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 感動写真集

2010年10月24日改訂

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2004年9月2日作成

海上の厳島神社

宮島玉取祭(厳島神社/広島県佐伯郡宮島町)

宮島口みやじまぐち

宮島口

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 2004年8月21日(土)、瀬戸内海の広島湾に浮かぶ宮島で行われた玉取祭(たまとりさい)に出かけた。JR山陽本線・広島駅から約30分ほどで宮島口に着く。駅前の宮島口桟橋から10分から15分間隔でフェリーが出ており、10分ほどで宮島桟橋に至る。

安芸あき

宮島みやじま

安芸の宮島

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玉取祭

たまとりさい
 玉取祭は、毎年大潮のときに広島県佐伯郡宮島町に鎮座する厳島神社(いつくしまじんじゃ)で行われる神事で、裸の男たちが大鳥居の前の海中に据えられた櫓(やぐら)に吊された宝珠(ほうじゅ)を奪い合う豪壮な祭りである。

天野流宮島太鼓

天野流宮島太鼓

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  厳島では、約400年前の戦国時代から旧歴7月14日の夜、本社拝殿に5尺(約1.5m)四方の台をつくり、その中央に恵比寿・大黒の福神像をすえて延年行事を行ない、行事がすんで台がおろされると、待ち構えていた褌一丁の男たちにより、福神像の激しい争奪戦が演じられたという。
 この延年祭(えんねんさい)は、明治維新後の神仏分離政策により廃止されたが、明治初期に玉取祭として復活した。宝珠の落し主、取り主には年男として今年1年の幸運が約束される。

人力車   安芸人力組

人力車

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厳島神社

いつくしまじんじゃ

神 紋

三つ盛り二重亀甲に花菱

 社殿の創建は、推古天皇即位元年(593)、 島の住人・佐伯鞍職が神託によって、宮殿創立を奉聞し、勅許を得て、御笠浜(みかさのはま)に創建したのがはじまりと伝えられる。
 昔から宮のある島なので宮島と呼ばれるが、正しくは厳島である。厳島神社に祀る神が福岡県の宗像大社(むなかたたいしゃ)から勧請された市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)をはじめとする海神・宗像(むなかた)三女神であり、その「いちき」が「いつく」に転訛して、「いつくしま/厳島」と呼ばれるようになったという。   厳島神社公式サイト

 三つ盛り二重亀甲に花菱(みつもり・ふたえきっこうに・はなびし)の神紋は、海神・宗像三女神を象徴するにふさわしい。神社の敷地を海辺の砂州(さす)に求めたのは、島自体を御神体としたためといわれる。

砂洲に建つ神社

砂洲に建つ神社

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 厳島神社は、平清盛(たいらのきよもり)の平安時代に、平家一族の拝するところとなり、仁安3年(1168)には本格的な社殿が造営されて、安芸国一宮へと発展し、大いに栄えた。 
 平家滅亡後、鎌倉時代から戦国時代にかけて社運は衰退したが、弘治元年(1555)毛利元就(もうりもとなり)が厳島の合戦で勝利を収め、神社を深く崇敬した。豊臣秀吉も、九州遠征の際に立ち寄り、安国寺に大経堂の建立を命じている。

海に遊ぶ鹿

海に遊ぶ鹿

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日本三景

 海中を敷地とした奇想天外なこの神社は、祭神が海の神であることから現世に竜宮城を再現しようとしたためか、また来世を船で渡って極楽浄土に詣る藤原時代の浄土信仰の一つのあらわれか、とにかくも平安時代の人工美と自然美の調和がここに結晶した一大偉観となっている。
  安芸の宮島(厳島)は、丹後(たんご 京都府)の天橋立(あまのはしだて)と陸奥(むつ 宮城県)の松島とともに、日本で並び称される三大景勝地で、広辞苑にも日本三景として記載されている。
鹿と

朱丹しゅたん

大鳥居

鹿と朱丹の大鳥居

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日本三弁天にほんさんべんてん

 安芸の厳島(いつくしま)に祀る弁財天は、相模(さがみ)の江ノ島、琵琶湖の竹生(ちくぶ)島とともに日本三弁天として名が知られている。
 弁財天信仰はもともと仏教とともに伝来したが、日本の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と習合して神社の祭神となり、水神としての神格を備えることから、池や海の水辺に祀られることが多い。
 弁才天(べんざいてん 辯才天)は、江戸時代には弁財天とも記されて、蓄財の神として町人はじめ庶民の間に広く信仰されるようになった。 元の姿は蛇神であるということから、水に縁のある所に祀り、好物の卵を供えたり、蛇の彫刻を飾ったりする風習が生まれた。

長い回廊

長い回廊

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大願寺

たいがんじ
 厳島神社の仏像仏具は、明治の神仏分離政策により、大願寺に移管されたため、厳島弁財天は大願寺に祀られている。真言宗高野山派に属する大願寺は、厳島神社宝物館に隣接し、明治維新まで厳島神社の修理造営をつかさどっていたという。
 毎年6月17日には厳島弁財天大祭が行われる。残念ながら厳島弁財天は秘仏で撮影も禁止されている。竹生島や江ノ島の弁財天は公開されているだけに、残念である。

Wa☆Daフォトギャラリー: 竹生島の弁財天 (写真) 江ノ島の裸弁財天 (写真)

干潮の社殿(2004年8月21日0921)

干潮の社殿(2004年8月21日0921)

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宮島杓子

みやじましゃくし
 江戸時代に宮島で出家し、僧となった誓真(せいしん)は、寛政の頃(1789〜1800)、弁天の持つ琵琶の型から杓子(しゃくし しゃもじ)を思いつき、弁天の物語を付与して宮島杓子を考案し、その技を島民に伝えた。
 宮島名物となったしゃもじは、「めしとる」ことから、広島では高校野球や広島カープの応援などにも使われる。

満潮の社殿(2004年8月21日1244)

満潮の社殿(2004年8月21日1244)

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五重塔ごじゅうのとう

 五重塔は、応永14年(1407)の創建で、唐様を基調にして和様の手法を融合させて造られている。薬師如来が安置されていたが、昭和の初期に撤去されたという。
 厳島神社の周りには、この五重塔をはじめ千畳閣、多宝塔、大聖院などの仏教建造物が並んでおり、神道と仏教の習合と分離という激しい歴史のうねりの跡が今に残されていて興味深い。

五重塔

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世界遺産
 平成8年(1996)12月、厳島神社の本社社殿、拝殿、幣殿など17棟、その周辺にある大鳥居、五重塔、多宝塔など国宝6棟、国重要文化財11棟・3基を擁する建築群と、それと一体となった前面の海、背後の弥山(みせん)原始林を含む森林地域がUNESCOの世界遺産に登録された。
 鎌倉時代から宮島全体が神社地として保護され、農耕が禁じられてきたことから、当時のままの姿が残されている。 潮の干満を利用した神社の設計は国際的にも例がなく、建造物と自然との融合が高く評価されたという。

弥山みせん

から臨む瀬戸内海

弥山から臨む瀬戸内海

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