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2002年9月1日改訂

今 日

昨 日

愛の夢第3番:リスト Liebestaume,3 Notturnos

2000年7月16日制作

モナコ王宮前のレストラン

 

2001年(下)

2002年(上)

2002年(下)

 

目次

2002年8月20日(火)晴  鮎鮨に舌鼓打つ夕間暮れ  

 ■■■ アメリカのレンタルサーバーに移転 ■■■

 先週、有料レンタルサーバーのHOTSPACEから突然一方的な契約破棄通告が寄せられ、私のホームページが削除されてしまった。

和田義男様のHOTSPACEのご使用に関しまして、一日の転送量がHOTSPACEの許容範囲を超えています。hotspace では回線の増強を随時行っておりますが、一部の方にこのような使用をされるとサーバーのパフォーマンスが著しく低下してしまい、サーバーを利用している全ての方(閲覧者を含む)に多大な迷惑をかけてしまうことになります。

HOTSPACE利用規約
第10条9項
ストレージサーバー(ファイル置き場)としての利用行為。
第10条10項
画像、映像ファイル、コンテンツの必要以上の設置等の行為。 
(実質上のストレージ利用とみなした場合)
10条12項
「HOTSPACE、または第三者が管理するサーバ等の設備の運営を妨げる行為」
11条2項(1)
「サーバーへの過負荷による禁止」
にあたるものとして、利用規約第5条1項「会員または利用者が第10条各号ならびに第11条各号に定める禁止行為のいずれかを行った場合。」に基づき、2002/8/16付けにて強制解約させていただきます。ご利用ありがとうございました。尚、削除理由に関してのお問い合わせにはお答えできませんのでご了承ください。


 ホームページの容量は無制限、ダウンロード制限なしで一年契約したのだが、途中で「一月5GB以上のダウンロードは従量課金」と一方的に通告されるなど、誇大広告の悪質業者であることがわかったものの、我慢して利用していた。月1万アクセス、ファイルのダウンロード量5〜6GB程度で、サーバーの過負荷が生じるようなちゃちなところであったとは詐欺にあったようなものだ。基本料金が安かったので、おかしいとは思っていたが、まさかこんな低レベルの業者だったとはビックリ! こんな業者に反論するのも阿呆らしくなり、5ヵ月のおつき合いだったが、スッパリと身を引いた。

 早速、本格的なレンタルサーバー業者をネット検索。色々なところがあったが、私のサイトにピッタリの超高速・大容量サーバが見つかったので、早速申し込んだ。今度は BIG-Server.com というところだ。サーバーは米国カルフォルニア州にある。初期費用3,500円で、使用料は月7000円。これだけで、ホームページ容量1GB、月10GBまでダウンロードOK。それ以上は超過料金を支払う。私のファイルはまだ240MBほどなので、まだ760MBもアップできる。一月のダウンロード量も5〜6GBなのでまだまだ余裕がある。これでも入門コースなのだから世界は広い。サーバーが地球の裏側にあるので、日本の夜のラッシュ時間はアメリカでは昼間のガラガラの時間帯なので、快適なアクセスが保証される。私の条件にピッタリなので永住するつもりで申し込んだ。24時間メンテの日本人スタッフがおり、MAILで質問するとすぐに返事が返ってくる。はじめからこゝにすれば良かったと後悔しきりだった。

 ■■■ 遂にドメイン wadaphoto.com を取得! ■■■

 この際なので、登録料1200円を支払ってドメインを取得した。世界で一つしかない私のドメインは wadaphoto.com 本日、すべての環境が整い、新しいURLへの移行作業が完了した。ビジターの皆様には大変ご迷惑をおかけしたが、これからは次のURLとなる。私の固有のドメインなので、今後レンタルサーバーを移転してもURLは変わらないので、これからは絶対に迷惑をお掛けすることはない。

新URL       http://wadaphoto.com/     新MAIL      desk@wadaphoto.com

 なお、従来の http://www3.justnet.ne.jp/~wadayoshio/ wadayoshio@ma3.justnet.ne.jp も残してあるので、どちらでも利用可能である。 


2002年8月11日(日)晴  生稚児の注連縄切りや祇園の会

 ■■■ 俳句・海の風景のこと ■■■

 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。


2002年8月8日(木)晴

 ■■■ TBSがWa☆Daフォトギャラリーをリンク ■■■

おもろ

写真をクリックすると拡大写真が見られます。

 民放のTBSが運営しているホームページの中に、子ども向け情報活用サイトがあり、その中に Cat Chat (キャットチャット)というページがある。本日、そのページを担当している「TBS Cat Chat プロジェクト」から私のサイトをリンクしたとの mail が入った。
 「Cat Chat (キャットチャット)」は、2000年10月にスタートしたTBSの子ども向けの情報活用サイトで、子どもたちがインターネットに慣れ、ネットサーフィンを体験し、情報を検索・収集し、見つけた情報を活用する「情報活用能力」を向上させることを大きな目的としているという。
 早速、「Cat Chat (キャットチャット)」にアクセスすると、「みてみよう! 街がしずむ?! ベニスを救うプロジェクト」という見出しで、次のニュースがのっている。
 水の都として有名な、イタリアのベニス。ベニスは遠浅の海に囲まれた小さな島で、街の中をたくさんの水路が走り、美しい町並[まちな]みは世界中の人々をひきつけています。そのベニスが、地球温暖化[ちきゅうおんだんか]による海面上昇[かいめんじょうしょう]と、地盤沈下[じばんちんか]で水ぼつしそうになっています....。
 ニュースを読みながら、知的好奇心溢れる子は、調べよう「まじめ」「おもろ」のボタンがあることに気づく。「おもろ」をクリックすると、写真の画面となり、そのトップにWa☆Daフォトギャラリー(海外写真集)がリンクされており、「特集!旅紀行」コーナーの「水上都市ベニス」ページでベニスの写真を見てみよう。(英語・日本語)と説明されている。
 TBSというビッグネームのメディアに当サイトの特集!旅紀行「水上都市ベニス」を推奨してもらったことは、誠に光栄である。特に個人のサイトを認めてもらったことは大きな勲章であり、大いに励みとなる。これからもより良いコンテンツを提供していきたいと思う。

2002年8月6日(火)晴  山鉾は男の舞台京大路

 ■■■ 朝五時の目覚し代り蝉時雨 ■■■


 
毎日猛暑が続いている。宿舎のエアコンもオーバーヒートして止まるので、業者に見てもらったところ、コンプレッサーが熱を持ち止まることが判明。溶接を伴う修理が必要とのことで、現在、除湿など軽負荷運転でしのいでいる。

 困っているのは、蝉の声だ。ベランダの前の木に止まった蝉が、朝5時になると一斉に鳴き始める。これが凄くやかましい。アルミサッシを閉め切っていても、
確実に目が覚める。目覚まし時計はいつも5時を指している。夏は夜遅くまで起きているので、朝5時に起こされるのは辛い。ある人に聞くと、神戸の蝉は関西弁で鳴くのでうるさいのだという。(^^; 

 実は、神戸は熊蝉(クマゼミ)なので、鳴き声が大きいのが特徴だという。東京は油蝉(アブラゼミ)なのでそうでもない。熊蝉の勢力が現在神奈川県まで北上しており、間もなく東京もその勢力下に落ちるという。今東京では夜間照明のため青山あたりでは夜でも蝉が鳴いているそうだ。熊蝉が東京を占領すると、朝も夜も蝉の声が響き渡り、東京都民はきっと寝不足になるに違いない。


2002年8月4日(日)晴  宵山の駒形提灯点りをり

  ■■■ 神戸港花火大会2002 ■■■

神戸港花火大会2002

画像をクリックすると拡大します。

 神戸では連日36度を超える猛暑が続いている。3日(土)には神戸港で花火大会があり、午後8時15分から9時まで、メリケンパーク沖の台船から4,000発の花火が打ち上げられ、15万人の市民が一瞬にして散る光りの芸術を楽しんだ。昨年の花火大会は7月21日(土)で、JR朝霧駅歩道橋で多くの人が死傷した明石市の花火大会と同じ日だった。
 あの痛ましい事故から1年、明石市は今年の花火大会を中止した。神戸市も警備だけで花火の打ち上げ費用1,500万円を超える費用をかけたようだが、死傷事故のことを考えると安いものだと思う。今年も神戸の花火大会は無事に終了した。警察・海保・消防など大会の安全を支える関係者の努力に感謝申し上げたい。

2002年7月28日(日)晴  夏草の小径に続く岬道

 ■■■ 開設2周年記念 日本の祭り 第11集 京都祇園祭・山鉾巡行 ■■■

 開設2周年記念第3弾の祇園祭・山鉾巡行が完成した。祇園祭はその歴史・規模・内容・品位・情熱の全てにおいて素晴らしい祭りだ。日本三大祭りの一つに数えられるのは当然である。残念ながら今年の山鉾巡行は、雨のため観客が約7万人と例年の半分となってしまった。

 
山鉾巡行は、しめ縄切りや辻回しが有名だが、私が一番気に入ったのは町屋が立ち並ぶ細い新町通だ。民家の軒をかすめて山鉾が通っていく。ここには見るものと演ずるものとの暖かいふれあいがあり、よそ行きの顔ではなく、普段の笑顔がある。祇園祭は町衆の祭りであることを実感する。

 宵山を含め、2日間とも雨が降ったが、後半は雨も上がり、かえって涼しく、快適な祭りだった。2日間で
500万画素970枚1330MBを撮影した。こんなに多くの写真を撮影したのは初めてである。祇園祭は人を惹きつける不思議な魔力を持つ祭りに違いない。是非ご覧あれ。

■■■  アクセス   達成! ■■■

 今日、アクセス80,000件を超えた。過去ログを見ると、4〜7月の4ヵ月とも28日に50,000件〜80,000件を達成している。今気がついたばかりだ。何とも不思議なことだが、ここ3ヵ月間、月1万件のペースである。本当に有り難いことだ。9月28日までには是非とも10万件の大台を達成したいものだ。


2002年7月22日(月)晴  真昼間の大輪の花砂日傘 

 ■■■ 開設2周年記念 日本の祭り 第10集 京都祇園祭・宵山 ■■■

 2002年7月16日(火)、台風6号が過ぎ去り、京都では、祇園祭の宵山が催されたので、午後から休みを取って出かけた。JR三宮駅から快速に乗ると50分で京都駅に着く。駅ビルをエスカレータで2つ下り、東に歩いて市営地下鉄烏丸(からすま)線に乗車、2駅北にある四条(しじょう)駅に着く。四条駅から四条通りに出ると、京都駅までは曇り空だったのに外は土砂降りだった。どうするか困ったが、長刀鉾(なぎなたほこ)が見えたので、そこに行くことにした。以後、3時間に渡り、宵山を取材し、京都市民の祇園祭にかける意気込みをたっぷりと味わうことができた。

 
祇園祭は、京都の園社(現、東山区八坂神社)と同社を勧請(かんじょう 神仏の分霊を迎えて祀ること)した地方の祭礼である。京都の園祭は山鉾(やまぼこ) の巡行を中心とした盛大な祭礼として日本三大祭の一つに数えられ、現存する山鉾29基すべてが国の重要民俗文化財に指定されている。

 祇園祭は、1869年(貞観
じょうがん11年)京中に疫病が流行り、清和(せいわ)天皇が神泉苑に長さ2丈(約6m)の矛(ほこ 鉾 諸刃(もろは)の剣に長い柄(つか)を取り付けた武器)66本を立て、祇園社の神輿を迎えて疫神の退散を祈ったことに始まる。古くは梢園御霊会(ごりようえ)といい、6月に行われていたが、現在は月遅れの7月に催される。祭礼はぼほ1ヵ月に及ぶが、その間、神社側で行う行事のほか、氏子の住む町(鉾町)が独自に行うものがかなりの部分を占め、町衆を主体とするこの祭礼の特色を示している。


2002年7月16日(火)晴

 ■■■ 開設2周年記念 ジャパン 第10集 比叡山延暦寺 ■■■

 今朝未明、台風7号が土佐沖を通過し、今日は朝から久しぶりの晴天となった。まるで当サイトの開設2周年を祝福してくれているようだ。思えば2年前の今日、フランスの12枚の写真をアップしてスタートしたWa☆Daフォトギャラリーも、2年間で延べ75,800人(1300現在)のビジターに来ていただいた。ここ数ヵ月はコンスタントに月1万件のアクセスがある。多くのビジターのご愛顧と励ましを受けて、今日まで来れたと思う。心から感謝申し上げたい。

 しかし、2周年は単に通過点に過ぎない。これで満足することなく、更に研鑽を積み、多くのビジターに喜んでいただけるよう質の高いコンテンツを創作して行きたいと思う。ビジターの皆様には今後ともどうか宜しくご支援いただきたい。

 開設2周年記念として「比叡山延暦寺」をアップした。昨年の晩秋、家内と2人で訪れたときの写真だが、内容が大きすぎて今日まで暖めていた。私ごとき素人が延暦寺を語る資格はないかもしれないが、私なりに1200年の歴史の重みを実感したので、そのことをわずかでもお伝えできれば大成功だと思っている。ご批判なり、ご感想なり、何なりといただければ幸甚である。

 延暦寺は天台宗の総本山で、標高848m、東山三十六峰の北端に当たる比叡山の山頂から東側斜面にかけて、三塔十六谷三千坊といわれた大寺である。山号は比叡山。延暦寺という名の建物はない。開祖は、伝教大師(でんぎょうだいし)と呼ばれる最澄(さいちょう)で、約1200年前の788年(延暦7年)、京の東北に位置する比叡山に自ら刻した薬師如来を安置した小堂一乗止観院(いちじょうしかんいん)を営み、比叡山寺と名付けた。延暦寺の名前は年号を寺名としたもので、823年(弘仁14年)に嵯峨天皇よりその名を勅賜(ちょくし)された。

 その後 最澄は唐に渡り修行して1年後に帰国、天台宗を開き、一乗止観院を根本中堂(こんぽんちゅうどう)と改めた。 これが天台宗の本堂になり、中枢伽藍となった。805年、桓武天皇(かんむてんのう)の勅願により、平安京の鬼門 (東北の方向) を守る鎮護国家の祈祷(きとう)道場として規模も整えられ、繁栄した。最澄以後、比叡山で多くの名僧が修行し、鎌倉新仏教の祖師と言われる浄土宗の法然(ほうねん)、浄土真宗の親鸞(しんらん)、禅宗の栄西(えいさい)・道元(どうげん)、日蓮宗の日蓮(にちれん)など日本仏教を代表する高僧・名僧を多数輩出した。

 
近江、山城2国にわたる広大な山上の寺域は、3塔(東塔、西塔、横川)16谷に分かれる。東塔(とうどう)は、東・西・南・北・無動寺の5谷より成り、最も早く開かれた寺域で、一山の本堂である根本中堂をはじめ、大講堂、戒壇院、文殊楼、総持院、浄土院(最澄の所)、無動寺等がある。西塔(さいとう)は、東・北・南・北尾・南尾の5谷より成り、834年(承和1年)円澄(えんちょう)が西塔院を開創したことに始まる。釈堂を中心に、相輪(そうりんとう)、法華堂・常行堂の2堂(にない堂)、宝幢院(ほうどういん)等がある。横川(よかわ)は、般若・解脱・兜率(とそつ)・樺尾(かぼう)・戒心・飯室(いいむろ)の6谷より成り、829年(天長6年)、円仁(えんにん)が首楞厳院(しゅりようごんいん)を開いたことに始まり、横川中堂(首楞厳院)、四季御堂、恵心院等がある。これらの堂舎は、寛永期もしくはそれ以後の再建で、もと3000と号した坊舎も、今は70余坊を数えるに過ぎない。

 日本の歴史を動かした多くの名僧を排出した比叡山。昔は京に近いとはいえ、歩いて登るしかない山奥の秘境であり、修行するには絶好の場所であった。現代でも千日回峰など昔と変わらぬ厳しい修行の場である。昔と今とが同居する現代の比叡山。観光地化され、日帰りで十分に散策できる文明社会の今を生きていることに感謝しつつ、1200年もの長きにわたって激動の歴史を積み重ねてきた人々の重みを肌で感じながら叡山を後にした。


2002年7月9日(火)雨  島結ぶ橋の真上の雲の峰

 ■■■ 日本の 第5集 姫路 好古園 ■■■

 2001年(平成13年)5月4日、穏やかな行楽日和となったので、姫路城の西隣にある好古園(こうこえん)を訪ねた。 JR三ノ宮駅から姫路まで、新快速で40分。駅前からレトロ調の観光ループバスに乗り込んだ。 観光ループバスは1998年(平成10年)に開設された。姫路駅前から姫路城周辺の主な見どころを約20分で巡回。土・日・祝日に運行している。姫路城を反時計回りにほぼ一周し、15分ほどで好古園に着く。

 好古園は、広さ約1万坪(3.5ha)の池泉回遊式日本庭園で、姫路侍屋敷図という古地図をもとに、発掘された地割をそのまま生かした造りとなっており、それぞれ趣の違った9つの庭園群と築地塀(ついじべい 屋根の付いた土塀)や屋敷門などから構成される。 1992年(平成4年)、姫路市制100周年を記念して開園したもので、姫路市建設局公園部が管理する。 好古園という名は、江戸時代最後の姫路藩主、酒井家が開いた藩校・好古堂にちなんでいるという。

 新しい庭園だけあって、白塗りの築地塀や屋根瓦が新品で、初々しい。正面入口を通り、最初に入るのが「御屋敷の庭」だ。榊原政岑(まさみね)が江戸吉原の遊女、高尾太夫を身うけして住まわせたという西御屋敷跡に造られた。城の西にある原生林を借景に、250匹の錦鯉が大池に泳ぐ優雅な庭である。 御屋敷の庭に活水軒(写真左の建物)が建つ。穴子弁当に舌鼓を打ちながら眺める庭が素晴らしい。昼時には列ができ、30分以上待たされてもその値打ちは十分にある。
江戸時代をしのばせる築地塀や屋敷門・長屋門、渡り廊下で結ばれた活水軒と潮音斎のたたずまいが特別史跡にふさわしい歴史的景観を創り出している。時代劇や大河ドラマのロケ地としてよく使われるという

 世界遺産に指定されている姫路城の西隣に、日本庭園があった。姫路城が余りにもビッグネームであるために、余り知られていない好古園。しかし、素晴らしい庭園だった。姫路城に来た人は、好古園にも是非足を運ぶことをお勧めする。姫路城とあわせ、一日タップリと楽しめる。そして改めて日本の歴史文化の素晴らしさを知ることになる。


2002年7月4日(木)曇  昼網の瀬戸の黒鯛踊りをり

 ■■■ 日本の 第6集 インフィオラータ2002 ■■■

 2002年(平成14年)のゴールデンウィーク、4月27日から3日間、異人館で知られる神戸市の北野坂(きたのざか)で、道路にチューリップの花びらを敷き詰めて巨大な絵を描くイベントがあった。宿舎の近くだったので、デジカメと脚立を持って3回ほど足を運び、珍しい行事を記録した。

 このイベントの正式名称は、『インフィオラータこうべ「北野坂」2002』という。インフィオラータ infiorata とは、イタリア語で「花を敷き詰める」という意味。通りや広場に花びらで絵模様を描くもので、イタリアのジェンツァーノ市をはじめヨーロッパ各都市で盛んに行われている。神戸市では、阪神・淡路大震災の復興支援として1997年に始まり、すっかり神戸の春の風物詩として定着した。今年は北野坂のほか3会場で行われた。

 使用されているチューリップは、富山県砺波(となみ)市と新潟県亀田郷の農家から、球根栽培のために肥料にしてしまう花を提供してもらったもの。花びらに傷がつかないよう、一本ずつ手作業で集めたものだという。送られてきたチューリップは、ボランティアが花びらと茎にばらすのだが、これも気が遠くなるほど大変な作業だ。

 花絵は、長さ約300mの車道上に12枚描かれ、一枚につき、10mx5mの広さに37,000本のチューリップ(花びらと茎)が使われる。花絵のまわりは、芝生を敷き詰めている。

 新しいものが大好きな神戸っ子。インフィオラータという言葉は、一般にはなじみのない言葉だ。難解な外来語が氾濫する日本。反発を感じるむきもあろうが、神戸に住んでいると、インフィオラータというロマンティックな響きに、すんなりと受け入れられる気分になるから不思議だ。


2002年6月30日(日)雨  出潮や磯火仄めく海の家

■■■ MIDI音楽をBGMに設定 ■■■

 本日、MIDI(ミディ)音楽をホームページの各ページにBGMとして設定した。以前デスクトップミュージック(DTM パソコンで音楽を作ったり、自動演奏させること)に凝っていた次期があり、10万円もするPCM音源をパソコンにつないでいたことがある。NECの98(キュウハチ)と呼ばれるパソコンのCバスに接続する規格であったため、世界標準のDOS/Vとなった現在のPCIバスにはつなげず、まだ十分に使えるにもかかわらずお役ご免となっている。

 現在は強力なCPUパワーにより、ソフトウェアで自由に音を作成して演奏することができるので、専用の音源は不要だ。それぞれのページの雰囲気にあった音楽を探すのはなかなか難しいが、これからは音楽を聴きながら写真を楽しんで頂きたい。私の音楽の好みが知れてしまうことになるが、センスがあるかないか、ビジターの採点に委ねたい。

 internet上では、ダウンロード・フリーのMIDI音楽が溢れているが、大半が個人が作成したもので、玉石混淆の状態だ。殆どのサイトが提供するMIDI音楽は、技術が稚拙で使えない。暇があれば、玉を求めて探し歩いているのだが...。日本ではたいしたものがないので、現在、世界中を探し歩いている。世界は広く、ボツボツと良いものに出会いつつある。MIDIは、ファイルサイズが小さいので、ホームページのBGMには最適だ。

MIDI MIDIとは、Musical Instrument Digital Interface の略で、1980年に誕生。主にデスクトップミュージック(DTM)の世界において、楽器の演奏情報などをやりとりできる世界統一の規格である。MIDIに対応している機器であれば、いずれもMIDIケーブルで簡単に接続ができ、演奏情報を伝えたり、機器の動作や設定をコントロールすることができる。分かりやすくいえば、どの楽器をどんな音色で鳴らすかを書き連ねた命令書により、PCM音源を利用して演奏する方式だ。大半のパソコンは、CPUパワーが大きいので、ソフトウェアにより音源を作り出している。
PCM音源 PCMとは Pulse Code Modulation で、パルス符号変調のこと。アナログ信号をデジタル信号に変換する方式の一つで、一般的に知られているMIDI音源モジュールの多くに採用されている。音をゼロから合成するのではなく、PCM方式でデジタル録音した音声を再生する。現在、GM(General MIDI)規格が世界標準となっている。実際の音の波形を記録するWAV規格と違い、ファイルサイズが小さくてすむのが特徴だ。MIDI規格で作成された音楽ファイルの拡張子はMID。

2002年6月28日(金)曇

■■■  アクセス   達成! ■■■

 本日、アクセス・カウンターが70,000件を突破した。先月に続き、予想通り1ヵ月で10,000件をカウント。スタートから1年11ヵ月で70,000件を達成した。これからも1ヵ月に10,000件のペースで行きそうである。大変有り難いことだ。リピータの皆様には心から御礼申し上げたい。今後も「美しい特大写真と正確で味わい深い紀行文」という誰もやっていないコンセプトに磨きをかけ、より多くのビジターに愛されるサイトを目指して頑張りたい。


2002年6月26日(水)曇  夜を焦がす烏賊火連なる瀬戸の海

 ■■■ 日本の 第5集 姫路城の桜 ■■■

 2002年(平成14年)4月2日は穏やかな晴天に恵まれた。姫路城の桜が満開だというので、午後から出かけた。国宝・姫路城は、1993年(平成5年)我が国で初めて法隆寺とともに世界文化遺産に指定された。2001年(平成13年)には、国宝指定70周年、築城400周年を迎えた。この日本一といわれる名城は、姫路市のシンボルであり、市民のオアシスとなっている。姫路城は周囲4200m(1里23町)、面積230ha(70万7千坪)で、甲子園球場の60倍ほどの広さを持っている。南の中堀は今の国道2号線、外堀はJR姫路駅の近くにあった。姫路城はその長い歴史の中で、戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城である。

 日本一の名城と桜。城と桜がこんなにも似合うとは思わなかった。パッと咲いてパッと散る桜だからなのだろうか。400年の歴史をかみしめながら一歩一歩坂道を踏みしめ、階段を登り、秀吉や千姫、お菊さんなどの足跡を辿りながらの歴史散策は、体力を要するものの、楽しかった。姫路城は外国人観光客も多く、日本が胸を張って世界に誇れる素晴らしい文化財であることを実感した。


2002年6月14日(金)晴  時経てど葵づくしの祭かな

ワールドカップサッカー大会 日本決勝トーナメント出場!

 ■■■ テレビ・パソコン双方で上映できるDVDビデオの作成に成功! ■■■

 ここ二週間、静止画像から離れて、ビデオ編集に挑戦。いよいよ動画の世界に踏み入れた。最新のパソコンを導入したのは、このためでもある。解説書や必要なソフトを購入し、試行錯誤を繰り返しながらも、ノウハウを蓄積。テレビとビデオによるアナログ・データをカノープスのMTV2000というビデオキャプチャボードによりMPEG(エムペグ)のデジタル動画形式に変換してハードディスクに取り込む。こゝまではだれでもできることだが、その後、ビデオ編集ソフトを利用して、コマーシャルなどをカットし、必要に応じて静止画像・文字・音楽・音声を挿入し、メニュー画面をつけてDVDビデオを作成。最後にDVD+Rのブランク・メディアに焼き付けて、DVDビデオを完成した。パソコンでは当然として、テレビに接続しているDVDプレーヤーでメニュー画面があらわれ、タイタニックなどの市販のDVDソフトと同様の操作が実現したときの感激は忘れられない。
 この作業の過程で、パソコンでDVDビデオを作成するのは、まだまだ未成熟な分野であることが分かった。世界的に名高いAdobe社のPremiere 6.0 は何とMPEG2ファイル(M2P)を扱えないことが判明。 また、Ulead社のベストセラーソフト Video Studio 6 は素晴らしいソフトで、殆どのことが実現できるが、このソフトで2時間分のデータを8時間に及ぶレンダリングによって作成したDVDビデオは、私の宿舎やオフィスのテレビに接続しているDVDプレーヤーでは読み取れない。その理由が分かるまで、サポートセンターに電話したりして大変だったが、結論は、MPEG形式で取り込んだデジタル画像は、すべて音声が Layer2 という形式で録音されているために、この音声形式(つまりMPEG形式)に対応したDVDプレーヤーでないと読み込めないということが判明した。最近はMPEGに対応したものも出てきているようだが、殆どのDVDプレーヤーでは読めない。
 パソコンのみでなく、あらゆるDVDプレーヤーでDVDビデオを上映できるようにするソフトがないものか。不思議なことに、各社の宣伝やカタログにはそのような説明やコメントはまったく見あたらない。試行錯誤の結果、偶然出会ったのがBHA社の B's DVD だった。このソフトは、機能が限られているが、DVDビデオを作成する(ビルトインする)際、音声を分離し、Layer2形式からPCM形式に変換してくれる優れものだった。PCM形式はファイルサイズが大きく、通常4.7GBで2時間録画できるところが、90分しか録画できないという欠点があるが、パソコンでもDVDプレーヤーでも汎用的に上映できるようになる。それもそのはず、テレビにつなぐDVDプレーヤーはすべてPCM音源を使っているのだった。パソコンは、ハード又はソフトのPCM音源を持っている。JPEGファイルの編集は Video Studio 6 で行い、ビルトインは B's DVD で行うことにする。この結果、どこに持っていっても上映できるDVDビデオを完成することができた。このノウハウは貴重だろう。私の知る限りでは、パソコン・ショップで売られている解説書にはこのようなことはまったく書かれていないのだから!

 ■■■ 一日のアクセス件数556件を記録! ■■■

 昨日、1日間のアクセス件数が556件を記録した。新記録である。理由は不明だ。どこかポピュラーなサイトでリンクされ、大勢のビジターが押し寄せてきたのだろうか。最近、教育関係の会社からの引き合いが多い。教育機関で生徒や学生に紹介されると、一挙にアクセス件数が増えるはずだ。いずれにせよ、有り難いことである。ご愛顧に応えて、ますますブラッシュアップしていきたい。


2002年6月2日(日)晴  武士の冠に揺るる懸葵

 ■■■ 私のテニス仲間 Version 2002 ■■■

 4月から新しいメンバー5人を迎えて、毎週土曜日の午後、テニスで汗を流している。昨日、デジカメで激写してきたので、アップした。新人はすべて経験者ばかりで、なかなかの腕前だ。Sさんは、姫路にお住まいで、往復1時間以上の道のりを通ってきて頂いている。このSさんが一番お上手で、指南役をお願いしている。ファーストサーブが決まれば、私の技量では絶対に返せない。キチッとテニススクールにも通われていたようで、すべて基本が身に付いていて、私のような自己流ではとてもついていけない。頼もしい限りである。


2002年5月28日(火)晴  屋島寺に四十二たびの遍路かな

 ■■■ 日本の祭り 第9集 楠公武者行列 ■■■

 2002年5月26日(日)、神戸市・湊川神社(みなとがわじんじゃ)の楠公祭(なんこうまつり)で、17年ぶりに楠公武者行列が復活した。騎馬武者、神輿、稚児などが昔ながらの衣装を身にまとい、総勢800人が湊川神社からハーバーランド、湊川公園を経由して神社に戻る5kmのコースを行進した。

 この時代行列は、神戸市民が楠公さんと愛称する楠木正成(くすのきまさしげ)が、1333年(元弘3年)6月、幽閉地の隠岐から京に戻る途中の後醍醐天皇を神戸で迎え、都まで先導した行列を再現したものである。氏子など市民有志による楠公武者行列実行委員会が主催する私祭として、湊川神社の楠公祭・神幸(行列巡行)に併せて行われるもので、市民が支える一大行事である。

 初夏の晴天に恵まれた朝、湊川神社本殿にて発御祭(はつぎょさい)が執り行われ、楠公ご夫妻の御霊(分霊)が神殿から神輿に移乗された後、楠正成には井戸敏三・兵庫県知事、副将の弟・正季(まさすえ)には矢田立郎・神戸市長、長男・正行(まさつら)にはタカラジェンヌの芽映はるかさんが扮するなど、多くの市民が参加した行列が、午前10時頃、正行との最後の別れを歌う「青葉繁れる桜井の...」のメロディが流れるなか、湊川神社を出発、多くの市民が古式ゆかしいページェントを沿道から見守った。

 日曜日とあって、朝8時半、リュックに愛機 CAMEDIA E-20 を収め、自転車で湊川神社に行き、汗だくになりながらこのページェントを激写。気がつけば2時間で500万画素530枚を撮影。128MBのスマートメディア8枚を使っていた。光学ファインダーしか使用しなかったせいか、電池の交換なしに撮影できた。さすがプロ仕様機だけのことはあると思った。

■■■  アクセス   達成! ■■■

 本日、アクセス・カウンターが60,000件を突破した。当サイトがスタートして10,000件まで11ヵ月、20,000件まで5ヵ月、30,000件まで80日、40,000件まで45日、50,000件は37日というペースだった。そして60,000件は、予想通り30日でクリア。スタートから1年10ヵ月で達成した。

 これからも1ヵ月に10,000件のペースで行きそうである。大変有り難いことだ。リピータの皆様には心から御礼申し上げたい。今後も「美しい特大写真と正確で味わい深い紀行文」という誰もやっていないコンセプトに磨きをかけ、より多くのビジターに愛されるサイトを目指して頑張りたい。


2002年5月19日(日)雨  見渡せば桜に埋もる蔵王堂

 ■■■ 日本の祭り 第8集 京都葵祭速報! ■■■

 5月15日、京都三大祭りの一つ、葵祭(あおいまつり)が開催された。これまで偶然にも勇壮な裸祭りばかりを取り上げていたので、今年は雅(みやび)な祭りを撮りたかったので早速出かけた。

 
葵祭は、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)と賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)の例祭で、毎年5月15日に行われ、祇園祭や時代祭とともに京都三大祭に数えられる。中でも葵祭は1400年の歴史があり、我が国の祭の中で最も優雅で古趣に富んだ祭として知られる。古くは賀茂祭又は北の祭とも称し、平安中期の貴族の間では、単に祭といえば葵祭のことを指すほど有名であった。

 祭の見どころは、路頭の儀(行列)で、勅使(ちょくし)をはじめ、検非違使(けびいし)、内蔵使(くらづかい)、山城使(やましろつかい)、牛車(ぎっしゃ)、風流傘(ふりゅうがさ)、斎王代(さいおうだい)など、平安貴族そのままの姿で列をつくり、総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が京都御所を出発、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かう。その道のりは8kmに及ぶ。

 2002年、葵祭の行列は、曇り空の中、予定通り5月15日午前10時半、京都御所・建礼門(けんれいもん)を出発したが、残念ながら雨のため下鴨神社から先は中止となってしまった。

 葵祭のカメラポジションは、京都御苑内の御所が正面に見えるカーブしているところで、大勢の報道カメラマンが占拠していた。まさに唯一のベストポジションで、1時間前に着いたものの、既に最前列はいっぱいだった。今回からinternetで調達した脚立を持って行ったので、2列目に脚立を据え、脚立のステップに座って撮影することができた。予想外に良い写真が撮れたので、早速、速報版をアップロードした。是非ご覧願いたい。


2002年5月8日(水)雨/晴  吉野山峰に連なる桜かな

 ■■■ 最強・最速のパソコン、遂にゲット!【その1】 ■■■

 これまで、4年間にわたり、Windows95がインストールされたNECの初代DOS/V機 VALUESTAR NX を使い続けてきた。もちろん、CPUを交換し、メモリーを増設し、OSをWindows98にするなどアップグレードを繰り返して凌いできた。しかし、ここにきて、メモリーや液晶の高騰からパソコン大手メーカーが揃って夏モデルから2万円前後の値上げをすると報道されたことから、値上がりする前に購入する決心を固め、5月1日、EPSON DIRECT のフラッグシップ・モデル Endeavor Pro-1000 を購入した。この機種は、日経パソコン4/29号でパソコン性能ランキング・デスクトップ編第1位を獲得した最速のマシンである。
 機種選定に際しては、既製品 ( ready-made ) から訣別することにし、私が欲しいものをすべて充足してくれる BTO ( Build To Order ) を扱うメーカーをすべてinternetで調べた。
 最終候補に残ったのは、世界一のシェアを誇るDELLのフラッグシップ・モデル Dimension 8200 と EPSON DIRECT の Endeavor Pro-1000 だった。

 最終決定の理由は、サポートやコストパフォーマンスの上からはDELLだったのだが、DELLはDVDドライブがDVD+RW(CD-R/RW & DVD+RW)しかなく、最新モデルのDVD+RW/+R(CD-R/RW & DVD+RW/+R)を扱っていたのは EPSON DIRECT だけだった。この最新DVDドライブは、CDドライブと同様にRW(何度も書き込みができるメディア)とR(一度だけ書き込みができるメディア : 保存・配布用に必須)が可能なので、これは絶対に外せないスペックだった。また、ビデオ・カードとビデオキャプチャ・ボードは日本の最高技術を誇るカノープスを選択でき、できれば国産にしたいとの思いもあり、結局、EPSON DIRECT に決定した。

・ ベースユニット Pro-1000(WindowsXP Home Edition) \46,000
・ OS Microsoft Windows XP Home Edition  
・ CPU Pentium4  1.70GHz \24,000
・ チップセット Intel 850チップセット  
・ ビデオカード カノープス SPECTRA F11 PE32 32MB(AGP)  \20,000
・ メモリ RDRAM(PC800)(RIMM) 1024MB(256MBX4) \56,000
・ HDD 120GB(UltraATA) 7200rpm \40,000
・ HDD設定変更 パーティション分割(Cドライブ:12GB Dドライブ:残り) \5,000
・ CD-ROM DVD+RW/+Rドライブ(CD-R/RW&DVD+RW/+R)(ATAPI) 再生ソフト&ライティングソフト付 \46,000
・ FDD 3.5型FDD \2,000
・ サウンドボード Sound Blaster LIVE! Value(PCI) \3,000
・ キーボード&マウス 109キーボード&ホイール付PS/2マウス \3,000
・ HDD(増設)) 120GB(UltraATA) 7200rpm \40,000
・ ビデオキャプチャボード ハードウェアMPEG2エンコーダ+TVチューナーボード(カノープス MTV2000)(PCI) \50,000
・ スピーカ クリエイティブLIVE用4スピーカ PCWorks FourPointSurround \6,000
・ ネットワークボード 3C905CX-TXM(100BASE-TX WOL対応)(PCI) \6,000
・ 液晶ディスプレイ LCV-16MAT 16型液晶 EPSON製 \56,800
・ ピックアップ保守サービス 当社出荷日より1年間 無償ピックアップ保守サービス  
 CPUは、コストパフォーマンスを重視してPentium4 1.7GHz を選んだ。2.0AGHzにすると倍額となるので、高すぎるので止めた。チップセット(マザーボード)はPentium4の性能を余すことなく生かせるRDRAM(PC800)をサポートする、いわずと知れた Intel 850 の最速ボード。最速のメインメモリRDRAMは、512MBは必須。追加で1GBになった。ハードディスクは最速の7200rpmは当然として、メーカーによっては160GBもあったが、EPSON DIRECT では120GBが最大なので我慢する。もう1台同じドライブを増設し、ノートン・ゴーストによりクローン・ドライブとして、システムとデータの完全バックアップに使う。ビデオキャプチャボードは、テレビやビデオの映像をデジタル化し、DVDビデオを作成するためである。これにより、CD/DVD/TV/VIDEO/CAMERAから音楽・画像・映像を再現するだけでなく、記録・編集・保存・配布までできる最強のマルチメディア環境が構築できた。なお、カメラは当分デジカメしか使わないので、デジタル・ビデオ・カメラを接続するIEEE1394ボードは装備しない。(必要となったときに増設する。)
  最高級スペックを選んだ分、かなり高いものになったが、少なくとも5年は使えると思うので、月7,000円ほどになる減価償却費は、高くはないと思う。SONYのフラッグシップ・モデルVAIO-RXと比べれば、コストパフォーマンスは高い。PPPoEによるADSLの接続から始まり、バックアップをとりながら手持のソフトをインストールして作動確認する作業を繰り返し、連休後半はチューンナップに専念した結果、今日、世界で一つしかない自分だけのパソコン環境が完成した。現在、この日記は Endeavor Pro-1000 で書いている。筆卸しといったところだ。
 とにかくすべてが速い。起動も驚くほど短い。軽自動車からスポーツカーに乗り換えた気分だ。重いと思っていた一太郎がエディタのように高速に起動する。画面も広く明るく美しい。筐体が大きく、騒音も大きいと思っていたが、タワー型なので机横のフロアに置くことでデスクトップは液晶ディスプレイのみになり、かえって広くなったし、ファンやドライブの駆動音は予想外に静かだ。数日間のインストール作業で一度もOSのハングはなく、安定性は抜群。XP自体にファイアーウォールがあることも分かった。これだけ快適な環境を手に入れると、旧機が余りにも貧弱に見え、LANを組んで使おうなどという気は吹っ飛んでしまった。

2002年5月5日(日)晴  鶯や時を忘れし苔清水

 ■■■ 日本の 第4集 大阪浪花の桜 ■■■

 大阪のサクラ特集として、大阪城公園・毛馬(けま)桜之宮公園・造幣局の桜をとりあげた。この三カ所は、大阪でも定番の桜の名所だ。ビッグスリーといってもいいかもしれない。

 スケールの大きな濠や石垣などをバックに大阪城を彩る桜は、素晴らしいの一言につきる。旧淀川の大川の両岸に咲き乱れる毛馬桜之宮公園の桜は、「桜之宮」という地名からして分かるとおり、古くからある桜の名所であり、独自の景観を誇っている。造幣局の桜は、大輪で艶やかな里桜が素晴らしい。

 桜を求めてあちこち旅して撮影した枚数は、500万画素・1,400枚にのぼる。これらをもとに始まった花シリーズも4作目となり、後は姫路城を残すのみとなった。つくづく、桜は美しいと思う。これは私にとって新しい発見だった。第4集も自信作である。是非ご覧いただきたい!


2002年4月28日(日)晴  桜咲く西行庵の山険し

 ■■■ ラストエンペラーの玉座がJA旅行ニュースに! ■■■

JA旅行ニュース第23号 ラストエンペラーの玉座

写真をクリックすると拡大します。

 先日、(株)農協観光九州営業本部が発行するJA旅行ニュースの発行を請け負っている(株)ART&旭からJA旅行ニュース第23号(2002年4月1日発行)が送られてきた。

 1ページと2ページを使った見開きのページに「長春 ラストエンペラー溥儀ゆかりの地を訪ねて」という記事があり、その中央に当サイトが提供した紫禁城(故宮博物院)の太和殿玉座の写真が掲載されており、写真右下に「太和殿玉座(写真撮影:和田義男氏)」と表示されていた。 

 ART&旭の編集者から事前に写真使用の申し入れがあり、撮影者のキャプションを入れていただくことで無償で使用することを了解していた。最近、旅行代理店や出版会社から画像使用の申込みが相次いでおり、非常に嬉しく思う。紫禁城については、故宮探訪 に詳しい。


2002年4月24日(水)晴

 ■■■ ポンペイの遺跡が百科事典に掲載! ■■■

 小中学生を対象にしたポプラ社の総合百科事典「ポプラディア」(全12巻 95,000円)が2002年3月7日に発売された。2002年度から新教育課程が全面的に実施され、「調べ学習」や「総合的な学習」など、こどもたちが自ら学ぶ学習が本格化する。こうした学習を実現するには、こどもたちの旺盛で広範な知的探究心を満たすことのできる「調べるための本」、いわゆる参考図書(レファレンス・ブック)が必要となることから、新たな総合百科事典の発売となったようだ。

 昨年末、本事典の制作を担当する「オフィス・ウィン」という会社から当サイトのポンペイの遺跡の写真を使わせて欲しいというe-mailが届き、了解していた。

ポンペイの遺跡

総合百科事典ポプラディア全12巻

クリックすると拡大します。

 昨日、掲載箇所のコピーが送られてきた。第9巻の231ページに「ポンペイいせき ポンペイ遺跡」という見出しで解説があり、そこにポンペイの遺跡の写真が掲載され、「背後にベスビオ火山を望むポンペイの遺跡」との説明文が添えられていた。
 この写真はイタリア旅行中の1998年11月6日に撮影したもので、無償で提供した。百科事典という性格上、Wa☆Daフォトギャラリーのキャプションが入らないのはやむを得ない。
 私の写真が全国に発売された百科事典に採用されたのは非常に光栄である。ホームページに作品を載せていたからこそ出版社の目に留まったものであり、いつもながらinternetの凄さ・高度情報化時代の素晴らしさを実感する。私の写真を見ながら子供たちが大いに夢をふくらませてくれることを期待している。

蛇足 パソコンやinternetを活用する時代、こんなに厚くて重い本が売れるかどうか。索引のページを開いて調べたい項目が第何巻の何ページにあるのかを調べ、その巻を出してそのページを開き、やっと解説を読むことができる。このような手作業を延々と続けなければならなず、直ぐに飽きてしまうことだろう。

 これだけの金額をかけるのなら、私ならパソコンで使える百科事典を薦める。キーワードを入力して検索をかけると、見出し項目が表示されるので、見たい項目をクリックするだけで、瞬時に解説文が表示される。全文検索を選ぶと、全巻全ページの見出し項目と解説文を検索して、その言葉が使われている箇所を全て探し出してくれる。これは電子本でないと絶対にできない機能だ。一度この利便さを味わうと、もう二度とあの重たい百科事典を開こうとは思わなくなるだろう。私は、司馬遼太郎が使っていた「日本大百科事典」のCD版(日立デジタル平凡社)を愛用している。「ポプラディア」のCD/DVD版の発売が待たれるところだ。
■■■  アクセス   達成! ■■■

 本日、アクセス・カウンターが50,000件を突破した。当サイトがスタートして10,000件まで11ヵ月、20,000件まで5ヵ月、30,000件まで80日、40,000件まで45日というペースだった。そして50,000件は37日でクリア。スタートから1年9ヵ月で達成した。加速度的なアクセスの増加は、多くのリピータのお陰であると思う。心から御礼申し上げたい。

 10,000件の内訳をみると、前半の5,000件には20日、後半は17日で、トータル37日となる。この調子でいけば、次の60,000件は1月ほどで達成できそうである。最近多い日になると400件近いアクセスがある。有り難いことだ。秋までには10万件達成は間違いない情勢だ。

 これからも「美しい特大写真と正確で味わい深い紀行文」という誰もやっていないコンセプトに更に磨きをかけ、より多くのビジターに愛されるサイトを目指して頑張りたい。


2002年4月21日(日)雨  灯台を見上げる小道空の花

 ■■■ 日本の 第3集 奈良吉野山の桜 ■■■

 吉野熊野国立公園にある吉野山は、山岳宗教の中心地として、源義経らが身を寄せ、南北朝時代には後醍醐天皇がこの地に南朝を置き、太平記の舞台となったところだ。 北面の武士(近衛兵)から放浪の歌人となった西行も、一時、吉野の山奥に庵を結び、隠棲しており、桜を詠んだ歌を多く残している。

 吉野山の桜は、今からおよそ1300年前、修験者的な呪術者として知られる役小角(えんのおづぬ)が桜の木に蔵王権現の像を刻んだことから御神木として参詣の人々により献木が行なわれ、日本一の桜の名所となったという。

 吉野山の桜は、山の下から上に向かって、ケーブル付近の下千本(しもせんぼん)如意輪寺 (にょいりんじ) 付近の中千本(なかせんぼん)吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)付近の上千本(かみせんぼん)西行庵(さいぎょうあん)付近の奥千本(おくせんぼん)と順に開花していくので、見頃が長い。上千本などの言葉は、桜の咲いている地域を指す。今年は暖冬で開花がはやく、下千本と中千本が同時に開花し、吉野を訪れた4月6日(土)は、上千本が満開を迎えていた。4時間余りにわたり、吉野山を歩き廻り、500万画素の写真360枚を撮影した。昨日編集が完了し、公開した。上千本からの眺めが絶景だ。こんなに壮大な桜は見たことがない。是非ご覧いただきたい!


2002年4月14日(日)晴  ただ一つ聳ゆる天守花盛り

 ■■■ 大阪・造幣局の 《 通り抜けの桜 》 ■■■

糸括(いとくり 大阪・造幣局)

 昨日の土曜日、最後の花見のチャンスとばかりに早起きして大阪の造幣局に行ってきた。JR大阪駅から環状線外回り2駅目の桜ノ宮まで電車で行き、そこから川に沿って南に歩いて20分ほどで造幣局南門前に着く。
 造幣局の通り抜けは、南門から北への一方通行となっており、開放された通路の両脇に見事な桜が咲き乱れていた。全部で119品種、373本の桜が植えられているという。残念ながら暖冬のせいで、初日から既にピークを過ぎていたようで青葉が目立つが、染井吉野と違い、山桜のように開花と同時に葉が出てくる品種もあり、見方によっては趣が深い。最も多く植えられているのが関山(かんざん)という桜。大手鞠(おおてまり)、静香(しずか)、普賢象(ふげんぞう)、糸括(いとくり)など、見たこともない桜が目白押しで、素晴らしかった。
 前日の12日(金)から1週間にわたって市民に開放される恒例のイベントは全国的に有名で、関西の春は、造幣局の通り抜けの桜で終わるといわれている。
 造幣局の桜は、地面一杯に咲いているものが多く、さわってはいけないということになっているが、手に取ったり匂いをかいだりして、桜と触れ合うことができるのが良い。たわわに咲く品種が多く、見事な桜につい見とれてしまう。染井吉野や枝垂桜、八重桜、山桜くらいしか知らなかった我々にとって、新たな発見と感動があり、全国的に有名なスポットとなっているのも頷ける。

2002年4月7日(日)曇  宴会のグラスで受ける花吹雪

 ■■■ 日本一の桜の名所 《 奈良・吉野山の桜 》 ■■■


 
奈良・吉野山の桜(花矢倉展望台)

 昨日の土曜日、晴天に恵まれたので、奈良県吉野町の修験道の地・吉野山の桜を撮影すべく、早起きし、トレッキング・シューズを履いて、三宮から天王寺までJRで行き、近鉄阿部野橋駅から快速特急で1時間半余り、10時前には吉野駅に着いた。
 シーズン最後のチャンスとばかりに花見客でごった返すなか、帰りの切符を購入し、駅前の売店で弁当とお茶を買い、車で上がれる最奥の金峰(きんぽ)神社前までタクシーで登った。歩いて往復するにはとても全てを廻れないし、バスはいつ乗れるか分からないほど混雑していたので、吉野町の15台しかないタクシーに乗れたのは奇跡に近く、4,000円の料金は、時間とエネルギーを考えると、十分な値打ちがあったと思う。
 そこから後は、4時間余り、山を登ったり下ったりして歩き回り、ベストショットを目指してひたすらシャッターを切り、500万画素の写真360枚を撮影した。
 吉野山は山岳宗教の中心地として、源義経らが身を寄せ、南北朝時代には後醍醐天皇がこの地に南朝をおき、太平記の舞台となったところだ。吉野山の桜は、今からおよそ1300年前、修験者的な呪術者として知られる役小角(えんのおづぬ)が桜の木に蔵王権現の像を刻んだことから御神木として参詣の人々により献木が行なわれ、日本一の桜の名所となったという。
 現在吉野山には3万本の白山桜(しろやまざくら)が植えられており、この品種は花と葉の赤芽が同時に出てくるのが特徴で、そのことを知らないと、満開でも散ってしまったと錯覚してしまうことになる。山の下から上に向かって、下の千本、中の千本、上の千本、奥の千本と順に開花していくので、見頃が長い。しかし今年は暖冬で開花がはやく、下の千本と中の千本が同時に開花し、昨日は上の千本が満開となっていた。
 日本一の桜の名所といわれるだけあり、上の千本の花矢倉展望台から下界の国宝・蔵王堂を望む景観は素晴らしく、深山幽玄の世界が広がっていた。(写真) 帰宅後すぐに作業を進め、旅紀行・日本の花シリーズ第1集「2002年春・桜速報!」を完成させ、早々にアップロードした。

2002年3月31日(日)晴  山の端の白灯台や春の雲

 ■■■ 京都・円山公園の桜 ■■■


 
二代目枝垂桜(京都・円山公園)

 昨日、金曜日の夕方から降っていた雨も上がり、絶好の行楽日和となった。特に京都は、この土日が桜のピークということで、家内と二人で京都の桜見物に出かけた。阪急三ノ宮駅から京都・河原町まで一時間半。片道600円は、JRの1050円と比べて非常に安い。どうしてこんなに差があるのか不思議だ。
 京の桜といえばまず円山まるやま)公園の桜だと聞いたので、真っ先に円山公園に行った。祇園から八坂神社の境内を通り公園に至る。そこで最初に目にした桜が二代目枝垂桜だった。
 この桜は、「枝垂桜」として惜しまれながら1947年(昭和22年)に枯死した桜の二代目である。初代は、樹齢200余年を全うした。二代目は、昭和初年に初代の桜から種子を採って育てられたもので、既に樹齢77年を数える。正式には、「一重白彼岸枝垂桜」といい、桜の中で最長の寿命を誇る種類なのだという。夜はライトアップされ、テレビ中継されるなど、京都市民に最も親しまれている桜である。

■■■ 大阪城公園の桜 ■■■


 
大阪城天守閣の桜

 3月最後の今日、土曜日に引き続き、絶好の行楽日となった。地球温暖化の影響からか、今年は暖冬で、桜前線も例年になく北上が早く、大阪も今日が最後の見頃という。そこで昨日に引き続き、今日も家内と共に大阪の桜を見に出かけた。
 大阪の桜といえば、大阪城公園だ。JR三ノ宮駅から大阪駅まで新快速で20分。環状線外回りに乗り換え、4つ目の駅・大阪城公園で下車。三ノ宮から40分ほどで着いた。凄いラッシュで、帰りの切符を購入してから大阪城に向かった。
 青屋門から内濠に架かる極楽橋を渡り場内へ。天守閣の西を通り、南の方向に縦断。桜門を出て、梅林のそばを通り、一周。桜に囲まれた大阪城天守閣の表情を余すことなく撮影した。


 
大阪城公園の桜

 天守閣の側にある売店で弁当を買い、ベンチに腰掛けて、桜を見ながら昼食。境内は予想外に広く、桜が咲き乱れており、あちこちで青いシートを広げて花見の宴が開かれていた。
 天守閣の下では、堺鉄砲研究会の皆さんによる眞田鉄砲隊が当時の鎧兜に身を包み、パフォーマンスを披露。一緒に撮影したり、鎧兜を着せてもらって記念写真を撮ったりと、思わぬアトラクションに行楽客は大感激。聞けば無料のボランティア奉仕だという。ふと、ローマのコロッセオの前にいたローマ兵を撮影したら金を要求されていやな思いをしたことを思い出した。日本は本当に有り難い国だ。
 昨日今日で、500万画素の写真620枚を撮影した。最高のコンディションで素晴らしい写真を沢山撮影できたので、これからじっくりと編集し、「旅紀行日本の花」シリーズとしてアップしていきたい。乞うご期待!

2002年3月28日(木)晴  春風や光りの躍る波頭

 ■■■ 快適な有料レンタル・サーバーに移転 ■■■

 当サイトが総容量140MBを超えるほどのビッグ・サイトになってしまったので、ファイルをグループ分けし、フリーのレンタル・サーバー(無料ホームページ・サイト)を多数利用して凌いできた。ところが、先日ADSLを導入したにもかかわらず、夜のラッシュ時間になるとダウンロードはおろか、うんともすんとも応答しないことがある。これではいくら高速回線を手に入れても、肝心のサーバーがラッシュで渋滞していれば何にもならないことが分かった。台湾の読者から「みなとまち神戸」にアクセスできないとの苦情なども来ており、原因は、無料サーバーであるが故のラッシュだった。

 そこで、internetで検索し、有料のレンタル・サーバーを探したところ、HOTSPACEという会社を探し出した。容量無制限で、初期費用 5,700円(税込み)、一年契約・自動延伸で年間利用料5,250円(税込み、年2回の分割払い)である。初年度は10,950円かかるが、次年度以降は年間5,250円しかかからない。JustNetで5MB増設すると、月500円とられるので、1年だと6,000円もかかることを思えば、破格の安さである。

 申し込みから10日ほどで使えるようになったので、3月25日(月)夜、総容量140MBのファイルをすべて転送。45分ほどで完了した。有料サーバーだけあり、どんなラッシュ時でもすぐにつながり、サクサク動く。今までの状態が嘘のようだ。おまけに広告が全く出ない(当たり前)。これならゲストに満足していただけると思う。容量無制限なので、これからはファイルサイズを気にすることなく、美しい画像を思いのままにアップしていきたい。

 新しいURLは、 http://wadaphoto.2.hotspace.jp/ 又は http://2.hotspace.jp/~wadaphoto/ で、どちらでもOK。JustNetは、10MBまで無料なので、これまでのURL http://www3.justnet.ne.jp/~wadayoshio/ はそのままにして、トップページの index.htm だけを利用し、後はすべてHOTSPACE上のファイルにリンクした。従って、どちらにアクセスしても広告はいっさい出ず、快適に閲覧できる。フリーのサイトもそのまま残し、万一HOTSPACEにトラブルが発生したときは、JustNet上の index.htm を差し替えて従来のフリーサイトを利用する方式に戻す。一種のバックアップ用のミラーサイトのような使い方になり、この間のように、サーバートラブルでアクセスできなくなるような事態は無くなる。

 更に良いことには、JustNetができなかったCGIなどが使える。早速、サーバー上にある perl を使ったカウンターCGI daycount (フリーソフト)を入手し、0〜9の数字を自作し、累計に加えて昨日と今日のアクセス件数を表示させることにした。少々調整に手間取ったが、本日から正常に動くようになった。 (^。^)/


2002年3月23日(土)晴  春寒し崩れてこぬか磨崖仏 

 ■■■ 遂に ADSL 開通! ■■■

 去る3月1日、NTT西日本にフレッツADSLを申し込んでいたが、20日から供用開始。プロバイダのJustNetがADSLに切り替えてくれたのが昨日22日。NTTから送られてきたレンタルのモデムとスプリッタをパソコンにセットし、フレッツ接続ツールでセットアップ。マニュアルも良くできていて、手順通りに設定した結果、一発で8Mbpsの常時接続・高速ブロードバンド環境が完成。サクサク動くInternet Explorer をみて、思わず感激!

 早速、ポピュラーなブロードバンドスピード測定サイトで測定。結果は次のとおりだった。

測定サイト http://speed.on.arena.ne.jp/ v2.0.8
測定時刻 2002/03/22 18:33:28
回線種類/線路長/損失 ADSL/2.0km/35dB
キャリア/ISP NTTフレッツADSL 8Mbps/justnet
ホスト1 WebArena(NTTPC) 1.36Mbps(539kB,3.3秒)
ホスト2 at-link(C&W IDC) 1.29Mbps(539kB,3.3秒)
推定最大スループット 1.36Mbps(170kB/s)
コメント NTTフレッツADSL 8Mbpsとしては少し遅いですが線路長が2km以上であれば問題ありません。(4/5)

 今までの56Kbpsのダイヤルアップ接続からすると24倍ものスピードで凄いと思って感激してしまったのだが、コメントを読むと少し遅いということが判明。NTTの局舎まで2,150m、伝送損失 33dB なので、2kmを越えると急速に速度が落ちると聞いていたものの、少々悔しい。

 そこで、ADSLのスピードを改善するフリーソフトを検索したところ、
http://members.tripod.co.jp/mimi1014/index.html にある NetTune を発見、ダウンロードした。NetTune はパソコンのレジストリを書き換えることによりネットワークの通信速度を向上させるために開発されたソフトウェアだという。早速起動し、マニュアルに従って各種パラメータを入力し、レジストリを書き換えた。パソコンを再起動し、再度、ブロードバンドスピード測定を実施。結果は次のとおりだった。

測定サイト
http://speed.on.arena.ne.jp/ v2.0.8
測定時刻 2002/03/22 20:58:37
回線種類/線路長/損失 ADSL/2.0km/35dB
キャリア/ISP NTTフレッツADSL 8Mbps/justnet
ホスト1 WebArena(NTTPC) 2.30Mbps(758kB,3.1秒)
ホスト2 at-link(C&W IDC) 2.68Mbps(1441kB,4.6秒)
推定最大スループット 2.68Mbps(335kB/s)
コメント NTTフレッツADSL 8Mbpsとしては標準的な速度です。(3/5)

 結果は、推定最大スループット
1.36Mbps(170kB/s) 2.68Mbps(335kB/s) となり、何と2倍のスピードになった!これほどまでに改善されるとは思わなかっただけに喜びも一入(ひとしお)。コメントも標準的な速度ということになり大満足。当分これでやっていくことにする。


2002年3月17日(日)晴  いかなごの網曳く船の多きかな 

■■■  アクセス   達成! ■■■

 本日、アクセス・カウンターが40,000件を突破した。当サイトがスタートして10,000件まで11ヵ月、20,000件まで5ヵ月、30,000件まで80日。そして40,000件まで45日というペースである。10,000件毎に約半分の日数となっている。加速度的なアクセスの増加は、多くのリピータのお陰であると思う。心から御礼申し上げたい。

 10,000件の内訳をみると、前半の5,000件には24日、後半は21日で、トータル45日となる。この調子でいけば、次の50,000件には40日くらいで達成できそうである。最近多い日になると300件を超えるアクセスがある。今年はあと290日ほど残っているので、10万件は年内に余裕で達成できそうだ。


2002年3月10日(日)晴  風の音の岬灯台春迎ふ

 ■■■ 画像使用の申し入れが相次ぐ ■■■

 先週、6日(水)から9日(土)までの4日間で、画像使用の申し入れが4件あった。内訳は、建築バース(できあがった際の景観図)の道路の景色に画像を使いたいというもの1件、ホームページに画像を使用したいというもの2件、オンライン百科事典に使用したいというもの1件である。
米国のオンライン俳句百科事典 最後の件は、アメリカのバージニア大学オルダーマン図書館附属エレクトロニック・テキスト・センター日本語テキスト・イニシアティヴのコーディネーターから「旅紀行日本の祭り 第1集 播州秋祭・浜の宮天満宮」に掲載されている画像 hama_ko.jpg (写真左)を日本語テキスト・イニシアティヴが今年3月発表予定のオン・ライン俳句百科事典(仮称)に使用したいというものである。
 日本語テキスト・イニシアティヴは、日本内外における日本文学の研究促進に当たっている機関だそうで、俳句文学館出版の『入門歳時記』の英訳権を取得し、それを元にオン・ライン俳句百科事典(仮称)を作成中であるという。文面からするとこの百科事典は英文のようである。
 先日、浜の宮天満宮の秋祭りの写真が、全国の小学校に納入される電子教材に採用されたことを紹介したが、アメリカのオン・ライン百科事典にも使われることになった。しかもこの画像は、前回と同様、中細江の方々の写真である。偶然の一致にしろ、不思議な巡り合わせである。日本古来の伝統文化を世界に紹介する一助となることは、作者の大いなる喜びである。百科事典の完成をまって、詳しい内容を紹介したい。

2002年3月5日(火)雨  舷灯のひとつふたつや冬茜

 ■■■ 「播州の秋祭り」が小学校の教材に! ■■■

840x814(137KB)

776x505(102KB)

スクールウェア

人たちの楽しみ(祭り)

画像をクリックすると新たなウィンドウが開き拡大写真が表示されます。

 このたび、「播州の秋祭り」の写真2枚が全国の小学校向けの教材に掲載された。この教材は、セコムラインズ(株)が開発した「スクールウェア」という電子教材で、CD等で供給される。学校に納品されるのは4月からで、生徒はこのCDの中の教材データをパソコンを使って学習する。

 教材に採用された2枚の写真は、2001年(平成13年)10月8日、姫路市飾磨区・浜の宮天満宮の秋祭りでふんどしを締めた中細江の氏子が境内で屋台を担いでいる様子を撮影したもので、小学3・4年社会の単元名「地いきの発てんにつくした人たち」の中の教材名「むかしさがし」で使用されている。写真には「人たちの楽しみ(祭り)」という表題がつけられ、「浜の宮天満宮(兵庫県姫路市)は、学問の神様として知られる菅原道真がまつられている。秋祭りは「台場差し」というあらわざで有名である。」との説明があり、写真の下に「(ともに和田義男氏撮影)」の表示がある。

 写真が掲載されることになったのは、同社によるインターネット検索で当サイトが認知され、事前に、旅紀行日本の祭り第3集「播州秋祭男たちの写真展」の06と08の写真の使用要請があり、了解していたものである。

 写真は、無償で提供したもので、教育の場で活用されることとなり、非常に光栄に思っている。多くの写真の中からこの2枚が選ばれたのは、少ない人数で懸命に屋台を担ぐ真摯な態度が同社・編集者の心をとらえたのではないかと思う。中細江の皆さんには心から御礼申し上げるとともに、姫路市の皆さんに対し、浜の宮天満宮と播州の秋祭りが全国の小学校に紹介されることをお喜び申し上げたい。


2002年3月3日(日)晴  自転車をこげば寒風なんのその

■■■ 俳句が日本・ドイツ・ルーマニア三国の友好親善に ■■■

 先日、ドイツ・ベルリン在住のソプラノ歌手 Emmy Abo - Jonentz さんから突然 e-mail が届き、標記の俳句をベルリンのルーマニア文化センターで朗読することにしたという。 Emmy Abo - Jonentz さんは、日本名が安保恵美(あぼえみ)さんということで、ドイツ人のJonentz さんとご結婚され、ベルリンに住んでおられる方のようである。

 素人の私の俳句がドイツ在住の方の目に留まったことを本当に嬉しく思う。internet が全世界につながっていることを改めて実感するとともに、キーワード検索により、莫大な情報の中から目的のコンテンツを簡単に探し出すことができる internet の凄さに改めて感心した。以下にe-mail のやり取りを再掲する。

 2002年3月1日(金)   Emmy Abo - Jonentz  様  ベルリン在住のソプラノ歌手

haiku

和田義男様 はじめまして。私は1992年よりベルリンに住んでいる大阪出身のソプラノ歌手です。

この度、急な依頼でベルリンのルーマニア文化センターでの Christoph Niess 氏の絵画展オープニングで、電子音楽と俳句のパフォーマンスで日本の俳句を朗読することになりました。画家の Niess 氏自身の俳句風のドイツ語の詩と、そのルーマニア語訳、そして私が探し出した俳句を音楽に合わせて朗読するものです。

私は短歌に作曲したものを歌ったことはありますが、俳句については何も知らず、インターネットで検索したページで作品を探し15句を選びました。時間が迫っていて、7時間後に本番という時点でお知らせすることになり申し訳ありませんが、和田様の作品「冬の霧 橋下の汽笛 過ぎ去りぬ」を、15句の最初と最後に反復してもう一度朗読させていただくことに致しました。どうぞよろしくご了承下さいませ。

海を題材にした作品が多く展示されるということなので、海、水、月を題材とした俳句ばかりを選びました。最初に訪問したHPで題材にピッタリの「冬の霧・・・」を見つけて大変嬉しく思いました。

素敵な写真も一杯あるHPをこの後またゆっくりと拝見させていただきたいと思います。では、どうぞよろしくお願いいたします。
Re: haiku

 ベルリンからのお便り有り難うございました。急なお話で驚いていますが、ベルリンのルーマニア文化センターでの Christoph Niess 氏の絵画展オープニングに朗読される俳句のひとつとして、私の俳句「冬の霧橋下の汽笛過ぎ去りぬ」を選んでいただき、大変光栄に思います。

 この句は、今年の年頭、冬の霧に煙る明石海峡に架かる明石海峡大橋の情景を詠んだものです。明石海峡大橋(橋長3,911m、中央支間長1,991m)は、1998年4月に完成した世界一長い吊り橋です。また、瀬戸内海の東の玄関口として、日本一通行船舶が多い海峡としても有名です。毎日1200隻ほどの船舶が通行します。霧がかかって視界が不良となっても、スピードを落として霧中信号を鳴らしながら大橋の下を通過していきます。航海の無事を祈りながら、この句を詠みました。

 私の作品が15句の最初と最後に反復してもう一度朗読されるとのこと、本当に嬉しく思います。この作品が海を題材にした作品の展示にふさわしい句であることを祈っています。電子音楽と俳句の組み合わせ、近代文化と伝統文化のハーモニー。きっと素敵な芸術となるに違いありません。

 私の拙句が多少なりとも日本・ドイツ・ルーマニア三国の友好親善に役立てば、望外の喜びです。7時間後の Emmy Abo - Jonentz 様の本番が大成功を収められますよう心から祈念しています。有り難うございました。
2002年3月3日(日)  Emmy Abo - Jonentz  様  ベルリン在住のソプラノ歌手

danke schoen

和田義男 様 突然しかも直前だったにもかかわらず、御丁寧なお返事有り難うございます。お蔭様で、会場は椅子が足りなくなる程の盛況で、結果は Niess 氏も作曲家も満足してくださったようです。俳句を清書した紙は記念に Niess 氏に進呈し、喜んで戴きました。

明石海峡大橋が建設中だった頃、神戸の友人を訪ねた折に工事の様子を見ました。完成したのは私がベルリンに来てから何年も経ってからの事で、残念ながら完成した姿を見たことはまだありません。この句から、まだ見ぬ大橋の様子が想像できます。平地で河はあるけれど海は遠いベルリンで懐かしく思うのは、海と山のある六甲神戸の風景です。

これからも素敵な俳句を拝見させていただきたいと思います。どうぞお元気で更なる御発展をお祈り致します。 安保恵美
Re: danke schoen

 オープニング・セレモニーが大盛況の内に無事に終わったとのこと、心よりお喜び申し上げます。早々に結果をお知らせいただき、嬉しく思います。私の拙句が些少なりとも皆様のお役に立てたことを誇りに思います。

 今回の件で、ますます俳句の創作に意欲が湧いて参りました。これからも素晴らしい海の風景を17文字で切り取っていきたいと思います。

 
安保さんは、神戸に行かれて建設中の明石海峡大橋をご覧になったのですね。大橋建設工事中の1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の影響で、淡路側の主塔の基礎が地盤ごと1.1mほど淡路側にずれたため、中央支間長や全長が1mほど伸びてしまいましたが、地震にもめげず工事は続行され、1998年4月5日無事に供用が開始され、淡路島は本州と一体となりました。

 明石海峡大橋の完成した姿をみておられないとのことですが、Wa☆Daフォトギャラリーの「旅紀行ジャパン 第2集 淡路島紀行」に大橋の写真がありますので、是非ご覧下さい。

 大阪ご出身ということで、ふる里の原風景をいつまでも大事にされておられることを嬉しく思います。ときどきWa☆Daフォトギャラリーを覗いて下さい。神戸や六甲や大阪、京都、奈良の今を記録した写真と紀行文を沢山のせています。どうかドイツの方々に素晴らしい日本の風景や世界遺産を紹介して下さい。日本人の誇りが宝石のように輝いているところが関西なのですから!

 阿保さんの今後ますますの御活躍を祈念しています。これからも日本とドイツをはじめ西欧の国々との友好親善がより一層深まりますようお祈りしています。有り難うございました。

2002年2月28日(木)雨  冬晴れや大仏殿の鴟尾光る

 ■■■ 検索エンジンをチェック 〜 全て第1位! ■■■

 アクセス件数が急増しているので、著名な検索エンジンを調べてみることにした。「海外写真集」で検索したところ、下記6つのサイトでいずれも第1位にランクされていた。道理でアクセスが多くなったはずである。有り難いと思う一方、身の引き締まる思いである。

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| |2002年2月10日改訂|世界11ヵ国を巡る写真809枚、うち特大写真523枚をアップロード!|■■■ ファイル総数 2,483個 ファイル総容量 126.95MB ■■■|私のテニス仲間 & 解説・日本三大奇祭 好評灘のけんか祭...
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Wa☆Daフォトギャラリー(海外写真集
...  . 作者プロフィール. 2002年1月29日改訂. 世界11ヵ国を巡る写真809
枚、うち特大写真523枚をアップロード!. ■■■ ファイル総数 ...
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...  . 作者プロフィール. 2002年1月29日改訂. 世界11ヵ国を巡る写真809
枚、うち特大写真523枚をアップロード!. ■■■ ファイル総数 ...
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  1. Wa☆Daフォトギャラリー(海外写真集
    ... 4.0 以上をお薦めします。 フォントサイズは「中」でご覧下さい。 国   名 写真集 解 説 枚 数   国   名 写真集 解 説 枚 数 フランス 24+1 イタリア 24+1 イギリス 16+1 アメリカ 20+1 ロシア 16+1 中  ...
    http://www.mishura.com/out2263S [ プレビュー ]

 ■■■ ジャパン 第9集 奈良西ノ京 ■■■

 2001年(平成13年)12月1日(土)、穏やかな小春日和に、古都・奈良の西ノ京を訪ねた。名前の通り、平城京の西部に開けた西ノ京。ここには薬師寺と唐招提寺という二つの世界遺産があり、国内だけでなく海外からの観光客にも人気が高い。静寂な都の郊外、のどかな田園風景が残っている。大和路を巡る多くの散策コースがあり、古都奈良本来の魅力が堪能できるところだ。

 穏やかな小春日和のなか、世界文化遺産と予期せぬ紅葉に接し、のどかな大和路・西ノ京をたっぷりと堪能した。唐招提寺南大門でもらったパンフレットの名文を引用する。

 この古刹唐招提寺伽藍の整う美しさはかねて世上に喧伝されていよう。まことに四時(しいじ 春夏秋冬のこと)趣きを改めて詩情こまやかである。もし狭霧(さぎり)立つ朝の夢幻にも似たほのかな気配と、落陽に染まる天平の甍(てんぴょうのいらか)の壮麗を知るならば、風趣は一だんと深く、古都の古刹の雰囲気はいよいよ昂揚されるのである。

 今回から1ページの分量を少なくし、5ページの構成としてダウンロードしやすくした。奈良シリーズ第二弾。自信を持ってお送りする。西ノ京の素晴らしさを堪能していただきたい!


2002年2月24日(日)晴  寒日和手にあたたかきエンタシス 

 ■■■ 24日間でアクセス5,000件 ■■■

 昨日、アクセス・カウンターが35,000件を突破した。30,000件をカウントした日から24日しか経っていない。このペースで行けば、50日間で10,000件のアクセスがあることになる。スタートから10,000カウントに達するまでに11ヵ月もかかったことを思うと、隔世の感がある。昨年12月31日のお知らせを読むと、50日で5,000件もあったと喜んでいる。現在、その倍のアクセスとなった。コンテンツが良ければアクセスは続くはずだ。これからもより一層中身を充実させていきたい。


2002年2月16日(土)晴  冬の霧橋下の汽笛過ぎ去りぬ 

 ■■■ 日本旅行(株)のパンフレットに当サイトの写真が掲載! ■■■

画像をクリックすると新たなウィンドウが開き拡大写真570x760(125-150KB)が表示されます。

ロワール河古城めぐり1/2

ロワール河古城めぐり2/2

モン・サン・ミッシェル1/2

モン・サン・ミッシェル2/2

ロワール河古城めぐり1

ロワール河古城めぐり2

モン・サン・ミッシェル1

モン・サン・ミッシェル2

 昨年末、日本旅行(株)から 「フランスのオプショナル・ツアーを募集するための配付資料に、Wa☆Daフォトギャラリーの写真を使わせて欲しい」との申し入れがあり、快く受け入れていたところ、このたび、「資料が完成しパリに送付されて現地で使用されている」旨のコメントと資料がe-mailで送られてきた。
 資料は、「ロワール河古城めぐり」と「モン・サン・ミッシェル」の二種類で、それぞれA4サイズ2枚にまとめられており、パワーポイントの ppt ファイルとなっている。文中に「撮影:和田義男氏」と「文中の和田義男氏撮影の写真は、氏のホームページ「Wa☆Daフォトギャラリー」(http://www3.justnet.ne.jp/~wadayoshio/)よりお借りしました。」の表示がある。
 「ロワール河古城めぐり」の冒頭には、「『地球の歩き方』オリジナルバスでは、ブロワ城・シュノンソー城・シャンボール城など、主に別荘や居城として建てられた優美なお城をめぐります。」との説明があり、海外旅行の著名なガイドブック『地球の歩き方』と関連するバスツアーであることが分かる。日本旅行によると、ツアーは3月半ばまで続き、数千部がパリで印刷・配布されるとのことだ。
 もちろん写真の提供は無償だが、大手旅行会社のバスツアーの資料に、私の写真が使われた意義は大きい。旅行会社は無償の写真を使用して資料を安くつくることができたわけだし、私の方は旅行会社によってWa☆Daフォトギャラリーの宣伝資料が無償で作成・配布されたわけであり、双方ともにハッピーな取り引きであった。

 ■■■ ジャパン 第8集 奈良古寺巡礼 ■■■

 本日、「奈良古寺巡礼」をアップロードした。久々の旅紀行ジャパン・シリーズで、第8集となる。京都シリーズもまだ残っているが、奈良も魅力あるスポットで、はやくから手をつけたかったところであり、やっと実現した。

 2001年11月11日(日)、快晴に恵まれ、絶好の行楽日和となったので、デジカメをリュックに詰め、古都・奈良に行き、午前中に法隆寺、午後から興福寺に東大寺と、奈良最大の観光スポットを廻った。全て世界文化遺産に登録されている古寺ばかりで、国宝の山だった。古都・奈良も京都同様、素晴らしい歴史的遺産が数多く残されていた。
 
 第二次世界大戦中に空爆を免れたのは、これらの遺産が人類共通の宝物として普遍性を持つからなのだろう。アフガニスタンのアルカイダがバーミヤンの磨崖仏(まがいぶつ)を破壊したことは、人類に対する許し難い蛮行として記憶に新しい。雲ひとつない青空の下、多くの世界遺産に接し、日本の歴史の重みと日本人としての誇りを感じた一日だった。

■■■ CAMEDIA E-20 の試運転 ■■■

 先週の土曜日、いつものテニスコートで、先日購入したばかりの500万画素の一眼レフ・デジカメ CAMEDIA E-20 の試運転を行った。自動測光・自動焦点の動作が極めて速く、また、シャッターのレリーズタイムラグが60msと短いために、体感上瞬時にシャッターが切れるので、デジカメにもかかわらず、難易度の高い写真を楽に撮影でき、全てに渡って期待どおりの動きをみせてくれた。
 光学4倍ズームの威力で、遠くでもかなりのアップで撮れる。左手でズームリングをまわしながら構図を決定できるので、非常に便利だ。動きの激しいプレーヤーをアップしすぎて、画面から足がはみ出してしまうという失敗があり、余裕を持った構図を心がけるようになった。500万画素で撮っているので、後でトリミングして周囲をカットしても、A4位には十分伸ばすことが可能なので、無理してアップしなくても良いことが分かった。
 満足できる結果が出て、良い写真が沢山撮れたので、早速 私のテニス仲間 というタイトルのページを作成し、アップロードした。さすがオリンパスのフラッグシップ・モデルだけのことはある。このプロ仕様機は、今後、Wa☆Daフォトギャラリーの強力な武器となってくれることだろう。

2002年2月9日(土)晴  灯台の凛と立ちたる冬岬 

 ■■■ アクセス件数うなぎ登り! ■■■

 1月30日にアクセス30,000件を達成したが、昨日までの9日間で2,000件を越えるアクセスがあった。10,000件をカウントするのに、最初は11ヵ月かかり、その次は5ヵ月、次は80日というペースだったが、40,000件には9x5=45日でいけそうだ。1万件ごとにカウンターが倍速になっており、現在は当初の8倍速で動いていることになる。信じられないほどのペースアップであり、嬉しく思う。反面、期待を裏切らないよう、これからもコンテンツを充実していきたいと思っている。まだ撮り溜めている写真が沢山ある。次は奈良シリーズを予定しており、現在準備中である。乞うご期待!

 ■■■ 最強・500万画素のプロ仕様機 OLYMPUS CAMEDIA E-20 を購入! ■■■

 現在の愛機 OLYMPUS CAMEDIA C-3040ZOOM は、昨年の春に購入し、これまでに300万画素の写真8,000枚を生み出してくれた。300gという軽さと、馬鹿チョンでも良い写真が撮れるので、名機中の名機だと思う。

CAMEDIA E20
CAMEDIA E-20

 しかし、一年間使ってみて、不満がでてきた。シャッター半押しによる露出の決定とピント合わせの時間がかなりかかる。今だと思ってシャッターを押し込んでも、シャッターが切れるのに更に時間がかかる。少なくとも私にはそう思える。この程度のタイムラグは気にならない人もいるかも知れない。
 撮りたい瞬間に写真が撮れないもどかしさ! このため、祭りなどの動きのある被写体に対しては、闇雲に撮影しまくる乱撮り(激写)でその欠点を埋め合わせてきた。
 それに、液晶モニターを見ながら写すのなら良いが、一眼レフではないので、ファインダー撮影ではどうしてもパララックス(視差)がある。これをカバーするため、視野よりかなり広い範囲が写し込まれてしまう。
 また、ズームもシャッターを押す右手でレバーを前後する仕組みになっているため、使いにくくて応答が鈍く、サクサクと動いてくれない。左手はカメラを固定するだけの役割しか使えない。これらの欠点は、オリンパスだけでなく、各社の普及型デジカメに共通するものである。
 先月の週末、大阪・梅田に進出してきた大型家電量販店・ヨドバシカメラに行ってきた。豊富な品揃えと激安価格を武器に全国展開を図っている店で、今関西の台風の眼になっている。不況にもかかわらず、店内は人でごった返す盛況ぶりだ。
 私のねらい目は、一眼レフのデジカメだ。同店2階にはニコンやキャノンなど、世界ブランドのデジカメ高級機が並んでいたが、いずれも図体が馬鹿でかくて重く、価格設定も40〜70万円と、プロカメラマン用としか思えないものだった。これらのカメラは、ガラスケースに収められ、手軽に手に取れるようにはなっていない。ヨドバシもどうせ一般客は買えないと思っているのだろう。そのとおり、私が購入できる価格ではない。
 インターネット検索とカタログで事前の調査を終えていたので、ヨドバシでメーカー各社の実物を手にした上で最終的に私が選んだのは、ガラスケースに入っていなかったオリンパスの最高峰でフラッグシップ・モデルとなっているCAMEDIA E-20 だった。
 選定の理由は、次のとおりだ。
1 プロ仕様機の中では最も小型・軽量で、L型ボディで持ちやすく、頑丈に作り込まれていること。
2 オート・マニュアル全ての機能が凝縮されていること。
3 一眼レフで応答が早く、左手でズームリングを操作できる光学4倍ズームレンズを装備し、高級カメラの操作性を全て備えていること。
4 自動測光・自動焦点が高速で、レリーズタイムラグが60msと短く、体感上瞬時にシャッターが切れること。
5 受光面積の大きな2/3型CCDにより、原色フィルタで500万画素を実現しており、A3サイズの高品質印刷が可能であること。
6 定価は22万円だが、値引きされた上に15%のポイント還元があり、実質16万円で入手できること。
 500万画素のデータだと、1枚当たり約1.6MBの容量を食うので、128MBのスマートメディアでは撮影枚数は84枚となる。300万画素のときには164枚撮れたので、撮影枚数が半減してしまった。早速、128MBのスマートメディアを2枚買い足し、合計6枚となった。これで一日500枚ほど撮影できるので、まず大丈夫だろう。スマートメディアも去年の春は128MB1枚が2万円もしていたが、今は7〜9千円で手に入る。そのお陰でデジカメの普及が加速しているのだ。Wa☆Daフォトギャラリーも現時点での最強の武器を手に入れたので、今年はこれで素晴らしい映像を沢山切り出していきたい。
 しかし、新鋭機でもひとつだけ不満がある。その不満とは、1kgというカメラ重量である。プロ仕様機としてはこれでも軽量の方だが、これまで使っていたC-3040ZOOM の300gに比べると、3倍以上の重量があり、軽いとは言えない。高機能を追求した以上、大きさと重量もそれに比例して増えるのは当然であり、慣れるまで我慢しないといけないのだろう。重量が増えると慣性(止まっていれば何時までも止まっていようとする性質)が働き、手ぶれが減ってよりシャープな撮影が可能となるのも事実であり、今回はメリット思考に徹することにする。

2002年1月30日(水)晴  海原の無事を願ひて初暦 

■■■  アクセス   達成! ■■■

 最近、アクセス件数が加速度的に伸びていたが、ここ30日で5,000件、その前50日で5,000件、つまり、80日で10,000件のアクセスがあり、今日、30,000件のアクセスを越えた。スタートして10,000件まで11ヵ月、20,000件まで5ヵ月、そして30,000件まで80日。予想外のハイピッチである。今の勢いなら2ヵ月で1万件となり、1年間で6万件のアクセスになる勘定だ。ますますコンテンツを充実させ、期待を裏切らないようにしたい。

 ■■■ 無料URLの移転 ■■■

 先週末、サーバートラブルで「Wa☆Daフォトギャラリー」と「特集!旅紀行」以外、アクセスできない障害が発生。抜本的な対策としてサーバーを移転した。読者の皆様には大変ご迷惑をおかけし、申し訳なく思っている。gooの無料ホームページを止め、「旅紀行日本の祭り」は、AAA! CAFE の50MBの無料ホームページに移転。URLはhttp://f1.aaacafe.ne.jp/~captwada/ だ。メジャーなサイトではないが、夜間でもスイスイアクセスできる高速回線で評判を呼んでいる。gooの無料ホームページはメジャーだが、夜間は重くなり、私自身もアクセスを諦めたりするほどの混雑ぶりだった。これを教訓に、名を捨て実を取る作戦に転換した。CGIが利用できないなどの制約があるが、それを犠牲にしてスピードアップを図っており、実際期待どおりの速さで満足している。

 もう一つは、最近大盛況の楽天市場のHOOPS!で、こちらも50MBを申し込み、「旅紀行ジャパン」をアップ。URLは
http://captwada.hoops.ne.jp/ だ。こちらも以前よりは軽くなっている。更に、「Wa☆Daフォトギャラリー」のミラーサイトとしてメジャーな infoseek isweb に50MBを確保。こちらは広告がポップアップとヘッダーと二つも出る上に重いので少々ガッカリしているが、あくまでもバックアップ用として確保した。メジャーなほど重いのは仕方ないのだろうか。マイナーだと無料ホームページが突然うち切られる恐れがあるが、そのときは今回のように代わりを探して切り替えればよいという考えだ。もちろん、トップページだけは有料サービスの現在のURL http://www3.justnet.ne.jp/~wadayoshio/ を絶対に動かさない。いつでも軽く、サポートも充実していて満足している。


2002年1月19日(土)晴  どやどやの護符奪ひ合う褌衆  どやどやの掛け声走る褌衆

 ■■■ 日本の祭り 第5集 四天王寺どやどや ■■■

 2002年1月14日(月)、大阪市天王寺区にある四天王寺(してんのうじ)で恒例の「どやどや」が行われた。「どやどや」は、岡山県・西大寺会陽(さいだいじえよう)と岩手県・黒石寺蘇民祭(こくせきじそみんさい)とともに日本三大奇祭に数えられているという。今年は成人の日に重なり、日中に行われるというので見学に出かけた。

大阪・四天王寺どやどや

 修正会(しゅしょうえ)は、毎年正月、天下泰平・五穀豊穣を祈願する行事で、正月に修せられることから修正会と呼ばれる。827年(天長4年)正月に京都のお寺で始まり、以後諸大寺に広まっていったという。 四天王寺では、元旦から14日間、六時堂で修正会が修せられ、14日の結願(けちがん)の日に「どやどや」が行われる。
 大阪といえども寒い真冬にふんどし一丁で御札を奪い合う裸祭り・・・どやどや。 古来から脈々と受け継がれてきた日本独自の習俗であり、世界に例を見ない。大都会の難波(なにわ)の地に、昔の人々と全く同じ衣装で伝統文化を受け継ぐ現代人がいた。これからもこの伝統のスタイルを崩すことなく、子々孫々に受け継いでいってもらいたい。日本の裸文化を頑なに守っている四天王寺の取り組みに、心から声援を送りたい。
 裸の若者が発散するエネルギーに刺激され、どやどやを鮮明な映像に残したい衝動に駆られ、途中から撮影に集中。その結果、後半の部で、六時堂での御札争奪戦をズームでとらえることに成功した。
 撮影を終えた今、私にはどやどやが日本三大奇祭の一つだとは思われなかった。ふんどし一丁で禊ぎをしたり神輿などを担いで練り歩く祭礼は全国に多くの例があり、どやどやもそのジャンルに入る裸祭りだと思う。参加者も我々と変わらないごく普通の市民だった。その中で高校三年生は、センター試験を目前に控えた参加であり、その労を多としたい。 

 今回、日本の祭りシリーズ第5集として「四天王寺どやどや」をアップロードした。2002年最初の作品である。播州秋祭シリーズに続き、またまたふんどし一丁で走り回る裸祭りを取り上げることになったが、これは偶然の結果である。

 NHKテレビで聖徳太子のドラマを見ていて、聖徳太子が造った日本初の官寺である大阪・四天王寺に行ってみようと思い、internetで調べたところ、丁度成人の日の祭日にどやどやという祭礼があることを知り、見学に行ったところ、ふんどし一丁の若者が御札を争奪する裸祭りに出会ったのだった。神仏のお導きなのかも知れない。日本の祭りといえば多種多様で、その中から誰もやっていそうにない「ふんどし着用の裸祭り」をテーマに裸の美学を追究するのも悪くはないと思った。

 四天王寺のホームページと四天王寺から送っていただいたファックスには、「褌」「ふんどし」という表現があり、参加した生徒も「ふんどし」といっていたので、今回は堂々と「ふんどし」という言葉を使用した。


2002年1月13日(日)晴  白銀の日輪見えし年の朝

 ■■■ ホームページの再編成 ■■■

 昨年、増改築を続けた我がホームページだったが、年が改まった契機にホームページの再編成を行った。「特集!旅紀行」と「旅紀行スペシャル」を「特集!旅紀行」に一本化。このシリーズは第13集を数えることになった。

 「旅紀行ジャパン」は、祭りシリーズの4作を独立させ、「旅紀行スペシャル」を改装して「旅紀行日本の祭り」としてスタート。この結果「旅紀行ジャパン」は第6集までとなった。

 ■■■ ジャパン 第7集 京都秋の紅葉展 ■■■

  京都の紅葉狩りのシーズンは、11月中旬〜12月上旬である。特に洛北は山あいにかかり、平野部よりも早く紅葉し、しかも寒暖の差が大きいので色鮮やかである。今回、京都・秋の紅葉展と銘打ち、洛北に位置する大原・八瀬(やせ)と宇治の鮮やかな紅葉を取り上げ、21枚の紅葉の写真を展示した。


2002年1月3日(木)晴  新年の汽笛一斉扇港に

 ■■■ 生田神社に初詣 ■■■

生田神社  正月元旦は、午前中晴れていたので、早々に生田(いくた)神社に初詣に行った。去年は広島で新年を迎えたので宮島の厳島神社に行ったが、今年は歩いて5分ほどの生田神社だ。
 生田神社は、三宮駅のすぐ北、東急ハンズのとなりの一等地にある。1995年(平成7年)1月17日、阪神淡路大震災でペシャンコに潰れてしまったが、その後再建され、多くの人出で賑わっていた。
 神社の境内に源平の古戦場になった生田の森がある。歴史を感じる雰囲気だが、神社の敷地は予想外に狭い。ふんどしのように細長い神戸の地であってみれば致し方ないのかも知れない。
 21世紀最初の年は、不況が深刻化し、テロや戦争で、暗い船出となっただけに、2002年は平穏で平和な年となるよう神様に祈念した。
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生田神社 神戸市中央区に鎮座。稚日女(わかひるめ)尊をまつる。《日本書紀》によると神功(じんぐう)皇后が外征より凱旋するとき、武庫の水門で船が進まなくなったので占ったところ、稚日女尊の〈吾を活田(いくた)の長峡(ながお)の国に祀れ〉との教えがあり、海上五十狭茅(うなかみのいさち)に命じてまつらせた。
 これが本社の起源という。806年(大同1年)に神戸44戸を充てられ、868年(貞観10年)には従一位を授けられた。延喜の制では名神大社、祈雨神祭85座の一社に列せられている。1896年官幣中社となる。社地は源平の古戦場生田の森として知られ、境内には歌枕になっている生田の池、(えびら)の梅、敦盛の萩がある。杉盛神事、千灯祭の特殊神事がある。例祭は4月15日。
 

2001年(下)

2002年(上)

2002年(下)

 

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