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 旅紀行ジャパン

2003年7月6日改訂
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2003年7月5日制作

日本最大の鐘楼

知恩院、除夜の鐘試し撞き

日本最大の鐘楼(京都・知恩院)

勢至堂

 勢至堂(せいしどう)は、国の重要文化財で、御廟の崖下にあり、端正な佇まいである。法然の晩年から終焉までの地であり、知恩院のすぐ北隣の粟田青蓮院の慈鎮和尚が法然のために南禅院という寺を提供したのが大谷禅房といわれ、勢至堂の起源となっている。

 徳川幕府による知恩院拡張以前は、勢至堂が知恩院の本堂で、法然の幼名「勢至丸」ゆかりの勢至菩薩を本尊とする。堂正面に「知恩教院」という勅額が掲げられている。後奈良天皇の宸筆(しんぴつ 天子の直筆)であり、知恩院の名の起源となった。

崖下の勢至堂

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勢至堂

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勢至堂の仏壇

 勢至堂も無人で、自由に参拝できる。中央の仏壇には勢至菩薩が鎮座する。本来、脇侍仏で本尊として祀られることはなく、法然上人の幼名が「勢至丸」であったため、特別待遇であるらしい。

勢至菩薩

 阿弥陀如来の右に脇侍する菩薩。智慧の光をもってあまねく一切を照らし、衆生(しゅじょう 生きとし生けるもの)の迷いを除き、三途(さんず 三悪道)を離れて無上力(むじょうりき)を得させるという。宝冠中に宝瓶をのせる。

三途(三悪道):衆生が自己の業によって到るべき地獄道・餓鬼道・畜生道。 

勢至堂の仏壇

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一枚起請文

 法然は、80歳になった建暦2年(1212)正月2日から、現在は勢至堂が建つ大谷禅房で病床についた。弟子達が看取るなか、寝ても醒めても念仏を唱え続けた。
 正月23日、弟子の勢観房源智が専修念仏の要諦について一筆賜り、後の形見にしたいと申し出ると、法然は弱った身体を起こして筆をとった。これが名高い「一枚起請文」である。
 決して智恵のある者のふるまいをせず、ただひたすら念仏を唱えるべし・・・。法然は浄土宗における心の在り方をこの一枚の紙に極めたのである。これが法然の遺言となった。
 その二日後の正月25日、容態が悪化した。大谷禅房の周囲には聞き伝えた結縁の人々が詰めかけた。正午頃、法然は眠るようにして入滅したという。

一枚起請文

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勢至堂の東の崖下に、一枚起請文の全文が掲げられてる。

一枚起請 法然上人真筆

金戒光明寺 

一枚起請 法然上人真筆

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阿弥陀二十五菩薩来迎図

 ひたすら南無阿弥陀仏と唱えるだけで、悪人ですら極楽往生できるという法然の教えは、これまで救われようのなかった一般庶民を魅了した。阿弥陀如来と二十五の菩薩が、こうして迎えに来てくれるという。


 右下隈に描かれている往生者(おうじょうしゃ)を迎えるため、阿弥陀如来と二十五菩薩が急峻な山頂ごしに飛雲に乗って降下するさまを描いた来迎図(らいごうず)は、「早来迎」の異名をもつ。
 その迅速な来迎の動感を表す飛雲の描写や、肉身・着衣ともに金色とした諸尊の表現には、鎌倉後期仏画の特色が表れているという。

絹本著色145.1×154.5cm 鎌倉時代(13-14世紀) 京都 知恩院国宝

全体図

阿弥陀二十五菩薩来迎図(全図)

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部分拡大図

阿弥陀二十五菩薩来迎図(部分)

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Adobe Photo Shop 6.0 を使って、退色した画像の復元を試みたところ、鮮やかな色彩が蘇った。

紫雲水

 勢至堂のそばの崖下に紫雲水(しうんすい)がある。法然が入滅するとき、極楽から迎えが来て水面に紫雲が現れ、この世のものとも思えぬ薫香が漂ったという。

紫雲水

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大鐘楼

 この巨大な梵鐘は寛永13年(1636)に鋳造されたもので、東山区の方広寺、奈良の東大寺と並んで日本三大梵鐘の一つといわれ、高さ一丈八寸(約3.3m)口径九尺二寸(約2.8m)厚さ九寸五分(約30cm)重さ一万八千貫(約70ton)あり、鐘楼と併せ国の重要文化財に指定されている。

注:一方で神護寺・三井寺・平等院の鐘を日本三大梵鐘と呼ぶグループがある。

大鐘楼

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 除夜の鐘には一山僧侶17名が4mの撞木(しゅもく)を引き、親綱(おやづな)を持つ僧の体は地面にまで反りかえる。昔は市中の西の端、嵐山まで聞こえたという。

知恩院、除夜の鐘試し撞き

 除夜の鐘を聞くために毎年数万人の参詣者で賑わうという。BGMに流れる除夜の鐘は、この梵鐘の音を録音したものである。是非ボリュームを上げて聞いていただきたい。味わい深い音色である。(MP3形式 26KB)

巨大な梵鐘

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 月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人のこころにぞすむ  法然 (続千載和歌集) 

和田義男

 
《 撮影 2002年12月29日 》
 
オリンパス

 CAMEDIA E-20 500万画素
ワイド・エクステンションレンズ使用

 130枚  170MB
 

 年の瀬の知恩院は、訪ねる人の影もまばらで、境内は閑散としており、ゆっくりと法然の足跡を辿ることができた。
 法然入滅のとき、彼は立派な堂宇伽藍を持たなかった。弟子がそれに触れると、そんなものはなくとも広く民衆の心にすむことこそ尊いと述べたという。
 法然の信念とは裏腹に、徳川幕府の尽力で、このような立派な伽藍が建てられた。彼はこれを見てどう思うのだろうか。法然の素晴らしい人間性に触れた旅であった。〈 完 〉
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