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2003年9月15日(月)敬老の日、多摩川の水源・奥多摩湖に行った。JR青梅線・青梅駅から終点・奥多摩駅まで40分、接続のバスに乗ると20分ほどで奥多摩湖に着く。
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この日は、幸運にも東京都水道局と奥多摩町の主催による「小河内(おごうち)ダム郷土芸能イベント」が東京都奥多摩町小河内ダムの「奥多摩水と緑のふれあい館」で開かれており、小河内地区の郷土芸能である鹿島踊や獅子舞を見ることができた。 |
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奥多摩湖
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多摩川本流には、小河内ダムと白丸(しろまる)ダムの2つのダムがある。東京都は、飲料水と発電のために小河内ダムを建設して川をせき止め、奥多摩湖をつくった。この人造湖は、一千万都民を支える貴重な水瓶となっている。 |
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資料 |
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小河内貯水池(奥多摩湖)の総貯水量は1億8540万m3。2003年9月26日の貯水量は1億6490万m3(貯水率89%)で、前日より48万m3増加した。満水で東京都民40日分の使用量をまかなうことができる。 |
東京は利根川水系、荒川水系、多摩川水系から水が供給されている。東京に最も多くの水を供給しているのは利根川水系で、同日、3億3347m3(貯水率97%)の貯水量があった。荒川水系は4026万m3(貯水率99%)と少ない。 |
今年は天候不順で雨が多く、水不足の心配はない。奥多摩湖は、上流の水源林のお陰で、土砂の流れ込みも少ないという。 |
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東京都水道局 奥多摩町公式サイト
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奥多摩湖と小河内ダム堤体
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小河内ダム
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ダム建設計画が発表された昭和6年(1931)6月、小河内村は絶対反対を表明したが、「幾百万市民の生命を守り、帝都の御用水のための光栄ある犠牲である」との再三に渡る説得に、昭和7年(1932)7月小河内村はやむを得ず了承。ダム建設用地の買収が始まった。
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昭和13年(1938)着工。途中、第二次世界大戦により一時中断したが、終戦後再開。昭和32年(1957)11月竣工。
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ダム建設にあたり、小河内村と山梨県丹波(たば)村及び小菅(こすげ)村の945世帯が移転を余儀なくされ、もとの町並みは湖底に沈んだ。中でも全村が水没した小河内村の村民は、工事期間が長引いたこともあり、大変な心労と負担を強いられたという。
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高さ149m、幅353mのダムは、当時としては世界一の規模を誇ったが、工事では87名もの殉職者を出した。対岸には慰霊碑が立つ。
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越流防止用放流ゲート
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奥多摩水と緑のふれあい館
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奥多摩水と緑のふれあい館は、東京近代水道100周年と小河内ダム竣工40周年の記念事業として、 東京都水道局と奥多摩町が奥多摩郷土資料館の跡地に建設したものである。
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奥多摩の豊かな自然やダムの仕組み、水の大切さを紹介しながら、都の水源地である奥多摩町と水道を利用する都民との交流を図ることを基本コンセプトとしている。入場料無料。 奥多摩水と緑のふれあい館
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小河内の鹿島踊
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鹿島踊は、奥多摩町における代表的な民俗芸能で、昭和55年(1980)に国指定無形民族文化財に選ばれた。この踊りは、小河内ダム建設で湖底に沈んだ小河内の日指(ひさし)・岫沢(くきざわ)・南(みなみ)の3集落の氏神・加茂神社の旧暦6月15日の祗園祭に披露され、祗園踊とも呼ばれていた。
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小河内ダムによる水没以後は、毎年9月15日、小河内神社の秋期例祭にかっての住民が集まり、鹿島踊をはじめ小河内村の民俗芸能が奉納される。
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小河内における鹿島踊は、若衆が女装して踊るもので、小河内独特のものである。この踊りがいつ頃から始められたのかは不明で、一説では、京都から公卿の落人が岫沢(くきざわ)に来て隠れ住み、村人に教えたともいわれ、また、旅僧が教えたともいわれる。
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離村した人たちが守る民俗芸能
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深い山に囲まれ、山あいごとに集落が点在していた小河内村は、民俗芸能の宝庫といわれていた。しかし、水没による村の離散は、伝統芸能の伝承を難しくした。多くの民俗芸能が後継者不足に悩み、いくつかは途絶え、多くは今なお存続の危機にある。小河内小・中学校も生徒数が少なく、2004年3月で廃校になるという。
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毎年、9月15日の祭りの日には、離散した元村民たちが久しぶりに地元に帰り、旧交を温める。過疎に悩まされながらも、鹿島踊の関係者は国の無形民俗文化財を絶やしたくないという気持ちが強く、頑張っている。今でこそ40代の既婚の男性も踊っているが、本来は、17〜23歳の未婚の若衆6人が女装して踊るものだという。
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優雅で京の風情を残す踊り
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鹿島踊は、踊り手6人の他に囃子方として笛方2人、太鼓方2人がいずれも裃姿で演奏する。
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口紅をつけ、顔や手を白塗りした踊り手の衣装は、紫地に薄(すすき)や桔梗の裾模様が入った振袖である。帯は猫じゃらしといわれるだらりの帯で、3人は赤のしごき、他の3人は白のしごきを腰帯に締め、紫の布をたたんで頭に載せ、その上に瓔珞(ようらく 珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具)の下がった筒状の冠を被る。その姿はいかにも優雅で、京の風情を残している。
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当初12曲あったといわれる踊りは、現在は11曲。口伝(くでん)なので、伝承が難しいという。最初に三番叟(さんばんそう)を踊り、最後は三拍子で締める。女性らしさを出すために、踊り手は両膝をつけ、中腰で踊る。1曲5〜6分であるが、かなりきついという。踊りは古歌舞伎の遺風を留めており、優雅な舞いである。
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ダムの建設により湖底に沈んだ小河内村の伝統芸能が多くの困難を乗り越え、元村民の手で存続していることに深い感銘を覚える。
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