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旅紀行日本の裸祭り 

2002年10月31日改訂

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BGM
宗像神社・沖津宮現地大祭

2002年10月7日制作

高良大社

 福岡県久留米市郊外にある高さ312mの高良山(こうらさん)の中腹に鎮座する高良大社(こうらたいしゃ)は、今からおよそ1600年前に創建された旧国幣大社の神社で、 九州総社といわれ、神社建築としては九州最大の社殿を誇る。

 正殿に高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)、左殿に八幡大神(はちまんおおかみ)、右殿に住吉大神(すみよしおおかみ)の三柱の祭神を祀り、古くから筑後一ノ宮として人々の生活を守り、芸能・長寿・厄除けの神として信仰されてきた。
 へこかき祭は、毎年6月1・2日に高良大社が執り行う厄除け祈願の祭礼である。還暦・厄年の人を対象としているが、それ以外の人でも受け入れてくれる。子供も保護者がいれば年齢制限はない。近年は参加者の便宜を考え、6月最初の日曜日に行われるようになった。

へこかき祭(川渡祭)

 へこかき祭は、古くから「川渡祭(かわたりさい)」と呼ばれてきた。川渡とは川に入るという意味で、昔は筑後川で禊を行っていたことからその名がつけられたという。近年は、高良大社の末社である味水御井神社(うましみずみいじんじゃ)で禊が行われるようになり、「へこかき祭」と呼ばれるようになったが、川渡祭という呼び名は現在でも使用されている。

 毎年80人ほどが古式にのっとり、赤い鉢巻に赤べこと呼ぶ赤い六尺褌(ろくしゃくふんどし)を締め込み、祭事に参加する。筑後地方では、褌(ふんどし)を「へこ」と呼ぶことから「へこかき祭」と呼ばれるようになったという。(注:他の神社で行われる「潮かき」は海水で清めるという意味。)
 祭の当日朝7時にJR久留米大学前駅北側の味水御井神社(うましみずみいじんじゃ)に集合。神社から支給された赤鉢巻と赤べこをきりりと締め込み、境内に集合する。普通禊は白装束で行われるが、還暦(かんれき)に赤い着物を着る趣旨と同じで赤を身につける。(写真は2001年の様子)

 還暦は「本卦還り(ほんけがえり)」といい、十干十二支(じっかん じゅうにし)が60年で一巡し、生まれた年の干支(えと)に戻ることから還暦といわれる。「赤ん坊に還る」という意味と「赤は魔よけの色」ということから、赤い頭巾(ずきん)・赤いちゃんちゃんこ・赤い座布団などを贈り、生まれ変わった気持ちで長寿を全うするよう還暦を祝う慣わしが生まれた。褌を下着としている人には赤褌を送るところもあるという。

準備

 境内の白いテントの前に立つ白鉢巻に白褌の人は、高良大社から派遣された神主(かんぬし)である。透けて見えないよう水行用の厚手の越中褌を締めているのはさすがにプロだ。3名とも若い。
 高良大社では先導(せんどう)と呼び、この祭祀の指南・進行役である。月とはいえ裸になるとまだ寒く、篝火(かがりび)が焚かれる中で準備運動が始まった。
 禊中の事故防止のためとあって、準備運動は念入りに行う。昔の伝馬船(てんませんで漕ぐ舟)の動作を真似た「艪漕ぎ運動」も取り入れられていて懐かしい。今、手漕ぎ舟から動力船に変わり、艪を漕げる人はほとんどいない。艪を漕ぐと足腰が鍛えられるので、準備運動にはもってこいだ。

 入念に準備運動を行い、身体を温めた後、境内の清らかな湧水(わきみず)が注ぎ込む禊場(みそぎば)に行く。神主のお払いにより清められた清水の中に、3人の先導に続き、大きな御幣(ごへい)を持った氏子を筆頭に入水する。滑って転ぶと危ないので、慎重に進む。2人の子供も保護者に手をとってもらっている。奥に行くほど深くなっているが、胸まで浸かることはない。

 真冬の禊ではないので、寒さに震えたりすることはなく、厳しい表情は見受けられない。ただ、夏とは名ばかりの6月はじめなので、寒いことには間違いない。頭から清水を浴びることもなく、先導の指示に従い、静かに禊が続けられ、心身ともに清められる。

 しばらくして禊が終わり、一斉に禊場から上がってくる。身体を拭き清めた後、テントに用意されている茅の輪(ちのわ)のお守りを一人づつもらい、右腰の赤べこに付けたあと、法被をはおり、白の地下足袋を履いて高良大社への参拝に備える。法被は紫と灰色の二種類がある。紫の法被の背には、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)の神紋があり、灰色の方は八幡大神(はちまんおおかみ)の左三つ巴の神紋がある。

参拝

 一行は、高良大社に奉納するため、味水御井神社(うましみずみいじんじゃ)に湧き出る清水を桶に汲み、神輿のように担ぎ、高良大社に向けて出発する。灰色の法被の方が桶を担ぐ。御幣や旗を持つのは紫の法被だ。法被は短いので、赤べこの前垂れや後褌(うしろみつ)が見える。高温多湿の気候風土による日本古来の裸文化が息づいている。人によっては恥ずかしいという思いがあるかもしれない。しかし、このスタイルが日本の伝統であり、正規の装束であって、昔は粋だという美意識があった。

茅の輪くぐり

 約6kmの道のりを1時間かけて行進し、高良大社に到着した一行は、清水を奉納してお祓いを受け、茅の輪(ちのわ)をくぐり、けがれを祓う。
 茅の輪(茅草(かやくさ)で作られた大きな輪)は、正月から6月までの半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越大祓(なごしのおおはらえ)に使用されるもので、それをくぐることにより、疫病や罪が祓われるといわれている。 「水無月(みなつき)の夏越祓(なごしのはらえ)する人はちとせの命のぶといふなり」という古歌を唱えつつ、左まわり・右まわり・左まわりと、数字の8の字を3度書くようにくぐり抜けると、心身ともに清らかになり、あとの半年間を新たな気持ちで迎えることができるという。 

資料

 茅の輪の起源については、善行をした蘇民将来(そみんしょうらい)が武塔神(むとうのかみ)(素盞鳴尊すさのおのみこと)から「もしも疫病が流行したら、茅の輪を腰につけると免れる」といわれ、そのとおりにしたところ、疫病から免れることができたという故事に基づく。

写真提供: 若者の祭
市政くるめ  久留米市の広報誌「市政くるめ」の1998年6月15日号の表紙には、へこかき祭で茅の輪くぐりをしている様子を写した写真が掲載されている。赤べこを締めた男の子が茅の輪のお守りを腰に付けて茅の輪をくぐる様子は、いかにも微笑ましい。
 全国で裸祭りが見受けられるが、裸になるのは禊を行うためであることが多い。けがれを落とすには着物を着ていては落とせないからだろう。素裸になるか、白の褌を着用することが通例である。
 しかし、高良大社では、赤べこ(赤褌)で禊を行い、しかもそのまま市中を行進し、神前でお祓いをうけ、茅の輪をくぐるという儀式が続く。この点が珍しく、祭礼としては規模が小さいにもかかわらず、特異な裸祭りとして知られる。
 毎年1月7日に久留米市の玉垂宮(たまたれぐう)で行われる鬼夜(おによ)は、1600年余の伝統をもつ新年の邪気を払う追儺(ついな)の火祭りであり、日本三大火祭りの一つに数えられるとともに、国指定の重要無形民族文化財となっている。この祭りでは、全員が白べこ(白の六尺褌)を締めている。久留米の祭りは、古来からの伝統をかたくなに守っており、伝統文化の継承に熱心であることに敬意を表したい。(完)

筆者の電話取材に対し、高良大社の神主様に快く応対していただき、
懇切丁寧な説明を受けた。この場をお借りして心より御礼申し上げる。

高良大社 川渡祭へこかき裸参り 久留米市

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