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★★★  ようこそ 英訳写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年6月30日改訂

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♪マドレデウス Madredeus 「海と旋律 Existir」 ' O Pastor' - 'Tardes'

 

赤屋根のナザレの村や初夏の浜   北舟

 

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The beach of early summer, the red roofs of Nazaré village.

2000年7月16日開設

初夏の陽光を受けて / ナザレ

50ヵ国記念作品!ポルトガル初夏の旅

初夏の陽光を受けて / ナザレ(ポルトガル)

俳句「海の風景」第30集

 







 







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2011年6月30日(木)

 平成23年(2011)6月19日(日)、千葉県長生郡一宮町の九十九里浜釣ヶ崎海岸で第2回夏越の禊(四回目の浜垢離)が行われた。
 本件は、平成22年(2010)6月27日(日)に初めて釣ヶ埼海岸で行われた夏越の禊に続く2回目の夏の禊で、事前に当サイトで参加を呼びかけた結果、27人が和田グループに参加し、うち24人をはじめ総勢45人が海中禊を行った。今回、和田グループが禊参加者の過半数を占めたことは、とても嬉しく、今後の励みとなった。
 時間があったお陰で、釣ヶ崎海岸の更衣テントのそばで和田グループのミーティングを実施することができた。世話役の新尺俊勝さんと長谷川昇司さんの紹介のあと、褌を締めるのは初めてという全くの初心者のために、褌の締め方や禊の作法について講習が行われた。

褌の浜の講習夏禊

Summer ablution, a training course
of loincloth on the beach.

ふんどしの はまのこうしゅう なつみそぎ

 開会式のあと、富越道彦の号令で、準備運動に当たる鳥船(とりふね)が行われた。その作法は、鐵砲洲寒中水浴で行われているものとほぼ同じなので、詳しく知りたい方は、寒中水浴の栞 を参照されたい。

白褌の鳥船海の夏禊

Summer ablution at sea, the Torifune
 practice naked with a white loincloth.

びゃっこんの とりふねうみの なつみそぎ

 行者たちが海に入ると、一部ではあるが青空が顔を出した。鬱陶しい梅雨空のかりそめの晴れ間である。「天祐(てんゆう)我らにあり」といった心境になった。
 沖合100mほどは進出したであろうか。水面が膝頭を洗うところまで来ると、行者たちは横一文字に並び、大祓詞(おおはらえことば)を頭上に掲げ、道彦といっしょに祝詞斉唱(のりとせいしょう)を始めた。
 九十九里浜がサーファーたちに人気があるのは、遠浅で波が高いという条件を満たしているからである。今年は、昨年よりも波が穏やかで、撮影する立場からするとやや物足りないが、祝詞を唱えながら禊をするには、最良の環境だった。

九十九里浜千里の波や夏禊

Summer ablution, waves from thousands
 distance at Tsukumo beach.

つくもはま せんりのなみや なつみそぎ

  これまで3回の禊を激写してきたが、お気づきのように、今回、初めて祝詞の紙が破れたり流されたりすることなく、最後まで健在で、その使命を全うした。これで、玉前神社方式の浜垢離が完成したと評価して良いだろう。
 過去3回の禊では、祝詞奏上中の行者たちの前をサーファーが我が物顔に横切っていた。礼拝中に神殿と拝殿の間を横切るようなもので、禊の間だけは自粛してほしいと思っていた。
 しかし、今回は、サーフィン大会と重なったため、行者たちが海で水行を行っている間、サーファーたちは全員浜辺に引き上げていた。そのお陰で、行者たちの廻りは誰もおらず、厳粛で美しい海の禊が実現した。

清けしや九十九里の浜の夏禊

Refreshed feeling, the summer ablution
at Tsukumo beach.

さやけしや つくものはまの なつみそぎ

  更衣が終わり、全員、手荷物を持って国道入口の奥の道路際に待機していたシャトルバスに乗り込み、玉前神社に向かった。今年は、大寒禊と同様に、神社で参拝後、直会が開かれた。

竜口の清水で漱ぐ夏禊

Summer ablution, rinsing out a mouth
with fresh water from the dragon mouth.

たつくちの しみずですすぐ なつみそぎ

 神社に参拝するときに、手水舎(ちょうずや、てみずや、ちょうずしゃ、てみずしゃ)で手を洗い、口を漱ぐ(すすぐ)のは、川や海の中に入って禊をし、心身を清めていた行事を簡略化したもの。
【1】柄杓(ひしゃく)を右手に持ち、左手を洗う。 【2】柄杓を左手に持ち替え、右手を洗う。 【3】柄杓を右手に持ち替え、左手に水を受けて口を洗い、左手を洗う。 【4】柄杓を立て、柄(え)の部分に水を流す。 大相撲のように、直接柄杓に口をつけてはいけない。

「玉前神社夏越禊'11」 2011.6.19 撮影・制作:和田義男

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夏越の禊を終える 2011.6.19 11:25

新尺俊勝・長谷川昇司両氏による講習 10:40

和田グループ世話役の新尺俊勝・長谷川昇司両氏による講習 10:40

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新尺俊勝世話役の模範的な

鳥船とりふね

新尺俊勝世話役の模範的な鳥船

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次々と寄せ来る波

次々と寄せ来る波

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海から引き揚げる行者たち

海から引き揚げる行者たち

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手水舎てみずや

で身を清める

手水舎で身を清める

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2011年6月19日(日)

 平成20年(2008)8月24日(日)、愛知県豊川市で21回目となる「豊川手筒まつり」が開催されたので、取材した。 例年8月第4土曜日に行われるが、今年は雨天のため、翌日に順延された。
  昭和63年(1988)、市制45周年を記念して始まった「豊川市民まつり」は、豊川運動公園をメイン会場に市民総おどりなどが繰り広げられる。そのクライマックスが陸上競技場で行われる「豊川手筒まつり」で、 平成20年(2008)で21回目を迎えた。豊川市をはじめ東三河地方に古くから伝わる手筒花火(てづつはなび)大小合わせて数百本の打ち上げが2時間にわたって披露され、火柱と轟音、降り注ぐ火の粉の迫力で観客を魅了する。

花火師の手筒を抱へ仁王立

Pyrotechnists standing firm,
holding  a fire-cylinder in the arm.

はなびしの てづつをかかえ におうだち

 江戸時代から三河地方に伝わる手筒花火は、孟宗竹(もうそうだけ)をくり抜いた竹筒に麻布や藁縄(わらなわ)を幾重にも巻きつけた手筒(てづつ)に黒色火薬を詰め、花火師が抱えたまま打ち上げる豪快な花火で、手筒煙火とも呼ばれる。
 手筒花火は、徳川家康による鉄砲隊の火薬製造の流れを受け継いだ門外不出の伝統花火で、噴き上がる火焔や頭上に降り注ぐ多量の火の粉の中で手筒を抱える花火師の勇ましさは、ロマンと感動を呼ぶ。

九本の手筒花火や街浪漫

  Nine hand-cylinders of fire works,

making

the town full of romantic adventures.

きゅうほんの てづつはなびや まちろまん

 会場である陸上競技場には市民などが詰めかけ、身動きができないほどになる。来場者数は約8万人で、陸上競技場の周辺には屋台も並ぶ。
 手筒から火炎放射器のように激しく噴出した花火は、もうもうと硝煙を上げ、消防団の放水のように火の粉のシャワーを地上に降らす。漆黒の夜空を背景に繰り広げられる炎のページェントは、お伽の世界を見ているようで、観客を魅了する。

「豊川手筒まつり」 2008.8.24 撮影・原作:宮嶋 茂

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手筒を抱える花火師たち

手筒を抱える花火師たち

手筒を抱える花火師たち

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感動の「九本火柱」完成!

感動の「九本火柱」完成!

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2011年6月15日(水)

 平成22年(2010)8月22日(日)、岩手県盛岡市で盆の送り火の行事として知られる北上川の「舟っこ流し」が開催されたので、毎年伝統の赤褌(あかふん)姿で参加している仙北二丁目自治会を二年ぶりに取材した。
  仙北二丁目自治会の流舟は、竜頭を付けた長さ5mほどの木造舟で、霊塔と町内の物故者を弔う戒名札を搭載し、吹き流しや提灯などで飾られている。岩手県盛岡市仙北2丁目の曹洞宗・萬峰山長松寺(ちょうしょうじ)を基地としている。

紅蓮の火赤褌どもが送舟

The burning flames like a red lotus,
the ancestor-sending boat
by naked guys of red loincloth.

ぐれんのひ あかふんどもが おくりぶね

 北上川の清流の中で点火された送舟は、瞬く間に激しく燃え上がり、川面を赤く染め、先祖の霊は紅蓮(ぐれん)の炎とともに彼岸に旅立ってゆく。精霊流しは、先祖をお送りするにふさわしい美しい行事である。
 紅蓮とは、紅色の蓮(はす)の花のことで、精霊舟を炊きあげることによって、霊は蓮の花に包まれるように昇天してゆくのだろう。

「盛岡舟っこ流し'10」 2010.8.22 撮影・原作:曽根由香

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北上川に入水する流舟

紅蓮ぐれん

の炎を上げて燃える

送舟おくりぶね

  16:48 / 北上川

紅蓮の炎を上げて燃える送舟 16:48 / 北上川

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2011年6月13日(月)

 平成18年(2006)6月23日(金)から7月2日(日)までの10日間、ルックJTB心ゆく旅「黄金の環・ロシア世界遺産の古都とモスクワ・サンクトペテルブルク10日間」の旅(参加者6名)に出掛けた。
▼ ノヴォデヴィチ修道院は、モスクワにある正教会の修道院の中でも有名な女子修道院の1つである。かつて、この近くにチャイコフスキーが住んでおり、この城を湖面に映す湖の畔を散策しながら、バレエ曲「白鳥の湖」の構想を練ったという逸話が残されており、この湖は「白鳥の湖」と呼ばれている。

クーポルを映す湖夏木陰

 

Tree shades of summer,
the lake reflecting the cupolas.

くーぽるを うつすみずうみ なつこかげ

▼ クレムリンは、モスクワ市の中心を流れるモスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿で、ソ連時代には、ソ連共産党の中枢が置かれていたことから、ソ連共産党の別名として用いられた。現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれている。正面には赤の広場がある。
 15世紀後半に建てられたリザパラジェーニヤ教会は、ウスペンスキー大聖堂の西側にある建物で、皇帝の礼拝所として使われていた。小さな教会だが、屋根に林立するクーポル(丸屋根、キューポラ)が変わっていて印象に残った。

夏空やクレムリンの葱坊主

The summer sky, onion heads of Kremlin.

なつぞらや くれむりんの ねぎぼうず

▼ 黄金の環は、ロシア、モスクワ北東近郊にある都市群の名称。これらの都市は、11世紀から15世紀末にイワン雷帝が各地を征服して中央集権体制を構築するまで、ロシア諸公国の首都として栄華を誇った。
 今日、スーズダリは、古代から中世の教会、修道院などの建築を多数保有する観光都市である。市街には多数の教会建築のほかに、小川の流れと牧草地を有する小さな村や草原があり、こうした田園とスーズダリの教会建築は、絵画的な風景をもたらしている。

夕焼けてクーポル染むる寺院かな

The evening glow,
the cupola of the temple being dyed.

ゆうやけて くーぽるそむる じいんかな

▼ 1431km2に450万余の人口を擁するサンクトペテルブルク(サンクトピチルブールク)は、レニングラード州の州都である。約300年前にピョートル大帝によって築かれた新しい街で、モスクワから遷都して以来、200年余の間ロシア帝国の首都 として君臨した。
 血の上の救世主教会は、サンクトペテルブルクにあるロシア正教会の聖堂である。この名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)のロシア皇帝アレクサンドルII世の暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地である。

クーポルを見上げて巡る夏運河

 

A travel along the summer canal,
looking up at the cupolas.

くーぽるを みあげてめぐる なつうんが

▼ エカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルク郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに建てられたロシア帝国時代のロココ建築の宮殿である。
 第二次世界大戦では、ここを占領したドイツ軍による破壊と略奪の被害に遭ったが、現在は修復され、かつての皇族たちが接した風景に触れることができる。特に、近年、ドイツ軍に持ち去られていたエカテリーナ宮殿の「琥珀の間」が修復されて一般公開されるに至り、訪れる人が絶えない人気スポットになっている。
 世界文化遺産に輝くエカテリーナ宮殿の外壁の長さは、約300mあり、青いパステルカラーの塗装が涼やかなロシア・バロック様式の名建築である。特に、北棟の礼拝堂の屋根に 立てられた王冠のような5つの黄金ドームが当時の華やかな時代を偲ばせる。

夏の空パステルブルーの御殿かな

The palace of pastel blue,
under the summer sky.

なつのそら ぱすてるぶるーの ごてんかな

▼ ペトロパヴロフスク要塞は、サンクトペテルブルクの兎島にある要塞である。1703年、ピョートル大帝が兎島に要塞を起工し、サンクトペテルブルクの町が生まれた。同年、モスクワから遷都し、ロシア革命により、モスクワがソ連邦の首都と定められるまでの200年余の間、ロシア帝国の首都として君臨した。

夏空に尖塔聳ゆヤーチャイカ

A steeple rising into the summer sky,
I am a sea gull.

なつぞらに せんとうそびゆ やーちゃいか

▼ ペテルゴーフはサンクトペテルブルク・ペトロドヴォレツォヴヌイ区にある町で、ドイツ語で「ピョートルの邸宅」の意。こゝにピョートル大帝「夏の宮殿」(ペテルゴーフ宮殿)がある。
 美しい噴水と庭園が素晴らしいピョートル大帝「夏の宮殿」は、北方戦争に勝利し、名実ともに大国となった若きロシア帝国にふさわしい宮殿である。ヴェルサイユ宮殿をお手本に、ペテルゴーフの段丘を利用して建てられた水の宮殿で、当時の勢いを彷彿とさせるものがある。

ピョートルの噴水今に夏離宮

The Summer Imperial Villa,
Pyotr's fountains even now.

ぴょーとるの ふんすいいまに なつりきゅう

▼ ネヴァ川と宮殿広場に挟まれたこの壮大な美術館は、ロシアの国立美術館で、1990年にサンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群として世界文化遺産に包括登録された。
 緑と白の壁に規則正しく並ぶ白い円柱と窓や壁に施された黄金の縁飾り、屋根の上に並ぶおびただしい数の像がエルミタージュ美術館の本館といわれる冬宮の特徴である。
 エルミタージュ美術館は、ロンドンの大英博物館やパリのルーヴル美術館などと並ぶ世界最大級の博物館で、展示室の数は400以上、総面積は46,000m2(14,000坪)、部屋をつなげると長さは20kmを超えるという。

裸の子エルミタージュのアモルかな

The boy in the nude, Amor of Hermitage.

はだかのこ エルミタージュの あもるかな

▲ 所蔵品は300万点にのぼり、1点1分ずつ見て、1日8時間かけるとしても17年以上かかるといわれている。尤も展示されているのはほんの一部に過ぎないが、一日掛けて見学するにしても歩くのに疲れてしまって、とても見切れるものではない。とにかく巨大な建物と膨大なコレクションには圧倒される。

「ロシア初夏の旅」 2006.6.23-7.2 撮影・原作:松井公代

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ノヴォデヴィチ修道院(世界文化遺産)と白鳥の湖

ノヴォデヴィチ修道院(世界文化遺産)と白鳥の湖

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リザパラジェーニヤ教会の美しいクーポル

パトリアルシー(総主教)宮殿の美しいクーポル

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夕日に染まったスーズダリの寺院

夕日に染まったスーズダリの寺院

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グリボエードフ運河から眺める「血の上の救世主教会」

グリボエードフ運河から眺める「血の上の救世主教会」

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エカテリーナ宮殿と庭園

エカテリーナ宮殿と庭園

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ネヴァ川から望むペトロパヴロフスク要塞

ネヴァ川から望むペトロパヴロフスク要塞

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ピョートル大帝「夏の宮殿」前の大滝と20mの噴水

ピョートル大帝「夏の宮殿」前の大滝と20mの噴水 / 下の公園

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古代絵画史の廊下 / 新エルミタージュ

古代絵画史の廊下 / 新エルミタージュ

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2011年5月28日(土)

 平成22年(2010)7月17日(土)、北海道芦別市(あしべつし)で平成元年(1989)以来22回目となる芦別健夏山笠(あしべつ・けんか・やまかさ)の「追い山(おいやま)」が行われた。
  芦別健夏山笠は、毎年7月中旬に行われる芦別市最大の「星の降る里・芦別健夏まつり」の一環として行われる裸祭で、第3土曜日の夕方に「追い山」が行われる。平成22年(2010)は7月17日(土)だった。

芦別やふどしの子らの夏祭

 Ashibetu, a summer festival
of children wearing a loincloth.

あしべつや ふどしのこらの なつまつり

 博多祇園山笠を見て感動した人達の手によって平成元年(1989)に始められ行事だが、現在は、 芦別市や芦別健夏山笠振興会が主催する市民上げての恒例行事となっている。
 祭は、基本的には流(ながれ)と呼ばれる地域グループで運営され、芦別健夏山笠振興会がこれらの流を統括し、芦別市がバックアップしている。

道産子の粋なふんどし夏祭

The summer festival, cool loincloths
of guys born and bred in Hokkaido.

どさんこの いきなふんどし なつまつり

 平成元年(1989) 9月に発足した芦別健夏山笠振興会(齋木達雄代表)は、男性会員約600人を擁する任意団体で、800年近くの伝統を誇る博多祇園山笠と博多祇園山笠振興会に倣(なら)い、山笠行事を通して地域文化の向上と自治精神の確立を目指し、芦別市の振興、発展の一助となることを目的としている。
 芦別健夏山笠振興会は単に博多祇園山笠の「ものまね」をするのではなく山笠を自治精神に根ざした文化と捉らえ、地域に定着させる活動を続けている。
 北部九州を中心に博多山笠を真似た「ハカタウツシ」といわれる山笠が100以上ある中で、芦別健夏山笠は、博多祇園山笠振興会から全国で唯一「兄弟山笠」と認められており、祭の内容は、博多祇園山笠がベースになっている。

芦別や北の山笠ふどし衆

 Ashibetu, guys of loincloth
in the north Yamakasa festival.

あしべつや きたのやまかさ ふどししゅう

 芦別健夏山笠には、区域や職域に根ざした6つの流(ながれ)があり、追い山に参加する5流が舁き山を持つ。芦別市職員のみで構成する市流(いちながれ)は、舁き山を持たず、追い山では他の5流に分散して参加する。飾り山笠(かざりやま)をもつのは市流のみで、毎年シーズン中に駅前に展示される。追い山の出走順番は、決められた順番に沿って毎年交代する。その年の当番山笠が一番山笠をつとめる。

舁縄にすがりつ走る夏祭

 A summer festival of running,
clinging to a Kakinawa rope.

かきなわに すがりつはしる なつまつり

 「追い山」は、健夏山笠のフィナーレを飾るメイン・イベントで、締め込みと呼ばれる褌(ふんどし)に水法被(みずはっぴ)の男たちが勢い水を浴びながら約1トンの舁き山(かきやま)を担いで走る過酷なレースで、駅前通の清道旗(せいどうき)を一周する「清道入りタイム」と、清道入り〜国道452号〜ファミリータウン〜国道452号〜駅前通廻り止(まわりどめ)までの2.1kmを走り抜ける「追い山タイム」を競う勇壮な行事である。

山笠の歴史を拓く北大地

The northern earth,
making a new history of Yamakasa.

やまかさの れきしをひらく きただいち

 清道旗と廻り止の横断幕は、同じ駅前通にあり、20mほどしか離れていないので、駅前から出発して駅前に戻るコース設定となっているが、5分毎に出発する舁き山がすれ違うことがないように配慮されている。
午後6時5分、太鼓が打ち鳴らされると、当番山笠である一番山笠(いちばんやま)・北流(きたながれ)が勢い水の洗礼を受けながら発進し、駅前通(えきまえどおり)の清道(せいどう)に入って清道旗を一周した。北流の舁き手たちは、清道旗を一周すると、鉢巻を外し、恒例の「祝い目出度」を唄った後、「手一本」で締めた。

山笠や北大黒の白ふどし

Yamakasa festival, North Daikoku group
wearing a white loincloth.

やまかさや きただいこくの しろふどし

 手一本の締めが終わると、北流の舁き手たちは一斉に鉢巻を締め、2km先の廻り止目指して、再発進した。 一番山笠(いちばんやま)の祝い目出度と手一本の 所用時間1分が足され、6分後に二番山笠(にばんやま)・栄流(さかえながれ)が発進した。そのあと、5分後に、次々と山笠が発進した。

道産子の山笠舁き行くや濡褌

The dripping-wet loincloths,
guys of Hokkaido going with
the Yamakasa wagon on their shoulders.

どさんこの やまかきゆくや ぬれふどし

 「清道入り」では、緑幸流が29秒22で優勝。「追い山」では、北大黒流が2位の緑幸流に4分以上も速い15分41秒という驚異的なタイムでぶっちぎりの優勝だった。
 今回の追い山では、1-2位を分け合った北大黒流と緑幸流の健闘が光った。どちらも少数精鋭である。写真からもその気迫がよくわかる。特に下位の流は、気迫の点で既に負けているように見えた。次回は、ふんどしをきつめに締め直して、是非頑張っていただきたい。

「芦別健夏山笠」 2010.7.17

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四番山笠よんばんやま

北大黒流きただいこくながれ の先走り

四番山笠・北大黒流の先走り

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山笠会場に入場する褌衆

山笠会場に入場する褌衆

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芦別市内を駆け抜けるタイムレース

芦別市内を駆け抜けるタイムレース

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加速する 栄流さかえながれ

加速する栄流

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勢い水を浴びせる

勢い水を浴びせる

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パワー全開!

パワー全開!

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びしょ濡れで町内を練り歩く中央流 18:36

びしょ濡れで町内を練り歩く中央流 18:36

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2011年5月23日(月)

 平成23年(2011年)1月9日(日)、大漁旗や日の丸、五色の紙をつけた笹竹、吹き流しなどで飾られた満船飾の宝来船(ほうらいせん)が桂川を巡航する新年恒例の裸祭「ホーランエンヤ」が大分県豊後高田市で開かれた。
 大分県無形民俗文化財のホーランエンヤは、豊後高田市が島原藩(長崎県)の領地であった江戸時代中期から島原や大坂の蔵屋敷に年貢米を送る廻送船の航海の安全と豊漁を祈願する行事として行われてきた。
 ホーランエンヤ保存会が主催するこの祭は、漕ぎ手(こぎて)など氏子関係者が琴平宮に参拝した後、宝来船(ほうらいせん)に乗り込んで磯町(いそまち)を出発し、「ホーランエンヤ エンヤサノサッサ」の掛け声とともに、紅白の福餅を岸辺の人々に配りながら河口に下った後、川上の豊後高田市役所前まで満潮(まんちょう)の上げ潮(あげしお)に乗って漕ぎあげるもので、豊後高田市の新春の風物詩となっている。

宝来の白褌一本初泳

The first swimming of the year,  only
wearing a white loincloth of good fortune.

ほうらいの びゃっこんいっぽん はつおよぎ

 祭りに使用される宝来船は、浅いところでも通れるように特別に設計した全長20m、幅5mの平底の木造和船で、片舷6丁の櫂(かい)と動力で推進する。公的補助を受けて平成13年(2001)頃に代替建造されたもので、ホーランエンヤ保存会が管理している。12丁の櫂(かい)の漕ぎ手は、全員、白晒の腹巻と前垂式六尺褌を締め、右舷の漕ぎ手は青鉢巻、左舷の漕ぎ手は赤鉢巻を締めている。

福餅を川辺に配る宝船 

A treasure boat, delivering rice cakes
of good luck along the river.

ふくもちを かわべにくばる たからぶね

 川岸を埋める大勢の観客が見守るなか、褌一丁の若者が威勢良く厳寒の桂川に飛び込み、岸辺まで泳いで初穂料や清酒などの祝儀(しゅうぎ)を取りに行く。川に飛び込むのは、寒禊(かんみそぎ)という意味もあろう。若者たちにとっては、初泳(はつおよぎ)でもある。

「ホーランエンヤ'11」 2011.1.9 撮影・原作:辻 竜二

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清酒をもらいに飛び込む

祝儀しゅうぎ を受け取りに厳寒の 桂川かつらがわ に飛び込む

祝儀を受け取りに厳寒の桂川に飛び込む

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祝儀を受け取り、紅白餅を渡す

祝儀を受け取り、紅白餅を渡す

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2011年5月22日(日)

 快晴の旅行日和に恵まれた平成23年(2011)5月9日(月)、栃木県足利市(あしかがし)の「あしかがフラワーパーク」で開かれている「大藤まつり」を見に、家内と二人でぶらり旅に出かけた。
 177.82km2に15.4万人が住む足利市(あしかがし)は、栃木県南西部にある地方都市で、古くは下野国(しもつけのくに)足利庄(あしかがのしょう)として栄え、フランシスコ・ザビエルが坂東(ばんどう)の大学と呼んだ有名な足利学校があることで知られる。

白藤や風に流るる光かな

White wisteria blossoms,
the brilliance drifting by the wind.

しらふじや かぜにながるる ひかりかな

 足利市東部にある花の芸術村「あしかわフラワーパーク」は、82,000m2(東京ドーム約7個分)もの広大な敷地を誇る花のテーマパークで、平成8年(1996)秋にオープンした。
 園内には樹齢140年を超える4本の大藤(おおふじ)があるほか、樹齢80年以上の藤が160本、クルメツツジが1,500本ある。そのほか、1,000本以上のアジサイやハナショウブの群生熱帯睡蓮の群生など四季折々の花々を楽しむことができる。

三色の今を盛りに藤の花 

Wisteria blossoms of three colors,
in full broom today.

さんしょくの いまをさかりに ふじのはな

 フラワーパークには、1年を通して8つの花の季節があり、最も多くの観光客を集めるのは、大藤が咲き乱れるこの時期で、ゴールデン・ウィークを挟む4月16日(土)から5月15日(日)まで、「ふじのはな物語」をテーマに「足利・大藤まつり」が開催されている。
 フジ(藤)は、マメ科フジ属の一種ノダフジ(野田藤)Wisteria floribunda の別名で、4月から5月にかけて淡紫色や白色の花を房状に垂れ下げて咲かせるツル性の落葉樹で、フジ(ノダフジ)とヤマフジが日本固有種である。
 日本でフジといわれるものはノダフジ(野田藤)である。本州・四国・九州の温帯から暖帯に分布する。木に巻きついて登り、樹冠に広がる。花序は長くしだれて20〜80cmに達する。花は紫色。蔓の巻き方は、右巻き(上から見て中心から外側へ時計回り方)である。

大藤の六百畳もありといふ

Huge wisteria blossoms,
they say over 1,000 square meters.

おおふじの ろっぴゃくじょうも ありという

▲ フラワーステージの奥(西)にある「むらさき藤」が大藤「足利(あしかが)のフジ」で「野田の九尺藤」と名付けられている。樹齢約140年、南北36.3m、東西33.4m、幹廻り4.05m、花房 最長1.8m もあり、フラワーパーク最大の見世物である。
 ノダフジ(野田藤)の名は、この種が植物学者の牧野富太郎により命名されるきっかけとなった、かつての「藤の名所」大阪市福島区野田にちなんでおり、同区玉川の春日神社には、「野田の藤跡」の碑があるという。
 藤といえば藤紫(ふじむらさき)。野田藤の40〜50cmの花房(はなぶさ)の藤は、栽培方法や環境によって、青系紫や空色系紫など、さまざまな色目の紫があり、その美しさが際立っている。

白藤や白き房々ふさふさと

White wisteria blossoms,
the white clusters in big bunches.

しらふじや しろきふさぶさ ふさふさと

 フラワーパークでは、日本を代表する原種・野田藤を栽培しており、色ごとに、「うすべに藤」、「むらさき藤」、「長藤」、「八重藤」、「白藤」と順に花が咲き、最後は日本では栽培が難しいといわれている「きばな藤」(マメ科キングサリ属)が咲き、1ヶ月以上もの間、藤の花を楽しむことが出来る。この日、開花の遅い「きばな藤」以外の全ての藤を楽しむことが出来た。

蜜蜂や花弁抱へて露吸へり 

A honeybee, sucking dew of flower,
holding the petal.

みつばちや かべんかかえて つゆすえり

▼ 野田の九尺藤の奥(西)に「モネの池」があり、睡蓮(すいれん)が赤や白の花を咲かせていた。夏季に花をつける睡蓮は、スイレン科スイレン属の水生多年草で、学名を Nymphaea といい、和名をヒツジグサ(未草)という。
 ヒツジは未(ひつじ)の刻(午後2時)のことで、その頃に咲くといわれているが、実際は昼に咲き夜に閉じる。睡眠をとる蓮という連想から睡蓮と名付けられたらしいが、園芸上の言葉なので、植物図鑑には、ヒツジグサで紹介されている。
 未草(睡蓮)は地下茎から茎を伸ばし、水面に葉と花を1つ浮かべる。葉の大きさは1.5〜30cmと様々で、葉の表面に小さな毛が生えていて水をはじく構造になっている。花の大きさは小さなもので3cm前後、大きなもので20cmほどになり、萼片(がくへん)が4枚、花弁が10枚ほどの白や赤の花を咲かせる。花期は6月〜11月。

八重七重モネの描きし赤睡蓮

Multi-petaled red water lilies,
Monet once painted.

やえななえ もねのえがきし あかすいれん

▼  西ゲートの近くに、「白藤の滝」があった。藤棚を縦に造り、空に延びるようにしている。滝のように見えることからそのように名付けられたものと思われるが、せっかくの花房が蔓と平行に垂れ下がっているので、立体感に乏しく、果たして成功しているかどうか、微妙なところ。

白藤の微かに揺るる風の息

The breath of wind,
white wisteria blossoms trembling slightly.

しらふじの かすかにゆるる かぜのいき

▼ 「白藤の滝」の南側に花房が最長1.8mに達する巨大な大長藤(おおながふじ)があった。「足利(あしかが)のフジ ノダナガフジbR」と名付けられている。樹齢約140年、南北34.5m、東西30m、幹廻り3.95m、花房 最長1.8m あり、4月下旬から5月下旬にかけて開花する。
 260tonという炭素埋設世界一を誇る大藤は、4本あるが、いずれも当初開園した足利市堀込町の早川農園から日本の女性樹木医第1号の塚本こなみさんによって移植された。この大藤の移植は、日本で初めての成功例といわれ、過日、テレビで報道された。

藤色の藤に出会ひし足利路

Ashikaga country, encountering
wisteria blossoms of light purple.

ふじいろの ふじにであいし あしかがじ

 大藤は、平成8年(1996)2月、幹にギブスをつけて養生し、その上にロープをかけ、吊り上げてトレーラーに載せ、20kmの道のりを移送されて、この地に移植された。
 移植当時、50畳足らずのの広さでしかなかった藤棚は、現在は500〜600畳(約1,000m2)にまで広がり、世界一の美しさを誇っている。平成19年(2007)、4本の大藤は、栃木県の天然記念物(天第85号)に指定された。

足利や房六尺の藤の花

Ashikaga country, a bunch of
wisteria blossoms is six feet long.

あしかがや ふさろくしゃくの ふじのはな

▼ 大長藤の東側の「古代蓮の池」にピラミッド型の水上花壇があり、色とりどりのペチュニアが綺麗だった。その南側には「クルメツツジと藤の路」があり、色とりどりに咲き乱れており、フラワーパークにふさわしい春爛漫の光景が広がっていた。
 ペチュニアは、ナス目ナス科ペチュニア属の半耐寒性多年草で、別名をツクバネアサガオ(衝羽根朝顔)といい、朝顔に似た花を一年中咲かせる。 原産地は、ブラジル、アルゼンチンなどの南米で、草丈は30cm〜50cm、花色は桃、赤、白、赤紫、紫、薄黄 など多彩。花弁は一重や八重、小中大輪のものがある。

朝顔の水に浮きたるピラミッド

Floating pyramids on the water,
full of Petunia.

あさがおの みずにうきたる ぴらみっど

▼  園内で遅い昼食を取ったあと、シャトルバスで足利市駅に向かった。バスは、途中で市内にある足利学校のそばでおろしてくれるというので、一時下車して校内を見学した。
 足利学校は、平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府であった。
 天文18年(1549)には、フランシスコ・ザビエルにより、「日本国中最も大にして、最も有名な板東(ばんどう)(関東地方)の大学」と世界に紹介され、「学徒三千」といわれるほどになった。

竹の子や三千人の学徒とや

Bamboo shoots, three thousand students!

たけのこや さんぜんにんの がくととや

 明治5年(1872)に廃校になったが、平成2年(1990)に方丈や庭園が復元され、公開された。現在、足利市教育委員会によって管理されている。

「足利・大藤まつり」 2011.5.9 撮影・制作:和田義男

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清楚で美しい

白藤しらふじ

清楚で美しい白藤

拡大写真(2000X1500)1.04MB

「べに藤」「白藤」「むらさき藤」の三色の藤の花

「べに藤」「白藤」「むらさき藤」の三色の藤の花

拡大写真(2000X1700)1.25MB

大空に広がる大藤

大空に広がる大藤

パノラマ写真(2000X1830)1.69MB

葡萄ぶどう の房のような

白藤しらふじ

葡萄の房のような白藤

拡大写真(2000X1300)957KB

白藤と蜜蜂

白藤と蜜蜂

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藤棚の下の赤い

睡蓮すいれん

藤棚の下の赤い睡蓮

拡大写真(2000X1700)1.0MB

空に向かって延びる白藤

空に向かって延びる白藤

拡大写真(2000X1500)1.22MB

四方に枝を延ばした 大長藤おおながふじ

四方に枝を延ばした大長藤

パノラマ写真(2600X1200)1.34MB

人の身長ほどもある 大長藤おおながふじ

人の身長ほどもある大長藤

拡大写真(2000X1500)1.22MB

ペチュニアの「水上花壇」と「クルメツツジと藤の路」

ペチュニアの「水上花壇」と「クルメツツジと藤の路」

拡大写真(2000X1500)966KB

竹林と旧遺蹟図書館

 

旧遺蹟図書館

収蔵庫

竹林と旧遺蹟図書館

パノラマ写真(2150X1200)919KB
 











 

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2011年5月12日(木)

 快晴の旅行日和に恵まれた平成23年(2011)5月4日(水)みどりの日、家内と共に秩父の芝桜を見に、ぶらり旅に出かけた。 目指すは、7年前に旅した埼玉県秩父市(ちちぶし)羊山(ひつじやま)公園芝桜の丘である。
 横瀬駅から「芝桜の丘」へは3つのルートがあり、7年前には最短の田舎道を通ったので、今回は「姿の池」を経由する最長ルートを選んだ。沿道には秩父の田園風景が広がり、古い家並みや美しい花々が旅情をかき立ててくれた。
▼ この牡丹は沿道の民家の庭に咲いていたもの。中国西北部を原産地とする牡丹は、元は薬用として利用されていたが、盛唐期以降、花の王として他のどの花よりも愛好されるようになった。

ぼうたんの二つもあれば夢心地

Two flowers of peony,
enough to feel as if in a dream.

ぼうたんの ふたつもあれば ゆめごこち

麦畑では、麦の穂が大きくなり、テントウムシが止まっていた。麦を見て連想するのは、俳句の季語「麦秋(ばくしゅう)」。麦の穂が実り、収穫期を迎えた初夏のことで、麦が熟し、麦にとっての収穫の秋であることから、そう名づけられた。
 テントウムシは、鮮やかな体色の小型の甲虫である。和名の「天道虫」は、太陽に向かって飛んで行くことから、太陽神の天道に由来する。夏の季語となっている。

麦の穂や天道虫の羽休め 

An ear of wheat,
a ladybird resting her wings.

むぎのほや てんとうむしの はねやすめ

▼ 木漏れ日散策コースを歩くと、山吹が花盛りだった。花は一重と八重があり、特に八重咲きが好まれ、よく栽培される。一重のものの花弁は5枚。果実は痩果(そうか)で、長さ4mmの長楕円形。1〜3個集まってつき、暗褐色に熟す。
 山吹といえば、室町時代の武将で、江戸城を築城した太田道灌が蓑を借りようとしたエピソードが有名。「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の和歌で、「実の」と「蓑」が掛詞になっている。
 貧しい農家の娘が道灌すら知らなかった和歌を知るはずもなく、後世の創作と思われるが、そのような憶測こそ「み」も蓋もないものであろう。

山吹の実の一つだにありぬべし

A kerria should bear a fruit.

やまぶきの みのひとつだに ありぬべし

▼ 山吹に混ざってピンクの花をつけた八重桜が綺麗だった。里桜の中で八重咲きのものが八重桜と総称され、色々な品種がある。染井吉野が散ったあとで咲き始めるのが多く、花期が長い。
 平安時代中期の女流歌人・伊勢大輔(いせのたいふ)(989-1060)は、「いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな」と詠んだ。

八重ざくら奈良のみやこの雅かな

Multiple flowering cherry trees,
elegance of the capital Nara.

やえざくら ならのみやこの みやびかな

▼ 羊山(ひつじやま)公園の南ブロックに位置する芝桜の丘には、約17,600m2の面積に 9種40万株以上の芝桜が植えられており、4月上旬から5月上旬にかけて一面がピンクと白に塗り分けられる。 入園料は無料。
 シバザクラ(芝桜)は、学名を Phlox subulata といい、ハナシノブ科フロクス属の多年草で、北米が原産地。別名、ハナツメクサ(花詰草、花爪草)という。
 4・5月頃に 桜に似た形の淡桃、赤、薄紫、白色の花を咲かせる。葉形や水平方向に伸びる匍匐性(ほふくせい)などから芝桜と名付けられた。葉は1cm程度と小さく、先の尖った披針形(ひしんけい)で硬い。枝分かれして地面を覆い尽くすように密生する。寒暑や乾燥に強く、常緑のため、芝生代わりに植えられることもある。

秩父路や流るる如き芝桜 

The country of Chichibu,
moss phlox look like a stream.

ちちぶじや ながれるごとき しばざくら

▲ 芝桜の丘は、シバザクラデザイナーの西喜恵子さんがデザインしたもの。芝桜の流れるようなモチーフは、毎年12月初めに開催される秩父夜祭の屋台が団子坂(だんござか)を曳き上がり、秩父神社の女神が武甲山の男神に会いに行くクライマックスを頭に描きながら、屋台や笠鉾の囃し手(はやして)の鮮やかな襦袢(じゅばん)の色合いと躍動感を表現したものという。特に、川のように流れる白い芝桜が美しかった。

武甲山見上ぐる丘の芝桜

The hill of moss phlox,
looking up Mt. Buko.

ぶこうさん みあぐるおかの しばざくら

▲  「芝桜の丘」の南面は、武甲山を背景とした光景が素晴らしい。右の写真がベストアングル・ベストショットである。
 首都圏から近いこともあり、一シーズンに100万人を超える観光客があり、秩父夜祭に並ぶ観光資源として、秩父市の活性化に大きく貢献している。入場料を取らなくてもやっていけるのが素晴らしい。

「秩父の芝桜」 2011.5.4 撮影・制作:和田義男

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満開の牡丹の花

満開の牡丹の花

拡大写真(1800X1350)407KB

麦とテントウムシ

麦とテントウムシ

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山吹と八重桜の道 / 木漏れ日散策コース

山吹と八重桜の道 / 木漏れ日散策コース

拡大写真(1800x1400)980KB

ピンクの八重桜

ピンクの八重桜

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川の流れのように / 「芝桜の丘」北面

川の流れのように / 「芝桜の丘」北面

拡大写真(2000X1500)1.13MB

芝桜と 武甲山ぶこうさん (1,304m)

芝桜と武甲山(1,304m)

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2011年5月6日(金)

 連日、東日本大震災の惨事が報道されるなか、日本一の富士山と桜を撮影して明るく爽やかな気分になってもらおうと、快晴の旅行日和に恵まれた平成23年(2011)4月20日(水)の早朝、家内と共に1泊2日の河口湖の旅に出掛けた。
 今回は、日程を随時変えられるぶらり旅とし、早朝、JR青梅線・河辺駅(かべえき)から電車に乗り、立川駅(たちかわえき)で中央本線に乗り換えて大月駅(おおつきえき)まで行った後、富士急行線を利用して河口湖に向かった。

青空を我が物顔に春の富士

Mt. Fuji of spring,
as though occupying the blue sky.

あおぞらを わがものがおに はるのふじ

  富士山は静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡すんとうぐん小山町おやまちょう)と山梨県(富士吉田市、南都留郡みなみつるぐん鳴沢村なるさわむら)に跨る活火山である。
  標高3,776mの日本最高峰であるとともに、日本三名山(三霊山)、日本百名山、日本の地質百選に選定されており、昭和11年(1936)に富士箱根伊豆国立公園に、昭和27年(1952)には特別名勝に指定された。

鱒泳ぐ富士の湧水春の池

The spring pond,  trout swimming
in the spring water of Mt. Fuji.

ますおよぐ ふじのわきみず はるのいけ

 富士吉田駅で下車し、駅のロッカーに荷物を預けた後、富士吉田駅前から09:30発平野行の「富士っ湖号」に乗り、山梨県南都留郡忍野村忍草(しぼくさ)にある忍野八海(おしのはっかい)に向かった。

 富士吉田市の南東に隣接する忍野村から見る富士山は秀逸で、「忍野富士」と呼ばれている。

 湧池の畔に土産物屋があり、その前から富士山の雪どけ水が流れ出ている。年平均水温が13℃と低く、手を入れて30秒我慢できるかどうかという冷たさである。マスが養殖されており、透明で美しい池の中で元気に泳ぎ回っていた。

苫小屋や忍野の空は富士の春

A straw-thatched hut,
spring is the sky of Oshino with Mt. Fuji.

とまごやや おしののそらは ふじのはる

 湧池の北側に忍野八海に数えられていない池があり、その間に忍野八海マップに掲載されていない水車小屋がある。この名無しの池が忍野八海随一の景観を誇る池である。
 名無しの池の北岸から見る富士山が忍野富士と呼ぶにふさわしいものと思われるが、 この池は、人工の池であるという理由で名前も付けられず、現地ではまったく紹介されていない。
 この池は、かなりの広さがあり、水量も豊かで透明度も高く、忍野八海随一の景観を誇る池だと思われる。江戸時代に選定された八海が変貌を遂げ、人工的にせよ、美しい池がある以上、現実を無視するのは如何なものだろうか。

富士の嶺や忍野八海木の芽晴

The ridge of Mt. Fuji, fine weather
on tree buds at Oshino Hakkai.

ふじのねや おしのはっかい このめばれ

 忍野八海を一巡して最後に「忍野八海庭園」という大きな看板を掲げた「榛(はん)の木資料館」に入った。榛の木(ハンノキ)は、カバノキ科ハンノキ属の落葉高木で、水田の畔で稲のはざ掛けに用いられたり、川の護岸用に植栽されている。

茅葺の忍野の里や春の富士 

Mt. Fuji of spring,
Oshino village of thatched houses.

かやぶきの おしののさとや はるのふじ

 中に入り、資料館入口の屋根の上の展望台から庭園を撮影したのが右の写真である。有料だけあって、素晴らしい景観である。目前の鯉池(こいいけ)は、民家の当主が掘った人工池で、忍野八海には含まれていない。
 民家は、渡邉泉(渡辺鴻)氏所有の忍野最古の住宅で、母屋が榛の木林資料館として公開されている。茅葺(かやぶき)屋根の上に換気用の箱棟があるこの建物は、桁行(けたゆき)9間半(約17.3m)、梁行(はりゆき)5間1尺(約9.4m)の大きさがある。

春光を集めて高き甲斐の富士

Mt. Fuji of Kai, standing high
gathering the sunlight of spring.

しゅんこうを あつめてたかき かいのふじ

 大橋のバス停に戻り、富士吉田駅行のバスを待つ間、大橋の南を散策した。新名庄川の畔では、クラブツーリズムのツアー客たちが富士山をスケッチしていた。黄色い花をつけた水仙が美しく、この光景も忍野八海の一つとして記憶に残るもので 、必見のスポットとして推薦したい。
 富士吉田駅に戻り、コインロッカーから荷物を回収した後、富士急行線を利用して河口湖駅に向かった。河口湖駅に着くと、荷物をコインロッカーに預け、2日間乗り放題のレトロバス河口湖畔フリークーポン(1000円)を購入し、昼食後、30分〜40分ごとにやってくるレトロバスに乗り込んだ。

白富士を仰ぐ湖畔や桜花

Cherry blossoms by the lake,
looking up at the white Fuji.

しらふじを あおぐこはんや さくらばな

 internetでは、産屋ヶ崎の桜の写真を毎日掲載するサイトがあり、この桜が満開になったことを確認し、この日河口湖を訪れた。「湖山亭うぶや前」で下車すると、バス停自体が撮影スポットになっており、期待通りの素晴らしい光景に感動した。次のバスが来るまでの30分間、河口湖と桜と富士山の素晴らしいコラボを激写した。
 河口湖(水面)の標高は833mと富士吉田市より32mほど高いだけなので、富士吉田市同様に満開の桜を楽しむことが出来た。写真右が決定版で、美しい富士山を間近に捉えることができ、感動を新たにした。

河口湖富士と桜の高舞台

Lake Kawaguchi, the high stage
of Mt. Fuji and cherry blossoms.

かわぐちこ ふじとさくらの たかぶたい

 河口湖は、山梨県南都留郡(みなみつるぐん)富士河口湖町(ふじかわぐちこまち)(旧河口湖町、勝山村、足和田村)にある湖で、富士五湖の中で最も北に位置する。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。
 富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、水面の標高833mは最も低い標高地点にある。面積6.13km2は富士五湖中2番目で、最大水深15.2mは精進湖(しょうじこ)と並び3番目の深さ。湖の中央に鵜(う)の島と呼ばれる小さな島がある。

夜桜や彼方に富士のありぬべし

Cherry blossoms at night,
Mt. Fuji must be over there.

よざくらや かなたにふじの ありぬべし

 富士ビューホテルは、富士屋ホテルチェーンが経営するホテルで、前方に河口湖、背後に富士山と3万坪の庭園を有し、湖畔に佇む創立70年余の伝統あるホテルである。庭園は四季折々の花が咲き、庭園散策が楽しめ、露天風呂やサウナ、大浴場といった温泉施設も完備している。
 この夜は、5階の河口湖ビューの部屋に入り、温泉とフランス料理を堪能した後、ゆったりと夜桜を楽しんだ。
 翌朝、朝食後、3万坪の庭園を散策した。満開の桜に囲まれた思昔庵(しじゃくあん)は、古くからある日本家屋で、ゴルフのショートコースの3番ホールの西にある。今は廃屋(はいおく)になっているが、かつては中を改装し、客室として使われていたという。

廃屋の花に囲まる甲斐路かな

The country of Kai, a deserted house
 surrounded by the cherry blossoms.

はいおくの はなにかこまる かいじかな

 最後の訪問地は、河口湖北岸の大石地区にある湖畔の大石公園である。南岸の八木崎公園と並んでラベンダーの公園として知られており、初夏に行われる河口湖ハーブフェスティバルの第二会場となっている。早春の大石公園は、芝桜が美しく咲いていたが、まだ、冬の枯れ葎(むぐら)が目立っていた。

白雲の湧いて流るる春の富士

Mt. Fuji of spring,
the white clouds emerging and drifting.

しらくもの わいてながるる はるのふじ

 広いジグザク木道の花街道を進むと、その行く手に鵜の島が見え、その上に富士の白嶺が見えた。両サイドには、人の背丈よりも高い枯れススキがあり、冬と春が同居する珍しい光景だった。富士山を隠す白雲が流れ去るのを忍耐強く待ち、白嶺が顔を出した瞬間をどうにか捉えることができた。

「河口湖早春の旅」 2011.4.20-21 撮影・制作:和田義男

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富士山に向かって走る富士急5000型電車

富士山に向かって走る富士急5000型電車

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綺麗な富士の雪解水で育つ 湧池わくいけ のマス

綺麗な富士の雪解水で育つ湧池のマス

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茅葺かやぶき の民家と富士山

藁葺の民家と富士山

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木の芽晴の富士山

木の芽晴の富士山

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滝と水車小屋のある田舎家

滝と水車小屋のある田舎家

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水仙と富士山

水仙と富士山

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富士 と 産屋ヶ崎うぶやがさき の桜 / 河口湖北岸 14:05

春富士と産屋ヶ崎の桜 / 河口湖北岸 14:05

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桜の下から見た富士の容姿

桜の下から見た富士の容姿

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枝垂桜しだれざくら   / フラッシュ撮影

枝垂桜 / フラッシュ撮影

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藁葺とトタン屋根の 思昔庵しじゃくあん

藁葺とトタン屋根の思昔庵

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枯れススキと春富士 / 大石公園

枯れススキと春富士 / 大石公園

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2011年6月30(木)曇 俳句「海の風景」1,500句達成! 2011年6月30日(木)夜、日本の裸祭り第137集「玉前神社夏越禊’11」をアップして5句を俳句「海の風景」に追加し、「清けしや九十九里の浜の夏禊」の句で遂に1500句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ12年、実質約11年かかって達成した。1000句から1500句までは、29ヶ月しかかかっていない。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。当面の目標は2000句だが、このペースで行けば、あと2〜3年で実現できる。ゴールは夢物語ではなくなってきたのが嬉しい。
 

1500句目の俳句

1500句目の俳句
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 俳人協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

 
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