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名古屋城入口 |
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拡大写真(800x600)129KB |
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2004年5月25日(月)愛知県名古屋市の名古屋城に行った。JR名古屋駅前の市営地下鉄・名古屋駅から東山線・栄駅乗り換え、名城線・市役所駅まで約15分。歩いて正門まで10分ほどで着く。 |
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名古屋城 |
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「尾張名古屋は城でもつ」といわれ、巨大な金の鯱(きんのしゃちほこ)を城頭に頂くことで有名な名古屋城は、関ヶ原の合戦後、江戸幕府を開いた徳川家康が、慶長14年(1609)、東海道の要所として、また、大坂(現大阪)方への備えとして、清須(きよす
現清洲町)から名古屋へ遷府したことに始まる。 |
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名古屋城正門 |
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拡大写真(1200x900)230KB 【E-1
28mm F11.0 1/640秒 ISO200
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名古屋城見取図 |
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拡大写真(1800x1260)180KB |
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家康は、加藤清正・福島正則・前田利光など諸大名20名に名古屋城の普請(ふしん 土木工事)を命じ、
平地に建てられた平城(ひらじょう)として、慶長17年(1612)に完成した。 |
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名古屋城は、明治維新を迎えるまで、徳川御三家の筆頭・尾張家の居城として栄えたが、第二次世界大戦中の昭和20年(1945)5月の名古屋空襲で、大・小天守閣や本丸御殿をはじめ主な建物の殆どが焼失した。 |
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現在の天守閣は、昭和34年(1959)に再建されたものである。 |
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正門を入ると、西之丸に至る。目の前に内堀に囲まれた本丸が現れる。内堀は空堀(からぼり)となっており、鹿が飼われていた。 |
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拡大写真(1200x900)325KB 【E-1
294mm F7.1 1/640秒 ISO200
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西之丸の一角に、名古屋市内で唯一の天然記念物である榧*の木がある。高さ16m
幹回り8mで、築城以前から自生し、樹齢600年以上といわれる。 |
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初代藩主・徳川義直の大坂への出陣のとき、この実を膳に盛り、のち正月の祝膳に盛ったといわれる。 |
*イチイ科の常緑高木で、葉は扁平線状、革質で厚く、先端は鋭い。雌雄異株。4月頃開花するが、実は広楕円形で、核は食用・薬用とし、また油を搾る。材は堅くて碁盤などをつくる。 |
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拡大写真(1200x900)282KB 【E-1
28mm F9.0 1/320秒 ISO200】
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見学者の本丸への入口に当たる表二之門は、戦災を免れ、国の重要文化財として今に残っている。 |
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古くは南二之門といわれ、門柱・冠木とも鉄板張りとし、用材は木割りが太く堅固に造られている。袖塀は土塀で、鉄砲狭間(てっぽうざま)を開いて要害としての堅固さを示している。鉄扉には、生々しい弾痕が残されている。 |
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拡大写真(1600x800)192KB 【E-1
40mm F11.0 1/650秒 ISO200】
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鉄 扉 |
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弾 痕 |
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拡大写真(1200x900)222KB 【E-1
74mm F4.5 1/160秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)312KB 【E-1
28mm F5.6 1/125秒 ISO200】
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大天守閣と小天守閣 |
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本丸に入ると、巨大な金鯱(きんしゃち)を城頭にいただく大天守閣が眼前に迫る。高さ48mの大天守閣と高さ24mの小天守閣は、ともに昭和34年(1959)10月に再建されたものである。 |
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拡大写真(1200x800)230KB 【E-1
40mm F11.0 1/1000秒 ISO200】
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五層五階の大天守閣のオリジナルは、加藤清正の普請によるものである。鯱も彼の提案によるものとか。現在の大天守閣は、鉄骨鉄筋コンクリート造りで、内部は博物館になっており、最上階には展望室が設けられている。 |
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大天守閣の勇姿 |
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拡大写真(1200x1000)281KB 【E-1
54mm F11.0 1/800秒 ISO200】
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