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 感動写真集

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           山盛りの会陽褌宝珠印  北舟

2005年3月13日作成

会陽の図

西大寺会陽(西大寺観音院/岡山市西大寺)

天下の奇祭!

西大寺会陽

宝珠印褌

   2005年2月19日(土)、備前(びぜん)の国、岡山市・西大寺観音院で、はだか祭りの会陽(えよう)が行われた。
西大寺仁王門
西大寺仁王門

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西大寺観音院さいだいじかんのんいん
 西大寺は観音院とも呼ばれ、約1300年前の奈良時代に紀伊の安隆上人(あんりゅう・しょうにん)が開基した古刹で、山号を金陵山(きんりょうざん)と称する高野山真言宗の別格本山である。 西大寺の公式サイト

 吉井川(よしいがわ)西岸の広大な敷地には仁王門、本堂、三重塔など七堂伽藍が建ち並び、朝鮮伝来の銅鐘(国の重要文化財)がある。本堂には本尊・千手観音(せんじゅかんのん)が安置されている。

 例年2月第3土曜の深夜に行われる会陽は 日本三大奇祭 の一つで今年は9千人もの裸の男たちが一対の宝木(しんぎ)を奪い合った。

西大寺案内図

JR赤穂線・西大寺駅より徒歩10分。西大寺バスセンターより徒歩10分。

西大寺案内図

資料

会陽えよう の由来
 西大寺の裸祭りである会陽の歴史は遠く奈良時代に始まる。開山・安隆上人(あんりゅう・しょうにん)は、東大寺・良弁僧正(ろうべん・そうじょう)の高弟・実忠上人(じっちゅう・しょうにん)が創始した修正会(しゅじょうえ 新年の大祈祷)を西大寺に伝え、毎年旧正月元日から14日間、十数人の僧侶が斉戒沐浴して、祭壇に牛玉(ごおう 牛玉紙)と呼ばれる護符を供え、観世音菩薩の秘法を修し、国家安穏、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷を行ようにした。

西大寺本堂

昭和34年(1959)に岡山県重要無形文化財に指定された会陽は、この巨大な本堂で行われる。

西大寺本堂

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 14日間の祈祷を経て満願になると、一年の五福(寿、富、康寧、好徳、終年)を授ける意味で、その牛玉を信徒の年長者や講頭(こうがしら 講の引率者)に授けた。

本堂で千手観音に参拝する人

西大寺は中国三十三観音霊場の第一番札所。 中国観音霊場巡礼の旅

本堂で千手観音に参拝する人

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 ところがその牛玉をいただいた農家の人は作物がよくとれ、厄年の人は厄を免れるので、年々希望者が増え、奪い合うとちぎれるので、室町時代の永正7年(1510)、時の住職・忠阿上人(ちゅうあ・しょうにん)が牛玉の紙を木製の宝木(しんぎ)に代え、これを得た者に五福を与えるようにした。このとき初めて会陽(えよう)と名付けられた。

垢離取場こりとりば

垢離取場

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会陽の意味

 会陽とは「太陽のように明るく恵み深い春の心にめぐり会う」という意味である。福奪(ふくばい)ともいい、一年の福を奪い合う真言宗の行事で、西大寺以外の寺でも行われている。
 会陽は、俳句の季語(旧正月、現在は二月)になっており、俳句で会陽という場合は西大寺の会陽を意味する。

西大寺縁起絵巻
 会陽の図は、備前岡山藩主・池田光政の家老が江戸時代の寛文(かんぶん)年間(1655〜1672)に奉納した金陵山古本縁起(西大寺縁起)絵巻の一部で、会陽の始まった頃の様子を描いたものといわれ、岡山県の重要文化財で西大寺の寺宝である。

会陽の図(岡山県重要文化財)

会陽の図

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  資料

修正会しゅしょうえ
修正会

資料

宝木しんぎ とり
 会陽の日より17日前の深夜午前零時に使者が西大寺西方3kmにある無量寿院(むりょうじゅいん)に宝木(しんぎ)の原木をとりに行く。
 一行は7〜9名で菅笠に手甲・脚絆・草鞋履きの古来の出で立ちで、1名だけが裃(かみしも)姿である。道中は一切無言の行となる。

 翌日は一対の宝木の形を作り上げる宝木削りが行われる。

修正会しゅしょうえ
 形の整えられた一対の宝木は、香を塗り炊きこめられ、牛玉(ごおう)に包まれて本尊の千手観音(せんじゅかんのん)の背後に収められる。
 会陽の日より14日前から修正会(しゅしょうえ)が行われ、国家安穏、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷が続けられる。
宝木しんぎ とりの無言の行
宝木とりの無言の行

資料

 
結願けちがん の日の 会陽えよう
   修正会14日目の結願(けちがん)の当日は、早朝より遠近の各地から大勢の信者が押し寄せ、市内を埋める。触れ太鼓が西大寺旧町内を南北二つに分かれて午後9時、10時、11時の三度太鼓を打って時を知らせる。夜がふけるにつれて裸のワッショイの掛け声が聞こえ出し、一番太鼓、二番太鼓・・・と、太鼓の合図と共にその数を増して本堂に溢れる。
境内マップと裸の順路
境内マップと裸の順路
資料
 
 男性の会陽参加者は褌一丁の裸形になるため「裸」と呼ばれ、参拝順路が定められている。

裸の順路

(1)仁王門から入る。
(2)石門をくぐる。
(3)垢離取場で水ごりを取る。
(4)本堂大床(おおゆか)に上がって祈願する。
(5)牛玉所権現に参拝する。
(6)裸が練り合う場とされた四本柱をくぐる。
(7)再び本堂に参る。

 裸たちは順路を何度も巡回する。近年、四本柱の地面の上でもみ合うことはなくなり、通過するだけになった。
 裸たちのもみ合いは、本堂大床で行われ、御福窓(ごふくまど)から清水方(せいすいかた)が柄杓で水をまくため、堂内は湯気が立ち込める。
 14日間の修正会もいよいよ結願となった午前零時、山主(やまぬし 院主、住職)が御福窓から裸の大集団に向かって100束の串牛玉(くしご)と一対の宝木(しんぎ)を投下する。投下の瞬間は全ての明かりが消され、一対二本の宝木は牛玉紙(ごおうし)に巻かれて一度に投下される。
 宝木が投下されると、その争奪戦は本堂大床から徐々に境内へと移り、いくつかの渦と呼ばれるグループに分かれ、「宝木が抜けたもよう」というアナウンスがあるまでもみ合いが繰り広げられる。二本目の宝木が何時抜けたのか分からず、アナウンスが1回だけで終わったり、全くアナウンスがないときもある。宝木がもはや境内にないことが分かると、もみ合っていた群衆は散り始め、裸祭りは終了する。

 宝木は、取主(とりぬし)(拾主(ひろいぬし) 最後に宝木を得た者)によって境内を抜け、宝木仮受所に指定されている西大寺商工会議所(西大寺会陽奉賛会)に持ち込まれると、白米を盛った一升桝に仮受けの後、連絡を受けた検分役の僧侶が宝木削りのときに切り放した元木と一升桝の宝木の木目が合致するかどうかを判定する。真正なものであれば、宝木は祝主(いわいぬし)が用意した祝い込みの場所に運ばれる。
 寺から赴いた山主は、宝木に香を塗り浄め、本尊の御影と牛玉紙に包み、金襴(きんらん 金糸の織物)の被いに入れ、朱塗りの丸形の厨子に納め、祈念して祝主に渡す。祝主は45cm×120cmの白い額行灯(がくあんどん 横長の額の形に似た行灯)に御福頂戴と大書する。かくして宝木は祝主のものとなる。
 その後、祝主は山主や取主などを迎えてお祝いをする。宝木は1年で御利益がなくなるわけではないが、祝主は毎年会陽の始まる前に厨子に入った宝木を寺に持ち込んで祈祷を受け、新たな気持ちで年を迎えるという。
 近年、祝主は西大寺会陽奉賛会により事前に決められる。取主は福男(ふくおとこ)と呼ばれ、祝主から祝福を受けるとともに、一年間の福を授かる。
本堂の

御福窓ごふくまど

宝木が投下される御福窓は、本堂・大床の本尊を参拝する場所の真上にある。

本堂の御福窓

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牛玉所殿ごおうしょでん
 本堂の北にある牛玉所殿は西大寺の祈祷所である。 この宮殿には一山の守護神・牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)が祀られているほか、金毘羅大権現が合祀されている。神仏混淆の名残で、赤い鳥居が象徴的である。
吉井川に隣接する

牛玉所殿ごおうしょでん

吉井川に隣接する牛玉所殿

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会陽褌えようふんどし
 商店街の店頭には会陽で締める褌が山になって売られている。普段は妊婦の腹帯として使われる晒木綿である。会陽では横褌(よこみつ)を何重にも重ねて前垂れ式に締める。会陽で締めた褌を妊婦の腹帯に使うと安産になるといわれ、今でも実践されているという。なお、地元では褌とはいわず、まわしという。
腹帯に会陽褌を貰ひ受く 岡山市 浅越節子
 宝珠や「備前國西大寺」「西大寺印」の朱印が押されており、既に除災招福の祈祷がなされている。遠来の客は、褌と座敷用の白足袋を購入すれば、近くのテントで着替え、所持品を荷物預かり所に預けて、飛び入り参加することができる。

会陽褌

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  山盛りの会陽褌宝珠印   北舟    

有料観覧席

 会陽当日、本堂の南側に有料観覧席が設けられる。500円と1000円の立ち見席と、5000円の座席指定席がある。当日は写真のようなテント類は存在しないので、広い境内で繰り広げられる会陽をゆっくりと観覧できる。

有料観覧席

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宝木しんぎ 牛玉紙ごおうし
 西大寺文化資料館には、会陽の貴重な展示がある。200年前の寛政9年(1797)の宝木(しんぎ)は、現存最古?と考えられている。牛玉紙は、中央に「西大寺」、右に「牛玉(ごおう)」、左に「寳印」と刷られ、朱の宝珠印が五つ押された護符(御守り)である。これを牛玉と呼び、宝木をこれに包むので、宝木のことを牛玉ともいう。

熊野牛王くまのごおう
 牛玉といえば、熊野牛王(くまのごおう)が有名である。三本足の八咫烏(やたがらす)で描かれた熊野三山の護符で、日本サッカー協会 Japan Football Association のシンボルマークや日本代表チームのエンブレムには1本の足でサッカーボールをつかみ、二本足で立つ八咫鳥がデザインされている。  早春の熊野三山〈 牛王宝印 〉
最古?の宝木と

牛玉紙ごおうし

最古?の宝木と牛玉紙

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串牛玉くしご
 宝木(しんぎ)が投下される前に串牛玉(くしごおう・くしご)が100束ほど投げられる。投牛玉(なげごおう)・枝牛玉(えだごおう)・串牛(くしご)・投牛(なげご)とも呼び、柳の細い木片を一束にして牛玉紙を巻き、紙縒(こより)で結んである。
 現在の串牛玉は、柳の木片5本を牛玉紙に包み、こよりで結わえたものである。
牛玉紙に包まれた

串牛玉くしご

牛玉紙に包まれた串牛玉

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宝木しんぎ
 西大寺の宝木(しんぎ)は樫の木でつくられ、以前は「真木」と書いていたが、現在は宝木と書く。14日間、寺の総力を挙げて祈祷する修正会の果実であり、これを手にした者は一年間の五福を授かるという。
 現在の宝木は、直径4cm、長さ20cmの木製で一対二本。以前は陰陽の区別があったが今はない。

厨子ずし

に収められた

宝木しんぎ

厨子に収められた宝木

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