2005年2月7日改訂 |
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2001年1月28日制作 |
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道 路 ローマ時代の都市の道路(ローマ道)には車道の両側に一段高い歩道が設けてあり,歩行者の横断のために、車道に歩道の高さの踏石が置いてあった。これは、ポンペイの遺跡でわかったことだという。なるほど、道路の両脇に歩道があり、横断歩道とおぼしきところに、石が置いてあり、馬車道がぬかるんでいてもその石の上を歩けば、足は汚れない。2000年も前に、ローマ人は既にこのような知恵があったのだから、本当に驚きだ。 |
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08 | 埋もれた市民 左の写真は、ベスビオ火山の噴火により、生き埋めになった市民の姿である。見るも気の毒な姿だが、どうして2000年のあとまで残っていたのだろうか。 その理由は、長い歳月により、人間の肉体部分はすっかり腐敗し、微生物により分解され、消えてしまったのだが、火山灰に埋まっていたため、そこが空洞となって残ったのである。遺跡の発掘隊は、その空洞に石膏を流し込んだところ、左のような像ができあがったというわけだ。当時のローマ市民の顔かたちがハッキリと判る。しかも、頭蓋骨などは残っているので、まるで人間の化石のような感じがする。 |
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デカ○ラの表札 少し卑猥な絵であるが、決して風俗などの変なものでない。立派な家の玄関の、表札みたいな形で表示されている絵なのである。 この家の主人は、子供こそが財産であり、産めよ増やせよ主義であったらしい。デカ○ラの先端が天秤に吊されていて、その重さを誇示している。私の逸物はこれだけ大きく、「子種に沢山恵まれ、宝が溢れている家だと自慢しているのです」と、現地イタリア人女性ガイドが説明してくれた。こんなにオープンにされると、当時の性に対するおおらかさが感じられ、微笑ましい。(だけど、この人のものは真性包茎のようなのだが、大丈夫なのだろうか?) |
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10 | 風俗画の壁画 ローマ時代,とくにポンペイの壁画には,田園生活,染色作業場などの職人の仕事場,闘鶏などの大衆的娯楽など,日常の多様な光景が描かれている。この壁画は、裕福な家の食堂に描かれていたものである。鮮やかな彩色が印象的である。
洗 濯 ローマ人の洗濯様式は,ポンペイより発掘された洗濯場で,奴隷たちが踏み洗いをしていたことからうかがわれる。征服に次ぐ征服でローマの統治範囲が拡大するたびに,あらゆる分野における奴隷が誕生し,洗濯も奴隷の仕事であった。 |
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浴 場 浴場が一般化し市民のあいだでその重要性が増すのは,前2世紀のイタリア半島においてである。ローマ人は風呂が大好きだったようだ。特にポンペイのスタビア Stabia 浴場は,ローマ帝政期に入ってから発達する公共浴場(テルマエ thermae)の原型として有名だという。また,ポンペイの富裕市民は,住宅内に数室から成る浴場を有しており,後の別荘住宅(ウィラ)にもその伝統が継承されているという。 |
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12 | 庭と食堂 広い庭の周りにテーブルが置かれていた。このようなテーブルで食事をしていたらしい。庭には噴水があり、緑の木々が生い茂っている。現代と変わらない生活が、2000年の昔にあったとは、信じがたいことだ。そのころの日本とは雲泥の差だ。 2000年前のローマ市民のつくった街は、本当に凄いという一言につきる。 見学終了後、「ラ・クリマ・クリスティ(キリストの涙)」という白ワインを飲みながら昼食をとった。貝入りスパゲティとサラダ、魚介類のフライを食べた。土産にキリストの涙を購入。1本2,000円也。 ローマへの帰途、ナポリ近郊のカメオ工場を訪れた。カメオといえばナポリが老舗だ。手にタコができたマエストロの実演を見学したあと、手作りのカメオを購入。裏側に年月日と家内の名前、それに作家のサインを彫り込んでもらった。その後、ナポリを見学。「ナポリを見て死ね」という諺に納得。天候に恵まれ、素晴らしいツアーだった。(fine) |