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造幣局南門
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造幣局 The Mint Bureau 明治新政府によって大阪の地に創設され、明治4年に大蔵省造幣寮として操業を開始して以来、大阪を本拠地として、約130年間にわたり我が国の貨幣の製造を一貫して行ってきた。
現在は、大阪市に本局、東京都と広島市に支局をもつ財務省の特別機関となっている。 |
造幣局で製造している貨幣は、500円ニッケル黄銅貨幣、100円白銅貨幣、50円白銅貨幣、10円青銅貨幣、5円黄銅貨幣、1円アルミニウム貨幣の6種類。通常貨幣のほか、記念貨幣も製造している。(一万円札などの紙幣は、財務省印刷局で製造される。) |
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大阪城公園と毛馬桜之宮公園を訪れてから約2週間後の4月13日(土)、通り抜けの桜で有名な造幣局を訪れた。
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JR桜ノ宮公園駅から葉桜になった大川沿いの桜並木の下を造幣局まで歩いた。南門まで30分ほどかかった。
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造幣局の桜は里桜(さとざくら)が主で、開花が遅い。しかし、今年は予想よりも早く咲いてしまい、一般公開が始まって2日目のこの日は、既に最盛期を過ぎていた。
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通り抜けの桜
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造幣局の所在地である大阪市北区天満の大川(旧淀川)沿いは、昔から景勝の地として名高く、春は桜、秋は月、夏は涼み舟など四季折々のにぎわいを見せていたという。特に春の桜は有名で、対岸を桜ノ宮と呼ぶにふさわしく、この地一帯に桜が咲き乱れていた。
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桜が咲き乱れる構内
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江戸時代に淀川べりにあった藤堂藩の蔵屋敷には、全国から様々な品種の桜が集められていた。造幣局の桜は、明治の初めにこの蔵屋敷から移植されたもので、品種が多いばかりでなく、他では見られない珍しい里桜が集められた。
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福禄寿(ふくろくじゅ)
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1883年(明治16年)、当時の造幣局長の発案で、満開時の数日間、構内川岸約560mを一般市民に開放することになり、一方通行による通り抜けが始まった。以来119年、全国的に知られる桜の名所になった。
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咲き競う大輪の花
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関山(かんざん)
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糸括り(いとくくり)
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九重(ここのえ)
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大手鞠(おおてまり)
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桜の通り抜けは、戦時中一時中止されたが、1947年(昭和22年)に再開、その後夜桜も始まり、現在では大阪市民の年中行事の一つとなっている。
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桜のトンネル・普賢象(ふげんぞう)
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1週間の公開期間中に、多い年には100万人の来客があるそうで、今年は49万人が訪れた。
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桜の種類
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全国各地約20都道府県から集められた桜は、今年は119品種、373本の花が浪花の春を彩った。
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残念ながら、明治時代に植えられた桜は、台風や病虫害、戦災による被害でほとんど残っていない。
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最も多い品種は関山(かんざん)の72本。立札には「明治初年東京荒川堤の桜として全国的に有名になった里桜の一種」とある。
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福禄寿(ふくろくじゅ)
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《 撮影 2002年3月31日・4月13日》 |
オリンパス CAMEDIA E-20 500万画素 490枚 |
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里桜は、山桜に対する言葉で、里に咲く桜だが、専門用語としては、大島桜から園芸的に作られた桜の一変種をいう。八重桜など園芸品種の大部分のもととされる。花は大きく芳香があり、花期がやや遅い。(広辞苑第5版)
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上を向いて歩こう!
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里桜が咲き乱れるトンネルを通り抜け、今シーズン最後の花見が終わった。山や川や里に咲く桜の数々。桜がこんなにも多彩で美しいとは知らなかった。日本人の桜に対するメンタリティを実感する旅だった。(完)
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