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2002年12月27日改訂

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愛の夢第3番:リスト Liebestaume,3 Notturnos

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2000年7月16日制作

オンフルール Honfleur (セーヌ川河口/フランス)

オンフルール Honfleur (セーヌ川河口/フランス)

 

2002年(上)

2002年(下)

2003年(上)

 

目次

2002年12月25日(水)曇  暁や海の寒さの中に入る

 ■■■ 旅紀行日本の祭り 第8集 播州編・赤穂義士祭 ■■■

 2002年12月14日(土)、赤穂浪士(あこうろうし)討入り300年祭があるというので、兵庫県赤穂市に行った。JR播州赤穂駅前の道を南に歩いていくと10分ほどで赤穂城大手門に着く。観光客はこの道を歩くので、朝から歩行者天国になっており、両側に露店が並んでいる。大吟醸忠臣蔵や義士人形など郷里のグッズが並ぶ。

 「主君刃傷」の凶報を持って早水藤左衛門(はやみとうざえもん)と萱野三平(かやのさんぺい)が江戸より4昼夜半、早駕籠を飛ばして赤穂城下に着いたのは、元禄14年(1701)3月19日早朝のことであった。彼らは息継ぎ井戸で水を飲んで一息ついたあと、赤穂城に向かい、大石邸の長屋門をたたいた。

 曹洞宗台雲山花岳寺(かがくじ)は、赤穂浅野家初代藩主の浅野長直(あさのながなお)が常陸国笠間(ひたちのくにかさま)から赤穂へ所替えになった正保2年(1645)、浅野家の菩提寺として建てられ、以後、赤穂歴代藩主浅野家・永井家・森家の菩提寺となった。花岳寺の大石なごりの松の東側に鳴らずの鐘がある。この梵鐘は、元は赤穂二代藩主浅野長友が父長直のために鋳造したものである。

 三代長矩が殿中に於いて吉良義央へ刃傷に及んだことから赤穂淺野家は三代で断絶した。元禄15年(1702)12月15日午前3時半四十七士は吉良邸へ討ち入り主君の無念をはらした。翌年2月4日四十六士は切腹を命じられ、お預け先の4藩で自刃した。この悲報に接した人々は花岳寺に集まり、冥福を祈って鐘を打ち続けた。余りにも撞き過ぎたため、寛政9年(1797)再鋳造されるまで鐘の鳴ることはなかった。爾来、鳴らずの鐘と呼ばれるようになったという。 この鐘は太平洋戦争中も「義士の由緒深きにより」赤穂市内で唯一供出を免れ、今に伝えられている。

 赤穂城大手門前の交差点に着いた。第99回赤穂義士祭の忠臣蔵パレードはここから出発する。大手門や隅櫓(すみやぐら)が見える場所を選び、人垣の後に脚立を据え付けた。兵庫県警察音楽隊のパレードが始まった。赤穂市大名行列保存会による大名行列が大手門から太鼓橋を渡ってやってきた。古式に則り、足を跳ね上げるなど独特の歩み方で間をおきながらゆっくりと進む。

 こども大名行列は赤穂市大名行列保存会の子供たち。奴(やっこ)の独特の歩き方や毛槍の投げ渡しなど、大人と同じ難しい技をこなしていた。こども義士行列は新町自治会のちびっ子たち。いずれの行列も子供たちは役柄になりきった様子で、真剣な取組みに心を惹かれるものがあった。

 本懐を遂げ芝高輪(しばたかなわ)へ引き揚げる場面を再現した「義士行列」は、忠臣蔵パレード最大の見せ場で、フィナーレを飾る。今年初めての試みとして、追手門に人工雪を降らせた。雪の太鼓橋を渡る四十七士の勇姿は圧巻だ。大石内蔵助に扮する北爪照夫・赤穂市長は、古武士のような風格があった。

 討入りが決行された元禄15年12月14日の江戸は大雪だったが、300年後の播州赤穂は週末の好天に恵まれ、昨年の2倍近い約13万人の人出があった。今年で99回目となる師走の風物詩に、見物客はしばし歴史浪漫の世界に浸った。特に、今年初めて人工雪を使った演出で、赤穂城大手門から繰り出す義士行列の華麗な元禄絵巻は素晴らしかった。

 今、大作が完成した。是非じっくりとご覧いただきたい。


2002年12月15日(日)晴  灯台のぬくもりひとつ冬岬

 ■■■ 第99回赤穂義士祭 ■■■

大石内蔵助に扮する北爪照夫・赤穂市長

 赤穂浪士の吉良邸討ち入りから300年を迎えた昨日14日(土)、忠臣蔵のふるさと、赤穂市で赤穂義士祭が盛大に行われた。週末に好天も重なり、昨年の2倍近い約13万人が訪れ、華麗な元禄絵巻のページェントが繰り広げられた。
 呼び物の義士行列は、赤穂城跡大手門からJR播州赤穂駅前まで約1.5km。節目の年に合わせて、大手門で人工雪を降らせ、義士が吉良邸から引き揚げる場面を演出。太鼓橋などの門前の道の両脇にも、数センチほど積もらせ、300年前を再現した。
 義士行列は、北爪照夫・赤穂市長が扮する大石内蔵助の太鼓の音に合わせて、独特のすり足でゆっくりと行進。雪に映える四十七士の勇姿が素晴らしかった。
 このほか、兵庫県警音楽隊によるパレード、大名行列、赤穂おどり、津川雅彦さんの友情出演や東映剣会による殺陣など午前10時半から午後3時頃まで中身の濃いイベントが繰り広げられた。この模様は、デジカメ500万画素550枚670MBに収めたので、今後ゆっくりと編集し、アップロードしたい。乞うご期待!

2002年12月8日(日)曇

 ■■■ 旅紀行ジャパン 第14集 巨大船誕生! ■■■

 2002年9月10日(火)、三菱重工(株)神戸造船所で、台湾・エバーグリーン社のコンテナ船が進水するというので、見学に出かけた。造船所の構内は669,000uと広大で、道路に信号機があるのに驚く。招待客は、第一応接室に案内され、主催者側と歓談しながら、進水式が始まるのを待った。応接室の壁面には、これまでこの工場で建造された船舶の一覧表が掲げられており、その歴史を誇っている。今回進水する船は、1255番船である。

 午前11時、神戸市消防音楽隊の演奏をバックに進水式が始まった。エバーグリーン社の張榮發・長榮集團總裁により、「"HATSU ETHIC"と命名する」との宣言により、船首に船名が現れた。1993年から神戸造船所で連続して建造されてきたエバーグリーン社の32隻目のコンテナ船の誕生である。続いて、船底の両サイドに残されていた支えが外され、H号の船体は、完全に船台に乗っただけの状態となり、黄色の手旗信号により、進水準備完了の合図が送られた。

 来賓の英国副首相 Mr. Johon Prescott 御令室 Mrs. Pauline Prescott により、手斧で支綱(しこう)が切断されると、シャンパンが割れ、船台に乗った巨大な船がスロープを静かに滑りはじめた。巨大な船は、何の支えもなく、船底が船台に乗ったままの状態で鉄球の上を海に向かって進む。音楽隊の演奏のなか、巨大なくす玉が弾け、白鳩がはばたき、カラフルな風船が舞い上がり、紙テープが風になびく。湯浴みする人の誕生のように、巨大な船が今晴れやかに船尾から海に入っていく。いつ見ても感動的な瞬間である。

 最近はドライドックでの建造が主流で、進水はドックに海水を注入するだけだが、今回のように船をスライドさせて進水させる方式は、非常に珍しくなっているという。スロープを下っている間に地震などが発生し、ひっくり返る可能性はないとはいえず、船体が完全に海に浮き上がるまでは、何度やっても緊張するとドック関係者はいう。来賓はじめ、神戸市の広報でこのイベントを知った大勢の市民は、この荘厳ともいえる巨大船の誕生に、ただ呆然と見とれている。人の心を打つ進水の瞬間は、それを見る人々の表情も素晴らしい。


2002年11月29日(金)晴  東山苔むす庭の濡紅葉

 ■■■ 京都・永○堂の悪徳商法 ■■■

 11月17日(日)午後、紅葉の名所で知られる京都東山にある永○堂に行った。大勢の観光客で混み合う入り口で入場券を買おうと掲示板を見ると、昼の入場は「特別展1000円」としか表示がなく、庭園を見るだけの料金の表示はなかった。そこで、タダかと思って境内に入ろうとすると、入り口にいた坊さんが有料だという。

 「庭だけ見るだけなのですが」といっても、入場料は1000円だという。特別展は見ないのに同じ料金を払えとは、これは押し売りだと思った。「庭園を見るだけの料金は表示されていないし、どうして特別展と同じ料金になるのですか」と尋ねても答えない。私だけでなく、多くの人がおかしいといっていたが、取り合わない。「去年はもっと安かったのに」という声も聞こえた。入り口の坊さんは、他の寺と比べて破格に高い入場料1000円の理由を説明できるはずもなく、自分でも理不尽だと思っているのか困惑した表情を浮かべており、罪の意識を感じながらも上司の指示どおりに動いているように見えた。

 私は遠くから来てせっかくの紅葉を見たかったので、やむなく1000円を払って入場したが、後味の悪い思いをした。出口近くに永○堂が経営する幼稚園があったが、徳を説くべき聖職者が悪徳商法をしていて、どんな気持ちでこの無垢な子たちを教えているのか、住職の顔が見たいものだと思った。

 京都市など行政当局は、このような寺の実態を把握しているのだろうか。私は大の京都ファンであり、私のサイトで京都の名所を沢山紹介している。一部の寺がこのようなことをすると、京都全体のイメージが悪化してしまう。京都は拝観料が高く、坊主丸儲けという声を聞く。行政当局は早急に実態を調査し、永○堂のみならず、非常識な営業をしている寺を指導し、是正させるべきである。

遠山の金さん、京都に現るの巻

寺社奉行 紅葉の季節、沢山の観光客が訪れたようじゃのぅ。 ○○堂 はい、特別展を見にきはった沢山のお客がいらっしゃいました。そのお方には1000円の御布施をいただいておりますドス。
寺社奉行 入場券はないようじゃが、如何致した? ○○堂 はい、庭園だけを見たいと言わはりましたお方には、無料でご覧いただきましてございます。だから入場券はないのでございますドス。
寺社奉行 そうかそうか、○○堂は良いことをいたしたのぅ。 ○○堂 (しめしめ、うまくいったドス。)

そこに現れた遠山の金さん やいやい、○○堂、そうはいわせねぇぜ!

(片肌脱いで) この桜吹雪を見忘れたか〜!

 あのとき、入場だけの料金表示がないからタダだと思って入ろうとしたら、金を払わないと入れないといって、特別展を見ない客にも1000円の券を買わせて、あこぎな商売をしていたのは何処のどいつだい!
○○堂 ははぁ〜 参りましたドス!

 (このドラマは、全てフィクションであり、実在の人物や団体と一切関係ありません。)


2002年11月28日(木)晴  三門を登れば京の山紅葉

 ■■■ MIDIの著作権 ■■■

 2002年6月30日(日)、MIDI(ミディ)音楽をホームページの各ページにBGMとして設定した。ところが、先日、ある読者から次のような指摘を受けた。

 以前はMIDIデータに著作権があるとすれば、それはデータを打ち込んだ人、または団体にありました。自分で打ち込んだデータであれば自分の作品として自由に使用できました。打ち込んだ方が著作権を放棄してダウンロードできるようにしていたものがいわゆる「フリーのMIDIデータ」です。

 ところが、法律が改正されて平成13年7月1日より、作曲家の著作権がMIDIデータにも適用されるようになりましたので、たとえ自分自身で打ち込んだデータであっても、それをサイト上でダウンロード、またはストリーミングさせるだけで著作権使用料をJASRACに対して年間いくらといった金額で支払わなければなりません。(JASRACが著作権を管理している楽曲の場合です。また、作詞家または作曲家が亡くなって50年以上たった作品は著作権が失効となりますので対象外です)

 MIDIデータを扱っているサイトをいくつかご覧になるとお分かりになられると思いますが、作曲者の著作権が有効な楽曲のMIDIデータはことごとく削除されているのが現状です。詳しくは以下のサイトをご参照ください。

 http://www.wup.jp/~stmas/music/midi_tyosakukenn.html 
 http://www.jasrac.or.jp/network/contents/result_midi.html 
 http://www.jasrac.or.jp/network/contents/faq/midim.html 
 http://www.jasrac.or.jp/network/contents/tariff.html 

 蛇足ではございますが、現在では店頭で流す音楽に対しても、それがJASRACの管理している楽曲であれば著作権使用料を支払わなければならないそうです。

 調べてみると、JASRAC(ジャスラック)は社団法人日本音楽著作権協会のことで、ホームページにアクセスすると自動的に音楽が聞こえるようなやり方をストリーミングといい、私のように10曲以上の曲を用意している場合は、年間1万円をJASRACに支払う必要があることが分かった。

 そこで、著作権の有無をチェックし、JASRACに料金を支払わなくても良い曲に統一することにした。具体的には、作者の死後50年が経過しているクラシックと個人が作曲してフリーで使用を認めている曲である。本日、その作業を完了したので、私のホームページのBGMは、どこからもクレームをつけられるおそれがなくなった。読者のご指摘に深く感謝しているところである。


2002年11月26日(火)晴

 ■■■ 赤の広場が札幌大学のCDジャケットに! ■■■

拡大写真(1600x800)177KB

CDジャケット

 今日、「A Decade of Music 札幌大学/10年の軌跡」という音楽CDがブレーン株式会社から送られてきた。以前、CDのジャケットに私の赤の広場の写真を使わせて欲しいという申し入れがあり、了解していたものだ。
 使用された写真は、ロシア編の見出しの写真で、ジャケットの表と裏に連続した写真(24cmx12cm)として印刷されている。裏側の左下に (C)Photo:和田義男 と表示されている。
 内容は、今井敏勝監督率いる札幌大学吹奏楽団 (Sapporo University Wind Orchestra) によるロシアをテーマとした吹奏楽で、《組曲「ハーリ・ヤーノシュ」より》《カルミナ・ブラーナより》など10曲が収録されている。
 2001年の全日本吹奏楽コンクール金賞、2002年夏のアルペン音楽祭コンクールの部金賞と輝かしい成績を残しており、10年の軌跡を記念して12月2日に発売されるもので、2,800円の定価がついている。

 私の写真がCDジャケットに利用されたのは初めてのことであり、非常に光栄である。 


2002年11月24日(日)晴  保津川の急流下る紅葉舟

 ■■■ 旅紀行ジャパン 第13集 JCG大阪湾クルーズ ■■■

 2002年11月10日(日)、海上保安庁が大阪湾で総合訓練を行うというので、巡視船に乗船して見学した。正確には第五管区海上保安本部(五管)が一般市民を招待して毎年実施している訓練で、「JCG大阪湾海上総合訓練」という。JCGは Japan Coast Guard の頭文字をとったもので、海上保安庁の英語名である。今年は不審船対策などがあって船艇の都合がつかず、この時期になってしまったという。

 晴天に恵まれたが、寒かったので、招待客747名(うち子供104名)は冬支度で巡視船せっつに乗船。午後1時、岸壁を離れ、大阪湾中央部に設定された訓練海域に向かった。片道1時間の船旅である。後部のヘリ甲板には椅子が用意してあり、一般招待客が大阪湾の船旅を楽しんでいた。 船橋上部甲板にあがると、中馬弘毅(ちゅうまこうき)国土交通副大臣が一日船長に任命された神戸シークィーンと談笑していた。副大臣は大阪市出身。扇千影国土交通大臣は神戸高校を卒業しており、関西勢が頑張っている。副大臣は前回も来船されており、海がお好きなようである。

 午後2時、船艇15隻、航空機4機による訓練が始まった。海上パレードに続き、着色放水、編隊飛行、高速船隊運動、密輸容疑船捕捉、漂流者救助、高速船隊運動、航空機展示飛行などの訓練が行われた。

 訓練が無事に終了し、巡視船せっつは帰途についた。しばらくして船内アナウンスがあり、後部格納庫前のヘリ甲板で船上コンサートがあるという。早速、後部デッキに移動する。既に神戸市立兵庫中学校吹奏楽部37名(うち男子3名)が格納庫前に陣取り、演奏の準備に入っていた。制服姿の担当官から紹介があったあと、海上保安庁のアポロキャップがよく似合う西村知浩(にしむらともひろ)先生の指揮で、演奏が始まった。最初は、映画「タイタニック」のテーマ曲の中から3曲をメドレーで演奏。この日のために練習を重ねてきたとのことで、素晴らしい演奏だった。秋晴れとはいえ、航行中の屋外で風があり、体感温度は低い。生徒たちはコートやマフラーで完全武装し、楽譜が風で飛ばされないようクリップで挟むなど、悪条件と戦いながらの熱演だった。 


2002年11月13日(水)晴  火祭や鞍馬の宿の鉾飾

 ■■■ (株)吉田組が当サイトの画像をホームページに使用 ■■■

世界文化遺産 姫路城  姫路市に本社を構える株式会社・吉田組のホームページは、去る11月1日にオープンしたが、会社概要のページに昨年桜のシーズンに撮影した姫路城の写真が採用された。(写真左) かねてより、吉田組に勤務されている知人のKさんに依頼され、写真の使用を了解していたもので、本日、アクセスして確認した。 吉田組・会社概要

 個人のホームページに私の画像を使用しているケースは何件もあるが、法人が使用するのは初めてであり、喜ばしい。クレジットなしという条件も了解していたので、誰の写真か分からないが、間違いなく私の作品である。写真には「世界文化遺産 姫路城」の文字が入っている。


2002年11月8日(金)晴  鴟尾光る寺屋根高き鰯雲

 ■■■ 旅紀行ジャパン 第12集 鞍馬天狗の里 ■■■

 2002年10月31日、京都北山の鞍馬に行った。鞍馬は山の中である。京都市左京区、鞍馬山麓の鞍馬川沿いにひらけた集落で、上賀茂から丹波へ通じる鞍馬街道が通る。駅に降りるとホームに天狗の面が飾ってあり、駅を出ると巨大な天狗の頭部が置かれていた。 鞍馬は天狗の里である。

 僧正が谷(そうじょうがだに)は木の根道が続く奥の院の大杉権現、不動堂、魔王殿の辺り一帯を指し、伝説によれば、この付近は古来から天狗が棲みつき、牛若丸(義経)はここで鞍馬の天狗をはじめ高雄・愛宕の天狗などから武芸を教わったという。

 10月22日の夜中に行われる鞍馬の火祭りは、鎮守の由岐(ゆき)神社の例祭で、門前の人々が松明(たいまつ)をもって「さいれーや、さいりょう!」と叫びながら練り歩く。鞍馬の山は火の海のように見え、広隆寺の牛祭、今宮神社のやすらい祭とともに京都三奇祭とされる。

 鞍馬山の山道は狭く険しい。鞍馬から貴船まで約2,700mの急峻な山道を歩くには、トレッキング・シューズは必須だ。入口では無料で杖を借りることができる。鞍馬山の奥の院は昼でも薄暗く、気味が悪い。下鴨警察署の「危険 女性の一人歩きはやめましょう」の大きな看板が目に入る。木の根道は牛若丸が夜毎東光坊を抜け出し、鞍馬天狗を相手に兵法の稽古をしていた所と伝えられる。木の根道を100mほど入ると、大杉権現社(おおすぎごんげんしゃ)がある。奥の院の杉は千年近い樹齢を保ち、「護法魔王尊影向(ようごう)の杉」として多くの人々の信仰を集める。

 千年杉に覆われた山中は深く険しい。修験道という山岳信仰の地として発展してきた鞍馬は、まさに天狗の里で、現在も牛若伝説とともに生きている。神秘的な大自然の息吹を感じる霊山であった。鞍馬の火祭りは、全国に知られる。インターネットで鞍馬を検索すると、鞍馬の火祭りに関する記事が圧倒的に多い。日本古来から変わらぬ装束を身に纏った氏子たちが紅蓮の炎を乱舞させる祭りは、神秘的で美しい。志賀直哉が詳細に描写した世界は今も変わらない。


2002年10月27日(日)晴  名月の海に向ひて舫解く

 ■■■ 特集旅紀行 第14集 モーゼルワイン紀行 ■■■

 モーゼル・ザール・ルーヴァ (Mosel-Saar-Ruwer) はラインガウ (Rheingau) と並びドイツで優れたワインを産み出す地域である。殆ど100%が白ワインで、素晴らしい芳香と爽やかな酸味のフルーティなワインが生産されている。日本でも黒猫のラベルでなじみの深いシュバルツェ・カッツ (Schwarze Katz)の故郷を訪ねた。

 モーゼル川とその2つの支流であるザール川・ルーヴァ川に沿って続く峻険な丘の中腹は、白ワイン醸造の葡萄畑である。この地の葡萄は、軽くて粗いストレート質の土壌で栽培されており、素晴らしいリースリングのワインが産出されることで有名だ。産出する殆どのワインは白ワインで、酸味の新鮮さに富んださわやかでキレのいいワインである。モーゼル・ザール・ルーヴァ地域の年産量は約13万キロリットルで、99.9%を白ワインが占め、品種はリースリングが全体の55%を占める。

 モーゼル・ザール・ルーヴァ地域のうち、モーゼル川の下流(ライン川に近い方)に黒猫〈シュバルツェ・カッツ〉の故郷・ツェル村がある。ツェル村へは鉄道を利用し、コブレンツからザールブリュッケン方面の列車に乗ると約50分でブルライ(Bullay)に到着。バスで約10分の距離にツェル村がある。

 10月19日、ツェル村のシュヴァルツェ・カッツ Schwarze Kattz 畑に行った。こゝで生まれたワインは「ツェラー シュバルツェ カッツ Zeller Schwarze Katz 」と表示され、日本では黒猫又は猫と呼ばれて人気がある。黒猫はツェル村の葡萄畑に植えられたリースリング(Riesling)という品種の葡萄から作られる。味わいは軽やかでフルーティ。抵抗なく飲むことができる。

 今回、同じ職場の森本さんがご夫婦でドイツ旅行をされるということを聞き、出発前からこの企画を持ちかけたところ、気持ちよく応じていただいた。彼はドイツが大好きで、これまで5〜6回ほど足を運んでいるという。パック旅行ではなく、航空券はもちろん、ホテルの予約も国際電話をかけてドイツ語で交渉するなど、手作り旅行が得意でバックパッカーに近いスタイルをとる。奥さんもOL時代からの旅行通だとか。結果は期待通りの素晴らしい写真を撮ってきていただいた。観光化されていない村なので、貴重な記録となったと自負している。

久々に海外編をアップできた。ドイツは初めてなので、これで12ヵ国の写真をアップすることとなった。


2002年10月25日(金)晴  秋遍路巨木の森に踏み入りぬ  

 ■■■ 日本の裸祭り 灘のけんか祭り ■■■

 2002年10月15日(火)、昨年に引き続き灘のけんか祭りの本宮に行った。午前10時頃、山陽電鉄・白浜の宮駅に到着。帰りの切符を購入後、駅の直ぐ南にある松原八幡神社で地元・東山の南澤さんと落ち合った。南澤さんは、昨年アップした灘のけんか祭りを見てお便りをいただき、メル友となった方で、今年の祭りでお会いする約束をし、私にとって初めてのオフ会となった。

 初対面にもかかわらず、南澤さんはじめ、奥様、友人の方々に大変お世話になった。桟敷席でご馳走になっただけでなく、素晴らしい話をお聞きした。生涯忘れられない思い出となることだろう。心より御礼申し上げたい。また、鈴木さんにも楼門前の観覧席を手配頂くなど、大変お世話になり、感謝申し上げる。

 当サイトで一番人気の灘のけんか祭りは、1年間で万人の方々にご覧いただいた。それだけに第2作は、前作を超えるものでないと恥ずかしいという重圧があったが、幸い天候に恵まれ、また、多くの方々に支えられて、前作になかった宮入りや御旅山の様子なども収録し、82枚という大作となった。10月22日にアップしたところ、翌23日にはトップページへのアクセスが550件と過去最高を記録した。

 南澤さんにお礼のmailを出したところ、次のようなお便りをいただいた。

 素晴らしい祭り絵巻が再現されましたね。地元民として誇りに思います。昨年不幸な事故があり今年こそは事故のない祭りを願っていたのですが、不幸にも私の身内が事故にあってしまいました。幸いにも祭典関係の方々の事故処置が適切であったおかげで命は取り留めましたが、失明の危険と戦っています。灘の住民は祭りで死ねたら本望だと思う方も少なからずいます。親御さんも見舞いに来られる方々に、息子も好きなことを力一杯やった事で満足していますと言っています。祭りにかける灘の氏子の執念は生半可な事では有りません。意識も戻り来年も頑張ると言っています。

私は次の返事を出した。

 南澤さんの身内の方が失明の危機に瀕するほどの重傷を負われたとのこと、心からお見舞い申し上げます。一日も早く全快されることを祈念しております。重傷を受けたにもかかわらず、誰を恨むでもなく、また、ひるむこともなく、来年も参加するということをお聞きし、灘の氏子の皆様の祭りへの熱い思いは私の想像を超えるもので、感激しました。


2002年10月20日(日)曇  秋彼岸海上渡御の神輿舟  

 ■■■ 日本の祭り 海神社・海上渡御祭 ■■■

 2002年10月12日(土)、神戸市垂水区宮本町に鎮座する海神社(かいじんじゃ)の海上渡御祭(かいじょうとぎょさい)に行った。10月の神無月(かんなづき 神の月)は、播州の17の神社で秋祭りが催される。神々が御旅所に行かれたり、海上に出かけられたりするからだ。海神社もこの17の神社の一つに数えられている。

 海神社は、東垂水、西垂水、塩屋(しおや)、東高丸(ひがしたかまる)、名谷(みょうだに)の旧5ヵ村の氏神で、東垂水と西垂水との境界線上に位置する海神社の海上渡御祭は、昭和初期から始まり、毎年、秋祭りの最終日に行われる。神輿の担ぎ手は、旧5ヵ村の輪番制で、今年は西垂水の約100名の氏子が務めた。

 海神社の海上渡御祭は、2002年9月2日に行われた70隻の船団がパレードする常陸(ひたち)鹿島神宮御船祭りのような華やかさはない。(鹿島神宮は「鹿島立ち」で知られる。)しかし、身近にある氏神様の秋祭りに今年も地域の人々が数多く参加した。手作りの暖かみのある素晴らしい祭りだった。


2002年10月5日(土)晴  秋彼岸千年杉の遍路道

 ■■■ 日本の祭り 特集 日本の裸祭り ■■■

 今日、「旅紀行日本の祭り」を再編し、「四天王寺どやどや」「日本三大奇祭」などの裸祭りを「日本の裸祭り」という項目に集約した。今後、裸祭りは、この項目に全て登録する。

日本の裸祭り 第7集 宗像大社/沖津宮現地大祭 早速、「宗像大社/沖津宮現地大祭」をアップ。年にたった一度のこの大祭は、希望者が多く、1泊しないと行けないためなかなかチャンスがない。偶然にもこの大祭の様子を撮影したビデオをDVD化したものを匿名の方から入手したので、例によって静止画キャプチャを行い、貴重な祭祀の様子を電子情報化し、アップすることができた。

 この祭礼の特質は、秘境の地における海水による禊にある。近代文明にどっぷりと浸かり、傲慢さを持つようになってしまった人間が、文明を全てかなぐり捨てて赤裸々となり、無防備な状態で自然の中に身を置くことで、自分が自然に比べて余りにも無力で小さな存在であることを知り、大自然に対する畏敬の念を身をもって体験することができる。

 普通、禊は清水で行われるものであり、海水による禊は珍しく、沖ノ島そのものと同様に、この秘境における古式ゆかしい祭礼もまた天然記念物であるといえよう。


2002年10月2日(水)晴 

■■■  アクセス   達成! ■■■

 今朝起床していつものようにパソコンを起動すると、ホームページのアクセスが10万件を超えていた。スタートから2年2ヵ月でこの日を迎えた。4月28日に1年9ヵ月かかって5万件を達成したが、以後毎月1万件のアクセスがあり、5ヵ月で5万件をカウント。晴れて10万件の大台に乗った。とにかく嬉しい。

 ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。長いようでもあり、短いようにも感じる。多くのビジターのご支援をいただき、今日を迎えることができた。心より感謝申し上げたい。10万という数字はなかなか出せるものではない。皆様のおかげであることを肝に銘じたい。

 しかし、10万件は通過点に過ぎない。次なる目標は、アクセス100万件である。コンテンツの更なる充実を目指したい。今後のご支援とご鞭撻を心からお願い申し上げる。


2002年9月29日(日)曇  通し矢の音中天に菊日和

 ■■■ ジャパン 第11集 高野山金剛峯寺 ■■■

 2002年9月21・22日の土日に高野山に行った。1200年もの間、安息を求めて数限りない人々が訪れてきた信仰の地・高野山は、陣ヶ峰、揚柳山、弁天岳など1,000m前後の山々に囲まれた海抜820m・東西5km・南北1kmの平坦地に金剛峯寺(こんごうぶじ)のほか117の寺院が建ち並ぶ一大宗教都市である。多くの信者や遍路、先祖の墓参りに来る参詣人、四季の風情を求める行楽客、建築や彫刻の愛好家、林間学校の子供たちなど多様な人々で賑わう。

 高野山には約120の寺院があり、4,000人が暮らしている。そのうち僧侶は1,000人いるという。寺院のうち50ヵ所余が宿坊(しゅくぼう 寺院に参詣した人の宿泊する寺坊)として信者だけでなく観光客も受け入れている。和風の個室に若い修行僧が精進料理を運び、布団の出し入れもしてくれる。各寺院の本堂での早朝のお参りのほか、写経や座禅などの体験ができる。

 奥の院は大師信仰の中心霊域で、壇上伽藍とともに高野山の二大聖地である。弘法大師の眠る霊廟である御廟(ごびょう)をはじめ、燈籠堂(とうろうどう)、御供所(ごくしょ)、御廟橋、水向(みずむけ)地蔵等があり、有名な玉川(たまがわ)の清流が参拝者の心を浄めてくれる。人々は参道の両側に延々と続く墓碑を確認し、思い思いに手を合わせながら、西の御廟に向かう。
 
 玉川に架かる御廟橋を渡ると、いよいよ大師の霊域に入る。御廟橋は、36枚の橋板で造られており、全体を1枚と数えて金剛界三十七尊を表している。それぞれの裏面には種子(梵字)が刻み込まれている。御廟橋は、参詣する人たちを弘法大師が迎え見送る場所であり、この橋を渡る都度、僧侶や信者が御廟に向かって合掌する姿が見られる。御廟橋を渡り石段を登ると、弘法大師御廟の拝殿にあたる燈籠堂(とうろうどう)に至る。

 燈籠堂の後方、奥の院の最奥に弘法大師の定身(じょうしん 御遺体)が眠る御廟(ごびょう)がある。高野山中最も清浄な聖地である。御廟の周囲に聳える千年杉や絶え間なく立ちこめる香煙が深く厳かな空気を醸し出している。大勢の参拝客が香を焚き、蝋燭を灯し、御廟に対面して祈りを捧げている。敬虔な信者の姿に心打たれるものがある。

 今回は、56枚の大判写真を使い、5ページにわたる大作となった。まだまだ力不足ではあるが、少しは現代の真言密教の姿に迫ることができたのではないかと思う。苦労はあったが、作品が完成したときの充実感は格別だ。是非ご覧いただきたい。


2002年9月18日(水)晴

 ■■■ 日本の祭り 第13集 岸和田だんじり祭 ■■■

 2002年9月14日(土)、岸和田だんじり祭の宵宮に行った。今年は300年の節目に当たり、また、14日の宵宮・15日の本宮が土日に重なったため、2日間で61万人(岸和田警察署発表)と平成6年以来の人出を数えた。

 岸和田だんじり祭は、各町ごとに地車(だんじり)を保有し、子供からお年寄りまで各年齢層で役割分担を決めて組織・運営しており、祭礼年番(祭礼を司る最高組織)や岸和田市地車祭町会連合会が全体を取りまとめている。このようにしっかりした組織で運営されているのは全国でも珍しいという。現在、岸和田駅前の旧市・岸和田地区には20町・20台、その2駅北方の春木駅前の春木地区には14町・14台のだんじりがあり、合計34台のだんじりが祭りに参加する。

 9月14日は早朝の曳き出しに始まり午後のパレード、夜は灯入れ曳行(えいこう)。15日の午前中には宮入りが岸城(きしき)神社(14台)、岸和田天神宮(6台)、弥栄(やさか)神社(春木地区14台)で行われる。この他、両日とも日中随時だんじりが市中を走り回る。

 大勢の引き手が引き綱を持って交差点を駆け抜けるエネルギーには圧倒される。老若男女がひたすら走る。京都の葵祭や祇園祭のような優雅なパレードではない。あっという間に目の前を通り過ぎてしまう。町民が交代で一日中走り回るので、ヘトヘトになる。これは正に体力勝負の祭りである。
 
 だんじり祭は年に一度の家族の祭りだ。父・母・息子・娘・孫が参加し、楽しむ。市中を走り回る体力が必要だが、祭りを通じて家族や地域の絆が深まるのが何より素晴らしい。祭りは盆と正月が一度に来るような感じで、町をあげて盛り上がる。地元の会社や商店はもちろん小中学校も休校となる。郷里を離れている人もこの日だけは帰ってくる。岸和田出身の指名手配犯の検挙率が高いのもこの祭りの時期だという。市内は正に祭り一色である。

  300年の伝統を継承し、年々工夫を凝らし、しっかりした自営組織により運営されるこの祭りは、世界に誇れる素晴らしい祭りだ。それを支える岸和田市民の労力を思えば、6時間に及ぶ撮影も苦にはならなかった。是非ご覧いただきたい。


2002年9月16日(月)晴  ふた尋の茅の輪くぐりて浜に出る

 ■■■ 料理王国社「ワイン王国」にフランスの写真が掲載! ■■■

「ワイン王国」No.16 2002年秋号

 先日、料理王国社から「ワイン王国」No.16 2002年秋号が送られてきた。(写真左) かねてよりフランス・プロバンスの画像を使わせて欲しいとの依頼があり、応じていたものだ。
 文中「プロヴァンス物語」という特集の68頁に 「陽気な太陽のワイン、ヴァカンスのワイン」と題する記事があり、その中に5枚の写真が使われている。(写真右)
 掲載されている写真は、【高級リゾート地、ニース】【古代ローマ遺跡、ポンデュガール】【ゴッホの跳ね橋】【ドーテの風車小屋】【アルルの街並み】の5枚で、それぞれの写真の下に(写真提供・Yoshio Wada)のキャプションが挿入されている。
 これらの写真はWa☆Daフォトギャラリー(フランス編)に収録した01・03・04・05・06の写真である。カラーのグラビア写真となって掲載されており、大変光栄に思う。

写真をクリックすると拡大写真が見られます。

フランスの写真

「ワイン王国」No.16 

フランスの写真

ワイン王国は、縦28cm横21cm・224頁のグラビア印刷。料理王国の別冊(季刊)として、1部1500円で全国発売されている。


2002年9月3日(火)晴  阿波踊泥棒のよな頬被り

 ■■■ 総アクセス数が50万件を突破! ■■■

 2002年8月30日、オープンから2年1ヵ月で90,000件のアクセスを達成したので、詳しい分析を試みた。私のホームページは、トップページだけでなく、個別のテーマごとにアクセスカウンターを設置しているので、色々と分析することができる。現在、トップページを含め、73のカウンターがある。それぞれのテーマは1ページの場合もあれば、5ページ構成のものもある。カウンターの数字を単純に合計すると、577,785件となり、カウンターを設置しているページへの総アクセス数が50万件を突破していることが分かった。

 トップページを除く72のテーマのアクセス数を合計すると486,900件となり、トップページの90,885件で割ると5.36となる。仮にゲストが全てトップページから訪問してきたものと仮定すると、来客1人当たり1回のアクセスで5.36テーマを見ている計算となる。人気のないサイトでは一目見て客は去ってしまうことを考えると、1回訪問するごとに平均5テーマを見てもらっているということは、滞在時間が長く、大いに気に入っていただいている証拠であり、嬉しく思う。

 開設時期により差があるものの、アクセス1万件を超えるページは、次の16ヵ所である。播州秋祭・灘のけんか祭りは、僅か10ヵ月で1万7千件を超えており、実質ナンバーワンの人気ページとなっている。(2002.9.1)

順位

ページ

件 数

期 間

  順位

ページ

件 数

期 間

01 フランス写真集 18,905 2年2月 09 アメリカ写真集 12,733 2年0月
02 イタリア写真集 17,749 2年2月 10 オーストリア写真集 11,832 2年1月
03 播州秋祭・灘のけんか祭り 17,233 10月 11 ロシア写真集 11,541 2年1月
04 ベルサイユ宮殿 15,233 1年1月 12 播州秋祭・男たちの写真展 10,922 10月
05 中国写真集 15,114 2年1月 13 作者プロフィール 10,753 2年1月
06 イギリス写真集 14,670 2年1月 14 水上都市ベニス 10,687 1年5月
07 お便りコーナー 13,014 2年1月 15 悲劇の画家ゴッホ 10,083 1年3月
08 徒然日記 12,921 2年1月 16 播州秋祭・ふんどし談議 10,006 10月

2002年8月30日(金)晴  夜更けまで老若男女の踊りの輪

■■■  アクセス   達成! ■■■

 今日、アクセス90,000件を超えた。過去ログを見ると、4〜7月の4ヵ月とも28日に10,000件を達成しているが、8月は2日遅れた。原因はドメインを取得し、レンタルサーバーをhotspaceからBig-Server.comに移したため、Yahoo!などの検索エンジンでは当分の間hotspaceが表示されるため、アクセスできないケースがかなり出たためだと思う。ゲストの皆様にはご迷惑をお掛けし、大変申し訳なく思っている。2日遅れは誤差の範囲であり、いよいよ100,000件の大台にリーチがかかった。9月末に達成できることは確実である。嬉しいことだ。


2002年8月25日(日)晴  踊笠波打つ如く寄せ来る

 ■■■ ウィルスで音が出ない被害が! ■■■

 夕べ私のパソコンにインストールしているノートン・インターネットセキュリティがレッドカードを出し、ウィルスの攻撃を受けたが駆逐したと表示した。駆逐された(と思った)mailを削除して、何事もなかったかのように思えた。イエローカードは良く表示されるが、レッドカードは初めてのことだ。自動的にウィルス情報が更新されているので、これで終わりだと思っていた。

 ところが今朝パソコンを起動してみると、何と音が出ない。ケーブルのチェックなどをしたが異常はない。そこでmp3・wavなど色々なファイルを試してみたところ、フリーソフトのMIDI PLAYERで演奏したmidファイルからだけ音が出た。ということはサウンドボード Sound Blaster LIVE! Value の故障ではない。そこで思い当たるのがウィルス攻撃だ。あのレッドカードのウィルスが音が出ない悪戯をしたに違いないと判断。

 私はパソコン購入当初からハードディスクを増設し、ノートンGHOSTというバックアップソフトで、WindowsXPとアプリケーションソフトだけを入れたCドライブを数世代にわたって丸ごとイメージ・バックアップしていたので、あわてることなく最新のバージョンをリストア。3970個・9258MBのシステムファイルが約25分でよみがえり、再起動すると音が出た。データはe-mailを含めて全てDドライブに置いているので、実害はない。これだけの費用をかけ、この日のために備えていたので、スムーズに現状復帰できた。それにしてもとんでもないことをするハッカーたち!犯人は厳罰に処すべきだ!


2002年8月24日(土)晴  編笠の笑顔こぼれし踊り唄

 ■■■ 講談社「再現日本史」に灘のけんか祭りが掲載! ■■■

「再現日本史」9月3日号

 講談社から「再現日本史」9月3日号が送られてきた。(写真左) かねてより灘のけんか祭りの画像を使わせて欲しいとの依頼があり、快く応じていたものだ。
 10頁に 目録1805-1808ニュース・ファイル「爛熟の化政期、スタート」 という見出しで昨年10月15日に撮影した灘のけんか祭りの写真が大きく掲載されていた。(写真右) 左上に次のような解説があり、最後に「和田義男撮影」とある。
 姫路藩、改革を開始(文化5年) 家老・河合道臣が担当。写真は、これを機に豪華になった「灘のけんか祭」。道臣は祭礼を派手にすることで、領民を改革に取り込んだ。 和田義男撮影
 掲載された写真は「播州秋祭・男たちの写真展2/2」の27に収録した松原神社・木場 の写真だ。白黒になっているが縦15cm横22.5cmのグラビア写真となっている。これだけ大きく掲載されたのは初めてのことで大変光栄に思う。

写真をクリックすると拡大写真が見られます。

灘のけんか祭りの写真

「再現日本史」9月3日号

灘のけんか祭りの写真

再現日本史は、縦30cm横23cmのグラビア印刷で、毎週火曜日に1部560円で全国発売される。現在全国の書店で販売中だ。

 ■■■ 宝島社新書「"スローピング"完全入門」に茶碗坂が掲載! ■■■

"スローピング"完全入門

 講談社と同時に宝島社からも「"スローピング"完全入門」が送られてきた。(写真左) かねてより京都・茶碗坂の画像を使わせて欲しいとの依頼があり、了解していたものだ。
 204頁に 茶碗坂という見出しで昨年10月27日に撮影した茶碗坂の写真が掲載されていた。(写真右) 写真の下に次のような解説があり、最後に「撮影:和田義男」とある。
 アクセス JR京都線京都からバスで五条坂下車すぐ。全長 約85m 勾配 5.6% 資料提供:茶碗坂商店街 撮影:和田義男
 掲載された写真は「京都東山散策(清水寺)」 の6に収録した 茶碗坂  の写真で、縦5cm横6.5cmに縮小された白黒写真となっている。

写真をクリックすると拡大写真が見られます。

京都・茶碗坂

スローピング完全入門

京都・茶碗坂の写真

"スローピング"完全入門は、奈良岡治成氏著作による縦17.5cm横10.5cmの単行本で、1部720円で全国の書店で販売されている。

 

2002年(上)

2002年(下)

2003年(上)

 

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