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ローマからポンペイ 1998年11月6日、専用バスでナポリの近くにあるポンペイに向かった。ローマからの道のり260qを約3時間かかって到着。徒歩で遺跡を見学。
ポンペイ Pompeii イタリアの古代都市。カンパニア州北西部,ナポリの南東約23kmのナポリ湾沿岸,ベスビオ山の南麓に位置する。ローマ帝国・元首政期の人口は2万人近くに達した。しかし63年に大地震による災害をうけたのち,79年8月24日ベスビオ山の大爆発により火山礫(れき),火山灰に埋もれた。死者は約2000人,都市としての機能を失い,ついに二度と復興されなかった。
1748年,偶然の契機で発見されたポンペイは,現在,その約8割が発掘されている。
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ツアーの開始 世界遺産に登録されているポンペイの遺跡の見学は、この入り口から始まる。世界的にポピュラーなサイトであるだけに、訪問客が多く、かなりのラッシュである。我々と同様、日本人客も多い。
開場:0900から日没1時間前。
入場料:12,000リラ(約800円)。
電話:6610744
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遺跡のマップ 入り口を入り右側にヴィーナスの神殿 Tempio
di Venere と当時の法廷の役割を演じたバシリカ
Basilica がある。左手には48本のイオニア式円柱の並ぶアポロ神殿
Tempio di Apollo があり、さらに坂を上ると、古代の社会生活の中心地
Foro
に着く。この北、ベスビオ火山を望んで建っているのが、ジュピターの神殿
Tempio di Giove だ。
スタビアーネ浴場 Terme Stabiane は、ポンペイに残る3つの浴場のうち、最も保存状態が良いもの。浴室は男女別々に左右に配置され、床は二重構造で蒸気で一定の室温が保たれていた。この浴場の通りが、かってポンペイの商業の中心地であったといわれている。
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ポンペイの街 ポンペイの遺跡は、石で舗装され、一段高くなった歩道がある。中央は車道(馬車道)である。2,000年前のローマ帝国華やかなりし頃の市民の生活がそのまま発掘され、展示されていて、当時の様子が手に取るように分かる。今と変わらない鉛製の水道管が道路に埋め込まれて水道設備が完備しており、噴水まであったのには驚異だ。猛犬注意の表示もあり、今と変わらない生活ぶりが忍ばれる。 |
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広場(フォラム) 前1世紀ころのポンペイのフォラムは、柱廊で囲まれた長方形で、おもに公共の催しの場として機能していたといわれている。帝政ローマ時代のローマではカエサルのフォラムをはじめとして皇帝のフォラムが次々に建設された。5人の皇帝フォラムが軸線上に連鎖するフォラム群はフォーリ・インペリアーリと呼ばれる壮大なものであったという。 |
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ポンペイから見たベスビオ火山 |
ベスビオ火山 ポンペイから見ると、標高1281m(エンカルタ百科地球儀では1277m)の火山は、本当に目の前だ。学生の頃、「ベスビオス火山が噴火し、ポンペイの街が埋まった」と習った記憶がある。教科書にもそう書いてあった。しかし、現地では、ベスビオ火山という言葉はあったが、ベスビオス火山という言葉はない。30〜40年前の日本は、それほど世界から遠かったということなのだろう。
ベスビオ火山は、今は死火山となっている。
フニクリ・フニクラ ナポリ民謡〈フニクリ・フニクラ〉は,80年に,ベスビオの麓,標高800mから火口縁(標高約1200m)までフニコラーレ(索道鉄道)が開通した際のコマーシャルソングだという。このフニコラーレは,1944年の噴火で破壊されたので,現在は,2人掛けの腰掛けリフトが観光客を火口縁に運んでいるそうだ。
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