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2004年6月29日改訂

今 日

昨 日

愛の夢第3番:リスト Liebestaume,3 Notturnos

写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1200x800)163KBが表示されます。

2000年7月31日開設

感動の離陸!

感動の離陸! (2003年12月22日 東京・羽田空港)

 

2003年(下)

2004年(上)

2004年(下)

 

目次

2004年6月29日(火)曇  黄金の鯱の眩しき夏の空

■■■  旅紀行ジャパン・第25/26集 「新緑の犬山城」「金鯱の名古屋城」をアップ ■■■

 平成16年(2004)5月22日(土)、名古屋に行ったことのない家内と共に、名古屋周辺の観光地を見て回った。どこも新緑の美しい佇まいを見せ、予想以上に素晴らしかった。夜は、栄町の鳥銀本店で、鶏刺しなど名古屋コーチンの鳥料理を満喫。鳥銀は、名古屋でも数少ない純系名古屋コーチン料理専門店。ここでは全て、朝びきの極上肉を使用しているため、レバーやスナギモまで刺身で食べられる。本店は予想外にこぢんまりとしていたが、女将の対応が良く、気持ちよく名古屋の夜を過ごすことができた 。

名古屋城の金鯱

名古屋城の金鯱
 この旅行で沢山の写真を撮ったが、とりあえず犬山城と名古屋城をアップした。今回から「世界の名城」シリーズをスタートさせ、特別の目次を作成した。名城シリーズとしては14・15集となる。

■■■  サーバー容量1ギガを超える! ■■■

 犬山城をアップしたとき、4つのレンタルサーバーの合計容量が1GB( ギガバイト)を超えてしまった。個人のサイトで、これほど巨大な容量を持つサイトはないのではないだろうか。ちょっぴり自慢だが、これもハードディスクが加速度的に容量を増し、安価なレンタル料で巨大なサイトを運営できるようになり、また、ブロードバンドの普及で、大容量のデータを簡単にダウンロードできる環境が整ったからであり、IT関連技術の急速な進歩に最敬礼したい。

2004年6月20日(日)晴

■■■  テレビ朝日・食彩の王国に写真提供! ■■■

食彩の王国   ジャガイモ
 2004年5月29日放送のテレビ朝日食彩の王国・32回目のテーマは「じゃがいも」だった。じゃがいもは、フランス料理に採用されるようになり、世界中で食べられるようになったという歴史解説の中で、ルイ16世の肖像画が出たが、その右上に「和田義男 提供」と 表示された。
ルイ16世
 この肖像画は、特集旅紀行!第12集ベルサイユ宮殿に掲載しているルイ16世の写真である。テレビマンユニオンという制作会社から照会があり、提供したものである。当サイトの写真は、他にもローカルテレビやCMなどの背景に採用されたことがあるが、全国放送では初出演である。(^^;
 ちなみにこの肖像画は、既に著作権が消滅しているため、自由に使用できる。著作権が消滅した肖像画を撮影した写真も著作権が生じない。制作会社も手軽に利用できる個人サイトの画像をあてにするようになってきたようで、私のようにテレビにも十分使える高画質の画像は、今後も需要が増えそうである。今回、キャプションを挿入することと、放映後ビデオテープを進呈するとの条件で提供したもので、先日、送られてきたテープから画像キャプチャしたものである。

2004年6月19日(土)晴  夏祭振舞酒に塩を嘗め

■■■  感動写真集・第29集 「祭り屋台in姫路」をアップ ■■■

 平成16年(2004)5月22日(土)、兵庫県姫路市最大の秋祭り「灘のけんか祭り」の屋台など10台が世界文化遺産の国宝・姫路城に集い、15万人が見守るなか、「ザ祭り屋台 in 姫路」と題する祭りが盛大に開かれた。
 このイベントは、大手前通り完成50周年にあたる平成16年(2004)度を”国際観光都市元年”と位置づけ、この祭り屋台イベントを起爆剤に姫路の魅力を全国に発信し、「姫路躍進元年」のスタートを期すために、有志が組織するザ祭り屋台 in 姫路奉賛会が主催するものである。

祭り屋台in姫路

祭り屋台in姫路
  今日アップした「祭り屋台 in 姫路」は、感動写真集に登場された13人目の期待の新人・ちばあきおさんの撮影・原作によるものである。
 今回、私と同じ日本最軽量の脚立を抱え、屋台に押し潰されそうになりながら、練り子たちに肉薄して撮られた写真は、どれも迫力があって素晴らしく、「 祭り屋台 in 姫路 」は、大作となった。
 ちばさんは、世界文化遺産の国宝・姫路城を背景に、旧灘七村の氏子たちが絢爛豪華な屋台練りを繰り広げるビッグイベントの魅力を余すところなく切り取っておられ、処女作とは思えないほど完成度の高いものである。
 灘のけんか祭りは、私が祭りに心を惹かれるようになった原点といえるもので、奇しくもちばさんが同じ祭りからスタートされたことは、偶然の一致ではないような気がする。これからのちばさんの感性溢れる名作を期待したい。

2004年6月13日(日)曇  我が髪の薄きを嘆く麦の秋

■■■  感動写真集・第28集 「宗像大社・神の島の祭り」をアップ ■■■

沖ノ島の禊ぎ

沖ノ島の禊ぎ
  福岡の行動派・大庭靖雄さんの秘境シリーズ第二弾が完成した。前作の世界自然遺産・屋久島に続き、今回は玄海灘に浮かぶ絶海の孤島・沖ノ島で行われた宗像大社・沖津宮現地大祭に自ら参加され、貴重な写真と紀行文をお送りいただいた。
 大庭さんは前作の屋久島の森では10時間かけて縄文杉まで歩いて往復され、今回は女人禁制の神の島で全裸の禊ぎをされるなど、大庭さんの行動力には脱帽である。お陰で貴重な写真を体験談を交えて鑑賞できるのが有り難い。
 沖ノ島は、海の正倉院といわれるほど、古来の文化遺産の宝庫で、国宝だけでも780点あるという。この島を世界文化遺産に登録する運動が行われている。
 大庭さんは体験を通じてその資格は十二分にあると綴っておられる。来年は北海道の知床(しれとこ)が世界自然遺産に登録されることが確実視されている。沖ノ島も一日も早く、地元の方々の夢が叶えられるよう望んでいる。

2004年6月10日(木)曇  白扇子御輿で踊る褌衆

観音堂裏の裸神輿

観音堂裏の裸神輿

■■■  旅紀行日本の祭り第14集「三社祭2004」をアップ ■■■

  「浅草・三社祭速報!」で既報の三社祭の作品が完成した。去年と同じ所はなるべく避けたが、100基の町神輿が集結する観音堂裏は、圧巻で、今年も追加した。新しいところは、浅草神社の宮入と祭褌を取り上げたことである。
 祭褌は、最後のページに取りまとめた。年に一度の祭りの日に、日本古来の褌を締めてくる人がかなりいる。ただ、堂々と祭褌を見せる人が少ないのは残念である。博多山笠や灘のけんか祭りを見習って欲しいと思った。
 例年、西浅草三丁目北町会の神輿が目を引くが、警察は危ないから神輿から降りるよう何度も注意していた。殆どの神輿が警察の指導に従っているため、観客は神輿しか見えず、盛り上がりに欠けた感じがする。
 事故防止ということはよく分かるが、余りにも管理された印象があり、もう少し氏子たちの自主性にゆだねても良いのではないかと感じた。

2004年6月1日(火)晴   空映し現はれ消ゆる植田かな

■■■  悲劇の日曜日 / またもやハードディスクのお陀仏! ■■■

 最近作業が佳境に入ってくるとパソコンがフリーズするようになった。Ctrl+Alt+Delete も効かない。ウィルス対策は十分だし、原因不明のまま、本体の電源ボタンを5秒ほど押してリセットして使っていた。しかし、これが恐ろしいハードディスクのクラッシュの予兆だったことを知ったときは、後の祭りだった。

Endeavor Pro1000

Endeavor Pro1000
 5月30日の日曜日、頻繁なフリーズはOSのXPが変になったのだと勝手に判断し、いつものようにフロッピーでDOSを起動し、ノートン・ゴーストにより増設ドライブにある一世代前のバックアップファイルを使ってリストアを実行した。ところが途中でエラー表示が出て、作業がストップしてしまった。
 一世代前のはうまくバックアップできていなかったのかと思い、二世代前のものをリストアしたが、90%まで行ってやはりエラーとなった。
 祈る気持ちで三世代前にさかのぼり、リストアを実行したところ、最後まで行ったのに Success! の表示が出ない。再起動してもCドライブは認識されず、パソコンは動かなかった。
 残る四世代前のファイルを使って最後のリストアを試みようと、フロッピーでノートン・ゴーストを起動したところ、何とバックアップファイルの入っているはずのドライブが認識されなくなっていた!

 ここに来て私はやっと増設ドライブが物理的にクラッシュ(破壊)していることを知ったのである。私の犯した過ちはひどいもので、壊れた増設ドライブの壊れたバックアップファイルでリストアしたために、正常だったCドライブのファイルをめちゃくちゃにして、立ち上がらないようにしてしまったのだった! 結果的に2台のハードディスクとも使えなくなってしまった。私のパソコン環境は一瞬にして喪失し、回復不可能な状態に陥ってしまったことを知ったときの落胆と失望は 、筆舌に尽くしがたいものであった。

 1台目のドライブは物理的に壊れているわけではないので、再フォーマットし、パソコン購入時についていたバックアップCDを使えば、2年前に購入した状態に戻すことは可能である。しかし、2年の間、多くのソフトをインストールして構築してきた世界に一つしかない私の環境に戻す作業は、1週間では済まないと思うと、食欲は完全になくなっていた。

 昼食もそこそこに、立川のビック・カメラに行って、以前、1台目のCドライブがクラッシュした*とき、新宿で買ったものと同じ日立の120GBのベア(裸)ドライブを1万円で購入した。  *ハードディスクが壊れた!
 帰宅し、これで駄目ならあきらめようと、もう一度ノートン・ゴーストをフロッピーから立ち上げ、前回試すことができなかった四世代前のバックアップファイルを使ってリストアを試みた。
 何とノートン・ゴーストは壊れたはずの増設ドライブのバックアップファイルを認識している! 急いで祈るようにリストアを実行した。完了までの20分の長かったこと! 神は我を見捨てず、Success! の表示が出たときには天にも昇る心境だった。
 再起動するとパソコンは生きているかのようにキビキビと動作した。3ヵ月前の環境がよみがえったのだった。それ以降にインストールした数本のソフトを再インストールすれば、最新の環境に戻すことができる。日曜日の昼の恐怖の数時間が悪夢であったかのように思われた。
 増設したIBM製のドライブは矢張り壊れていた。しばらくしてこのドライブは読めなくなり、パソコンはフリーズしてしまった。使っているうちに熱くなり、熱暴走してしまうようだった。以前、1台目が壊れたときのように、カリカリと音を立ててディスクが傷ついて読めなくなったのとは違って、パソコンを一旦停止し、ドライブが冷めるとまた読めるようになるということが、救いであった。
 増設ドライブが冷めたときに、唯一正常だった四世代前のバックアップファイルのお陰で蘇生できたのであった。その後、ドライブが読めるときに一〜三世代前のバックアップファイルでリストアを試みたが、これらのファイルは壊れていて、途中でエラーが出てしまった。ぎりぎりのところで環境を回復できたことを神に感謝するほかはない!

 IBM製の2台の内蔵ドライブは、2年も持たなかった。そんなに酷使したわけでもないし、こんなに短命だとは思わなかったので、傷口が広がってしまった。今後IBM製のドライブは買わないことにする。また、WindowsXPについても、ハードディスクの不調があればその旨の表示が出るように改善すべきであろう。何故フリーズしたのか分からないと、私のように対応を誤ることになる。
 パソコンの電源ケーブルを外し、壊れたドライブを新しいものに取り替えた。フォーマットし、使えるようにする作業は、私には簡単なことだった。
 この事故のおかげで、ノートン・ゴーストは、フロッピーのDOS起動でDVDドライブを操作できる優れもので、DVDにバックアップファイルがあれば、増設ドライブが壊れても、DVDドライブからリストアできることが分かった。私はこの後すぐにバックアップファイルを増設ドライブに作成し、それをDVD2枚に再バックアップした。これで私の環境を失うという事故は完全に回避できる備えができあがった。めでたしめでたし! \(^o^)/
 最後まで読んでいただいた読者には、バックアップの決定版として、強力なノートン・ゴーストをお勧めしたい。< 完 >

2004年5月28日(金)晴    窯元を巡る小径や夏木陰   瀬戸物の栄華を残す夏館

■■■  瀬戸物のふる里 ■■■

 5月22日(土)家内と二人で瀬戸物のふる里を訪ねた。

1 洞本業窯(ほら ほんぎょうがま)

洞本業窯
 
 日常用の陶磁器のことを瀬戸物というが、その用語例は永禄6年(1563)に織田信長が下した制札に始まるという。
 一般に用いられるようになったのは江戸時代に入って瀬戸と美濃で大衆向けの日常食器類が焼かれ、それが全国的に広く流通するようになってからだといわれ ている。
 瀬戸物は瀬戸内海に関係する町で焼かれていたのかと思っていたら、何と、名古屋市の東側にある瀬戸市がそのふる里であった。

3 瀬戸子供太鼓

瀬戸子供太鼓
 名古屋市栄町から名鉄瀬戸線で30分ほどで尾張瀬戸駅に着く。
 尾張瀬戸駅から東へ約1.5qの洞町(ほらまち)は、谷間の地形を生かして多くの窯が造られ、磁器を新製と呼ぶのに対して本業と呼ぶ陶器生産の中心地の一つであった。往時は、町内の細い路地を焼き物を積んだ荷車や担ぎ手と呼ばれる天秤棒をかついだ運搬人が行き来し、賑わったといわれる。そんな狭い道の中に、窯垣の小径(かまがきのこみち)と呼ばれる路地がある。この小径には、多くの窯垣(かまがき)が見られる。

2 窯垣の小径(かまがきのこみち)

窯垣の小径
 窯垣とは、不用になったエンゴロ(登り窯で焼く際に製品を保護するための鉢)やエブタ(棚板)、ツク(棚板を支える柱)などを使って造った塀や壁のことで、その幾何学的な模様は、見る人の目を楽しませてくれる。
 尾張瀬戸駅近くの丸一国府商店の前で、瀬戸物でつくられた小太鼓を使った瀬戸子供太鼓の「こまいぬ座」が熱演していた。
 男女の子供だけの太鼓集団というのは珍しい。小太鼓は瀬戸物でできている。

4 鐘忠陶器の招き猫

鐘忠陶器の招き猫

  江戸末期以降、硬質の磁器である有田焼に押されてきた瀬戸物であるが、往時の栄華を忍ぶ窯元や館など古い町並みが残され、落ち着いた雰囲気の焼き物のふる里であった。追って作品に纏めたいと思うが、とりあえず、速報版をアップした。

1 洞本業窯ほら ほんぎょうがま(1200x900)167KB
 japan/images/seto01l.jpg 
3 瀬戸子供太鼓 こまいぬ座の熱演(1200x900)213KB 
 japan/images/seto03ll.jpg 
2 窯垣の小径かまがきのこみち(1200x900)309KB
 japan/images/seto02l.jpg  
4 鐘忠陶器の招き猫(1200x900)216KB
 japan/images/seto04l.jpg 

2004年5月15日(土)晴  江戸子のセイヤで担ぐ大神輿

町神輿の晴れ舞台

町神輿の晴れ舞台

■■■  浅草・三社祭速報! ■■■

 今日、東京三大祭りのひとつ浅草・三社祭の町神輿連合渡御が催された。晴天に恵まれ、初夏の陽気の中で大いに盛り上がった。
 去年は雨が落ちてくるほどの高曇りで、早々に街灯がともった中での撮影だったが、今日は光線が強く、写真的にはいまいちである。
 直射日光を受けた写真は、コントラストが強く、変な顔になってしまい、採用できなかった。
 太陽が雲に隠れたときに撮った写真が綺麗に写っていた。先ほど速報版をアップした。

観音堂裏の裸神輿

観音堂裏の裸神輿
1 観音堂裏の境内に集結した町神輿(1600x740)193KB
 maturi/images/sanj01l.jpg 
5 若い力 (1200x800)227KB 
 maturi/images/sanj05ll.jpg 
2 土煙をあげて出発する神輿 (1200x900)243KB
 maturi/images/sanj02l.jpg  
6 宝蔵門を通過する神輿 (1200x900)237KB
 maturi/images/sanj00l.jpg 
3 町神輿の晴れ舞台 (1600x1200)332KB
 maturi/images/sanj03l.jpg  
7 頑張るお父さん (1200x900)284KB
 maturi/images/sanj07l.jpg 
4 浅草神社宮入・一本締 (1600x865)243KB 
 maturi/images/sanj04l.jpg 
8 観音堂(浅草寺本堂)裏の裸神輿 (1200x900)212KB
 maturi/images/sanj08l.jpg 

2004年5月12日(水)曇  秩父路や野山の奥の芝桜

■■■  旅紀行/日本の花・第10集 「秩父・芝桜の丘」をアップ ■■■

秩父の武甲山と芝桜

秩父の武甲山と芝桜
 2004年4月30日(金)、 家内と二人で秩父の芝桜(しばざくら)を見に行った。秩父羊山(ちちぶ・ひつじやま)公園にある芝桜の丘は、埼玉県秩父市の武甲山(ぶこうさん)のふもとにある。
 秩父のシンボル・武甲山(1,295m)は、市街地の南にそびえる名山で、秩父地方の人々にはなじみ深い山で、信仰の山でもある。関東百山にもその名が見える。
 秩父は山の中である。萌え出る若葉や菜の花畑、葱坊主、麦畑、ビニールハウス、端午の節句を前に武甲山を背景に泳ぐ鯉のぼり・・・。都会では味わえないのどかな田園風に心が癒される。

 田園風景を楽しみながら芝桜の丘に着くと、一面カラフルな芝桜の畑が目に飛び込んできた。羊山公園の南側にある芝桜の丘には、11,700m2の畑地に9種類、約245,000株の芝桜が植えられているという。
 芝桜の模様は、毎年12月初めに催される秩父神社の秩父夜祭の屋台や笠鉾の囃し手(はやして)の襦袢(じゅばん)模様と夜祭の躍動感をデザイン化したものだという。全体的にはパッチワークの絨毯をイメージさせる印象で、メルヘンの世界のようである。
 9種類の芝桜は、開花時期が異なるため、全ての花が同時に満開となることはないという。秩父観光協会のホームページが満開と報じていたので、この日に訪問したのだが、開花時期の遅い種類はまだ咲いておらず、ところどころまだら模様になっているのは、やむを得ないところである。
 芝桜よりも雑草が伸びる方が速いので、雑草を除去する手作業が大変だという。秩父市を挙げて町おこしに当たる関係者の汗と努力の結晶が、この美しい芝桜となった。秩父市が4月3日から25日までの入場者を中間集計したところ、51万人を数えたという。5月の連休の人出を考えれば、100万人が期待できるとのことで、この町おこしは成功をおさめたようだ。入場料が無料というのも良い。
  日帰りで芝桜を鑑賞できるようにしていただいた秩父市の方々に深く感謝したい。

2004年5月8日(土)曇

■■■  多摩川紀行・第13集 「塩船観音の躑躅」をアップ ■■■

塩船観音のツツジ

塩船観音のツツジ
 2004年4月24日(土) 、東京都青梅市塩船にある塩船観音寺のツツジを見に行った。塩船観音寺は、京都府伏見区の醍醐寺(だいごじ)を総本山とする真言宗醍醐派の別格本山である。
 塩船観音は、ツツジで有名である。毎年4月中旬から5月中旬にかけて「つつじ祭り」が催される。約15種類17,000本のツツジがすり鉢状の境内に早咲き・中咲き・遅咲きと順に開花し、4月下旬から5月のゴールデンウィークにかけてピークを迎える。
 「つつじ祭り」には、10万人を超える参詣者が訪れる。大多摩の静かな山なみを背にして、躑躅(つつじ)、紫陽花(あじさい)、百日紅(ひゃくじつこう、さるすべり)、萩、彼岸花、山茶花(さざんか)と四季を通じて花が開き、花の寺として目を楽しませてくれる。
 青梅に引っ越してきて間もなく、毎年この時季にJR河辺(かべ)駅に沢山の提灯が下げられ、塩船観音のつつじ祭りで賑わうことを知った。
  今年、久しぶりに家内と二人で拝観したところ、八分咲きの状況ではあったが、その素晴らしい眺めに感動し、心が洗われる思いがした。明治の廃仏毀釈で被害を受けた観音寺もツツジのお陰で復興したことは喜ばしい。京都の寺のことを考えると、拝観料300円は良心的である。

2004年5月5日(水)   競ひ合ふ狐ひょっとこ山車の上   夏祭猿と戯る大五郎

拍子木を打ち、いざ出発!

 

猿と大五郎

拍子木を打ち、いざ出発!   猿と大五郎

上町<旭連>の囃子

上町<旭連>の囃子

■■■  青梅大祭 ■■■

 5月3日(祝)旧青梅市街地で住吉神社例大祭が開かれた。地元では青梅大祭といい、青梅で一番盛大な祭りである。
 12台の山車が街道を巡行し、祭囃子の競り合いが終日賑やかに行われた。
 青梅の祭りで山車が曳かれるようになったのは、明治初期のことで、当時活況を呈していた旧5町(住江町、本町、仲町、上町、森下町)の商人たちが、江戸から山車と人形を買い求めたのが始まりだといわれる。

青梅駅前の晴れ舞台

青梅駅前の晴れ舞台
 戦後には、住吉神社の氏子町内のほか、勝沼町、日向和田も加わり、12町の山車による関東屈指の規模を誇る祭りへと成長した。
 絶好の晴天に恵まれ、愛機E-1で500万画素・1200枚/1370MBを撮影。 後日「多摩川紀行」に収録したい。速報版をアップした。
1 拍子木を打ち、いざ出発! (1600x1067)299KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/ot01l.jpg 
5 扇幅のすれ違い! (1200x900)247KB 
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/ot05l.jpg 
2 猿と大五郎 (1200x900)258KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/ot02l.jpg  
6 青梅駅前の晴れ舞台 (1600x1200)312KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/ot06l.jpg 
3 獅子と赤子 (1200x900)251KB
 http://wadaphoto.web.infoseek4.co.jp/images/ot03l.jpg  
7 上町<旭連>の囃子 (1200x900)215KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/ot07l.jpg 
4 <森若獅子会> 囃子の競り合い (1200x900)241KB 
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/ot04l.jpg 
8 裏宿町の金狐 (1200x900)250KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/ot08l.jpg 

2004年5月1日(土)晴   花の香や神前に舞ふ白拍子

■■■  旅紀行日本の祭り第13集「鎌倉まつり」をアップ ■■■

静の舞(鶴岡八幡宮・舞殿)

静の舞(鶴岡八幡宮・舞殿)
 2004年4月11日(日) と18日(日)の二日間にわたって鎌倉まつりを見に行った。
 鶴岡八幡宮は康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神を 由比ヶ浜に祀ったのに始まる。その後、源頼朝が鎌倉に入ると、現在の地に八幡宮を移し祀り、建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく、上下両宮の現在の姿に整えた。祭神は応神天皇、比売(ひめ)神、神功(じんぐう)皇后。
 11日午後3時から鶴岡八幡宮・舞殿(まいでん)で、鎌倉まつり初日のフィナーレとなる静の舞が鎌倉観光協会より奉納された。今年の演者は、藤間流の藤間寿美霞(ふじますみか)さんで、当時の衣装を忠実に再現した装束で現れ、艶やかで美しい舞を披露し、観客を魅了した。

 今年も祭りの最終日、18日午後2時から流鏑馬に不向きな競争馬を功みに馭(ぎょ)して流鏑馬馬場を疾走する武田流の古式流嫡馬神事の妙技が被露され、 大勢の観客の喝采を浴びた。 武田流流鏑馬
  2度にわたって鎌倉に足を運び、800年前から伝わる素晴らしい伝統文化を切り取ることができた。撮影枚数も一つのテーマとしては過去最高となり、大作となった。鎌倉は、古都という言葉に象徴される伝統文化が今に息づいており、独特の雰囲気が町中に漲っている。私はすっかり鎌倉ファンになってしまった。

2004年4月24日(土)晴   鐘の音を聞きつ躑躅の小径かな

塩船観音のツツジ

塩船観音のツツジ

■■■  塩船観音のツツジまつり ■■■

 東京都青梅市の塩船観音は、ツツジで有名な古刹である。毎年4月中旬から5月中旬にかけて「つつじ祭り」が催される。
 約15種類17,000本のツツジが摺り鉢状の境内に早咲き・中咲き・遅咲きと順に開花し、4月下旬から5月のゴールデンウィークにかけてピークを迎える。
 今日は八分咲きの状況だったが、緑の中に艶やかな花が咲き誇り、素晴らしかった。
 速報版をアップした。
塩船観音のツツジ
1 ツツジ寺・塩船観音 (1200x900)292KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/sio01l.jpg 
3 ツツジを楽しむ観光客 (1200x900)290KB 
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/sio03l.jpg 
2 ツツジの絨毯 (1200x900)211KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/sio02l.jpg  
4 ツツジの山 (1200x800)281KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/sio04l.jpg 

2004年4月18日(日)晴  流鏑馬の鏑矢の音風光る

流鏑馬(鶴岡八幡宮)

流鏑馬(鶴岡八幡宮)

■■■  鎌倉まつり・流鏑馬 ■■■

 今日は「第46回鎌倉まつり」のフィナーレを飾る「流鏑馬(やぶさめ)」が鶴岡八幡宮の馬場で行われた。昨年は雨だったということだが、幸運にも暑いほどの晴天に恵まれ、観客は倍増したとのことだった。
 これほどの古式ゆかしい装束で800年前と変わらぬ流鏑馬が続いているのは、全国的にも珍しいという。
 今年は武田流の流鏑馬だった。腰を浮かして乗るので、馬の上下動が伝わらずに、うまく的を射ることができるという。

見事に的中!

見事に的中!
  本当は曇り空を期待していたのだが、光線が強く、写真的にはいまいちである。速報版をアップした。
1 いざ出陣! 騎士の晴れ姿 (1200x900)274KB
 maturi/images/kama06l.jpg 
4 見事に的中!(1200x800)239KB 
 maturi/images/kama09l.jpg 
2 狙いを定めて! (900x1200)213KB
 maturi/images/kama07l.jpg  
5 赤丸に当たり!(1024x768)175KB
 maturi/images/kama10l.jpg 
3 的に向かう鏑矢(1200x900)208KB
 maturi/images/kama08l.jpg  
6 流鏑馬終了の神事(舞殿)(1200x900)208KB
 maturi/images/kama11l.jpg 

2004年4月17日(土)晴  そよ風に散る白梅やたいこ橋

■■■  ホームページ作成ソフトのバージョンアップ ■■■

 昨日、ホームページを作成するソフト2本の最新バージョンアップ版を購入した。MicrosoftのFrontPage2003とIBMのホームページ・ビルダー8である。
FrontPage2003  これまで、Office 2000 Premum に入っていたFrontPage2000を使っていた。これはワープロライクに使えるので、主力にしていた。4年ほど使ったので、十分に元を取ったが、かなり不便な点があり、今考えれば忍耐強く使ってきたものだと思う。例えば、Times New Roman の英字を含む文字列をコピーすると、標準のMSゴシックになってしまうのだ。いちいち再設定していたが、最新版はそのバグもなくなっている。
 最新バージョンはワープロ画面とhtmlコードの画面が同時に表示でき、カーソルがピッタリと一致しているのが嬉しい。旧バージョンは、ワープロ画面からコード画面に切り替えると、カーソルが連動せず、探さなければならなかった。デザインも洗練され、さくさく動き、これはもう手放せない。ただ、バージョンアップ版でも1万円するので高いということと、マニュアルが入っていないので、初心者には優しくない。使い込んだプロ用といった感じである。ロールオーバー(ポイントすると違った画像に切り替わる機能)がまだサポートされていないなど、これ一本では不十分なので、IBMのホームページ・ビルダーをサブ的に使用する必要があるのは残念だ。
ホームページ・ビルダー8 泣いても笑ってもWebツール売り上げランキング4年連続第1位のホームページ・ビルダーは、Version8になっている。人気の秘密は、初心者から上級者まで、実力にあわせて入力画面が切り替わり、ホームページが簡単にできてしまうことだろう。ただ、私のように巨大なホームページになると、動作がのろくて、殆ど使い物にならないことをお伝えしたい。
 サイトを読み込むにも、リンク切れなどを勝手にチェックするので、入力できるまでにかなり待たされる。そして、保存も同様に、何か余計なチェック作業がはじまるので、私のトップページのindex.htmだと5〜10分ほどかかってしまう。これでは使えないので、サポートセンターに問い合わせたのだが、それが仕様だという。FrontPageであればワープロと同じように数秒で保存できるのに。何故頼んでもいない余計なことをするのか、それをしないモードも作って欲しいと思うのだが、最新版でも改善されていなかった。ガックリである!リンクのチェックは、アップロードした後、直接作動確認を行っているので、余計なお世話なのだ。
 悪口を書いたが、良いところもある。ウェブデザイナーというツールはなかなか良い。私の全作品のタイトルは金銀の立体文字を使っているが、このツールのお陰で簡単に作成することができる。また、アップロードするときに使うファイル転送ツールもウェブデザイナー同様に独立したソフトになっていて、ホームページ・ビルダーを起動しなくても単独でサクサクと使える。アップロード先のレンタルサイトとこちらのローカルサイト(パソコンのハードディスク)のファイルをチェックし、不足分だけをアップロードできるなど、機能が豊富で、しかも転送速度が凄く速い。この二つのツールは、新旧版に差はなく、バージョンアップの必要はなかった。
 ホームページ・ビルダーは、初心者がちょっとしたホームページを作る程度なら使えるが、本格的なホームページを構築するには向いていない。そのためか、値段が安く、バージョンアップ版だと5,000円で買える。私は、作品のタイトル文字とロールオーバー機能を挿入するときと、アップロードするときにだけ、ホームページ・ビルダーを使っている。internetがこゝまで進化しても、ホームページ作成に関しては、これ一本でOKというソフトがないのが日本(世界)の現状である。

2004年4月14日(水)曇   散る花の流れ果てなき羽村堰

■■■  多摩川紀行第12集「羽村堰の桜」をアップ ■■■

玉川上水の桜

玉川上水の桜
 2004年4月3日(土)午後、多摩川八景の一つに数えられる羽村堰の桜を見に出かけた。JR立川駅から青梅線に乗り、20分ほどで羽村駅に着く。
 東京都羽村市にある羽村堰から取水された多摩川の水は、玉川上水(たまがわじょうすい)に流れ込み、浄化されて東京都の上水道に供給される。その量は全体の25%になるという。
 江戸時代に築かれた木製の羽村取水堰がレンガ造りの水門部分と玉石張り(たまいしばり)の現在の姿に改築されたのは明治33年(1900)のことで、爾来100年以上の歴史がある。
 東京都水道局が管理する羽村取水堰は、多摩川で最も多くの水を取る堰である。この地に堰が築かれたのは、多摩川の水を取り込むのに都合の良い地形だったからだという。
 羽村から武蔵野台地を横切って四谷大木戸(新宿区)に至る全長43kmの玉川上水は、武蔵野地方では四谷御上水とも呼ばれ、江戸の初期、承応2年(1653)に完成した開渠(かいきょ 上部が開いた水路)である。それから先の江戸城や江戸市中へは暗渠(あんきょ 覆いをした水路)となり、翌年完成した。当時、多摩川は玉川と呼ばれていたので、この上水道は玉川上水と呼ばれた。 
 羽村橋付近の玉川上水の両岸には、2000本のソメイヨシノが最盛期を迎え、大勢の花見客で賑わっていた。
 羽村堰から歩いて15分ほどで、多摩川右岸(南西側)に立つ羽村市郷土博物館に着く。昔からの生活用具や羽村堰の説明など、羽村の自然・歴史・文化が展示されている。中でも「大菩薩峠」で名高い羽村出身の作家・中里介山の資料が充実している。 

2004年4月11日(日)晴  緋袴の静の舞や春の色

静の舞(鶴岡八幡宮・舞殿)

静の舞(鶴岡八幡宮・舞殿)

■■■  第46回鎌倉まつり ■■■

 今日は暑いほどの晴天に恵まれ、鎌倉は一日中お祭り騒ぎが続いた。私も家内と二人で久しぶりの鎌倉見物をしてきた。午前中、大仏様を拝み、昼食後、若宮大路から鶴岡八幡宮までのパレードを見物した。
 午後1時から鶴岡八幡宮・舞殿(まいでん)で今年の3人のミス鎌倉のお披露目があったあと、午後3時から本日のフィナーレとなる「静の舞(しずかのまい)」が鎌倉観光協会より奉納された。
 演者は、今年は藤間流の藤間寿美霞(ふじますみか)さんだった。
静の舞(鶴岡八幡宮・舞殿)
 800年前、義経の子を孕んだ悲劇の白拍子(しらびょうし)・静御前がこの 鶴岡八幡宮で源頼朝に披露した「静の舞」。藤間流のこの舞は、往時を偲ぶ素晴らしいもので、大勢の観衆を魅了した。
 この舞が義経を恋いこがれる内容だったことから、頼朝の逆鱗に触れたが、北条政子の取りなしで何とかその場は収まる。やがて臨月に達した静は、吉野から陸奥に逃走した義経の男子を出産。頼朝は後々の禍根を断つため、静の愛児に死を与えた。
 一説には静御前も同じように頼朝に殺されたとの話もあるが、今日の解説者は、その後傷心の静御前は京に上り、やがて行方不明になったという説明だった。このような悲しいエピソードの紹介があった後の「静の舞」だったので、感慨も一入だった。

 「第46回鎌倉まつり」は、来週日曜日の流鏑馬まで、色々なイベントが繰り広げられる。早速、今日の速報版をアップした。
1 パレード1 鶴岡八幡宮の神輿(1200x900)306KB
 maturi/images/kama01l.jpg 
4 2004ミス鎌倉お披露目2(1600x1200)172KB 
 maturi/images/kama03l.jpg 
2 パレード2 鶴岡八幡宮の神輿(1600x1000)275KB
 maturi/images/kama00l.jpg  
5 静の舞(しずかのまい)1(1200x900)168KB 鶴岡八幡宮舞殿
 maturi/images/kama04l.jpg 
3 2004ミス鎌倉お披露目1(1200x900)278KB 鶴岡八幡宮舞殿
 maturi/images/kama02l.jpg  
6 静の舞2(1600x1200)219KB
  演者:藤間流 藤間寿美霞(ふじまりゅう ふじますみか)さん
 maturi/images/kama05l.jpg 

2004年4月4日(日)晴  一山を咲き上りたる梅の花

■■■  多摩川紀行第11集「吉野梅郷」をアップ ■■■

天満公園から見た「梅の公園」

天満公園から見た「梅の公園」
 吉野梅郷は、東京の奥座敷と呼ばれる秩父多摩甲斐国立公園の玄関口にあり、JR青梅線・日向和田(ひなたわだ)駅から二俣尾(ふたまたお)駅に至る多摩川右岸(南側)の東西4kmに広がる地域である。
 吉野街道が走るこの地域は、青梅市の「梅の公園」をはじめ、地元農家の梅園や吉川英治記念館などが点在し、200品種約25,000本の梅の木が紅白の花をつけ、ほのかな香りを漂わせる関東一の梅の里である。
 毎年3月1日から31日まで「梅祭り」が開かれ、露店などが出て連日賑わいを見せる。期間中の土・日・祝日には色々な催しがあり、観梅客がどっと押し寄せる。 
 吉野梅郷の中心地・青梅市「梅の公園」は、山の斜面を利用した4.5haの敷地に120種1,500本の梅の木が植えられている。周辺には都立天満(てんま)公園や民営の梅園、果実栽培用の梅畑が広がっている。
 起伏に富んだ山地に赤・白・ピンクの梅の木が集中的に植えられているため、プロ・アマを問わず、多くの写真家が訪れ、多彩な作品が生み出されている。毎年この時期になると、「梅の公園」で撮影された梅の花が写真雑誌を飾っており、関東地方の梅の名所として知られるようになった。 

 青梅路に春を告げる青梅マラソンが終わった後、吉野梅郷を中心に梅の花が満開を迎え、再び多くの観光客が青梅市を訪れる。梅の産地といえば紀州・和歌山県が有名であるが、青梅市も歴史ある梅の産地である。しかし、首都圏のベッドタウンとして宅地化が進み、現在は観光にシフトしてきている。吉川英治が吉野梅郷をこよなく愛し、この地で一生を終えたのも分かる気がする。

2004年3月28日(日)晴  春の山火渡祭の法螺一斉

■■■  日本の祭り第12集「高尾山大火渡り祭」をアップ ■■■

高尾山大火渡り祭(2004年3月14日)

高尾山大火渡り祭(2004年3月14日)
2004年3月14日(第2日曜日)、東京都八王子市高尾町で開かれた高尾山薬王院による大火渡り祭を見に行った。
王院は高尾山上にあって、正式には高尾山薬王院有喜寺(ゆうきじ)といい、弘法大師空海(こうぼうだいし・くうかい)が開いた真言宗(しんごんしゅう)の智山派(ちざんは)の大本山である。
天狗で知られる薬王院は、関東屈指の霊山として多くの信者や観光客、ハイカーなどで四季を通じて賑わいをみせる。
高尾山薬王院は、奈良の大仏を建立した聖武(しょうむ)天皇の勅命により、行基(ぎょうき)によって奈良時代の8世紀半ばに創建されたとされる。行基が薬師如来を刻んで本尊として安置したことから、薬王院の名がつけられたという。
その後、空海が高尾山で祈祷をささげ、不動明王像を刻んで安置した。やがて、当寺は真言宗智山派の大本山となり、成田山新勝寺(なりたさん・しんしょうじ)、川崎大師平間寺(かわさきだいし・へいけんじ)とともに、関東の三大本山として知られるようになった。
日頃見慣れない山伏姿の僧侶による迫力ある火焔の荒行を見学させていただいたお陰で、密教と修験道の生きた体験をすることができ、大精細画面によるカラー写真と解説文により、古来より今に伝わる厳しい火行の様子を生々しく記録することができた。
帰宅して気がついたのだが、コートの背中に2ヵ所、煙草の火を押しつけたような焼け焦げの跡があった。火渡り祭の飛び火による勲章である。不動明王が私に要求した授業料であろう。今年1年、きっと御利益があるに違いない。

2004年3月17日(水)晴  夜の色に染まる神戸の木の芽時
■■■   アクセス10万件を突破! ■■■

灘のけんか祭り(2001年10月15日)

灘のけんか祭り(2001年10月15日)
本日、「旅紀行日本の裸祭り」がアクセス10万件を突破した。当サイトでは一番人気の裸祭りシリーズ。最近はこの裸祭りの目次ページのアクセス数がトップページよりも上回ることがしばしばである。
2月23日(月)1948件、2月24日(火)4746件、2月25日(水)1856件、2月26日(木)1179件と、4日間で9729件のアクセスがあった。
24日(火)のトップページは906件にもかかわらず、裸祭りは4746件と大ブレークである。多くのリピータがいて、裸祭りの目次ページをお気に入りに登録しているのではないかと思われる。
1200x900ドットという高精細の大画面の中で、褌をキリリと締めた男たちが躍動する臨場感溢れる写真が全国の裸祭りファンに人気があるものと思われる。粋(いき)や鯔背(いなせ)といった日本人男性ならではの伝統美が息づく迫力あるサイトは、私の検索する限りにおいては他に見当たらない。
2001年10月15日、友人に勧められて初めて見た播州姫路の灘のけんか祭り。この凄い祭りが私を裸祭りの魅力に取り付かせることになった原点である。(写真上)それから2年半が経ち、アクセス10万件の大台に達したのである。
「日本古来から変質することなく現代に継承されている裸祭り」をテーマにすると、古くから労働着や祭り衣装として定着した褌か、全裸による祭りとなるのは必然といえる。これからも高温多湿の気候風土に育まれ、変質することなく現代に生き続けている裸文化を発掘し、迫力ある映像資料として残してゆきたいと考えている。

2004年3月16日(火)晴

■■■  青梅市梅郷の「梅の公園」 ■■■

天満公園から見た「梅の公園」

天満公園から見た「梅の公園」
青梅市梅郷(ばいごう)の市立「梅の公園」は、山の斜面を利用した4ヘクタールの敷地に120品種1,500本の梅の木があり、いま満開を迎えている。
起伏に富んだ山地に赤・白・ピンクの梅の木が集中的に植えられているため、プロ・アマを問わず、多くの写真家が訪れ、多彩な作品が生み出されている。毎年この時期になると、ここで撮影された梅の花が写真雑誌を飾っており、関東地方の梅の名所として知られる。
3月一杯は梅祭りとしてイベントも組まれ、観光バスツアーなどにより大勢の観光客が押し寄せて来る。このため写真を撮るには開園時間(0900)前の早朝がお勧めである。
初めて撮影した850枚940MBの中から6枚を選び、速報版を作成して当サイトの読者に案内した。後日、多摩川紀行第11集「梅郷の梅の花」と題してアップしたい。
1 梅郷「梅の公園」中心部 (パノラマ写真 1600X630)279KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/baigou00l.jpg 





4 清楚な白梅 (1200X900)225KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/baigou03l.jpg 
2 天満公園から見た「梅の公園」 (1200X900)340KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/baigou01l.jpg 
5 素顔の白梅 (1200X900)110KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/baigou04l.jpg 
3 白梅と紅梅のハーモニー (1200X900)209KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/baigou02l.jpg 
6 ピンクの梅と蜜蜂 (1200X900)122KB
 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/baigou05l.jpg 

2004年3月14日(日)晴  春兆す新幹線の窓の景

■■■  Jリーグ開幕戦 ■■■

貴重な決勝ゴールの瞬間!

貴重な決勝ゴールの瞬間!

拡大写真(1024x670)138KB

昨日、味の素スタジアムで開かれたJリーグ開幕戦、3万8千人が見守るなか、大成建設がスポンサーの一翼を担っているFC東京が1-0で新顔のアルビレックス新潟を破った。しかも、阿部のヘディング・シュートによるゴールの瞬間を撮ることができた。超ラッキーである。赤と青のユニフォームがFC東京。
日本で開かれたワールドカップ以来、家族全員がサッカーに関心を持つようになり、野球よりもサッカーが面白くなってきた。自宅から1時間ほどでFC東京のホームスタジアムに行けるので、これからも応援したいと思う。
Jリーグ初登場のアルビレックス新潟は、1万人ほどの応援団がバスで乗り込んできて、アウェーとしは破格の応援団だったが、初戦をものにできなかった。それにしても応援合戦は凄かった!

■■■ 特集!旅紀行Special 「インド通信」をアップ ■■■

2003年の春、大成建設(たいせいけんせつ)に再就職して間もなく、私がWa☆Daフォトギャラリーというホームページに世界の名所旧跡や風景などの写真を掲載していることが会社で話題になった。そのとき、丹下さんという方がインドからinternetで写真付きのお便りを日本に送ってこられるという話を聞き、早速メールを出した。そのとき以来、私にもインドからお便りが届くようになり、現在、600人の読者が毎週配信される丹下さんのインド通信を楽しみにしている。
丹下さんは、弊社の国際支店管理事務センターの事務センター長という要職にあり、家族を東京に残し、インドの西ベンガル州にあるブルリアに単身赴任されて、水力発電所建設工事の兵站部門 ( logistics ) の責任者として活躍されておられる。 
このプロジェクトは、日本のODA(Official Development Assistance−政府開発援助)により、大成建設が受注して建設しているもので、5年の歳月をかけて90万Kwの揚水発電所をインドに作る計画で、完成は3年後である。
仕事の余暇を利用してinternet回線から送られてくる丹下さんのインド通信は、独特のユーモア溢れるタッチで、インドの最新の話題をはじめ、異国情緒溢れる名所旧跡やインド文化などが易しく紹介されており、インドにはまったく縁のなかった私も、インド通になれるのではないかと思うほどになった。
この大変な作業は、丹下さん個人の善意によるもので、新しくインドに赴任してこられる方がカルチャーショックを受けて戸惑わないようにとの思いやりから始められたとお聞きしたとき、私は感激した。
このインド通信を私のホームページに掲載して、より多くの方に読んでもらったらどうだろうかと思い、丹下さんにご相談したところ、快諾していただいた。こうして、丹下さんの素晴らしいエッセイを当サイトで連載することになった。
丹下さんは、今後もインドにおられる限り、毎週、配信を続けられるいう。私は、今回を機に更に使命感と創作意欲に燃えておられる丹下さんを頼もしく思った。次に帰国されたときには、新しいデジカメを購入し、より鮮明な画像をお送り願えるという。今から楽しみである。
Wa☆Daフォトギャラリーも20ヵ国目となるインドが加わり、ますます賑やかになってきた。私の監修もできるだけ原文のイメージを損なわないようにして、多くの方に楽しんで頂けるようにしたいと思う。

2004年3月7日(日)晴  空映す泥田に春の兆あり 

和良比はだか祭り(千葉県四街道市 2月25日)

和良比はだか祭り(千葉県四街道市 2004年2月25日)

拡大写真(1800x1350)330KB

■■■  日本の裸祭り第20集「和良比はだか祭り」をアップ ■■■

 昨日、2004年2月25日(水)千葉県四街道(よつかいどう)市の和良比(わらび)地区で行われた裸祭りを撮影した「和良比はだか祭り」をアップした。
 和良比はだか祭りは、江戸末期から行われている伝統行事で、四街道のどろんこ祭りとも呼ばれる。ふんどし姿の男衆が五穀豊穣と子供たちの健やかな成長を祈って赤ん坊の顔に水田の泥を塗ったり、騎馬戦や泥の掛け合いを行う文字通りの泥だらけの祭りである。
 全身泥まみれになった男たちは、神社に引き上げる途中の花道で、見物客に泥をつけてまわっていた。あちこちからキャーという悲鳴や歓声が湧く。なんとも微笑ましい光景である。
 子供たちは例外なしに泥の洗礼を受けた。課外学習の学級があり、先生が全員の顔に泥が塗られているかチェックしていた。歴史ある風習が学校教育にも取り入れられていることを嬉しく思う。
 都市化の波に押されて田畑が消滅し、伝統文化が危機に瀕している今日、この裸祭りを絶やさないよう、四街道市長をはじめ多くの人々が尽力されていることに敬意を表したい。 これからもこのロマン溢れる裸祭りが変質することなく存続してゆくことを願っている。

2004年2月28日(土)晴  年寄の自慢の健脚春の風

■■■  ハードディスクが壊れた! ■■■

物理的クラッシュ 2月26日夜、いつものように画像編集をしていたら突然画面がフリーズ。Ctrl+Alt+Delete キーも受け付けない。仕方がなく、パソコンの電源スイッチを5秒ほど押して停止。5秒ほど待って起動したが、PRESS A KEY TO REBOOT と表示されて、プロンプトの空しい点滅が・・・。何度かやるうちにハードディスクのクククー、カチッカチッという異音が大きくなってきた。
 Cドライブは2台目のハードディスクにノートン・ゴーストで丸ごとイメージでバックアップしているので、フロッピーからゴーストを起動。いつものようにリストアをしようとしたが、やはりCドライブを認識しない。ドライブが物理的に壊れたことは明らかである。エプソンダイレクトのPro-1000という当時最速のマシンを買ったのは2002年の5月。まだ2年も経たないのにドライブがお釈迦になるとは何とも不運!
137ギガの壁 昨日、新宿西口のビックでバッファローの160ギガ内蔵ドライブを2万円ほどで購入。帰宅後、早速リカバリーCDでパソコンを購入状態に復帰する作業を実施した。ところが上手く作動しない。エプソンダイレクトに電話すると、マザーボードが137ギガまでしか対応していないと言う。念のため、バッファローにも電話したところ、137ギガ以上に対応するパソコンでないと使えないと言う。
  購入時、店員に「120ギガのドライブが壊れたので交換するのに160ギガでも使えますか」と聞いたところ、「120ギガが動くのなら160ギガも大丈夫です」という返事を信じて買った私が愚かだったのか・・・。箱にも「機種により137ギガを超えるディスクは使えない」という注意書きがない。バッファローにその旨伝えると、ホームページには載せているというので、購入する人がみんなホームページを見て買うわけではないので、なぜ箱に注意書きを表示しないのかというと、改善したいとの返事。ビックに電話してこのことを伝えると、平身低頭、返品・交換に応じるという。当たり前だ。それより、青梅-新宿間を往復して空費する何時間をどうしてくれるのだと、怒りがこみ上げてくる。
バルクのハードディスク バッファローの箱に入ったハードディスクは、ベア(裸)ドライブにビス4個と不要なソフトが沢山ついていて高くなっていることに気がついた私は、120ギガのベアドライブとビスをバルク(バラ)で買うことにした。対応したビックの店員の態度が良く、適切な助言をしてくれたので、怒りもおさまり、回転数7200rpm、シークタイム6ms、8MBキャッシュ、Ultra ATA100、流体軸受という日立製のベアドライブを1万円ほどで購入した。返品したことで半額で高性能のハードディスクを購入することができたことに満足。
ノートン・ゴーストの神業 日立のドライブは、ジャンパーピンがマスターに設定されているので、そのまま壊れたディスクと差し替え、リカバリーCDで工場出荷状態にもどし、あとはノートン・ゴーストでリストアした。ノートン・ゴーストは、10ギガもある巨大なCドライブのシステムファイルをたった20分ほどでリカバリーする。何でだろう? 凄すぎる! といつも思う。先ほど完璧に復元したので、この顛末を日記に書いたという次第。
 ただ残念なのは、壊れたドライブにはDドライブのデータが入っており、このバックアップは半年前にしたきりだったため、それ以後のデータが失われた。しかし、大事なデータはオフィスのパソコンに持ち込んでいるので、大けがをしないで済んだのが幸いだった。そして、ソフトがインストールされているCドライブだけでなく、データ用のDドライブもこまめにバックアップすることが大事であることを学んだ。1万円の授業料は安かったと思う。(^^;

2004年2月24日(火)晴

■■■  多摩川紀行第10集「青梅マラソン」をアップ ■■■

 今日、東京都青梅市で開かれた第38回青梅マラソンの写真をアップした。天候にも恵まれ、10Kmの部が2,973人、30kmの部が9,900人、合計12,873人が出走し、完走は11,321人であったという。長嶋茂雄さんや有森裕子さんがスターターを務め、6万人の観衆がレースを見守った。
 今年で38回目を迎える青梅マラソン大会は、昭和42年(1967)337名の一般参加者による30kmのレースと155名の高校生による10kmのレースが行われたことに始まる市民マラソン大会である。
  昭和52年(1977)の第11回大会で参加者が初めて1万人を突破して以来、参加希望者が年々増加することから、昭和54年(1979)の第13回大会以降、参加定員は15,000人(30km:12,000人、10km:3,000人)に制限されている。 最近は日本のトップランナーや海外招待選手が参加し、歴史とレベルの高さにおいて日本一の市民マラソンだといわれている。
 2月のレースにもかかわらず、前年8月に申込みが締め切られ、抽選に当選しないと出られないというから、すごい人気である。それを支えるのは我々青梅市民である。町内会毎に人員を拠出し、駅前交差点のガードレールに布団を巻いたり、受付を担当したりしている。3,000人のボランティアが支えていることは、意外と知られていない。

2004年2月20日(金)晴  寒の空水行僧の褌の白

長勝寺・寒の荒行

長勝寺・寒の荒行

■■■ 「長勝寺・寒の荒行」アップ! ■■■

 昨日、はじめての鎌倉作品となる長勝寺・寒の荒行をアップした。1頁で収める予定が、あれもこれも省けないとやっているうちに、4頁の大作になってしまった。(^^; 欲が深いのかも知れないが、自分なりに満足のいく作品に仕上がったと思う。
 一番苦労したのは、日蓮宗の専門用語が難解で、分かりやすく正確に説明しようとすると、かなり調べなければならず、解説に数日かかってしまった。
 御前様はじめ長勝寺の方々のお陰で、この作品ができあがった。素人の幼稚な質問に忍耐強く答えてくれた長勝寺の皆さんに感謝している。
 京都のお寺のように、高額の拝観料を平気で要求するこのご時世に、何と慈悲深いお寺かと、感激した次第である。もちろんPRになるということはあるだろう。それを割り引いても、異次元の世界に住む人々と触れ合うひとときが嬉しかった。
 1時間前に到着したので、写真のように先頭の荒行僧の真横の一等席から激写することができたのだが、私も沢山水をかぶった。ビニールコートで武装していたが、足元が無防備だったので、左足が靴の中まで水浸しになってしまった。幸い予備の靴下があったので履き替えたが、ズボンの先はビショビショのままだった。きっと御利益があるに違いない。(^^;
 「寒の荒行」の BGM を決めるのに難渋した。むしろ、ない方が良いとも考えた。最終的に私が選んだ曲は、「アメイジング グレイス」という賛美歌であった。直訳すると「驚くべき慈悲」となる。この曲には著作権がなく、自由に使えることが分かった。キリスト教の曲ではあるが、普遍性のある美しい名曲で、今、私が一番感動している曲である。

2004年2月15日(日)晴

■■■  「第38回青梅マラソン」を激写! ■■■

 今日、東京都青梅市で開かれた第38回青梅マラソンを激写してきた。全部で2100枚・2.3ギガ撮影した。一日の枚数では自己の新記録だと思う。大会では、30km女子の部でアテネ五輪代表の野口みずき選手(グローバリー)が高橋尚子選手の歴代記録を抜く日本最高記録・大会新記録(1時間39分09秒)で優勝した。先ほど速報版をアップした。
1 30kmの部、なごやかなスタート (1200X900)225KB 3月15日1200頃 スターターは野球日本代表の長嶋茂雄氏(連続三回目)
  http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/start.jpg 
2 野口選手日本最高記録でゴールの瞬間 (1200X540)95KB 
  http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/nogutigorl.jpg 
3 表彰式の模様 賞状が読めます(^^;  (1239X1050)201KB
  http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/syoujou.jpg 
4 熱い握手 (800X760)106KB
  http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/images/akusyu.jpg 
 昭和42年(1967)に参加者337人で始まった青梅マラソンも今年で38回目となり、10kmの部で3,000人、30kmの部で10,000人が参加した。市民マラソンとしては老舗で、日本最大の規模とレベルを誇る。今回の作品は、後日、多摩川紀行に掲載する予定。今日は日焼けしてグロッキー、ミス続きでお知らせも二度訂正するありさま。

2004年2月14日(土)晴  振り向けば雪の切れ目に合掌屋

■■■ 旅紀行ジャパン第23集 「雪の白川郷」をアップ! ■■■

 2月6日に旅行した白川郷の写真を昨日アップした。全部で45枚という大作になった。大雪に見舞われ、撮影に難渋した。特に夜のライトアップは展望台で2時間粘ったが、全く撮影できなかったことを考えると、何とかうまくまとめることが出来たと思う。
 日本で唯一、人の居住する世界遺産を見た。そこには昔と殆ど変わらない生活があった。白川郷からホテルのある高山へ向かうバスの中で、地元の女性ガイドは「冬が一番好き」と言った。冬は雪かきも大変だし、暮らしは不便である。しかし、それを喜びとする知恵があるのだろう。高度文明化社会の中で当然のように暮らしている我々都会に住む人間が忘れてしまったものが、こゝにはあるように思えた。

2004年2月8日(日)晴  山笠の年寄一人雪の屋根

雪の白川郷

雪の白川郷

■■■ 白川郷・飛騨高山へのツアー ■■■

2月6日(金)から一泊二日の日程で家内と白川郷・飛騨高山に旅行し、昨夜帰宅した。2日間で1200枚撮影。2日とも大雪で、苦労した。
白川郷は、寒くなく、べとついた雪でカメラがビショビショに濡れ、E-1でなければ壊れたかも知れない。肝心の1730からのライトアップは、大雪で展望台からの撮影は、2時間粘ったが駄目だった。
諦めて下山中、一瞬視界が良くなり、坂の途中で撮影した。(写真左。手前が和田家、そのまわりを取り囲んでいる人垣が全国から集まったカメラマン)急な撮影で足場も悪く、夢中で撮影しながら、足場を整えている内に見えなくなった。
展望台からの写真は撮れなかったが、一応作品を残すことができた。神の恵みかも知れない。超ラッキーだった。(^^; 「雪の白川郷」というテーマで作品を仕上げたい。
 夜は高山に泊り、二日目、早朝、人出の少ない内に高山の古い町なみを撮影することができた。この日も大雪だったが、定番のスポットは全部歩いて廻ることができた。疲れたが、素晴らしい写真が撮れた。こちらも「冬の飛騨高山」というテーマでまとめたい。

2004年2月1日(日)晴  初旅や雲海に立つ富士の山

エベレストの容姿

エベレストの容姿

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■■■ 感動写真集第24集「エベレスト街道」アップ ■■■

 松尾さんと南光さんがエベレスト街道を歩かれて撮影されたお二人の写真をもとに《神々の座へつづく道「エベレスト街道」》ができあがった。
 ネパールに行けば簡単にエベレストが見られると思っていたら大間違いである。エベレストは平地からでは全く見ることができない。標高5000mを超える高山からやっとエベレストの偉容を見ることができる。
 気圧が平地の半分しかなく、空気の薄い高山にたどり着くまでが大変である。男性でも大変だと思うのに、女性がこの試練を乗り越えて5000mの高山に到達し、撮影したエベレストの写真は、本当に貴重なもので、見る者に感動を与える。
 世界一の高さを誇るエベレストが発見されてまだ150年しか経っていない。長い間秘密のベールに覆われていたエベレストは、1852年、インドの大三角測量による結果の集計中に〈 ピーク XV 〉といわれていた峰が、世界最高峰であることが発見された。

2004年1月24日(土)晴  初春や浜に褌の色模様

寒中神輿錬成会

寒中神輿錬成会

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■■■ 日本の裸祭り第18集「江ノ島寒中神輿錬成会」アップ ■■■

 先ほど、1月18日に取材した江ノ島の海に入る神輿の作品が完成した。新年に入って、これで7本目の作品となったが、思えば異常なほどにハイピッチである。少し疲れも感じるので、これからは少し息をつきたい。
 江ノ島の裸神輿は、行くまでは大した期待はしていなかったのだが、取材している内にすっかり夢中になり、たった1時間半で1000枚を超える写真を撮っていた。多分これまでの新記録だろう。
 帰宅して直ぐに画像をパソコンに取り込み、全てチェックしたところ、削除したのは10枚にも満たなかった。私はいつものようにE-1を自動焦点・自動露出モードにして、ひたすら神輿を追い、手持ちで連写を続けただけである。
 動きの激しい被写体と強烈な直射日光という悪条件にもかかわらず、適正露出のシャープな画像で完璧にターゲットをとらえていた。E-1は本当に凄い。オリンパスに脱帽である。

2004年1月20日(火)晴

■■■ 感動写真集第23集 「アランフェス宮殿」をアップ! ■■■

 スペイン España の首都マドリード Madrid は人口約300万人、標高650m、イベリア半島のほぼ中央に位置する。スペイン語では語尾の d を発音しないため、マドリー と呼ぶ。
 その南約47km、荒野の多いカスティーリャ地方にあって珍しく沃野にあるアランフェスは、人口4万人ほどの小都市で、スペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴの名曲「アランフェス協奏曲」で一躍有名になった。タホ川河畔の緑豊かなアランフェスは、王宮と庭園の街として知られ、2001年、この街の文化的景観がユネスコの世界文化遺産に登録された。
 アランフェスは、スペイン王家の保養地として利用された。18世紀のフェリペ5世の時代に、フランスのブルボン王朝の血族がスペイン王家に入り、以後19世紀初頭にかけて、王家と共に繁栄を謳歌した。
 マドリード・アトーチャ駅から30分毎に電車が出ており、約45分でアランフェス駅に着く。アランフェス宮殿はその東にあり、駅前のトレド通りを左へ曲がり、並木道を歩いて行くと、15分ほどで宮殿に至る。この作品は、アマチュア写真家南光優氏が昨年11月末にスペインに旅行されたときの写真集である。

2004年1月18日(日)晴  江ノ島や成人祭の褌衆

海に入る神輿

海に入る神輿

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■■■ 江ノ島寒中神輿錬成会 ■■■

 今日は絶好の晴天に恵まれ、湘南・江ノ島海岸の寒中神輿錬成会を取材した。internetで海に入る神輿があることを知り、是非、私の裸祭りのコレクションに納めたいと思い立ち、一人で脚立を抱えて行ってきた。たった1時間半の間に、E-1連写モードで500万画素・1000枚/1150MBを撮影した。
 姫路の「灘のけんか祭り」以来、日本の伝統の裸祭りにすっかり魅せられ、コンテンツもどんどん増えてきた。先日はトップページよりも裸祭りの目次ページの方がアクセスが多いという珍現象まであった。
 これほど大画面で多くの褌衆が躍動するホームページは例がなく、裸祭りファンの定番サイトになりつつある。
 現在、南光優さんのスペイン紀行第2弾「アランフェス宮殿」を編集中であるが、その次は日本の裸祭り第18集「江ノ島寒中神輿錬成会」を発表することにする。乞うご期待!

2004年1月16日(金)  初夢は一等賞の宝籤
青梅達磨市

■■■ 多摩川紀行第9集 「青梅だるま市」をアップ! ■■■

 2004年正月12日(月)成人の日、午後2時から午後8時にかけて青梅・住吉神社前で開かれる青梅だるま市に行った。住吉神社は、青梅駅近くの稲荷山(住吉山)に鎮座する旧青梅村の総鎮守で、600年以上の歴史を誇る。祭神は神功皇后(じんぐうこうごう)
 青梅だるま市は「青梅だるま市保存会」が主催している。しかし、会場が神社の境内に及んでいることや、鳥居の前の注連縄(しめなわ)を張った中にお焚上所(おたきあげどころ)が設けられていることなどから、容易に青梅・住吉神社の催しであることが推察される。
 達磨は仏教文化であるので、神社が主催するのは奇妙である。これも神仏混淆の名残であろうと思われるが、曖昧なままに、神仏のご加護を求めるのが日本人の特質なのだろう。
 この日、達磨を並べていた露天商は、拝島大師で見かけたあきる野市や立川市の業者で、多摩達磨を販売していた。東京では多摩地区しか達磨を製造していないので、江戸達磨とも呼ばれているという。
 神仏混淆のだるま市。internetで「だるま市 神社」をキーワードに検索したところ、多くの例があることが分かった。青梅市民だけでなく、日本中の人々が違和感なく受け入れている福達磨は、寛大な宗教観を持つ日本人ならではの伝統文化なのだろう。

2004年1月12日(月)晴  大師堂手締で受ける大熊手

■■■ 感動写真集第22集 「素晴らしい八ヶ岳」をアップ! ■■■

 団塊の世代である昭和21年生まれの吉岡實さんは、大学の同窓生で、現在、FA・産業、建設機械制御などのコンピュータ設計を手がける吉岡電子技研代表をされておられる。
 吉岡さんは、これまでに、富士山、北岳、仙丈ケ岳、宝剣岳、甲斐駒、八ヶ岳、鳳凰三山、男体山、白根山、吾妻山、金峰山、恵那山、早池峰、栗駒、八甲田、磐梯山、安達太良、雲取山、丹沢山などのよく知られている標高の高い山に登ってこられ、豊かな登山歴をお持ちである。
 このたび、長年にわたり撮影してこられた素晴らしい山岳写真の提供を受け、こゝに「素晴らしい八ヶ岳」というタイトルで発表させて頂くことができた。
 八ヶ岳は長野県東部と山梨県北部にまたがる火山である。八ヶ岳の〈八〉は特定の8峰の意味ではなく、多数の峰を表したものという。狭義には主峰・赤岳(あかだけ 2899m)を中心として南北に連なる西岳(にしだけ)、編笠山(あみがさやま)、権現岳(ごんげんだけ)、阿弥陀岳(あみだだけ)、横岳(よこだけ)、硫黄岳(いおうだけ)、峰ノ松目(みねのまつめ)などの山列を指す。
 近年はこれらを南八ヶ岳としてまとめ、夏沢峠(なつざわとうげ)以北の根石岳(ねいしだけ)、天狗岳(てんぐだけ)、中山(なかやま)、縞枯山(しまがれやま)などを北八ヶ岳とし、両者を合わせて南北20km以上にわたって連なる標高2200〜2900mの山列を八ヶ岳と呼ぶのが一般的だという。
 吉岡さんのお陰で、私の力の及ばない高山の魅力を味わうことができるのは、誠に有り難く、ご厚意に心から感謝申し上げたい。

2004年1月8日(木)晴

■■■ 多摩川紀行第8集 「拝島大師達磨市」をアップ! ■■■

 晴天に恵まれ、拝島大師に初詣に行った。今年一年、無病息災でつつがなきよう元三大師のご加護をお願いした。インド人で禅宗の開祖・達磨大師と日本の庶民の厄除け祈願が結びついた仏教文化が現代に根付いていることを嬉しく思った。
 達磨人形の発祥の地は、群馬県高崎市近郊の少林山達磨寺だといわれる。水戸光圀が帰依していた中国僧・心越禅師が開いた寺で、彼が書いた一筆書きの達磨像を天明3年(1783)、9代目住職・東嶽和尚が木型に作り、当時続いていた天変地異の邪気を祓うものとして農民達に伝授し、それが人気を呼び、全国に広がっていったという。
 拝島大師の達磨市で売られている達磨は、多摩達磨(たまだるま)と呼ばれ、あきる野市や立川市などの地場で造られた達磨である。店によって顔つきやデザインが微妙に異なり、鼻筋の通ったハンサムな達磨など、見て回るだけでも楽しい。

2004年1月4日(月)晴

■■■ 感動写真集第21集 「アルハンブラ宮殿」をアップ! ■■■

 スペイン南部に位置するアンダルシア Andalucia 地方は、輝く太陽と紺碧の海に白壁の家々が映えて、絵に描いたようなスペイン的風景が広がる。アンダルシア地方に位置するグラナダは、シエラネバダ山脈の麓にあり、800年もの栄華を誇ったイスラム教国の異国情緒あるれる文化が今も色濃く残っている。数々の伝説を生んだアルハンブラ宮殿で有名な町である。
 グラナダ Granada は、アラビア語で「ザクロの実」を意味する。ローマ帝国時代、丘の上に砦を築き、城塞都市として誕生した。1236年コルドバがカスティーリア軍に攻撃されて陥落したのちは、ナスル朝(1230-1492)グラナダ王国の首都として榮華を極めた。
 この作品は、アマチュア写真家南光優氏が昨年11月末にスペインに旅行されたときの写真集で、新春第1弾の大作である。今後、スペイン紀行というシリーズで、スペインの誇る世界文化遺産を中心に、南光さんの異国情緒溢れる最新映像を紹介してゆきたい。

 
2004年1月2日(金)晴  達磨焼く煙の下を初詣
多摩達磨
 正月2日(金)、快晴に恵まれたので、達磨市で有名な拝島大師に初詣に行った。JR青梅線・拝島(はいじま)駅から2kmほど南に下ったところに拝島大師がある。拝島大師から南500mほどに多摩川が東に向かって流れている。近くに長さ600mほどの拝島橋が架かる。
 大勢の初詣客が列をなして本堂前の参道に並んでおり、参道の両側に沢山の達磨が並べられて、買い主を待っていた。毎年同じように達磨市がたつので、顔なじみの客もいて、そういう人にはかなりの値引きがある。
 取引きが成立すると、威勢の良い手締めの音が境内にこだまし、初春らしい華やいだ気分になる。達磨屋の主人に聞くと、景気は上向いてきており、売れ行きはまずまずという。人によってまちまちで、ある年配の男性は、景気が良ければもっと大きな達磨を買えるのに・・・と漏らしていた。

2004年1月1日(木)晴

■■■ 謹賀新年 ■■■

 穏やかな元旦だった。夕べは紅白歌合戦とボブサップ曙戦を見た。紅白は白組が大差で優勝。こんなに差がついたのは初めてだろう。白組のトリは北島三郎でも五木ひろしでもなく、SMAPだったのが印象的だった。
 ボブサップ曙戦は、曙が弱すぎて興行が成り立たないのではないかとみんなが心配していたとおり、1ラウンドで曙がノックアウト負け。あっけない結末で、予想通りだった。
 思えば、相撲は土俵に転ぶか、土俵外に押し出されるかで勝負がつく簡単なゲームであり、本来の格闘技ではない。その点、ボクシングやK1は、まさしく格闘技そのもので、相手が力尽きて倒れるまで戦う。相撲が弱いのは当たり前だった。
 曙は、最初ボブサップをコーナーに押し込み、優勢かのように見えたが、それ以上何もできなかった。ガードが甘い曙は、顔にパンチを受けてノックダウン。蛙のように見事に前のめりになって気絶した。見ている曙の家族の表情が痛々しかった。

2004年の年賀状

2004年の年賀状
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 2003年から2004年に年が変わったとき、Wa☆Daフォトギャラリーのアクセス・カウンターは〈 307460 〉だった。そして、その瞬間、メールの送信ボタンをクリック。送信時刻が〈 Thu, 01 Jan 2004 00:00:00 +0900 〉となった年賀メールを送信することに成功した。ラッシュになったらしく、配信に時間がかかったようだ。
 今年の年賀状は260枚。メールの年賀状は150通。デザインは、日光東照宮で撮影した「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻である。背景をカットして作成したオリジナル作品である。今年も公私ともに充実した1年にしたい。
 

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2004年(下)

 

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