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徳島市 徳島県北東部、徳島平野東部にある県庁所在都市。1889年市制。人口26万8706(1995)。市街地は紀伊水道に臨む吉野川河口部南岸の三角州上に位置し、16世紀末に蜂須賀家政が築いた渭山(いのやま)城の城下町から発展した。 |
吉野川流域低地のいわゆる〈北方(きたがた)〉と、南の勝浦川、那賀川下流低地を中心とした〈南方(みなみがた)〉との接点にあたり、県の政治、経済、文化の中心をなし、商業が盛んである。市街地内部には新町川、寺島川、福島川、助任(すけとう)川などの川にはさまれた三角州からなる島状の地形が多く、徳島(徳は美称)の名はこれをよく表しており、明治以降県名にも使われることになった。 |
近世には徳島平野を背景とした阿波藍の取引によって繁栄したが、明治中期以降、藍の衰退とともに経済力を失って近代工業の発達も遅れた。地場産業として、東部では阿波鏡台、仏壇、たんすなどの木工業、西部では醸造、阿波しじらなどの織物業が盛んである。 |
1964年鳴門市、小松島市、阿南市にかけての臨海地域が新産業都市に指定され、化学、繊維、鉄鋼、機械などの近代工業が誘致された。徳島駅は高徳線、徳島線、牟岐(むぎ)線が集まる交通の要衝で、新町川の河口の徳島港は阪神、和歌山、東京方面へのフェリー・高速船発着場となっている。徳島城跡には旧徳島城表御殿庭園が残る。8月中旬に行われる阿波踊りは有名。 |
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2002年8月12日、夏休みに家内と二人で400年の歴史を誇る徳島の阿波踊りを見に行った。神戸・三ノ宮駅のバスターミナルから高速バスに乗り、淡路島を通ってJR徳島駅まで1時間50分。徳島は予想外に近かった。 |
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徳島の海の玄関口・小松島から毎年「どとう連」で参加している知人に宿と演舞場の入場券を手配してもらっていたので、宿にチェックイン後、早速市内に繰り出した。 |
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徳島中央公園
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夜の本番に備えて城山の公園で最後の練習をしているという話を聞き、市役所前演舞場の位置を確認した後、公園に足を運んだ。 |
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お堀を渡ると広場があり、あちこちで踊りの練習をしている。大勢のアマチュア・カメラマンがその様子を撮影していたので、早速仲間入りした。
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練習していたのは岡田組の人たちで、広々とした緑を背景にのびのびと踊っていた。光線の具合も良く、アップで迫ってもにこやかで好意的である。お陰で良い写真が撮れ、徳島の第一印象は最高だった。
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阿波の徳島 蜂須賀さまの 今にのこせし 阿波踊り
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戦時中、自粛中止した阿波踊りも戦後の廃虚の中から不死鳥のように復活。昭和45年の大阪万博で国内外に大きなインパクトを与え、これを境に阿波踊りは大きく飛躍し、今では世界の阿波踊りといわれるまでになった。
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阿波踊り
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阿波踊りは、徳島市を中心に徳島県下一円で踊られている盆踊りをいう。兵庫県の淡路島でも踊る。阿波踊りの名称は、昭和初年に徳島出身の絵師・郷土芸能研究家の林鼓浪(はやしころう
1887〜1965)が旧国名によって命名したものという。
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伴奏は三味線・笛・太鼓・鉦(かね)などで急調子にはやしたてるが、唄は落ち着きのある「よしこの節」である。
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男は尻ぱしょりの浴衣がけに手ぬぐい頬かぶり、足袋はだし、女は片肩脱ぎの浴衣を裾からげに着て赤い蹴出しを見せ編笠をかぶり、白手甲、白脚絆、白足袋、黒の利休下駄をはき、数十人単位の連(れん)を作り街道を流し踊り歩く。これを騒(ぞめき)という。
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阿波踊りのはじまり
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1585年(天正13年)阿波徳島藩祖蜂須賀家政の徳島築城祝いに町民が踊ったのに始まるという説がある。「阿波の殿様蜂須賀公が今に残せし阿波踊り」とよしこの節の歌い出しにあるものの、当時まだ土地の土豪が家政に反抗して治安が悪く、そんな状況ではなかったという。
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文献などから、その土地で踊られた盆踊りに端を発し、その時代の社会状勢やその時々に盛んだった芸能の影響を受けて変化を遂げ、現在の姿になったといわれる。
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よしこの節
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7・7・7・5調の囃子唄で、有名な「♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々・・」はこの唄の中の1節。明治の流行歌の1つで、藍商人が歌っていたものが阿波踊りに歌う「阿波よしこの」となって定着したという。
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連
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阿波踊りを構成するグループを連という。連は同好の人たちの集まりや、企業・大学などの人たちで結成され、踊り子と鳴り物 (三味線・鉦・太鼓・横笛等)
で構成される。連の規模は様々で30人程の小グループから何百人という大グループまであり、なかでも技量練達した同好の連は有名連と呼ばれる。
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有名連は、阿波おどり振興協会・徳島県阿波踊り協会・阿波おどり保存協会の何れかに所属している。徳島市観光協会の広報誌では41連、徳島出版の有名連紹介サイトでは44連が紹介されている。 有名連
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阿波踊りに参加する連は、今年も延900連を超える。連は徳島の方言で禁止という意味だそうで、平和を目指し、争いを禁止するという意味でつけられたという。
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新ばし連
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新ばし連は、阿波おどり振興協会に所属する有名連のひとつで、連員は80人を数える。午後3時頃公園に行ったとき、新ばし連は練習を終えたところで、シートの上にゴザを敷き、腹ごしらえを始めた。
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代々女性が多く、連を支えるのも踊り歴10年以上の3人のベテラン女性だとか。手は流れるようにしなやかに、足は高く上げて元気いっぱい。
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男性は腰を十分に落としてじっくりと見せる踊りをするとの評。昭和25年に市内福島新橋通りの踊り好きが集まって結成。それにちなんで「新ばし連」と名付けたという。
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カメラを向けると気安くポーズをとってくれた。毎年のことで手慣れた様子だった。
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この日は暑くて、じっとしていても汗ばむほどだったが、これだけしっかり着込んでいる女性たちは、暑さに耐えるのが大変だろう。かき氷が食べたくなるのも自然の成り行きだ。
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企業連
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阿波踊りのもう一つの柱が企業連だ。著名な企業が有名人を仕立てて煌びやかな踊りを見せる。金をかけているため、派手なPRがあるのはやむを得ない。
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午後4時過ぎ、企業連のひとつ大塚グループ連が公園に集結。腹ごしらえを始めた。衣装はカラフルで広告が入っている。
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