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左下の白い建物は、明石海峡の航行安全を図る大阪湾海上交通センター(海上保安庁)
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淡路島 兵庫県に属する瀬戸内海最大の島。南北54km、東西24km、全周約200km、面積593ku。人口16万余。東は大阪湾、西は瀬戸内海の播磨裁、南は紀伊水道に面し、明石海峡、友ヶ島水道(紀淡海峡)、鳴門海峡をへだてて明石市、和歌山市、鳴門市と向かい合う。行政上は1市2郡10町に分かれ、近世に蜂須賀氏の城下町であった洲本市が行政や交通の中心になっている。 |
瀬戸内海特有の温暖少雨で、黒潮の支流に洗われる南海岸や大阪湾に面する東浦地域は冬も暖かいが、播磨裁に面する西浦地域は北西季節風をまともに受けるために冬季の農業や漁業は大いに制約される。 |
東浦地域は花卉(かき)栽培が昭和初期から始まり、現在では西日本随一の産地となっている。これに対して西浦地域は平地が乏しく、東浦同様耕して天に至る棚田景観がいたるところでみられ、米作を中心に果樹、肉牛飼育などが行われている。 |
工業としては地場産業の瓦、線香などがあるが、いずれも零細規模の工場が多い。近代工業では紡績、電池、食品などの工場が立地するが、島の経済に占める工業の比重は小さい。農業とならぶ島の産業は、鳴門観潮をはじめとする観光である。 |
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2001年の春から初夏にかけて、淡路島を3度旅した。明石海峡大橋のお陰で、神戸からでも十分に日帰り旅行できるのが有り難い。瀬戸内海国立公園に指定され、自然豊かな淡路島の魅力の一端をここに紹介する。 |
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明石海峡 |
兵庫県明石市と淡路島の間にあり、大阪湾と瀬戸内海の播磨裁をつなぐ海峡。六甲山地とその延長である淡路島の津名丘陵の間が陥没してできた海峡で、最も狭い神戸市舞子と淡路町の松帆(まつほ)の浦の間は約4kmで、潮流最強時は流速7ノット(秒速3.5m)に達する。 |
古くから畿内の西口として著名で、柿本人麻呂の短歌「天離(あまさか)る夷(ひな)の長道(ながじ)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ」は往時の海峡往還の状況を伝え、平安初期には官営の渡しができた。 |
現在、海峡を通過する船舶は1日1,000隻を超え、全国一の通行量を誇っており、海上交通安全法による航路が設定され、全長200m以上の巨大船に対する航行管制等が行われている。 |
明石市と淡路町岩屋の間に播淡(ばんたん)連絡船が発着している。1998年4月世界最長の吊り橋、明石海峡大橋(橋長3911m、中央支間長1991m)が完成、既に開通している大鳴門橋(おおなるときょう)と合わせて本州四国連絡橋神戸・鳴門ルートが貫通した。
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巨大船の通る海峡
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淡路島国際公園都市 |
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資料
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翼の形をした淡路交流の翼港(東浦町)
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大阪湾海上交通センター
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淡路島北端の2ヵ所に設置された高性能レーダー等により、通行船舶や航路・気象等に関する情報提供を行うほか、海上交通安全法に基づく航行管制を実施し、明石海峡の航行安全を図っている。1993年(平成5年)に運用を開始以来、明石海峡での海難が半減したという。(写真01)
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明石海峡大橋 |
明石海峡大橋は橋長3,911m(計画では3,910m)、中央支間長1,991m(計画では1,990m)、主塔高さ海面上297mの世界最長の吊り橋である。暴風は風速80m、地震はマグニチュード8.5と、150年に1回起こるか起こらないような外力にも耐える設計となっている。 |
建設工事中の1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の影響で、淡路側の3P主塔の基礎が地盤ごと1.1mほど淡路側にずれたため、中央支間長や全長が1mほど伸びてしまったものの工事は続行、1998年4月5日供用が開始され、淡路島は本州と一体となった。 |
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淡路島国際公園都市
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兵庫県は、関西国際空港の開港や明石海峡大橋の開通を機に、淡路地域の振興と大阪湾ベイエリアの交流拠点をめざし、淡路島国際公園都市(約350ha)の整備を進めている。
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淡路島国際公園都市は国営明石海峡公園(淡路地区)、淡路ハイウェイオアシスをエリア内に含む県立淡路島公園、海の玄関口となる淡路交流の翼港、そして都市の中核施設となる淡路夢舞台などから構成される。
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淡路花博
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淡路花博「ジャパンフローラ2000」は、人と自然のコミュニケーションをテーマに、2000年3月〜9月の184日間、淡路島の淡路町と東浦町で開かれた。開会祝賀式典には、秋篠宮同妃両殿下がご臨席された。現在、この跡地に淡路夢舞台などがあり、第3セクターにより運営されている。
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夢舞台といい、交流の翼港といい、ネーミングが素晴らしい。淡路島の新たな拠点として、この地区のこれからの発展を心から祈念したい。
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