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   旅紀行日本の花
2002年7月24日改訂

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BGM

    

2002年4月10日制作

八坂の塔(京都東山)

鴨川・円山公園・高台寺・霊山観音・祇園閣・清水寺 》

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四条大橋からの眺め

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四条大橋からの眺め A 四条大橋からの眺め B

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鴨川に祈る(四条大橋)

 2002年(平成14年)3月30日(土)、穏やかな春の日和に誘われ、京都・東山の花見に出かけた。今年は暖冬のせいで、桜の開花時期が1週間ほど早かった。

 阪急三ノ宮駅から京都の河原町駅まで特急電車で1時間20分ほど。後はすべて徒歩で散策。駅から東に進むと鴨川に出た。

鴨川の

 鴨川に架かる四条大橋から土手を埋める桜が一望できる。写真Aは鴨川下流の、写真Bは鴨川上流の眺めである。丁度満開だった。

賀茂川の桜

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 四条大橋で托鉢(たくはつ)に来たお坊さんが鴨川に祈っている姿があった。いかにも京都らしい光景だ。写真は法衣の中で合掌する僧侶。

 そのまま東に進むと、祇園(ぎおん)から八坂(やさか)神社に至る。春の陽気に誘われて、観光客など、凄い人出だった。

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祇園祭 豪壮かつ華麗な祇園祭は、1100年の伝統を有する八坂神社の祭礼である。古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、869年(貞観11年)京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、「これは祇園牛頭(ごず)天王の祟りである」として、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヵ国にちなんで66本の鉾(ほこ)を立て、祇園の神を祭り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまる。
 祇園祭は、7月1日の「吉符入り」に始まり、31日の境内摂社「疫神社夏越祓」で幕を閉じるまで、1ヵ月に渡って各種の神事・行事が繰り広げられ、京都の夏の風物詩として市民に親しまれている。祭りのクライマックスが山鉾巡行である。

八坂神社

 京都の桜といえば、円山(まるやま)公園と聞いていたので、まず、円山公園に向かった。道を尋ねると、八坂神社の奥だという。
 市民のあいだで〈祇園さん〉の呼称で親しまれている八坂神社は、京都市東山区祇園町北側(ぎおんまちきたがわ)に鎮座する。現社名は1868年(明治1年)、神仏分離に際して付されたもので、それ以前は祇園社、祇園感神院(かんしんいん)と称していた。
 八坂の名称は当地一帯がもと山城国愛宕(おたぎ)郡八坂郷に属していたことによる。祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと もと牛頭天王(ごずてんのう))。八坂神社の祇園祭(ぎおんまつり)は、全国的に知られる。

7月の祇園祭(山鉾巡行)

祇園祭・山鉾巡行
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桜の下の宴

桜の下の宴

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円山公園

 京都市東山区、八坂神社の東にある面積10.36haの公園。政府が八坂神社の境内の一部と安養寺を1871年(明治4年)に買い上げ、大正3年にかけ開発した。
 東山の山麓であることと、交通の便利さもあって、江戸時代には名の知られた遊観所となっていた。

 公園の範囲は、北は知恩院、西は八坂神社、南は東大谷に接し、東は東山の国有林に続いている。古社寺の境内と混然としてどこまでが公園か定かでないのが、この公園の特色である。

 1914年造園家小川治兵衛によって中央に池を掘り、滝と水の流れをもつ庭園ができあがった。

04

花見客で賑わう公園

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花見客で賑わう公園 A

花見客で賑わう公園 B

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桜とアヒル

桜とアヒル

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