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 旅紀行日本の裸祭り

2003年9月12日改訂

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♪千年女王〜海のアラベスク〜海に帰る〜氷湖〜水の都〜精霊
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浜の宮天満宮秋祭

2001年10月20日制作

01

Men of Bansyu each wearing
a loincloth for autumn festivals.

天満宮を目指す練り子たち(港・中細江・南細江)

天満宮を目指す練り子たち

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姫路市 瀬戸内海の播磨灘に面し、気候温暖な風土に恵まれ、海の幸・山の幸の豊かな地である。645年の大化改新のあと播磨国の国府が置かれ、8世紀中ごろに聖武天皇の勅令で国分寺が建てられてから発展してきた歴史と伝統ある町だ。1993年(平成5年)国宝・姫路城が日本で初めて世界文化遺産に指定され、HIMEJIの名は世界的に有名となった。近年は、新日鉄、東芝、三菱電機などの大手工場が進出し、典型的な企業城下町となっている。 面積:274ku 人口:48万人

祭一色播州の秋

 2001年10月8日(月)の休日、浜の宮天満宮秋季例祭の宵宮に出かけた。阪神三宮駅から姫路行き直通特急に乗車し、1時間くらいで山陽電鉄・飾磨駅に到着、徒歩20分ほどで浜の宮天満宮に着く。(祭礼日:10月8日宵宮・9日本宮 所在地:兵庫県姫路市飾磨区須加)
 兵庫県南西部、播磨に臨む肥沃な平野は、播州平野と呼ばれる。その中心部に位置する姫路市の海岸一帯では、10月の祭り月になると、祭り一色で盛り上がる。1年をこの日のために暮らしていると思われるほど、人々は血湧き肉踊る秋祭りに熱中する。「祭一色播州の秋」というポスターが沿線の駅構内に張られている。姫路市内だけでも約30の神社で秋祭りが執り行われ、10月は祭りで明け暮れる。

かたぐるま

男たちはみな「まわし」を締める。

 播州の秋祭りでは、男たちは上気した赤い肌にふんどしをキリリと締め込み、鉢巻を締め、地下足袋を履き、練り子(ねりこ)や乗り子(のりこ)、シデ方(しでかた)として祭りに臨む。粋な腕守りが揺れる。地元の女性は、そうした男性のいでたちがたまらなく魅力的なのだそうだ。肩車した親子のふんどし姿は、実に微笑ましい。播州では、未だに日本古来の裸文化が息づいている。日本の高温多湿の気候風土には、裸祭りがよく似合う。
 若者は、盆暮れには帰ってこなくても、秋祭りには必ず帰ってくる。祭りが平日にかかると、地元の市役所は閑散となる。職員が休みを取り、祭りに参加するからだ。
02

お母さんといっしょ

お母さんといっしょ

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本番前の談笑(宮)

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屋台が主役の秋祭り

 浜の宮天満宮の秋祭りは、赤、黄、青、桃色、柿色といったカラフルなシデを先端につけたシデ棒を持つシデ方に守られながら、頭巾をかぶり豪華な襦袢を着て太鼓を叩く乗り子を乗せた屋台を練り子が担き、「ヨーイヤサー」の掛け声も勇ましく練り歩く。男性は全員白のふんどしを締め込んでいる。シデ棒は、魔よけの他に屋台を支えたり、景気付けや合図など多彩な働きをする。シデの紙は町の色を用いるため、シデと練り子の鉢巻でどこの町の屋台かわかるようになっている。

ひとやすみ(宮)

ひとやすみ

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 浜の宮天満宮では、須加(すか)(みや)天神(てんじん)の3地区から大屋台が、大浜(おおはま)川内細江(かわちほそえ)西細江にしほそえ)中細江(なかほそえ)(みなと)南細江(みなみほそえ)の6地区から小屋台が繰り出す。大屋台は、乗り子4人を乗せ、重さ2トンほどもある屋台を練り子50〜60人で担ぐ。小屋台は乗り子2人を乗せ、1トンを超える屋台を練り子30〜40人で担ぐ。各屋台は1100頃から順番に宮入りし、拝殿前で屋台練りを披露し、拝殿を一周する。各屋台が宮入りを果たすと、境内は身動きできないほど群衆で一杯となる。宵宮でこれだから、本宮ではもっと凄いことだろう。(本宮では屋台練りのほか神輿渡御が行われる。)
03

ボク大丈夫?

ボク大丈夫?

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鳥居の下を慎重に!(天神)

鳥居の下を慎重に!

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 宮入り前には、各地区から繰り出した屋台が天満宮に至る道路を練り歩く。写真01は、港・中細江・南細江の小屋台3台による路上での練り合わせ(3台練り)の様子だ。

いなせな兄貴たち(須加)

いなせな兄貴たち

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 天満宮の鳥居前の広場に屋台が到着すると、しばらく休憩をとり、宮入りを待つ。午前1100頃、宮入りが始まる。

いざ出陣!(港)

いざ出陣!

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04

宮入り(天神)

お宮入り

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浜の宮天満宮

 天満宮は、福岡の太宰府天満宮や京都の北野天満宮で知られるように、全国で12,000を数え、昔から天神様(てんじんさま)として人々に親しまれてきた。御祭神は学問の神さまとして知られる菅原道真公だ。

 浜の宮天満宮は、もと宮町にあり、慶長年間に池田輝政が米蔵を建てるため現在の地に移したといわれている。当時、神社の南側は松林が広がり、近くまで海が迫っていたようだ。境内には燈籠.狛犬.常夜燈など江戸期の石造品が多くあり、社殿横の石灯籠は、1699年(元禄12年)のものだという。境内に漁業関係者の銘が多く見られる。 

天満宮前には、石造りの鳥居がある。屋台は、鳥居と正門をくぐり、正面の拝殿に至る。写真03、04のように大屋台はこれらをくぐり抜けるのが大変だ。

05

いざ拝殿へ(天神)

いざ拝殿へ

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祭り屋台の特徴

 播州の祭り屋台は、大きく分けて、漆塗りの屋根に錺(かざり)金具を装飾した「神輿屋根型屋台」と、布団を重ねた屋根の「布団屋台」に大別される。浜の宮天満宮の屋台は、播州の各地で多く見られる神輿屋根型屋台だ。しかし、細かく見ると、泥台(どろだい)が広く、伊達綱(だてづな)の根元を弦の綱に巻くなど他地区では見られない造りになっている。

 また、この地域では屋台を「ヤッサ」と呼ぶ。姫路市の南西部に位置する網干(あぼし)方面では「ヤッタイ」と呼ぶようだ。

肩に食い込む練り棒

 練り子たちは、肩当てもせず、練り棒の内側の本棒や外側の脇棒を直接肩に当てて屋台を担いでいる。写真左の天神の大屋台は、練り子は桃色の法被を羽織ったまま担いでいるが、いなせな須加の大屋台は、全員法被を脱ぎ捨て、ふんどし一丁で担いでいた。指揮者の美学の違いが感じ取れるところだ。
 重さ2トンといわれる大屋台は、ズッシリと重く、肩に食い込む。男たちのむき出しの肩はみるみる赤くなり、思わず顔が歪む。翌日には肩が腫れ上がるのだという。
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