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   旅紀行日本の花
2006年3月7日改訂

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2002年4月20日制作

上千本からのパノラマ(奈良・吉野山)

上千本からのパノラマ(奈良・吉野山)

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金峯山寺参道

金峯山寺参道

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 猿引坂を通り、吉野三橋のひとつ・天王橋から右に折れて更に下ると、蔵王堂の門前町とでも云える狭い町並みに出る。左に行くと蔵王堂に至る。大勢の花見客でごったがえしており、警察官が交通整理をしていた。

金峯山寺

 金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある修験道金峯山派の本山である。

 寺伝では役小角(えんのおづぬ)の開基とする。898年(昌泰1年)宇多法皇は、金峰山に参詣、聖宝(しょうぼう 平安前期の僧で天智天皇6世の孫)は当寺に蔵王像、観音像を造立した。
 平安時代中期になると御岳精進(みたけそうじ)という言葉が流行し、参詣するものが多くなり、漸次寺観も整備、寺勢も強大化した。藤原道長や白河上皇の参詣は有名である。
 天険の利と僧兵を有した金峯山寺は、後醍醐天皇の時代には南朝の拠点となり、1348年(正平3年/貞和4年)本堂の蔵王堂などが戦火で焼亡した。
 以後豊臣秀吉・秀頼の再興があり、本寺・興福寺より離宗し、明治以降天台宗に属したが、現在は修験道(しゅげんどう)の本山として独立している。

修験道

 修験道は、日本古来の山岳信仰が外来の密教、道教、儒教などの影響のもとに、平安時代末に至って一つの宗教体系を作りあげたものである。
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蔵王堂の入り口

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蔵王堂

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 特定の教祖の教説にもとづく創唱宗教とは違い、山岳修行による超自然力の獲得と、その力を用いて呪術宗教的な活動を行うことを旨とする、実践的な儀礼中心の宗教が修験道である。

国宝・蔵王堂

 金峰山寺本堂の国宝・蔵王堂は、桜とともに吉野山のシンボルとして、堂々たる容姿を誇っている。
 南面重層入母屋造り桧皮葺き(ひわだぶき)の豪壮な建物は、正面5間、側面6間、高さ約34mあり、我が国木造建築史上、東大寺大仏殿に次ぐ大規模な建造物である。
 天正の大伽藍と呼ばれる現在の蔵王堂は1591年(天正19年)に再建されたもので、室町末期の様式を伝える。内部は内陣と礼堂からなり、松や杉などの自然木のままの柱68本が林立するさまは豪壮である。
 内陣には秘仏・金剛蔵王権現3体(重文)が祀られており、本尊は高さ7mに及ぶという。秘仏のため一般には公開されていないのが残念だ。

蔵王権現立像

蔵王権現立像
(平安時代 重文 奈良国立博物館蔵)

 内陣の2本の金箔張り化粧柱や須弥檀(しゅみだん)は、桃山時代に太閤秀吉が寄進したものといわれる。
 遙か山奥からその雄姿を見てきたが、実際に目の前に立ってみると、予想外の大きさに圧倒される。
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托鉢行中の山岳僧 A

 (1200x900)209KB

托鉢行中の山岳僧 B

托鉢行中の山岳僧 C

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ドイツから来た修行僧 オズワルド・ジャンさん(写真C)は、吉野に来て3年になる。「篠懸(すずかけ)はお不動さんの姿。格好いい。」と気に入っている。一人前の山伏になり、ドイツ・アルプスで修験道をはじめたいと夢はふくらむ。アルプスで回峰行をやりたいという。月に1日の休養日以外は、毎日厳しい修業に励んでいる。頭が下がる思いだ。

 役小角

 役小角(えんのおづぬ)は、7世紀末に大和国の葛城山(かつらぎさん)を中心に活動した呪術者で、生没年不詳。役行者(えんのぎょうじゃ)、役君(えのきみ)などとも呼ばれる。
 鎌倉時代中期の《沙石集》には、役小角が金峰山の山上で、蔵王権現を感得したことが記されている。修験道の本尊として祀られるようになった蔵王権現を祈り出した役小角は、修験道の開祖とされるようになり、金峰山の蔵王堂の開創者と信じられることになった。
 山伏(やまぶし)が語って歩いたため、役小角の伝説は各地にあるが、鎌倉時代中期の舞楽書《教訓抄》には、役小角は笛に巧みで、その音色をめでた山の神が舞を伝えたという話も見える。南北朝時代を経て山伏の活動は一段と盛んになっていった。

 托鉢行の山伏

 蔵王堂の前に4人の托鉢僧が募金箱を手にじっと立っている。募金すると、深々とお辞儀をしてくれる。
 寺の説明によると、山伏正装の鈴懸(すずかけ)衣を着けての托鉢ということで、喜捨(きしゃ)された浄財は、神戸の仮設支援団体(NGO)や台湾震災、その他諸災害への義捐金(ぎえんきん)としているという。
 箱には、「諸災害義捐金托鉢行 金峰山青年僧の会」と書かれている。修験道独特の装束であるためか、観光客が頻繁にカメラを向けていた。全く咎めるようなそぶりは見えない。
 そこで私も格好の被写体として撮影させてもらった。アップで迫っても視線も動かさず、微動だにしない。精神修養の場とみえる。手前の僧は外国人だ。いずれも青年僧で美形である。
 撮影後、義捐金を箱に入れ、お辞儀して分かれた。
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《 撮影 2002年4月6日 》

 オリンパス CAMEDIA E-20 500万画素 360枚 

金峯山寺仁王門

金峯山寺仁王門

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 先ほど通ってきた門前町と反対の方向に進むと仁王門がある。仁王門を下ると、こちらにも門前町が続く。こちらが本来の門前町だろう。狭い参道は花見客で一杯だ。「ケーブルのりば」には、ロープウェイで下山する人の長い列ができている。
 そのまま通過し、歩いて山を下る。間もなく下千本(しもせんぼん)に着き、九十九折り(つづらおり)の道が続く。既に桜は終わっていて、青葉が目立っていた。午後2時半、近鉄吉野駅着。奥千本の西行庵から駅までの4時間余りに及ぶトレッキングは、こうして終わった。

 駅は既に混雑しはじめていたが、臨時電車が15分ごとに出ており、次の電車を待ち、座って帰ることができた。
 生まれてはじめて見た壮大な吉野山の桜や、後醍醐天皇、西行、修験道との触れ合いですっかり興奮していた身体に疲労感が広がり、力が抜けていくのが心地よかった。(完)

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