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和田義男

 旅紀行ジャパン

2004年10月9日改訂

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2004年10月9日作成

瀬戸本業窯

瀬戸物の里(愛知県瀬戸市)

名鉄尾張瀬戸駅

名鉄尾張瀬戸駅

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 2004年5月22日(土)家内と二人で瀬戸物のふる里を訪ねた。名古屋市栄町(さかえまち)から名鉄瀬戸線で8駅、30分ほどで尾張瀬戸駅に着く。

瀬戸物せともの

 普段食器として使う陶器類のことを瀬戸物というが、その用語例は永禄6年(1563)に織田信長が下した制札(せいふだ)に始まるという。
 一般に用いられるようになったのは、江戸時代に入って窯業(ようぎょう)生産の主座から転落した瀬戸と美濃(みの)で大衆向けの日常食器類が焼かれ、それが全国的に広く流通するようになってからだといわれる。
 通常、瀬戸物の語を用いるのは近畿地方以東の東日本であり、中国、四国、九州などの西日本では唐津物(からつもの)というが、その境界ははっきりしたものではなく、高知で育った私は、瀬戸物のお世話になった。

市内を流れる瀬戸川

市内を流れる瀬戸川

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瀬戸散策絵図

瀬戸散策絵図

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瀬戸市せとし

 愛知県北部、名古屋市の北東に位置する窯業都市。1929年市制。人口13万2千人余(2004)。市域の大部分を占める丘陵地は瀬戸層群と呼ばれる第三紀鮮新世(せんしんせい)の地層で、ここから陶土やケイ砂が採掘される。   瀬戸市公式サイト

 

瀬戸焼せとやき

 瀬戸焼は鎌倉初期に宋(そう)で陶法を学んだ加藤四郎左衛門景正が窯(かま)をひらいたのが始まりといわれ、近世には尾張藩の保護を受けて発展した。

瀬戸川のせせらぎ

瀬戸川のせせらぎ

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   瀬戸焼は、一時九州産の磁器に押されて衰退したが、文化年間(1804‐18)加藤民吉が藩の命で磁器の製法を導入して盛り返した。  
 明治時代に入り石炭窯の導入、瀬戸陶器学校の設立などにより近代化が進み、さらに第二次世界大戦後、重油・ガス窯が用いられるようになって食器のほかにノベルティ(装飾陶器)、玩具、電気用品などが輸出用に大量生産され、全国屈指の陶磁器生産地となっている。
   毎年9月には「せともの祭」が開催され、市内中央部を流れる瀬戸川両岸に延々と出店が並ぶ。  

瀬戸物の欄干

江戸時代の陶工の様子が染付で描かれた宮前橋

瀬戸物の欄干

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洞 町ほらまち

   尾張瀬戸駅から東へ約1.5kmの洞町(ほらまち)は、谷間の地形を生かして多くの窯が造られ、磁器を新製(しんせい)と呼ぶのに対して本業(ほんぎょう)と呼ぶ陶器生産の中心地の一つであった。

瀬戸(洞)本業窯せと(ほら)ほんぎょうがま

瀬戸(洞)本業窯

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  窯元を巡る小径や夏木陰       
 往時は、町内の細い路地を焼き物を積んだ荷車や担ぎ手と呼ばれる天秤棒をかついだ運搬人が行き来し、賑わったといわれる。現在、陶の路(とうのみち)と呼ばれる散策路は閑散としていた。

瀬戸本業窯の内部

瀬戸本業窯の内部

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窯垣の小径かまがきのこみち

   そんな狭い道の中に、窯垣の小径と呼ばれる路地がある。400mほどの細い小径には、窯垣(かまがき)が密集している。昔はここが洞(ほら)の本道で、通称エンゴロ道ともいわれる。

窯垣の小径

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窯垣かまがき

   窯垣とは、不用になったエンゴロ(登り窯で焼く際に製品を保護するための鉢)やエブタ(棚板)、ツク(棚板を支える柱)などの窯道具を使って造った塀や壁のことで、その幾何学的な模様は、見る人の目を楽しませてくれる。

窯垣

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古井戸(窯垣の小径資料館)

古井戸(窯垣の小径資料館)

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瀬戸物が埋め込まれた窯垣

瀬戸物が埋め込まれた窯垣

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陶製梵鐘とうせいぼんしょう

   紫雲山法雲寺には陶製の梵鐘が保存されている。第二次世界大戦中、金属回収令により、寺院の仏具、梵鐘類も強制供出になったことから、 昭和17年 (1942)、梵鐘供出と同時に製陶所に依頼して製作したという。 
 法雲寺によれば、陶製梵鐘は全国を探しても皆無と思われるという。internetで検索してみたが、確かにこの梵鐘以外には陶製は見あたらなかった。この梵鐘は瀬戸市有形文化財に指定されている。

陶製梵鐘

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鐘忠かねちゅう

陶器の招き猫

鐘忠陶器の招き猫

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丸一国府商店まるいちこくぶしょうてん

   明治41年(1908)頃、犬山城を模して建てられた瀬戸の老舗・丸一国府商店は瀬戸川沿いにある4階建ての建物で、望楼・天守閣が瀬戸のシンボルとなっている。店頭には瀬戸焼をはじめ各種の陶磁器が並ぶ。
丸一国府商店

瀬戸物の太鼓

丸一国府商店 瀬戸物の太鼓

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瀬戸子供太鼓こまいぬ座
 
   丸一国府商店の前で、瀬戸物でつくられた小太鼓を使った瀬戸子供太鼓こまいぬ座が熱演していた。  
   土曜日にもかかわらず、観光客はまばらで、男女の子供たちの演奏は、我々のためにあるかのようだった。子供たちの素晴らしい太鼓の音に見送られて、静かな瀬戸市を後にした。  こまいぬ座公式サイト

瀬戸子供太鼓こまいぬ座のフィナーレ

瀬戸子供太鼓こまいぬ座のフィナーレ

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  瀬戸物の栄華を残す夏館       

和田義男

 
  撮影 2004年5月22日
 
《 OLYMPUS E-1 》

 
14-54mm 50-200mm EC-14



500万画素


 350枚  400MB
 

 江戸末期以降、有田焼など硬質で光沢のある磁器に押されてきた瀬戸焼であるが、往時の栄華を忍ぶ窯元や館など古い町並みが残され、落ち着いた雰囲気の焼き物のふる里があった。
 有田、備前、九谷のように人間国宝を輩出し、何百万円という高価な製品が並べられているところと比べ、大衆食器に販路を求めた瀬戸焼は、非常に地味な存在である。
 しかし、普通名詞化した「せともの」という言葉はどこか庶民的で懐かしく、親しみを感じる。これからも頑張ってもらいたい。〈 完 〉
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