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資料 |
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1本で600畳もある大藤「 |
足利 |
のフジ(野田の九尺藤)」 |
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▲▼
フラワーステージの奥(西)にある「むらさき藤」が大藤「足利(あしかが)のフジ」で「野田の九尺藤」と名付けられている。樹齢約140年、南北36.3m、東西33.4m、幹廻り4.05m、花房 最長1.8m もあり、フラワーパーク最大の見世物である。 |
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巨大な大藤「 |
足利 |
のフジ(野田の九尺藤)」 |
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▲▼
この大藤は、足利市朝倉町の早川農園で早川和俊さんにより大切に育成されてきたが、平成8年(1996)2月、幹にギブスをつけて養生し、その上にロープをかけ、吊り上げてトレーラーに載せ、20kmの道のりを移送されて、この地に移植された。 |
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▲▼
移植当時、50畳の広さでしかなかった藤棚は、現在は600畳(約1,000m2)にまで広がり、世界一の美しさを誇っている。平成19年(2007)、栃木県の天然記念物(天第85号)に指定された。なお、九尺藤は種類の名で、樹高が9尺(約2.7m)あるというわけではない。 |
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おおふじの ろっぴゃくじょうも ありという |
Huge wisteria blossoms,
they say over 1,000 square meters. |
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藤は、日本古来の花木で、万葉集にも歌われている。万葉集では、藤は藤浪(ふじなみ)と表現されることが多い。 |
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■ 太宰府で、大伴旅人(おおとものたびと)に贈った歌
/ 万葉集第三巻 0330番 ■ |
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藤浪之 花者盛尓 成来
平城京乎 御念八君 大伴四綱(おほとものよつな)作 |
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【よみ】藤浪(ふじなみ)の 花は盛りになりにけり 平城(なら)の京(みやこ)を 思ほすや君
【意味】藤の花が盛りになりましたね。
君は奈良の都のことを思ってしまうのではないでしょうか。 |
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▼ 本来の表記は『萬葉集』。7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集で、日本文学における第一級の資料。天皇、貴族から下級官人、防人(さきもり)などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4,500首以上も集めたもので、成立は天平宝字(てんぴょうほうじ)3年(759)以後とみられる。 |
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方言による歌もいくつか収録されており、なかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な資料である。 |
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元暦校本万葉集(げんりゃくこうほん・まんようしゅう)は、『万葉集』次点本の一つで「元暦元年(1184)六月九日以或人校合了/右近権少将(花押)」の奥書を有することから命名された。桂本、藍紙本、金沢本、天治本と共に「五大万葉」の一つとして知られる。『万葉集』全歌数の6割以上を有し、次点本では『類聚古集』に次ぐ。また校訂があり、最も重要な写本である。 |
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■ 万葉集第八巻
1471番 ■ |
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戀之家婆 形見尓将為跡
吾屋戸尓 殖之藤浪 今開尓家里 山部赤人(やまべのあかひと)作 |
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【よみ】恋しけば 形見にせむと 我がやどに 植ゑし藤浪 今咲きにけり |
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【意味】恋しいので形見にしようと庭先に植えた藤が、今、咲いています。 |
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■ 万葉集第十巻
1974番 ■ |
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春日野之 藤者散去而 何物鴨
御狩人之 折而将挿頭 詠み人知らず |
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【よみ】春日野(かすがの)の 藤(ふじ)は散りにて 何をかも み狩(かり)の人の 折りてかざさむ
【意味】春日野に咲く藤の花は散ってしまい、今年の五月五日の薬狩の人々は何を髪飾りにするのだろうか。 |
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■ 万葉集第十八巻 4042番 ■ |
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敷治奈美能 佐伎由久見礼婆
保等登藝須 奈久倍吉登伎尓 知可豆伎尓家里 田辺福麻呂(たなべのさきまろ)作 |
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【よみ】
藤浪の 咲き行く見れば 霍公鳥(ほととぎす) 鳴くべきときに 近づきにけり
【意味】
藤の花が咲き広がってゆくのを見ると、霍公鳥(ほととぎす)が鳴く頃になったんですね。 |
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■ 第十九巻 4201番 ■ |
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伊佐左可尓 念而来之乎
多■乃浦尓 開流藤見而 一夜可經 久米広縄(くめのひろなわ)作 |
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【よみ】いささかに 思ひて来しを 多胡の浦(たこのうら)に 咲ける藤(ふじ)見て 一夜(ひとよ)経(へ)ぬべし【意味】もう終わったと思って来てみたら、まだ多胡の浦に藤が咲いているので、これを見て一夜を過ごしたいですね。 |
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しらふじや しろきふさぶさ ふさふさと |
White wisteria blossoms,
the white clusters in big bunches. |
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みつばちや かべんかかえて つゆすえり |
A honeybee, sucking dew
of flower, holding the petal. |
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白藤と蜜蜂 |
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野田の九尺藤の奥(西)に「モネの池」があり、睡蓮(すいれん)が赤や白の花を咲かせていた。夏季に花をつける睡蓮は、スイレン科スイレン属の水生多年草で、学名を
Nymphaea
といい、和名をヒツジグサ(未草)という。 |
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うすべに藤の咲く「うす紅橋」 |
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▲▼ ヒツジは未(ひつじ)の刻(午後2時)のことで、その頃に咲くといわれているが、実際は昼に咲き夜に閉じる。睡眠をとる蓮という連想から睡蓮と名付けられたらしいが、園芸上の言葉なので、植物図鑑には、ヒツジグサで紹介されている。 |
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「うす紅橋」から北方を見たモネの池(西部) |
北 |
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←・・・・・・・・・・・・ 八重黒龍藤 ・・・・・・・・・・・・・→ |
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▲▼
未草(睡蓮)は地下茎から茎を伸ばし、水面に葉と花を1つ浮かべる。葉の大きさは1.5〜30cmと様々で、葉の表面に小さな毛が生えていて水をはじく構造になっている。花の大きさは小さなもので3cm前後、大きなもので20cmほどになり、萼片(がくへん)が4枚、花弁が10枚ほどの白や赤の花を咲かせる。花期は6月〜11月。 |
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▲▼
睡蓮は、日本全国の池や沼に広く分布している。寒さに強く、山地の沼や亜高山帯の高層湿原にも生えている。日本以外ではシベリア、欧州、中国、朝鮮半島、インド北部、北アメリカに分布している。 |
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クロード・モネ(1899年) |
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睡蓮を沢山描いたクロード・モネ(Claude
Monet, 1840 -
1926)は、印象派を代表するフランスの画家。「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した。 |
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略 歴 |
1840年 パリに生まれる。
1874年 第1回印象派展に「印象・日の出」他12点を出品。印象派の語源となる。以後76、77、79、82年に出品(「サン・ラザール駅」など傑作を含む)
1899年 「睡蓮の池 緑のシンフォニー」を制作。
1926年 ジヴェルニーで死去。満86歳。 |
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八重黒龍藤 |
東 |
うす紅橋 |
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モネと睡蓮 |
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モネは印象派グループの画家の中では最も長生きし、20世紀に入っても睡蓮の連作をはじめ、多数の作品を残している。ルノワール、セザンヌ、ゴーギャンらは、やがて印象派の技法を離れて独自の道を進み、マネ、ドガらはもともと印象派とは気質の違う画家だったが、モネは終生印象主義の技法を追求し続け、最も典型的な印象派の画家だった。 |
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モネの描く池には睡蓮が浮かび、日本風の太鼓橋がかかっている。やがてモネは睡蓮と水に映る光だけを探究するようになった。 |
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やえななえ もねのえがきし あかすいれん |
Multi-petaled red water
lilies, Monet once painted. |
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Claude
Monet - Water Lilies - 1906 | 油彩・画布 |
シカゴ美術館
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▲▼ モネは、生前1枚の絵しか売れなかったゴッホと違って、生前に認められた画家である。信じられないような価格で絵が売れ、数々の展覧会に出品された。しかし年老いたモネは決して幸福ではなかった。長年ともに過ごしてきた画家仲間、妻、子供たちに先立たれた。その上白内障を患い、失明の不安を常にかかえていた。 |
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睡蓮(Nympheas)
1916年 200.5×201cm | 油彩・画布 | 国立西洋美術館(東京)
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▲ やっと1923年になって手術に踏み切ったモネは、なんとか視力を回復する。そして復活したモネは、死に至るまで、睡蓮を描き続けた。モネの睡蓮は描かれた時期によって作風や印象が微妙に異なり、かなりの数が出回っているが、そのどれもが高い評価を受けている。 |
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白藤とモネの池(西部) |
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うす紅橋 |
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