリーを管理・運営することになる。今後、海外旅行にも行けるようになったが、長期化する様相を呈しているイラク戦争が終わるまでは物騒で行けそうにもない。当分関東周辺で活動したいと考えている。


2003年3月23日(日)晴  春の浜岩海苔採りの老女かな

 ■■■ 年度末雑感 ■■■

 3月20日、アメリカのイラク攻撃が始まった。家内が神戸にやってきた日、そして、送別会の日。日本もアメリカを積極的に支持したことからテロ攻撃のおそれが高まった。戦争は避けたいが、サダム・フセインのフィルダーズチョイスといったところで、侵攻はやむを得ない面もあるが、もう少しねばり強く外交交渉を続けて欲しかった気がする。アメリカの急ぐ理由がいまいち分かりにくい。市民の犠牲が最小限になるよう祈りたい。そして、短期間で決着して欲しいと思う。

 今日は天気が良く、ベランダのガラス磨きをやり、ピカピカになった。一人でやる大掃除は気が重いが、夫婦二人となると、仕事もはやい。夕刻、南光さんから福寿草の素晴らしい写真が送られてきた。数時間で編集し、アップした。ひな形と写真があれば、意外と作業は簡単だ。感動写真集もはや10集目を数える。私の手持の写真がたまる一方なのだが、編集するとなると時間がかかり、4月に持ち越さざるを得ない。


2003年3月18日(火)晴

 ■■■ 2003 桜開花情報 お花見特集 ■■■

 先日、株式会社ゼンリンデータコムのDo-map担当のMさんから桜開花情報のページに私の桜の写真を使わせて頂きたいとの依頼があり、了解していたところ、3月17日に表題のページが完成し、その中に私の写真が4枚使われていた。4枚の写真は、京都/円山公園 大阪/毛馬桜之宮公園 大阪/大阪城公園 奈良/吉野山の写真である。

 ゼンリンは、地図ソフトのトップメーカーである。全国201ヵ所の桜の名所を紹介し、行きたいと思った場所の地図をクリックすると、ゼンリンの地図が現れるという仕掛けである。私の写真には「写真提供:Wa☆Daフォトギャラリー」とキャプションが入っており、リンクが張られている。


2003年3月17日(月)晴  春日和海より望む那智の滝

■■■  アクセス   達成! ■■■

 今日、アクセスカウンターが16万件を超えた。28日間で1万アクセス、11ヵ月で11万アクセスをいただいた。11ヵ月もの長期に渡って月1万のアクセスが続いていることが嬉しい。多くのゲストにご支持いただいていることに感謝申し上げたい。これからも更にレベルの高いコンテンツを目指して研鑽を重ねてゆきたいと思う。


2003年3月8日(土)晴  玉筋魚を網一杯の二艘曳

 ■■■ 大好評の感動写真集 ■■■

 以前、堀江謙一さんが名誉会員となっておられる関西ヨットクラブの藤井英一前理事長に私のホームページを紹介したところ、藤井さんが加入されている大阪西南ロータリークラブの会員で写真が趣味の方がおられるから紹介するということで、2月3日の昼休み、オフィスのすぐ近くにある旧アメリカ領事館(重文)を利用した十五番街というレストランでお会いしたのが南光なんこうさんとの出会いである。

 南光さんは、私よりもひとまわりほど年上のジェントルマンであるが、66歳とは思えないほどバイタリティに溢れておられる。現在壁紙製造会社の社長という重責を担いながらも月一の登山をこなされ、20年のキャリアを誇るアマチュア山岳写真家として多くの作品を生み出されておられる。本格的なパソコンの名手であることも後で知り、素晴らしい山岳写真がメールに添付されて送られてきた。

 私は深い感銘を覚え、私ではとても撮り得ないこの素晴らしい写真をホームページに掲載し、多くの方々と喜びを分かち合いたいと思い立ち、南光さんに相談したところ、快諾を得た。こうして南光さんの冬山三部作が生まれ、写真集というあらたなジャンルで、シリーズ化した。

 その後、多くの方から素晴らしい写真をお送りいただき、私が監修して作品を発表してきた。ドイツの山、知床の流氷、ルミナリエ、南極大陸、アルゼンチンの氷河と、一ヵ月の間に第9集までアップ。題名も「写真集」から「感動写真集」に改めた。

 どの作品も感動を与えてくれる写真ばかりだと自負している。私1人の力ではたいしたことはできないが、世界を旅行されて素晴らしい写真を撮影された方とタイアップすれば、何倍もの素晴らしい仕事ができることを身をもって体験した。このシリーズは大好評である。これからも更に充実させてゆきたい。


2003年2月26日(水)晴

■■■ 京都・永○堂の悪徳商法(完結編) ■■■

 今日、「さわやか提案の御返事」という見出しで、山田啓二京都府知事のメッセージが送られてきた。

大変遅くなり申し訳ありません。添付ファイルにより回答します。 京都府広報課

【添付ファイル】

                                          平成15年2月26日

 和田 義男 様

 メールをいただきありがとうございます。お返事が遅くなり申し訳ありません

1200年有余の歴史を持ち、日本の歴史・文化の中心地として栄えてきた京都には、時代を超えて、連綿と守り継がれてきた優れた文化財が数多く所在しており、その多くは社寺等の宗教法人が所有・管理しています。
 各社寺の拝観料の設定については、宗教法人が、自主的・自立的に決定されているものでありますが、御提案いただきました中にありますように、拝観に訪れられた方々が、誤解とか不信感を抱くことがないようにすることが大切です。
 一般的に、宗教法人に対する苦情・要望等につきましては、該当法人に内容等をお伝えしており、本件についても、永○堂に要望したところであります。
 なお、法人からは、今後、来山者に対し、拝観料が文化財の修理・修復等保全や庭園等の環境整備の経費に充当されているなどの趣旨を十分御理解いただけるような方策を検討する旨返答を得ております。

 今後とも、府政に役立つ御提案をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

                                       京都府知事 山田 啓二

                                     │担当課担当係 │ 
                                     │京都府文教課 │ 
                                     │宗教係(075-414-4522) │ 

 本件については、2002年11月29日の徒然日記に掲載した文章を京都府のさわやか提案にmailしていた。このたび、その回答があったものだ。私としては、その後なしのつぶてで呆れていたところだったが、三ヵ月後に返事が来て、どうにか行政が一応の対応をしてくれたことを知らされ、満足している。これからの永○堂の行動を注目したい。なお、京都府とのmailのやりとりは、永○堂ではなく、ちゃんと実名を使っている。
 

2002年11月29日(金)晴  東山苔むす庭の濡紅葉

 11月17日(日)午後、紅葉の名所で知られる京都東山にある永○堂に行った。大勢の観光客で混み合う入り口で入場券を買おうと掲示板を見ると、昼の入場は「特別展1000円」としか表示がなく、庭園を見るだけの料金の表示はなかった。そこで、タダかと思って境内に入ろうとすると、入り口にいた坊さんが有料だという。

 「庭だけ見るだけなのですが」といっても、入場料は1000円だという。特別展は見ないのに同じ料金を払えとは、これは押し売りだと思った。「庭園を見るだけの料金は表示されていないし、どうして特別展と同じ料金になるのですか」と尋ねても答えない。私だけでなく、多くの人がおかしいといっていたが、取り合わない。「去年はもっと安かったのに」という声も聞こえた。入り口の坊さんは、他の寺と比べて破格に高い入場料1000円の理由を説明できるはずもなく、自分でも理不尽だと思っているのか困惑した表情を浮かべており、罪の意識を感じながらも上司の指示どおりに動いているように見えた。

 私は遠くから来てせっかくの紅葉を見たかったので、やむなく1000円を払って入場したが、後味の悪い思いをした。出口近くに永○堂が経営する幼稚園があったが、徳を説くべき聖職者が悪徳商法をしていて、どんな気持ちでこの無垢な子たちを教えているのか、住職の顔が見たいものだと思った。

 京都市など行政当局は、このような寺の実態を把握しているのだろうか。私は大の京都ファンであり、私のサイトで京都の名所を沢山紹介している。一部の寺がこのようなことをすると、京都全体のイメージが悪化してしまう。京都は拝観料が高く、坊主丸儲けという声を聞く。行政当局は早急に実態を調査し、永○堂のみならず、非常識な営業をしている寺を指導し、是正させるべきである。

 

2003年2月20日(木)晴  春空に童戯る東福寺

■■■  アクセス   達成! ■■■

 今日、アクセスカウンターが15万件を超えた。22日間で1万アクセスを記録。前月よりも1日早く、これまでの最短となった。これで10ヵ月で10万アクセスをいただいた。10ヵ月もの長期に渡って月1万のアクセスが続いていることが嬉しい。しかも年が明けてからペースがあがってきており、20日で1万アクセスになろうかという勢いだ。多くのゲストにご支持いただいていることに意を強くする。これからも更にレベルの高いコンテンツを目指して研鑽を重ねたい。


2003年2月16日(日)雨  海見ゆる席に移りて春の旅

■■■ アクセスカウンターが動かない謎! ■■■

 以前のレンタルサーバーから突然の通告を受けてECTechnologyに移り、2週間が経ったが、全て引っ越しが完了した。しかし、最後まで手こずったのがサーバーにあるPERLを利用したCGIのアクセスカウンターだった。前と同じようにサーバーにセットしても、全く動かない。原因が分からず、管理人にも質問したが答えはない。代わりにSSIを利用したカウンターを教えてくれたので、とりあえずそれでカウンターを動かすことができたのだが、累計だけしか表示できない不満が残った。以前のCGIカウンターは、累計に加え、昨日と本日のアクセス数も表示できるすぐれものだ。何としても悔しい。これで満足するか・・・と何度も自分に言い聞かせたが、気分が晴れず、悶々とした日々が流れていった。

 今日、日曜日、外は朝から雨となった。コンテンツの編集にも飽きてきて、もう一度アクセスカウンターに挑戦することにした。internetを検索して、手がかりを探したところ、ホームページ裏技集と称するサイトに出くわした。アクセスカウンターの解説のところを読んでいる内に、遂に謎が解けた!

 サーバーのOSがユニックス(UNIX)やリナックス(LINUX)などの差によって、PERLを利用したスクリプトが動いたり動かなかったりするらしい。このため、うまくいかないときにはある特別なファイルを作成し、サーバーに置くと、完全にカウンターが動くようになるという。その通りに実行してみると、正しく動くようになった。本当に万歳!\(^o^)/の気分である。

 ■■■ 国府宮裸祭りの事故 ■■■

国府宮裸祭り

国府宮裸祭り 旧暦正月13日  資料

 今朝、テレビの週間ニュースを見ていると、2月13日に愛知県稲沢いなざわ市で行われたふんどし一丁で練り歩く勇壮な国府宮こうのみや裸祭りの最中に、はだか男が下敷きになり2人が意識不明の重体になったという報道があった。
 国府宮裸祭りは、毎年旧暦正月13日が儺追(なおい)神事のクライマックスで、大勢のはだか男が練り歩く。internetで調べると、「平成12年国府宮裸祭」のサイトがあった。寒さを凌ぐために酒を飲んだ裸の男たちが気勢を上げ、大いに盛り上がっている。
 
http://members.tripod.co.jp/attttstudio/index.html 
 はだか男約7000人。見物客約16万人。境内で倒れたはだか男が大勢のはだか男に押し潰されたようだ。去年の灘のけんか祭りにも重傷者が出たが、事故だけは避けたいものだ。

2003年2月9日(日)曇  船旅や春のきざしの波頭

■■■ 大容量のレンタルサーバーに移転! ■■■

 big-server.comから突然の通告を受けて一週間、レンタルサーバーを検索し、良い条件のところを見つけたので、移転した。今度のレンタルサーバーは、ヒューストンにあるECTechnlogyというところである。ヒューストンは、米国テキサス州東部、メキシコ湾に比較的近い位置にある同州最大の都市である。

 今度の条件は、アップロードできるファイルは6ギガまで、毎月のダウンロード量は60ギガまでで、月6000円である。とにかく安い。ただし、1年契約の前払いである。前の業者なら毎月3万円という値段だ。なぜこれだけ安くできるのか。今のところ、従業員を少なくし、サポートを最低限に絞ることで、やれているようだ。例えばドメインのネームサーバーも、苦労したが私が書き直した。

 internetの仕組みとして、http://wadaphoto.jp/をクリックすると、パソコンの近くにあるDNSサーバーにドメインhttp://wadaphoto.jp/が実際どこのサーバーにあるのかを読みに行く。今までは
big-server.comのサーバーに行っていたのだが、書き換えた結果ECTechnlogyのサーバーに行くことになった。ホームページをアップしている場所が変わっても私のURLは変わらないので、お気に入りに登録された読者は、URLを修正しないまま、知らずに新しいサーバーにアクセスすることができる。この仕組みは大変便利である。これがドメインの真骨頂なのである。

 ただし、世界のDNSサーバーに新しい所在地を伝えるのは、早くて2日、完全には1週間はかかるという。ご存じのようにinternetはバケツリレー式で情報を送るので、隣組に次々と知らせていく関係上、全世界に知らせるには時間がかかる。そのため、いまだに両方のサーバーにアクセスしている。今確かめると
big-server.comへのアクセスは、2月6日現在、一日500メガほどに半減している。このためだろうか、アクセスカウンターの表示がおかしくなっているが、そのうち落ち着くことだろう。

 この他、メールサーバーの設定など、全てユーザー側でやるようになっているので、大変だが勉強になる。設定するソフトは英語なので、日本語の解説はあるものの、英語が読めないとちょっときついだろう。サーバーのハードディスクはRAID方式(2台並列運転。1台がダウンしても大丈夫)になっていて、安定性も抜群だという。ともあれ、ダウンロード量は現在月30ギガだが、その2倍まで大丈夫なのでひと安心だ。これまでよりも安い料金でホームページを運営できるので、トラブルがない限り、ここでずっと続けたいと思う。


2003年2月1日(土)晴  突堤のひっそりと立つ冬鴎

 ■■■ ダウンロードの多さに悲鳴! ■■■

 1月30日、私のホームページをアップしているアメリカ西海岸にある big-server.com から次の mail が飛び込んできた。
和田 義男 様 お世話になっております。サポート担当、佐々木@big-server.comです。現在、 アカウント番号 xxxx において転送量が非常に膨大な状態となっております。以下、.statusからの情報です。
---------------------------------
Daily Transmission Statistics
Date Requests Bytes Sent 
----------- -------- ------------ 
Jan 28 2003 112413 1140346925
Jan 29 2003 168 2342122

Totals for Summary Period: Jan 28 2003 to Jan 29 2003
Files Transmitted During Summary Period 112581
Bytes Transmitted During Summary Period 1142689047

28日だけで1Gの転送量となっております。また、今月中の転送量をADMINにて確認したのですが、

Start Date: 20030101
End Date: 20030129

Traffic (total)
34.132 GB
3094719 hits

既に今月の転送量が30Gを超えております。和田様 は[入門コース]ですので1ヶ月の転送量は10G迄となっております。何らかの対処を行わない限り、可及的速やかに当月のホスティングを停止いたします。上位コースは、月転送量60G迄となっております。上位ビジネスコースへの変更等も受け付けておりますのでご連絡下さい。
 私は、ビックリして、次の返事を出した。
佐々木様 お便り有り難うございます。突然のダウンロードの増加に驚いています。年が変わってから一日平均300前後のアクセスが500前後に増加したのは承知していましたが、こんなに多くのダウンロードがなされているとは思いもよりませんでした。ADSLの普及で、予想外に大量のダウンロードに至ったものと思います。
私は、個人の趣味でサイトを運営しており、ビジネスに移行するほどの資金はありません。このような事態は一時的なものではなく、今後も続くものと予測されますので、コンテンツをスリム化するなどして対応したいと思いますので、このまま暫くやらせてください。お願いします。
 次の日、次のような返事が届いた。暫く猶予を与えて頂いたようである。
和田 義男 様 サポート担当、佐々木@big-server.comです。ご連絡ありがとうございます。ファイルサイズ変更及び削除等、対処の方お願いいたします。.statusを確認していただければ、一日の転送量などが判明いたしますので、宜しくお願いいたします。.statusは、平均的に翌日PM5時頃に更新を行います。ちなみに蛇足ですが、入門コースの転送量的には1日330MB程度にお願いいたします。

Top Twenty Files By Bytes
Bytes% Bytes File---------------
5.83 50738349 /maturi/images/sominvideo.mpg
5.39 46938707 /index.html
3.53 30698521 /maturi/images/sominvideo2.mpg
2.44 21215884 /images/c08.mid
2.40 20878631 /index.htm

上記.statusを確認してみたのですが、mpgデータとmidデータが比較的大きい模様です。よろしくお願いいたします。
 当面思いつく限りの対策をとり、その結果を報告した。どうしたら転送量を基本の月10ギガ以内に抑えることができるのか、現在頭を抱えている。
佐々木様 今晩は。サポート有り難うございます。昨日ご指摘をいただいたあと、昨日から今朝にかけて、実施した作業は次の通りです。

1 超人気テーマ「灘のけんか祭り」をso-netへ移転
2 mpgなど、動画ファイルを全て削除
3 c08.midなど、大きなMIDIファイルを10kb以下の曲に変更
4 トップページなど、ダウンロード量の大きなファイルをスリム化。

今後、ダウンロード状況をみながら、月10ギガ以下になるように修正します。完全に対応できるまで、今暫く猶予をいただきたく、宜しくお願いします。

私としては、これまでに何回かサーバーのダウンがありましたが、迅速な対応をしていただき、快適なサービスを受けており、満足しています。これからもこのまま末永くお世話になりたいと思っていますので、どうか宜しくお願いします。

最近のブロードバンド化で急速にダウンロード量が増えており、基本の10ギガを上方修正して頂けると助かります。また、急にビジネスにいくのは格差が大きすぎますので、なだらかな料金体系をつくって頂けると有り難いです。ご指導有り難うございました。

2003年1月29日(水)晴  一筋の波の寄するや牡蠣筏

■■■  アクセス   達成! ■■■

 松の内が終わる頃から何故かアクセス件数が増加し、23日間で1万件をカウントした。一日600件を超える日もあり、過去最短の新記録となった。この結果2年6ヵ月でアクセス140,000件を達成。9ヵ月でアクセス90,000件を数えた。冬の寒い日が続いており、外出するよりも家の中でホームページを覗く機会が増えたこともあるのではないだろうか。また、「海外写真集」で検索すると、internetのどの検索エンジンからもベストスリー以内にWa☆Daフォトギャラリーが表示されることも幸いしているのではないかと思う。これからも更にコンテンツに磨きをかけ、よりクオリティの高いものにしてゆきたい。


2003年1月23日(木)雨のち晴  六甲の日溜りひとつ冬薔薇(ふゆそうび)

 ■■■ 大阪外大定期演奏会リーフレットに写真が掲載 ■■■

TEMPEST演奏会リーフレット
 昨日、大阪外国語大学混声合唱団TEMPEST代表のM. H.さんから第21回定期演奏会のリーフレットが送られてきた。かねてより画像使用の依頼があり、了承していたものだ。
 演奏会は、昨年12月23日に箕面市で行われたようだ。THE BORDER というテーマだったようで、25cmx18cmのリーフレットに2色刷りで万里長城とグリニッジ本初子午線の写真が印刷されている。
 それぞれの写真に「写真提供 和田義男 Photo by Yoshio Wada」とクレジットが挿入されている。TEMPESTのホームページには、Wa☆Daフォトギャラリーが紹介され、リンクがはられている。毎年担当者(学生)が変わるようだが、申し継ぎがなされているようで、これからも写真の使用依頼が来そうな状況であり、求めがあれば協力していきたいと思っている。 TEMPEST

写真をクリックすると拡大写真が見られます。

 ■■■ 卓上カレンダーに世界遺産の写真が掲載! ■■■

2003CALENDER

世界遺産のカレンダー

 先日、(株)京都イングスから2003年上半期の卓上カレンダーが5部送られてきた。(写真左) かねてより世界遺産の画像を使わせて欲しいとの依頼があったものだ。
 各月に銀閣寺、万里長城、ポンペイの遺跡などの小さな写真が掲載されているほか、出張中・来客中・会議中・外出中・休暇中・帰宅のカードにはアヴィニョン・清水寺・シャンボール城・カルカソンヌ・姫路城・ロンドン塔の写真が印刷されている。いずれも世界遺産に指定されたものばかりである。
 掲載されている写真のそばに「撮影:和田義男」とクレジットが印刷されている。(写真右)

写真をクリックすると拡大写真が見られます。

2003CALENDER

シャンボール城

 下半期も私の写真を使うということで、でき次第、送ってくれるという。私の写真がカレンダーになったのはこれがはじめてなので、大変嬉しい。

 (株)京都イングスは、京都府舞鶴市にあり、主にまちづくり関係の土木設計等を行う会社であるという。このカレンダーは、一辺が12cmの正方形で、机の上に立てて使うようになっており、同社の贈答用に作成されたものである。


2003年1月19日(日)雨  冬港ひときわ白き巡視船

 ■■■ 旅紀行ジャパン 第15集 京都・保津川下り ■■■

 2002年11月11日(月)、家内と二人で京都嵐山に出かけた。トロッコ嵯峨駅は、JR嵯峨嵐山駅の直ぐ奥にある。トロッコ列車は旧山陰本線の一部を利用し、保津川沿いの山間をのどかに走る。四季折々に美しい姿を見せる渓谷の風景と車掌の案内に片道25分の乗車時間はあっという間に過ぎてしまう。終点のトロッコ亀岡駅は、ホームが狭く、折り返し運転のため、乗降客でごった返した。

 駅を出ると、保津川下り乗船場行きのバスが待機している。すし詰め状態だが、15分ほどで到着する。保津川下りは、丹波亀岡から京都の名勝嵐山までの約16kmの渓流を約2時間で下る舟旅である。この保津川下りは、古く慶長11年(1606)角倉了以(すみのくらりょうい)が木材・薪炭など丹波地方の産物を京へ送るために産業水路として拓いたもので、今では日本一の川下りとして国内はもちろん世界的にも知られている。川下りに使用する川舟は、以前は木舟だったが、現在はFRP製である。旅客が集まり次第、次々と舟が出発していく。約2時間、16kmの舟旅は急流あり静流ありで変化に富み、川舟は渓流に白いしぶきを上げながら一路嵐山を目指す。

 出発してまもなく、左手になだらかなお碗を伏せたような愛宕山(あたごやま)が見えてきた。船頭の説明で気づいたほどだが、京都の最高峰だという。やがて後方に見えていた愛宕山が今度は前方に現れるのも曲がりくねった保津川の妙だ。保津川も中程に至ると、奇岩が現れる。岩にはそれぞれ名前がついており、名前を記したプレートが置かれている。烏帽子岩、鏡岩、かえる岩、びょうぶ岩など。清滝川が流れ込んだ後は、書物岩、かじか岩、蓮華岩、ライオン岩が現れる。途中、トロッコ列車とすれ違うと、観光客はお互いに手を振り合い、和気藹々(わきあいあい)とした情景が生まれる。

 雲一つない秋晴れに恵まれ、トロッコ列車、保津川下り、天龍寺探訪と盛りだくさんの京都の秋を堪能した1日だった。日本は本当に美しい国である。これからも生ある限り、自然の移ろいに心を向けるゆとりを持ちたいものだと思った・・・。

 今年最初の作品が完成した。2日にわたる取材を行い、500万画素550枚690MBの写真の中から選りすぐったものを使い、特大写真42枚という大作になってしまった。じっくりとご覧いただきたい。


2003年1月1日(水)晴  初凪の海に向ひてようそろう

 ■■■ 謹賀新年 ■■■

 今年は家内が年末に神戸に来てくれたので、年末年始を二人で過ごすことができた。二人とも炬燵に入り、NHKの紅白歌合戦を見た。途中で赤組が勝つだろうと二人の意見が一致し、そのとおりの結果となった。行く年来る年の鐘の音を聞いていると、ベランダの外から梵鐘の音が聞こえてきた。どこのお寺の鐘かは分からなかったが、味わいのある音色だった。

 2003年の元旦が訪れた瞬間、用意していた新規送信のアイコンをクリックし、mailをやりとりしている方々に電子年賀状を送った。発信のタイムスタンプは、
Wed, 1 Jan 2003 00:00:01 +0900 となっており、残念ながら1秒かかってしまった。ジャストに送信するのは至難の業だった。

 多くの方々から電子年賀状をいただいた。今更ながら迅速な対話を可能にするinternetの快適さを実感する。今年もWa☆Daフォトギャラリーの充実に力を注ぎたい。

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。2003年元旦
 
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 ■=== Wa☆Daフォトギャラリー ***
http://wadaphoto.jp/  ===■
 ■===                            mail:
master@wadaphoto.jp ===■
 □=== 和田義男 ===============================================□
 
 
Wed, 1 Jan 2003 00:00:01 +0900
年賀状(73KB)

 

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