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MAP |
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MAPをクリックすると拡大します。(大阪市公園協会作成)
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西の丸庭園の桜 |
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2002年(平成14年)3月31日(日)、晴天に恵まれ、大阪の桜の名所を訪ねた。
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JR三ノ宮駅から大阪駅に出て、環状線外回りで4つ目の大阪城公園駅で下車。徒歩20分ほどで大阪城北方の極楽橋に着いた。(写真下)
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大阪城公園
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歴史のドラマを今に伝える天守閣が大空に聳える大阪城公園は、大阪の中央に位置し、大阪市が管理する総面積107haの広大な公園で、1931年(昭和6年)に開園した。
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公園には、大手門、千貫櫓、焔硝蔵など13棟の国の重要文化財があるほか、緑あふれる「市民の森」「西の丸庭園」「梅林」が四季の装いを見せ、訪れる人が絶えない。(MAP参照)特に桜の季節には、大阪市内屈指の名所として多くの市民が押し寄せる。
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この日は絶好の行楽日和で、4,300本の染井吉野が満開を迎え、城内の壮大な景観の中で、桜吹雪がお堀の緑色の水面に降り注ぐさまは、他では見られない光景だ。
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大阪城(大坂城)の歴史
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1583年(天正11年)豊臣秀吉は石山本願寺跡に大坂城の普請を開始。本丸の築造に1年半、その後も秀吉が存命した15年の全期間をかけて難攻不落の巨城が完成した。
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しかし、大坂冬の陣・夏の陣を経て1615年(慶長20年)5月7日に落城、豊臣家は滅亡した。
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1619年(元和5年)大坂は徳川幕府直轄領となり、翌年2代将軍徳川秀忠により大坂城再築工事が始まり、3代将軍家光の時に2代目の大坂城が完成した。この城は、石垣の規模が格段に大きく、要所には比類のない巨石が使われた巨大な城であった。
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徳川時代、大坂城の城主は歴代の徳川将軍であるが、3代将軍家光が訪れた後、幕末動乱のさなかに14代家茂が入城するまで、230年もの間、大坂城を訪れた将軍はいなかった。
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14代将軍家茂が征長戦争の最中に大坂城中で病没。後を継いだ徳川慶喜は15代将軍として幕府崩壊までの1年余り、大坂城と二条城を舞台に活躍した。
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1868年(慶応4年/明治元年)幕府軍が鳥羽伏見の戦いに敗れると、慶喜は大坂城を脱出、江戸へ逃げ戻った。その混乱の中で城内の建造物はほとんど焼失。再築以来約250年を経て、大坂城は再び落城の憂き目をみた。
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明治以降、大阪城跡は陸軍の軍用地として整備され、市民や観光客の城内への出入りは禁止された。
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1931年(昭和6年)11月7日、市民の浄財により、歴史上3代目の大阪城天守閣が竣工した。
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軍事施設をかかえる大阪城は、第二次世界大戦の戦禍を受け、特に1945年(昭和20年)の空襲で多くの建物が焼失したが、かろうじて天守閣の焼失は免れた。
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城壁に咲き乱れる桜
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3代目天守閣も60数年の歳月を経て老朽化が進み、1995年(平成7年)から3年間大規模な改修工事(平成の大改修)が行われた。
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詳しくは大阪観光協会のサイトへ
→ 大阪城
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巨大な城壁と桜
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2代目の大坂城に使われた巨石は、現在の大阪城にも使われている。濠と石垣のまわりを埋め尽くす桜の景観は壮大で、見事である。
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桜の美しい桜門
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大坂城南方の桜門は、1868年(慶応4年/明治元年)に焼失、1887年(明治20年)に復元された。
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内濠の桜
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内濠から望む高層ビル
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大坂城東側の内濠(うちぼり)に咲き乱れる桜。近代的なのっぽビルがバックに迫る。大阪の発展を肌で感じる一こま。古いものと新しいものとの調和が求められている。
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大道芸人
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外国人の大道芸人が内濠の桜の木の下で歌っていた。多くの人々が輪をつくって聞いている。桜のお陰で、陽気で和やかな時が流れる。
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