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梅花園
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吉野梅郷には、農家が経営する梅園がいくつか点在する。この梅花園もその一つで、軽食を取りながら観梅できるようになっている。無料で入れ、手軽に園内を散策できる。 |
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鎌倉の梅 |
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現在の吉野街道より数百メートル山側にある梅花園に、旧鎌倉街道ゆかりの梅が残されている。樹齢約400年の「鎌倉の梅」という古木である。老齢期に入って勢いはないが、今年もけなげに梅の花を咲かせていた。 |
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拡大写真(900x1100)253KB 【E-1
28mm/28-108mm F8.0 1/320秒 ISO200】
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ミツマタと梅 |
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梅花園に黄色の花が咲いており、素晴らしい芳香が漂っていた。何と和紙の原料であるミツマタだという。学校で習ったことでその名を知っているだけだったが、ミツマタがこんなに素敵な匂いのする綺麗な花をつける木だとは知らなかった。 |
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拡大写真(1200x900)314KB 【E-1
38mm/28-108mm F9.0 1/400秒 ISO200】
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ミツマタ(三椏・三叉) |
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中国原産で、ジンチョウゲ科の落葉低木。繊維植物として日本の暖地で栽培され、高さ約2mに育ち、枝は三つに分れる。葉は長楕円形。晩秋、落葉して枝ごとに一団の蕾(つぼみ)をつけ、春、葉に先だって黄色の筒形小花を房状につける。樹の靱皮(じんぴ)繊維をとって和紙の原料とする。結香(むすびき)。漢名は黄瑞香。「三椏の花」は春の季語 。 |
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ミツマタの木
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ミツマタの花
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拡大写真(1024x768)250KB 【E-1
28mm F9.0 1/400秒 ISO200】
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拡大写真(1024x768)80KB 【E-1
64mm F9.0 1/500秒 ISO200】
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農家の梅畑
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拡大写真(1200x700)110KB 【E-1
28mm/28-108mm F8.0 1/320秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)249KB
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吉川英治記念館 |
多摩川は大古の昔から人の営みを支え、多くの生命を育み、母なる川として人々を魅了してきた。 |
宮本武蔵の原作者・吉川英治は、この地をこよなく愛し、吉野村の村民として生涯を閉じた。現在、吉野梅郷には吉川英治記念館がある。 吉川英治記念館 (写真)
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青梅市名誉市民となった文豪・吉川英治。「新平家物語」は昭和25年からこの青梅の里で執筆された。
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かつて、庄屋屋敷だった彼の旧邸、草思堂の一角に建てられた記念館には、吉川文学を彩った数々の原稿や著作、書簡などが展示され、使用された書斎もそのままに保存されている。
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資料 |
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吉川英治
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明治25年8月11日〜昭和37年9月7日(1892-1962) |
大正・昭和期の大衆小説家。本名は英次(ひでつぐ)。神奈川県生まれ。高等小学校中退、税務監督局の給仕、横浜ドックの船具工など各種の職業につく。19歳で上京。絵師、記者などを経て、川柳の世界に入り、雉子郎(きじろう)の筆名で作品を発表。 |
一方講談社系諸雑誌の懸賞小説に入選、「険難女難」(大正14-15年)で注目された。「鳴門秘話」(大正15年-昭和2年)で時代小説家の地位を確保。 |
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「万花地獄」「貝殻一平」を発表、「かんかん虫は唄う」(昭和5-6年)を執筆する前後から新しい模索を始め「檜山兄弟」「松のや露八」を経て「宮本武蔵」(昭和10-14年)に至り、剣の求道者像に新次元を開き「新書太閤記」「三国志」をまとめた。戦後は「新平家物語」(昭和25-32年)「私本太平記」(昭和33-36年)を書き、国民文学の創造に努めた。昭和35年文化勲章受章。吉川英治文化賞・同文学賞が設けられた。 |
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平成15年のNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」は、吉川英治の代表作「宮本武蔵」を原作としたものである。 |
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地蔵院の宝珠梅
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宝殊山地蔵院(ほうじゅざん・じぞういん)は、地蔵菩薩を本尊とする臨済宗の寺である。開山は永正元年(1504)で、現在の本堂は安永年間(1772〜1781)に建立されたという。棟上げの日に5羽の鶴が空中で舞ったという伝説があり、別名「五鶴堂」とも呼ばれる古刹である。 |
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境内には、樹齢約300年の「宝珠梅」と呼ばれる古木があり、青梅市の天然記念物に指定されている。その他にも趣のある梅の木が植えられており、観梅と古刹巡りを楽しむことができる。
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拡大写真(1200x900)110KB 【E-1
28mm/28-108mm F7.1 1/250秒 ISO200】
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吉野梅郷が丁度梅の満開時期を迎えたこの日、日当たりの良い宝珠梅は、既に花が散ってしまっていた。しかし、円形に刈り整えられた一本の紅梅が目にとまった。仄かな色香があり、暫し見入った。 |
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地蔵院の紅梅
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拡大写真(1200x800)278KB 【E-1
28mm/28-108mm F9.0 1/320秒 ISO200】
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金剛寺の青梅
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多摩川左岸(北側)のJR青梅駅の近くに金剛寺がある。金剛寺は青梅山無量寿院と号し、承平年間(931〜938)に平将門(たいらのまさかど)の開基とされる真言宗の古刹で、開山は寛空上人、本尊は白不動明王という。 |
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金剛寺には季節を過ぎても黄熟せず、落実まで青いままのため、青梅(あおうめ)と呼ばれる梅の木がある。
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伝説によれば、将門が鞭(むち)がわりにしていた梅の枝をこの地にさし、「この梅が根付いたら戦に勝利するだろう」と、戦勝を祈願したのがこの青梅(あおうめ)で、"将門誓いの梅"と呼ばれる。
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梅は根付き育ったものの、その実は熟すことなく、青いまま地に落ちたことから「青梅(おうめ)」の地名となったといわれ、金剛寺の青梅(あおうめ)は、青梅市(おうめし)の象徴的存在である。 |
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拡大写真(1200x900)110KB 【E-1
28mm/28-108mm F8.0 1/250秒 ISO200】
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現在の青梅(あおうめ)は三代目といわれ、大正11年(1922)に東京都の天然記念物に指定されている。 |
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江戸/東京という大消費地に近い青梅市周辺では、江戸時代から現在に至るまで、梅の栽培が盛んに行われてきた。この青梅(あおうめ)は植物学的には突然変異であるとされているが、食用に品種改良される前の原種かも知れないともいわれる。 |
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注:文中の表記は全て35mm換算によるもので、
「274mm/100-400mm」は50-200mmズームレンズの137mmで撮影したという意味である。
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撮影 2004年3月16日
《 OLYMPUS E-1 》
14-54mm
50-200mm EC-14
500万画素
850枚 940MB
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青梅路に春を告げる青梅マラソンが終わった後、吉野梅郷を中心に梅の花が満開を迎え、再び多くの観光客が青梅市を訪れる。 |
梅の産地といえば紀州・和歌山県が有名であるが、青梅市も歴史ある梅の産地である。しかし、首都圏のベッドタウンとして宅地化が進み、現在は観光にシフトしてきている。 |
吉川英治が吉野梅郷をこよなく愛し、この地で一生を終えたのも分かる気がする。〈 完 〉 |
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