ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 特集!旅紀行

2005年9月19日改訂

今 日

昨 日

♪Song of India (Rimsky-Korsakov) Flute MIDI by Kasuga

                   

2004年3月12日制作

エローラ第16窟(正面)

                         拡大写真(1536x1024)324KB

世界遺産・エローラ第16窟

インド通信

最終回

2005年9月18日(日)  
パキスタン・タキシラ遺跡

インド勤務も、あと、5日となり、手仕舞いの真っ最中です。

パイトン騒動 キャンプ前で、うちのスタッフたちが騒いでいるので、またもトラブル発生かと思い、駆け付けましたら、ウサギが喰われてました。うちのセキュリティーが、頭を叩いて、気絶させたパイトン(ニシキヘビ)は、約2m。まだ、子供のようです。蛇は、神様の使いですので、一応、記念撮影してから、田んぼに逃がしましたが、キャンプ前の草むらで飼っているウサギが、この様ですので、私も、キャンプ前の雑芝で、玉転がしの練習中に、このパイトンの親に、喰われないようにしなければと思いました。インドで、蛇に喰われたでは、洒落にもなりません。

海外勤務を志す後輩たちへのメッセージとして始めたインド通信ですが、最後の画像が、蛇退治で、これでは、ちょっと、また、海外希望者が出てこないかあ〜と、思いながら、しかし、海外の現場は毎日退屈しませんし、こんな僻地の建設現場での勤務も、それなりに楽しいぜ、ということで、そこの若い人!、ぜひ、一度、海外工事を、経験してみませんか!インドで、優待しますから!
パイトン騒動

拡大写真(1536x1024)263KB

ガンダーラ さて、インドから引き上げる前に、この4年間、インドでは全く休みなしで、仕事をして来ましたので、ちょっと、骨休みと冥途の土産にと、念願の、お隣、パキスタンに飛んで、当社の施工作品群を見学すると同時に、ちょっと、足を伸ばして、ガンダーラ地方とその美術作品群も、見て来ることが出来ましたので、今回は、ガンダーラの画像を紹介したいと思います。

パキスタンの首都イスラマバードの北西の、ガンダーラ平野や、その北のスワート川の渓谷沿いには、数多くのガンダーラの遺跡や、ガンダーラ美術と総称される優れた仏教作品群が残っています。ギリシャ文化の影響も受け、東西の文化の融合で、生み出された文化としても、非常に名高いようです。日本では、ゴダイゴの歌のほうで、有名ですかね・・・(^^;。

タキシラ遺跡 今回の旅では、ガンダーラ地方の西に当たるカイバル峠などは、許可証の準備が出来ず、遠くから峠を眺めるだけでしたが、また、北のスワート渓谷に入る時間もなく、イスラマバードから比較的近い(西に40kmほど)、タキシラ遺跡を、見学して参りました。

タキシラ遺跡は、ユネスコの世界遺産に登録されています(タクシラとも書かれるようです)。紀元前3世紀から、紀元5世紀にかけて、約8世紀の間、ガンダーラの東の都として、栄えた文明です。特に、紀元1〜5世紀が全盛で、「花の都」と呼ばれていたそうです。紀元5世紀に、中央アジアの遊牧民のフン族(白匈奴)に滅ぼされ、歴史の幕を閉じています。

私の愛読書、沢木耕太郎さんの『深夜特急』では、タキシラ遺跡は、次のような記述で、紹介されています。

タクシラは、古代の都市遺跡と、アレキサンダー大王の東方遠征によってもたらされたヘレニズム文化の遺物の出土で知られている小さな町だ。特に何に興味を持ったというわけではなかったが、見られなかったモヘンジョ・ダロやハラッパのかわりのつもりもあって立ち寄った。幹線道路を少し入ったところに博物館と遺跡があるという。バスを降りて、強い陽差しの中、田畑の中の一本道を歩いていく。近くと聞いていたのになかなか着かない。汗は流れてくるし、喉は渇いてくる。だが、店はおろか人ひとり通ってない。これがあの有名なタクシラだとは信じられないくらい静かなのだ。・・・・・(中略、沢木さんは、ここで、たまたまやって来た農夫の馬車の荷車(タンガ)に乗る)・・・・ザックに寄りかかり、青い空を眺めながら、たとえ博物館がどうあれ、古代都市の遺跡がどのようなものであったとしても、水とタンガのためだけでも、タクシラに来た甲斐があったな、と私は思っていた。(新潮文庫、深夜特急 第4巻 シルクロード 35頁)

別に意識はしていないのですが、私の海外勤務地が、インドネシア(東南アジア)とインド(南アジア)で、沢木さんの深夜特急のルートにも割と近かったせいか、深夜特急の影響は、少なからず受けています。 このタキシラも、今回、見ることが出来たましたので、また、今後、沢木さんの文章を読む際に、拡がって来るイメージが、違って来ると思います。

仏教遺跡の特徴 仏教遺跡を巡ると、その静寂さに、ヒンドゥー教遺跡に特徴的な躍動感との違いを感じて、インド勤務に染まった私も、一瞬、真人間に戻れたような気になれます。仏教は、その落ち着き、静けさ、穏やかさに、特徴があると思います。

では、前置きが長くなりましたが(いつも印度蝿(うるさ)くて、すいません)、ガンダーラ文化の東の都、タキシラをご紹介します。

1)タキシラ博物館の展示像 左の仏陀の顔も西洋的ですし、他の頭部や、衣服も、ギリシャ神話の彫像をイメージさせます。東西の融合点として、ガンダーラ文化が発展したことがよくわかります。

タキシラ博物館の展示像

拡大写真(1536x1024)181KB

2) シルカップ遺跡 タキシラ博物館のすぐ近くにある都市遺跡で、シルカップと呼ばれています。ギリシャのアクロポリスを思わせると書いた解説書もあるようです。

シルカップ遺跡

拡大写真(1536x1024)343KB

3)双頭の鷲 シルカップ遺跡の寺院の台座の文様に、双頭の鷲(わし)が見え・・ちょっと見難いですが、アーチの上に止まっているのが鷲です・・・、ギリシャ文化の影響を受けた彫刻と言えます。

双頭の鷲

拡大写真(1536x1024)364KB

4)モーラ・モラドゥー遺跡 シルカップ遺跡から5キロほど東にある遺跡です。ストゥーパの下に、このような化粧漆喰(スタッコ)の、見事な仏像群が残っています。紀元3〜5世紀頃。

モーラ・モラドゥー遺跡

拡大写真(1536x1024)235KB

5)ジョーリアン遺跡 モーラ・モラドゥー遺跡のさらに1キロ東の遺跡。ここも、スタッコの仏像群で有名です。頭部が破壊されているのは、フン族の進入で、ガンダーラが滅び、その際に破壊されてしまったからと言われています。紀元2世紀頃。

ジョーリアン遺跡

拡大写真(1536x1024)262KB

6)ダルマラージカ遺跡 紀元前3世紀頃建立の、直径46m、高さ14mの大ストゥーパです。ダルマラージカ周辺の遺跡には、9mの仏立像の、足の部分も、残っています。このような遺跡が、タキシラには、15km四方に点在しています。
 

ダルマラージカ遺跡

拡大写真(1536x1024)201KB

7) 断食する仏陀 ラホール美術館の収蔵品。Fasting Buddhaとして、ラホール博物館がその所蔵を世界に誇る、ガンダーラ美術の傑作です。このラマダン(断食)仏陀を見ることが、私の今回の旅の大きな目的でもありました。

断食する仏陀

拡大写真(1536x1024)117KB

8)ラホール博物館 笑った顔、落ち着いた顔、安心しきった顔・・・・・。博物館好きの小生ですが、ラホール博物館は、特にガンダーラ美術が充実していて、時間がいくらあっても足りないぐらいでした。また、行きたい!

ラホール博物館

拡大写真(1500x940)187KB

以上、パキスタンのガンダーラをモチーフにした撮影で、8点でした。 いかがでしたか?

さて、2年9ヶ月に亘り、毎週のように、インドから飛ばさせて頂きました、カワセミ通信とインド通信、出し終わってみれば、ほんの一瞬のことだったな・・・と、思っています。カメラも、ソニーのマビカから、キャノンのイオスへと格上げされ、カメラの表現力が増したことも、継続して発信出来た要因だったと思っています。性能の良い、デジタル一眼のお陰ですね。しかし、カメラの性能頼りで、撮影の腕は、なかなか上がらなかったですが・・・(^^;。

日本でも、また、撮る対象が見つかれば、撮影を再開してみたいと思っていますが、どうでしょうか? しかし、インドは、残しておきたい風景、撮ってみたい光景が多い国でした。4年3ヶ月の勤務も、全く退屈しませんでした。インドネシア同様、また、勤務してみたい国、それが、インドですね。

では、西ベンガルのプルリアを拠点にして、ここでのダム工事を担当しながら、2年9ヶ月に亘り、発信して参りました、カワセミ通信とインド通信、これにてお仕舞いです。長いことのご愛読、誠に、ありがとうございました。皆さん、ごきげんよう。 〈 完 〉
丹下誠司拝   於 バグムンディ
2005年9月18日(日)
http://wadaphoto.jp/kikou/indiamokuji.htm
Taisei Corporation
Purulia Pumped Storage Project
West Bengal, India

プロフィール

拡大写真(800x600)99KB

 
 
撮影・原作 : 
 

丹下誠司たんげせいじ

 

職業:大成建設(株)勤務

住居:インド共和国西ベンガル州プルリア地区バグムンディ村
趣味:インドの神像収集
  (前任地のインドネシアの絣(イカット)も100枚ほどのコレクションがあります)
最終回に寄せて
 インド通信がとうとう終わってしまった。2004年1月4日から今日まで1年8ヵ月にわたり、丹下さんから送られてきたインドの美しい画像は、424枚を数えた。忙しいダム建設現場における兵站部門の責任者として采配を揮いながら、これだけの大量の画像と素晴らしい随筆を送り続けることは、並大抵のご苦労ではなかったと思われ、まずは、丹下さんに心から御礼申し上げたい。
 丹下さんの画像は、観光旅行で撮影したような、うわべだけの画像ではなく、インドに住む人でなければ写し得ない画像ばかりである。着想が奇想天外で変化に富み、多岐にわたっており、インド庶民の内面に踏み込んだ深みがある。とりわけ、ウィットに富んだ語り口は、多くの丹下ファンを魅了した。インドの画像をこれだけ大量に撮り続けた例を私は知らない。
 惜しまれながらも最終回となったのは、過酷なインド勤務を卒業し、無事に本社のある東京・新宿の勤務に復帰することになったからである。
和田義男
 私としては、彼の栄進を率直に祝福する一方で、インド通信の終焉という事態に、一抹の寂しさを禁じ得ない。初めがあれば終わりがある。これが世の摂理であり宿命であることを自分に言い聞かせつつ、惜しまれながら花道を去る丹下さんに、再度拍手を送りたい。

 しかし、これで丹下節がWa☆Daフォトギャラリーから姿を消すわけではない。挨拶廻りや引継書の作成の合間に、自費でインドや近隣諸国の世界文化遺産の取材を実施し、大量の画像を撮影されたとお聞きしており、帰国後、じっくりと編集して感動写真集に次々と作品を追加させていただく予定である。
 丹下さんにはこれからも引き続き国内外の写真を撮影され、Wa☆Daフォトギャラリーの主要メンバーの一人としてご活躍していただけることを多くの丹下ファンとともに期待したい。 2005.9.18 和田義男
  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク