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2003年2月17日改訂

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著者近影

撮影:2003年1月25日( 関西ヨットクラブ )

2003年1月26日制作

海洋冒険家・堀江謙一さんのこと

 芦屋市在住の堀江さんは、西宮市にある関西ヨットクラブの名誉会員で、1962年5月12日全長5.8mのマーメイドで西宮港を出港。約3ヵ月かけて日本人初の太平洋単独横断を成し遂げ、金門橋をくぐってサンフランシスコに入港した。
 パスポートもビザもない“密入国”だった。堀江さんは逮捕、強制送還を覚悟したが、当時、サンフランシスコ市長だったジョージ・クリストファーさんが「勇気ある冒険」を称えて入国を許可し、「名誉市民」として市民の歓待を受けた。堀江さんの話しによると、市長は「我々アメリカ人もみんな密入国したんだ・・・」といって許してくれたという。
 2002年、40年前と同じ5月12日、63歳の堀江さんは大勢の人々に見送られて初代と同じ大きさのMALT'S Mermaid III(モルツマーメイドIII)で新西宮ヨットハーバーを出帆。多くのアマチュア無線家と交信しながら航海し、68日後の7月17日(木)午後3時40分(現地時間)、サンフランシスコの金門橋を通過して「太平洋ひとりぼっちから40年」の記念すべき単独太平洋横断航海を成し遂げた。 太平洋ひとりぼっち
 今回の航海は、サンフランシスコ市長だったジョージ・クリストファーさんにお礼をするためだったが、2000年9月に亡くなられたため、恩人のクリストファーさんとの再会は実現しなかった。

資料

 MALT'S Mermaid III は、2002年8月14日コンテナ船で神戸に戻り、西宮、東京、大阪で展示されていたが、堀江さんの好意によりサンフランシスコ市に寄贈されることになり、今年1月22日(水)夜、コンテナ船で神戸港を出港した。(写真左)
 寄贈先は同市の海洋歴史公園。最初の太平洋単独横断の初代マーメイド号も同公園内の国立海洋博物館に展示されている。
 私は大学時代の4年間ヨット部に在籍し、A級ディンギーでインカレ(琵琶湖で開かれた第33回全日本学生ヨット選手権大会)に出場したこともあり、練習船こじまによる遠洋航海でサンフランシスコに入港した際、初代マーメイドを見て感激した覚えがある。
 MALT'S Mermaid III はまだ現役のため、博物館ではなく園内に係留展示され、イベントなどの際にはセーリングすることもあるという。2隻のマーメイド号はこれからも海国日本の海を志す若者に夢を与え続けてくれることだろう。

 昨年、堀江さんが出発する前と空路帰国後の2回歓談する機会があった。今年の1月25日(土)夜、関西ヨットクラブの新年会に招待を受けて出席したところ、また堀江さんとお会いし、隣の席で親しく歓談することができた。
 関西ヨットクラブは、西宮市にある新西宮ヨットハーバーのセンターハウス内にある。センターハウスのロビー中央には堀江さんが太平洋単独横断に使った全長2.8mの超小型ヨットが屋内展示されている。
     関西ヨットクラブ 新西宮ヨットハーバー
 堀江さんの話しでは、太平洋横断中も色々とやることがあって暇ではなかったという。毎朝定時にハムの交信があり、多くのアマチュア無線家と話しをし、そのあと、インマルサットを利用して事務所に毎日の日記と交信記録をメールにして送ったそうだ。
 事務所では、毎日の日記をホームページにのせたほか、交信した相手方にQSLカードを送った。

マーメイドギャラリー

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資料

堀江さんのQSLカード
 アマチュア無線家は、このカードが欲しくてコールして来るそうで、帰国後に送っていては遅すぎるため、毎日事務所に連絡して送ってもらったという。
 MALT'S マーメイドIIIのホームページ http://www2.malts-mermaid3.com/ は、堀江さんが業者に依頼して毎日の航海の記録をアップロードしていたもので、私も時々覗いていたが、現在は削除されているようで表示されない。堀江さんによると、依頼した業者が海には全くの素人で、船位が東経から西経に変わったとき、西経の意味が分からず、困ったという。
 今、堀江さんが頭を悩ましているのは、小型ヨットがレーダーに映らないことだという。昨年の航海で、サンフランシスコ沖で出迎えの船と会合する際、こちらからは相手船が目視できているのに、出迎えの船のレーダーではこちらの映像を確認できず、手間取ったという。
 堀江さんは1人で操船するので、寝ている間は無人の自動操舵となる。太平洋なので座礁することはないが、貨物船と遭遇した際は、相手に避航して貰うしかない。堀江さんの場合、相手船のレーダーに確実に探知される有効なレフレクターが必要なのである。
 今年64歳の堀江さんは、相変わらずバイタリティーに溢れ、既に次の冒険の構想を練っておられた。夢がある限り、新たな目標を定め、それに向かって挑戦する海の男に、これからも心より声援を送りたい。(2003年1月26日) 《 完 》
著者近影
 堀江さんには一生涯夢を追う男のロマンがある。
 私も老け込むことなく、ロマンを追い求めたいと思う。
 私の夢は、素晴らしい写真と出会いを求めて、世界中を旅することである。

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