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Venezia のゴンドラ

VENEZIAのゴンドラ

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2003年6月10日制作

VENEZIA

 「アドリア海の女王」とその美しさを讃えられたヴェネチアは、かっては地中海貿易の拠点であり、世界の文化・芸術の中心として栄えた。北イタリア・ベネト州の州都でもあるヴェネチアは、アドリア海の最も奥まった所にある潟(ラグーナ Laguna )の上に形成された水の都である。
 サン・マルコ大聖堂を中心にドゥカーレ宮殿(総督宮)、貴族の館、寺院、大学、市民の住居等が大小の運河に区切られて密集しているヴェネチアは、車は一台もなく、運河を行き交うゴンドラ Gondola とヴァポレット Vaporetto と呼ばれる水上バスやモーターボート(水上タクシー)が市民の足となっている。
 ヴェネチアは、水没の危機を抱えながらも中世そのままの姿をとどめ、今も我々を魅了し続けている。英語ではベニス Venice というが、現地ではヴェネチア Venezia という。

Santa Maria Della Salute

ヴェネチアの動脈となる海の回廊・大運河 Canal Grante の出入口に、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会が鎮座する。八角形の非常に美しい教会で、ヴェネチア・バロック建築の最高傑作といわれる。

Santa Maria Della Salute

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大運河 Canal Grante のゴンドラ

大運河 Canal Grante のゴンドラ

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リアルト橋 Ponte di Rialto のゴンドラ

運河をまたぐリアルト橋は、以前は木製だったが、16世紀末に現在の石造りに変わった。この界隈は、一日中人であふれており、活気に満ちている。

リアルト橋 Ponte di Rialto のゴンドラ

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係留中のゴンドラ

溜め息の橋 

係留中のゴンドラ ため息の橋

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溜め息の橋 

 小運河に架かる窓のついた小さな橋がある。この橋の右が牢獄、左が裁判所である。裁判所から牢獄へ引かれてゆく罪人たちが、橋の小窓から外界を眺め、今生の別れと溜め息をつきながらこの橋を渡ったことから、いつしか「溜め息の橋」(嘆きの橋)と呼ばれるようになったという。カサノヴァがこの地下牢から脱獄したのは有名である。

ゴンドラのアコーディオン

ゴンドラのアコーディオン

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観光客を乗せたゴンドラからカンツォーネが聞こえる。狭い運河の壁に反響し、通行人も足を止める。カンタンテ(歌手)が、アコーディオンにあわせて美声を披露する。

ゴンドラの歌手・カンタンテ Cantante

ゴンドラの歌手・カンタンテ Cantante

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小運河のゴンドラ

小運河のゴンドラ

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ゴンドラ Gondola

 ヴェネチアの運河で使われている独特の形をした小型の無動力ボートをゴンドラと呼ぶ。
 船首、船尾が反り上がり、船首材には、ローマ神話の海神ネプトゥヌスが持つ三叉の鉾(ほこ)をかたどったといわれる飾りがついている。
 現在は1人漕ぎだが、2人、4人漕ぎもあった。その起源は明らかでないが、11世紀末の文献にゴンドラの名が見える。
 15世紀末の絵画では船首飾がなく、16世紀末にはアムステルダム、18世紀にはロンドンのテムズ川でも使われていた絵画が残っている。

船着き場

運河には、沢山の杭が打ち込まれ、ボートの係留に利用される。

船着き場

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ヴェネチアへの誘い

 VENEZIA は、紀元前2000年代にヴェネト平野に先住したイリヴェア人によって建設されたと推察されている。イリヴェア人は、インド・ヨーロッパ語族の古代イタリア人とは異なる人種である。
 紀元前一世紀にローマに征服されたことにより、かなりラテン化されたが、その頃からこの地方に住む民族は“ヴェネト”と呼ばれた。“ヴェネト”という言葉は、“貴族”、“外国人”、“新たに来た者”などの意味があり、いずれにしても“ヴェネト”が“ヴェネチア”に変化してきたことは容易に推定される。
 現在、南北2,800m、東西4,300mのヴェネチアには、200の小島があり、400の橋で結ばれている。この街の動脈となる逆S型の大運河は、長さ3,800m、幅30〜70m、水深約5mである。
 小運河は、5〜6mの幅で小型ボ−トかゴンドラだけしか通行できないが、大切な生活のルートとして管理されている。随所に「カッリ Carri 」と呼ばれる路地があり、「カンピ Campi 」と呼ばれる広場につながり、袋小路は「コルティ Corti 」と呼ばれ、子供達の遊び場や近所付き合いの社交の場となっている。

500年の壁

500年もの間、耐えてきた壁は、歴史を物語る。

500年の壁

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岩本圭司さんご夫妻

岩本圭司さんご夫妻

 岩本圭司(いわもとけいじ)さんは、「いつも楽しませて頂いてます。車のない VENEZIA には5回出かけました。CDお願いできますか?」という簡単な e-mail をいただいたのがきっかけでお付き合いが始まった。CD の発送について mail をやりとりしていたところ、mail に素晴らしいヴェネティアの写真が添付されてきた。
 写真には KEIJI という署名が入っており、直ぐにアマチュア写真家の作品だと気がついた。そこで、「感動写真集に発表されませんか」とお誘いしたところ、気持ちよくお受けいただき、このたび第14集が完成した。
 岩本さんは1931年生まれ。大阪市北区に本社を構える化合物半導体と光ファイバ−製造用の石英ガラス器具の加工製造販売が専門の現役の社長さんである。珍しい業種で、マエストロ(職人)の世界だとおっしゃる。 (株)岩本製作所
和田義男
 奥様の敏子さんは、東京芸大卒の声楽家(メゾ・ソプラノ)で、今春まで音大で教鞭をとっておられたというから凄い。Yahoo! で奥様の名を検索すると、50件ほどヒットし、定期演奏会に名を連ねておられる。リサイタルも東京・大阪で14〜15回開催されておられ、特に大阪では「いずみホ−ル」を中心に10回ほど開かれたそうだ。 演奏会記録 岩本さんがBGMにメンデルスゾーンを選ばれたのは、さすがプロの音楽家一家だと思った。
 岩本さんは海外通で、30年くらい前からヨ−ロッパに出かけておられる。当初から語学力や行動力が要求される滞在型の個人旅行で、団体旅行の経験は一度もないという。岩本さんの周辺は熟年のフォト・エッセイ・ブ−ムだそうで、今秋か来春に「旅人の写真展」などを計画しておられるというから、本格的である。
 水の都・ヴェネチアは、私も1998年に家内と二人で旅行した。本当にお伽の国のような不思議な都市である。近年の地球温暖化により水面が上昇し、サン・マルコ広場も水浸しになる頻度が増えているそうで、残念に思う。
《本作品にあわせて、拙著
水上都市「ベニス」 をご覧頂きたい。》 2003年6月10日 和田義男
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