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しゅうこうの ここうきょうなる しろあーち |
Autumn sunlight, the white arch named Kokohkyo. |
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濯纓池(たくえいち)の東端に設けられた悠々亭は、茅葺(かやぶき)の四阿(あずまや)で、古くは歌会や納涼茶会などに使用されていたという。池には錦鯉の他に海水魚である鯔(ボラ)や黒鯛、鱸(すずき)などが棲んでいる。園内の水の取り入れ口は京橋川に面しており、満潮時に幼魚が入ってきてそのまま育っているという。 |
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この庭園は、明治27年(1894)に日清戦争が勃発すると、広島城に置かれた大本営の副営とされた。昭和15年(1940)浅野家はこの庭園を広島県に寄付し、同年7月国の名勝に指定され、一般公開されるようになった。 |
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舟に乗って植木を手入れする職員 |
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戦前は市民に「泉邸(せんてい)」の名称で親しまれていたが、人類史上初の原爆投下により、広島市上幟町(かみのぼりちょう)に位置する縮景園は、爆心より約1.3kmにあったため、壊滅的な破壊を受けた。 |
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近代建築と伝統庭園 |
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てんたかし しゅっけいえんの のっぽびる |
High sky of autumn, the tall building of Syukkei-en. |
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濯纓池のアオサギ
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被爆直後、数多くの被災者が園内に避難してきたが、治療もほとんど受けることがないまま息絶え、その遺体はそのまま園内に埋葬されたという。このような悲惨な歴史も、今は忘却の彼方に置き去られてしまうのだろうか。 |
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濯纓池の楊貴妃灯籠
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戦後、広島県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館を復元した。 |
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広島市の流川(ながれかわ)は、飲食店や遊興施設などが建ち並ぶ中四国一の歓楽街として知られるが、江戸時代、広島城の城下町であったこの地に縮景園から小川が流れていたことから名付けられた地名である。 |
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流川は、大正2年(1913)に埋め立てられて川自体は現存せず、縮景園の中にその片鱗が残るだけである。住所表示は江戸時代から「流川町」となっている。 |
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