ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 特集!旅紀行

2005年7月12日改訂

今 日

昨 日

♪Amazing Grace KaRaNo healing Melody

    写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真 拡大写真(1536x1024)234KBが表示されます(以下同じ)。

2005年7月6日作成

フマユーン廟

フマユーン廟( インド・デリー郊外)

フマユーン廟

前編

はじめに

 デリー郊外にあるフマユーン廟(びょう)。昨年10月にアップしたクトゥブ・ミナールに続き、インド世界遺産シリーズ第2作として取材した。クトゥブ・ミナールと同じく、1993年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。

オールドデリーの商店街

オールドデリーの商店街

拡大写真(1536x1024)325KB

インドの首都デリー Delhi

 インドは28の州と6つの連邦直轄地域、そして首都圏 National capital territory であるデリーにより構成されている。デリーはインド北部にある人口約1400万人の大都市であるが、ニューデリーとオールドデリー、そして郊外の三つに分けられる。ニューデリーの中にニューデリー行政区があり、ここに連邦の首都機能がある。

オールドデリーの蛇遣い

オールドデリーの蛇遣い

拡大写真(880x1024)150KB

 古くはオールドデリーだけの町であったが、イギリス統治下に新しい首府としてニューデリーが建設されたもので、イギリスの設計・施工による新都市部分をニューデリーと呼び、古くからある町をオールドデリーと呼ぶ。

参拝に来た市民たち

参拝に来た市民たち

拡大写真(1536x1024)289KB

フマユーン廟 Humayun’s Tomb

 フマユーン廟は、ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの墓で、ペルシャ出身の(きさき)ハージ・ベグムが亡き夫を偲んでデリーの南部郊外、市の中心部から3kmほどのヤムナ河の畔(ほとり)に建設したもの。完成したのは皇帝が死んでから9年目の1565年であるという。
 現在は公園となり、市民の憩いの場所として、また、手軽に行ける世界遺産として、多くのインド人や外国人観光客が訪れる。

フマユーン廟の入口から西門を臨む

フマユーン廟の入口から西門を臨む

拡大写真(1536x1024)263KB

チャハルバーグ 四分庭園

 ペルシャ人が設計したというフマユーン廟は、広大な正方形の庭園の中央に位置する。 庭園は水路によって田の字形に仕切られ、その各々がさらに小さな正方形に分割されており、純粋に幾何学的な構成をしていることから、チャハルバーグ (四分庭園) と呼ばれる。
 ペルシャ文化のインドへの最初の大規模な適用がこのフマユーン廟であったといわれる。

フマユーン廟から西門を臨む

フマユーン廟から西門を臨む

拡大写真(1200x985)240KB

別世界のオアシス

 園内は、緑の芝にゆったりとした赤土の歩道、そして幾何学模様の細い水路が張り巡らされ、四角い噴水が涼感を誘う。喧噪と無秩序のオールドデリーと比べて、ここはまるで別世界である。この秩序ある清潔な空間は、まさしくデリー市民のオアシスである。

廟の階段を上がる観光客たち

廟の階段を上がる観光客たち

拡大写真(1200x768)201KB

イスラム建築の頂点

 この廟には、約150人もの死者が埋葬されている。 フマユーン帝のほか、妃ハージ・ベグム、王子ダーラー・シコー、そのほか重要な宮廷人たち・・・。これらの時代にインドのイスラム建築は栄光の頂点に達した。

フマユーン廟

フマユーン廟

拡大写真(1500x1000)234KB

悲劇のフマユーン帝

 中央アジアからインドを攻め、のちに大帝国となるムガール朝を創始したのは、文人皇帝バーブル (在位 1526〜1530) で、その息子の第2代皇帝フマユーン (在位 1530〜1540、1555〜1556) は、1530年に帝位を継いだが、あまり有能な統治者ではなかったという。

巨大なフマユーン廟北面

巨大なフマユーン廟北面

拡大写真(1500x1000)210KB

 1540年、東インドのビハール地方を支配していた総督が独立を唱えて反乱を起こし、ムガール朝との二度の戦いに勝利し、スール朝を始めた。 いったんペルシャに落ちのびたフマユーンは、その15年後にペルシャの大軍の援助のもとに帰還してスール朝を打ち破ると、1555年にムガール朝を再建した。
 しかし、この非運の皇帝は、1556年1月、宮廷の図書館の階段から落ち、あっけなく死んでしまったという。

フマユーン廟南東から

巨大なフマユーン廟南東から

拡大写真(1400x850)181KB

象嵌細工ぞうがんざいく

 フマユーン廟の門などを飾る象嵌細工。特に、ブルーがトルコ、ペルシャの西方をイメージさせる。職人たちはこの地に産出する自然石をふんだんに用いて、美しいペルシャ風の象嵌細工をほどこすことができたという。
フマユーン帝はイスラム教徒だったが、壁面の装飾はユダヤ教やキリスト教など様々な様式が取り入れられている。写真右はユダヤ教のダビデの星*
*ダビデの星:ユダヤ教やユダヤ民族を象徴するしるし。 ヘキサグラム(hexagram)といわれる形はイスラエルの国旗にも描かれており、古代イスラエルのダビデ王に由来する。ナチス・ドイツによるホロコースト(大量虐殺)において、ユダヤ人は目印として黄色いダビデの星をつけさせられた。

象嵌細工

ダビデの星の象嵌

象嵌細工 ダビデの星の象嵌

拡大写真(1536x1024)298KB

拡大写真(1536x1024)168KB

野生動物

 公園の至るところに出没する動物たち。緑のインコもリスも野生のもので、インドの至る所に棲息している。

リスとインコ

リスとインコ

拡大写真(1536x1024)238KB

インド通信 雨季のヒマラヤ点描

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク