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和田義男

 旅紀行ジャパン

2004年6月29日改訂

♪君が泣くから BGMの小箱

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2004年6月28日作成

黄金の鯱(雄)

名古屋城(愛知県名古屋市)

  金鯱の名古屋城<前編>   金鯱の名古屋城<後編>
 

金 鯱きんしゃち

 名古屋城は、別名「金鯱城」といわれるように、最も名高いのは金鯱である。初めて天守閣に金鯱が輝いたのは、織田信長が築いた安土城であるが、この金鯱は部分的に金箔が貼られていたそうで、全身が金で覆われた鯱*が登場したのは、豊臣秀吉の築いた大坂城が最初といわれる。
*しゃちほこ・しゃち: 棟飾りの一。頭は竜のようで、背に鋭いとげのある海魚の形をなし、大棟の両端につける。城郭建築に多く、鴟尾(しび)の変形という。瓦・銅・石・木などで作る。

金鯱の天守閣

金鯱の天守閣

拡大写真(1200x900)239KB 【E-1  140mm   F9.0 1/1000秒 ISO200 】

金鯱 ・雄(北側)
  高さ 2.621m 重量 1,272kg 金板の種類 18k 金板の厚み 0.15mm うろこの枚数 112枚 金量(18k)44.69kg
金鯱・雌(南側)
  高さ 2.579m 重量 1,215kg 金板の種類 18k 金板の厚み 0.15mm うろこの枚数 126枚 金量(18k)43.39kg

黄金の鯱(雄)

黄金の鯱(雄)

拡大写真(1200x940)224KB 【E-1  566mm   F11.0 1/1250秒 ISO200 】

 黄金の鯱の眩しき夏の空 北舟 

雌の鯱(南)

雄の鯱(北)

雌の鯱(南) 雄の鯱(北)

拡大写真(635x800)116KB 【E-1 566mm  F10.0 1/800秒 ISO200】

拡大写真(635x800)102KB 【E-1 566mm  F11.0 1/1250秒 ISO200】

見上げる天守閣

見上げる天守閣

拡大写真(1200x900)232KB 【E-1  28mm   F9.0 1/320秒 ISO200】

JR名古屋駅のツインタワー

 大天守閣・展望室からの名古屋市内の眺めは非常に良い。今、日本一元気の良い名古屋市のJR名古屋駅に大成建設(株)施工によるJRセントラルタワーズが建ち、名古屋城以上に目立つ存在となった。
 このビルは、JR名古屋駅に地上51階建てのオフィスタワーと地上53階建てのホテル(名古屋マリオットアソシアホテル)タワーからなるツインタワー方式の超高層ビルで、高さ245mあり、延床面積約41万m2は日本一という。

JR名古屋駅のツインタワー

拡大写真(1200x900)305KB 【E-1  76mm   F9.0 1/640秒 ISO200】

丸に三つ葉葵

丸に三つ葉葵

東南隅

やぐら

 本丸の東南隅にある櫓は、辰巳櫓(たつみやぐら)ともいわれ、創建当時の姿を伝えるもので、重要文化財に指定されている。鬼瓦などに葵の紋が見られる。

東南隅櫓

拡大写真(1200x800)240KB 【E-1  34mm   F11.0 1/800秒 ISO200】

石垣の

刻紋こくもん

 普請を命ぜられた各大名は、複雑な分担と他家との競争もあり、石垣の材料を各地から取り寄せた際、石材の紛失・盗難を防ぐため、石材に刻紋(刻印)を付けて所有者を明確にしたという。

石垣の刻紋

拡大写真(1200x900)245KB 【E-1  28mm   F6.3 1/200秒 ISO200】

清正公石曳きの像

 東南隅櫓の直ぐ南に、日の丸の扇と槍を持ち、大石の上に立つ加藤清正の銅像がある。天守閣の石垣の構築を命じられた清正は、巨石の運搬に際し、その上に着飾った小姓を立たせ、自ら音頭をとって木遣(きやり)を歌わせ、民衆が老若を問わず引綱をとって運んだと伝えられる。

清正公石曳きの像

拡大写真(1200x1000)266KB 【E-1  54mm   F6.3 1/250秒 ISO200】

築城の様子:大石を曳く人たち

大石を曳く人たち 1 大石を曳く人たち 2

拡大写真(1024x768)147KB 【E-1 28mm  F2.8 1/30秒 ISO200】

拡大写真(1024x768)146KB 【E-1 28mm  F2.8 1/40秒 ISO200】

清正石きよまさいし

   名古屋城の石垣には、防備を誇示するために大きな石が組み入れられた。清正石と呼ばれる巨石は、本丸東二之門の枡形石垣の中にあり、横6m、縦2.5mで10畳敷きの大きさがある。
  この石は、加藤清正が運んできたといわれていたが、この石塁(いしるい)は黒田長政の丁場(ちょうば)であったので、清正石というのは、単なる伝説と考えられている。

清正石

拡大写真(1200x800)257KB 【E-1  28mm   F11.0 1/640秒 ISO200】

注:文中の表記は全て35mm換算によるもので、 「28mm」は14-54mmズームレンズの14mmで撮影したという意味である。

和田義男

 
  撮影 2004年5月25日
 
《 OLYMPUS E-1 》

 
14-54mm 50-200mm EC-14

500万画素


 200枚  230MB
 

  名古屋城に行くと、豊臣秀吉の重鎮・加藤清正が天守閣や石垣の普請に意欲的に取り組んだ様子が今日に伝わっている。
  清正が豊臣家を滅亡させた徳川家の居城の建設に、これほど熱心に取り組んだ理由は何か、種々推論がなされている。
  東門から名古屋城を後にした。快晴に恵まれ、金鯱の輝きが心に残った。〈 完 〉
  金鯱の名古屋城<前編>   金鯱の名古屋城<後編>
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