ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

   旅紀行日本の花
2002年4月14日改訂
BGM

    

2002年4月10日制作

八坂の塔(京都東山)

《 鴨川・円山公園・高台寺・霊山観音・祇園閣・清水寺 》

1/3 2/3 3/3
05

祇園枝垂桜(二代目)

Cherry blossoms in full broom

二代目の祇園枝垂桜

写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1200x900)298KBが表示されます。

 祇園枝垂桜

 円山公園は、京都市民から最も愛される公園で、枝垂桜(しだれざくら)で知られる。写真左の桜は、「祇園枝垂桜」として惜しまれながら1947年(昭和22年)に枯死した桜の二代目である。初代は、樹齢200余年を全うした。
 二代目は、昭和初年に初代の桜から種子を採って育てられたもので、既に樹齢77年を数える。正式には、「一重白彼岸枝垂桜」といい、桜の中で最長の寿命を誇る種類なのだという。
 夜は篝火が焚かれ、テレビ中継されるなど、京都市民に最も親しまれている桜である。
 写真下は更に東にある見事な枝垂桜。歴史の重みを感じる逸品だ。
枝垂桜

写真をクリックすると新しい窓が開き
拡大写真(1200x900)284KBが表示されます。

06

写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真が表示されます。

高台寺

高台寺の桜

(1024x768)196KB

(1024x768)219KB

高台寺 京都市東山区にある寺。山号は鷲峰山。はじめ曹洞宗、のち臨済宗。豊臣秀吉の妻の北政所(きたのまんどころ)は秀吉の没後大坂から京都に移り、尼となって高台院と称した。
 この高台院が、秀吉の菩提を弔う所として、徳川家康の援助のもと1605年(慶長10年)に開創したのが当寺である。
 そののち、たびたび火災にかかり、方丈など現在のおもな建物は明治以後の再建である。

高台寺〜ねねの道

 満開の円山公園の桜を後に南下すると豊臣秀吉の正室ねねが秀吉の菩提を弔うために建てた高台寺(こうだいじ)に至る。この寺の庭園の桜も素晴らしく、丁度満開だった。
 高台寺の上り口を中心にして南北に伸びる細道がねねの道である。
 最近まで、高台寺道として知られていたが、広い道幅いっぱいに板石を敷き、整備されたことで、京都らしい風情の景色と名が生まれた。
 南側の霊山観音(りょうぜんかんのん)の参道からは、伸びやかに空へ向かう祇園閣が見られる。両側にいくつもの寺院と、洒落た店が建ち並ぶ。

霊山観音

 神仏を祀る神聖な山・霊山を背負うようにして建つ巨大な霊山(りょうぜん)観音坐像。宗教法人霊山観音教会が戦争の犠牲者の冥福を祈って建設した。
 この巨大な観音は高さ約24m。建物の上にどっかりと腰を据えている。裏から胎内に入ることができ、内部に十二支の守り本尊が祀られている。
07

霊山(りょうぜん)観音

写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1200x900)229KBが表示されます。

 この霊山観音、その雰囲気はおよそ長い歴史のある古都の寺社とは思えない。この像の開眼は1955年(昭和30年)だという。初々しい観音像だった。
 桜については、この像の裏側にいい感じで花を咲かせていた。

円山地蔵尊

08

祇園閣(大雲院)

写真をクリックすると新しい窓が開き
拡大写真(900x1200)209KBが表示されます。

祇園閣(大雲院)

 1926年(大正15年)、大倉財閥の創始者大倉喜八郎90歳の時、老後保養のための施設の建築を思い立った。その別邸の建設にあたり、京都には金閣と銀閣があるが銅閣がないとして別邸の敷地内に展望台を兼ねた高閣を建てた。
 その高閣のデザインは、喜八郎が幼少の頃さしていた雨傘が突風にあい逆さになったことがあり、その形状を表すように設計者・伊東忠太に依頼したが、具体化できず、結局、祇園祭の鉾を表すことになり、名も祇園閣となった。
 しかし喜八郎は祇園閣が建てられた翌年の1927年(昭和2年)に住むこともなく亡くなった。相続した息子の喜七郎は、この建物の異様さに気味悪がって入らなかったという。
 1973年(昭和48年)祇園閣の地に大雲院堂宇の移築が行われ、祇園閣は1987年(昭和62年)大々的に修復され現在に至っている。祇園閣の塔の先端には鶴が乗っている。

 ねねの道から東へ向かえば、坂本竜馬の墓がある維新の道。南は、二年坂・産寧坂を経て、清水寺へと続く。
1/3 2/3 3/3

関連サイト 日本花の会 写真で綴る桜花暦 京都の桜 京都花暦 京都フォトギャラリー 奈良の桜

 
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006Yoshio Wada. All Rights Reserved. 
ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク