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平成18年(2006)4月10日(月)家内と共にクラブツーリズムのバスツアーに参加し、2泊3日の日程で中国路を旅した。往復は羽田〜広島の空路を利用し、広島空港からツアーバスで広島・山口・島根三県を巡った。 |
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中国地方の桜の開花は、例年になく遅れ、今年二度目の花見となったが、この旅は雨が降り続き、春雨桜を鑑賞することとなった。本編は、最初の訪問地「安芸の宮島」に続く後編を取りまとめたものである。 |
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濁流に洗われる |
錦帯橋 |
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錦城橋 |
から下流を臨む) |
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南流する錦川に架かる錦帯橋は、右手(西)山上の岩国城・武家区域と左手(東)に広がる城下町を結ぶ。 |
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パノラマ写真(3180x600)296KB |
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4月11日(火)ツアーバスは安芸の宮島を後にし、宮島口から山口県岩国市に入った。錦帯橋は、市内を流れる(にしきがわ)に架かる橋で、江戸時代より日光の神橋(しんきょう)、甲斐の猿橋(えんきょう/さるはし)と並び日本三名橋と呼ばれた。その精巧で特異な構造が高く評価され、大正11年(1922)に国の名勝に指定されている。 |
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春の長雨で錦川の流量が増し、河川敷に張られたテントが水没していた。 |
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錦川は、山口県を流れる二級水系錦川の本流である。山口県北東部の周南市(しゅうなんし)を水源とし、長さ331.8km、流域面積884.2km²の山口県最大の川である。南東に流下した後、同市・菅野(すがの)ダム付近で北東に大きく蛇行し、岩国市に流れ込んで、岩国城を擁する城山をU字形に取り囲んだ後、今津川(いまづがわ)と門前川(もんぜんがわ)に分かれて瀬戸内海に注ぐ。 |
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雨の錦帯橋 |
錦帯橋の北東(対岸の城山)に標高200mの岩国城があるが、この日は雲で覆われていた。新しい橋脚は補修されたもの。 |
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パノラマ写真(2000x850)291KB |
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岩国藩第三代藩主・吉川広嘉(きっかわ・ひろよし)は、毎年のように氾濫延宝元年(1673) |
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錦帯橋の石組み |
流れに流線形の橋台は、石組みがばらけないよう金属が埋め込まれている。 |
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で、幅5m、長さ193m、橋面に沿った長さ210m、橋台からの高さ6.6m。築城技術が用いられ、巻金(まきがね)と鎹(かすがい)を使用した組木(くみき)の技術が生かされている。 |
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木と石畳の橋 |
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橋台の頂部は平らな石畳で、四つの石の橋台を結ぶ三つの反橋(そりばし)は、斜面の木造階段と頂部の板張りが組み合わされ、両側に欄干が張り巡らされている。両端の橋台と土手を結ぶ反橋は、それぞれ三本足の木造橋脚・五組で支えられ、反りが緩やかであるために橋面は全て板張りとなっている。 |
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錦帯橋の春雨桜 |
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パノラマ写真(1720x800)418KB |
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橋の上から西方の武家区域を臨むと、川岸に咲く満開の桜が春雨に濡れていた。普段は清らかな水を湛える錦川は、春の霖雨(りんう 長雨)のために濁流となり、水嵩(みずかさ)が増すばかりであった。 |
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錦川の春雨桜 |
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錦川西岸の土手を下ると、濁流が錦帯橋の橋台や橋脚を洗っていた。手前から二つ目の橋脚にゴミが絡んでいるが、水嵩が増して流木などが大量に絡みつくと破壊の恐れが生ずる。 |
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手前の橋脚は、石柱の上に木材が載せられ、荒縄で縛られた昔ながらの構造である。現代の土木技術からすれば、強度不足であることは否めない。一番奥の橋脚の新しい木材は、補修の跡である。 |
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橋脚を洗う錦川の濁流 |
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錦川西岸の錦帯橋と錦城橋の間に城山を背にした佐々木小次郎像が建つ。吉川英治著「宮本武蔵」には、次の会話があり、岩国出身の小次郎が描かれているが、史実ではなさそうである。 |
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「お国は」
「周防岩国の産です。で、私は、帰国した後も、毎日、練磨を怠らずに、錦帯橋の畔へ出て、燕を斬り、柳を斬り、一人で工夫をやっていました。母が亡くなります際に、伝来の家の刀ぞ、大事に持てといわれて、くれましたこの長光の刀をもって」
「ほ、長光か」
「銘はありませんが、そういい伝えています。国許では、知られている刀で、物干竿という名があるくらいです」 |
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物干し竿を持つ佐々木小次郎の銅像 |
春雨桜を背景にした小次郎の勇姿はなかなかのもの。晴れれば山上に岩国城が見える。 |
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錦帯橋の濡れ桜を楽しんでいたところ、突然、けたたましいサイレンの音が聞こえた。上流のダムで緊急放水が行われる警報である。バスは河川敷の駐車場に入らず、土手の道路沿いに駐車していたので問題なかったが、慌てて駐車場のマイカーを避難させる光景が見られた。 |
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錦帯橋の花の雨 |
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ダムの緊急放水を事前に警告するサイレンがあることは、よく知っているが、それを生で聞いたのは初めてである。我々のツアーバスも早々に錦帯橋を後にして、次の観光地・山口市に向かった。 |
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