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和田義男

 旅紀行ジャパン

2006年5月25日改訂

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♪雪蛍 Fantasy MIDI

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春林に雲湧き出づる厳島  北舟

2006年5月20日作成

干潮時の厳島神社回廊

平山郁夫画伯が描いた厳島神社/広島空港

 

大回廊(厳島神社/広島県廿日市市宮島町)

世界遺産

宮島の春雨桜

宮 島

 

はじめに

 
   平成18年(2006)4月10日(月)家内と共にクラブツーリズムのバスツアーに参加し、2泊3日の日程で中国路を旅した。往復は羽田〜広島の空路を利用し、広島空港からツアーバスで広島・山口・島根三県を巡った。
   中国地方の桜の開花は、例年になく遅れ、今年二度目の花見となったが、この旅は雨が降り続き、春雨桜を鑑賞することとなった。本編は、最初の訪問地「安芸の宮島」を取りまとめたものである。  

JR宮島口桟橋

JR宮島口桟橋

 

JR宮島航路

 
   広島空港からバスで廿日市(はつかいち)市の宮島口(みやじまぐち)まで行き、JRが運行する唯一の国内航路に乗り、宮島口桟橋から宮島桟橋まで約10分の船旅を楽しんだ。

JRが運行する国内唯一のフェリー航路

JRが運行する国内唯一のフェリー航路

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  宮島に向かうフェリーから望遠で厳島神社を狙っていたところ、幸運にも神社の真正面を撮影することができた。
大鳥居の左右には、入江の砂が流出しないように低い砂防堤(さぼうてい)が築かれている。

春雨に

けぶ

る厳島神社正面

フェリー船上から望遠で厳島神社正面を撮影

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安芸の宮島 あ き    みやじま

   安芸の 宮島 は、陸奥(むつ)の松島(宮城県宮城郡松島町)と丹後(たんご)の天橋立(あまのはしだて)(京都府宮津みやづ市)と共に日本三景*のひとつに数えられる景勝地である。正式には厳島(いつくしま)といい、瀬戸内海の広島湾南西部に位置する。
*日本三景:儒学者・林春斎が寛永20年(1643)に著した「日本国事跡考」に、「丹後天橋立、陸奥松島、安芸厳島、三処を奇観と為す」と書いたのが始まりという。

春雨桜と大鳥居

春雨桜と大鳥居

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厳 島いつくしま

   厳島は、周囲31km、面積30km2の花崗岩からなる島で、海岸には「安芸の宮島まわれば七里、浦は七浦七恵比寿」と謡われる小規模な砂浜がある。古くから海抜530mの主峰・弥山(みせん)が崇敬の対象となり、島全体が神聖視され、厳島神社の門前町として発達した中心集落は、弥山北麓の海岸にある。神の島であるため、現在でも約二千人の住民の墓地は島内にはなく、対岸に埋葬されるという。
   厳島神社の名が確かな史書にあらわれるのは「日本書紀」弘仁2年(811)の「伊都岐島(いつきしま)神」。宮島の名も古く、治承4年(1180)の「高倉院厳島行幸記」に見える。昭和27年(1952)国の特別史跡・特別名勝に指定され、2005年の合併で広島県佐伯郡宮島町から広島県廿日市(はつかいち)市宮島町となった。  
春雨に

けぶ

る厳島

春雨に煙る厳島

パノラマ写真(2600x1100)321KB

 春林に雲湧き出づる厳島  北 舟 
 

厳島神社いつくしまじんじゃ

 宗像三女神(むなかたさんじょしん)(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと))を主祭神とする厳島神社は、1400年の歴史を持つといわれ、厳島を背後にして、その入江の海中に大鳥居(おおとりい)や木造の社屋が建ち並ぶ日本でも珍しい神社である。

神 紋

三つ盛り二重亀甲に花菱

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

厳島神社

資料

   現在の社殿は、平安時代末期に平清盛(たいらのきよもり)(1118 - 1181)が建てたもの。時の権力者の尊敬を常にあつめ、清盛以降、何度か修理改修が行われているが、特に毛利元就(もうり・もとなり)(1497 - 1571)が大掛かりな修復を行ったという。

春雨桜と五重塔

春雨桜と五重塔

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神 鹿じんろく

   宮島に上陸すると、桜の木の下で雨宿りをしている二頭の鹿が我々を出迎えてくれた。宮島の鹿はニホンジカで、今から800年ほど前に書かれた西行法師の説話集「撰集抄*(せんじゅうしょう)」に「宮島には鹿が多い」と書かれている。
   宮島の鹿は、古来より神の使いである神鹿(じんろく)として大事にされてきた。鹿は山と町に住み分かれており、「野生の鹿に餌を与えないように」という看板があるそばで餌が売られており、餌にありつけることから町に居着く鹿が多く見られる。奈良市の奈良公園では、神鹿の餌・鹿煎餅(しかせんべい)が売られている。
  *撰集抄:鎌倉時代の説話集で、西行が自らの体験・見聞を記録したという体裁は虚構で、作者不詳とされる。

神鹿の雨宿り

神鹿の雨宿り

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 宮島や鹿桜木に雨宿る  北 舟 
 

世界文化遺産の神社

   厳島神社は、海に建つ木造建築物として過酷な環境下にありながら、歴代政権の厚い庇護に支えられて、寝殿造りの建築様式を巧みに取り入れ、本殿は切妻両流造り(きりづま・りょうながれづくり)といわれる古い様式を今に伝えている。
   厳島神社は、日本独自の文化を伝える優れた建築であり、島全体が文化的景観を成している点が高く評価され平成8年(1996)12月UNESCOの世界文化遺産に登録された。遺産区域は431.2haにのぼる。

干潮に全貌を現した厳島神社

干潮に全貌を現した厳島神社

パノラマ写真(2425x700)372KB

 

長い回廊の神社

 
   厳島神社は、総延長が百八間(約200m)という長い回廊が大きな特徴で、とても美しい。宮島見学時は、丁度干潮で、大鳥居から社殿まで完全に干上がっており、潮干狩りをしてアサリを採っている人たちがいた。また、野鳥が舞い降りて干潟(ひがた)で餌を漁っている姿も見られた。白い鳥はシラサギ。

干潮時の厳島神社回廊

干潮時の厳島神社回廊

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平山郁夫ひらやまいくお

画伯の壁画
   広島空港二階に平山郁夫画伯が厳島神社を描いた縦2.8m x 横12mの陶版壁画がある。ツアーの帰途にたまたま見つけたものだが、私が撮影した構図と完全に一致しており、意を強くした。(^^
   昭和5年(1930)6月15日広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市)に生まれた平山郁夫画伯は、昭和〜平成の日本画家であり教育者。東京藝術大学学長を務めた。現代日本画壇の最高峰に位置する画家であり、その作品価格は存命する画家の中で飛びぬけて高い。  平山郁夫美術館

平山郁夫画伯が描いた厳島神社/広島空港

平山郁夫画伯が描いた厳島神社/広島空港

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